つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

令和フィーバーは安倍自公政権とメディアが仕組んだ天皇制フィーバー:大日本帝国政府が捏造した天皇像により刷り込まれた臣民の虚勢の誇りの覚醒を目論む

2019-05-21 00:47:31 | 皇室

 令和フィーバー(熱狂)の実態は、安倍自公政権とメディアが仕組んだ天皇制に対するフィーバーである。私は国民のその光景を見て、大日本帝国臣民が政府により虚構の天皇像を刷り込まれ、それを誇りに思う姿、それは虚勢であったというべきであるが、その再来再現であるように見えた。敗戦後もその天皇への尊敬と臣民としての誇りを無意識に心の深層に脈々と今日まで継承してきたように見え、今回のフィーバーは急激にそれが解き放たれたようにみえた。元号は、元祖中国では中華民国成立によりすでに廃され西暦を使用しているが、日本では、敗戦前の国家体制・天皇主権国家への回帰を目指した自民党系政府は、敗戦後も「昭和」の元号を法的根拠なく非合法で、国民に選択の余地も与えず、公文書に使用する事を強いてきたと言って良い。ちなみに、旧皇室典範12条には「践祚の後元号を建て、一世の間に再び改めざること明治元年の定制に従う」と定めていたが、現行典範は定めていない。1979年(大平自民党内閣)にはそれを合法化するために「元号法」を成立させた。この法は、その法がしめすように「天皇制」が存在する事を前提とする法であり、国民の意思の如何によって、「天皇制」とともに、廃止できるものである。しかしこの事は、法に「政令で定める」としているように、その制定の主体は国民を代表する「内閣」としたもので、天皇の権力を示すものではなくなっているのである。しかし、安倍自公政権は主権を持つ「天皇制」を存続させるとともに、「元号」を戦前同様の意味を持つものとして復活存続させたいと考えているのである。

 元号法制定の経過を見ておこう。「明治100年」に当たる1961年、神社本庁は元号法制化を決議。72年、自民党が元号問題についての小委員会を作り、「昭和50年」「天皇在位50年」の頃から法制化を叫び始めた。

77年、福田赳夫(自民党)が首相として初めて元号存続の意向を表明。78年、自民、民社、新自由クラブの議員411人が「元号法制化議員促進連盟」を結成、79年、大平内閣は元号法案を本会議に提出し、6月成立した。そして、この法の附則で昭和の元号は、元号法第1項「元号は、政令で定める」の規定に基づき定められたとし、昭和を法的に裏付けたのである。

 神聖天皇主権大日本帝国政府下の国民学校における日本の国や天皇についての教育内容を紹介しよう。

 6年修身「大嘗祭の御儀」では「大嘗祭は、わが国でいちばん尊い、いちばん大切な御祭であります。御一代に御一度、神代そのままに、こうごうしいこの御祭をあそばされるのは、実にわが大日本が、神の国であるからであります……これこそ、実に大神と天皇が御一体におなりあそばす御神事であって、わが大日本が神の国である事を明らかにするもの、と申さねばなりません」(『初等科修身四』)

 天皇陛下は 宮城に おいでに なります

 宮城の 松の みどりは いつ ながめても かわりません。

 天皇陛下のおおさめになるわが日本は 世界中で一番りっぱな国です。

 天皇陛下をいただいている 日本国民は ほんとうに しあわせです

 私たちのそせんは だいだいの天皇に ちゅうぎをつくしました。

 私たちもみんな 天皇陛下にちゅうぎを つくさなければなりません。

 (『ヨイコドモ下』)

 日本の北東から、南西の岸へかけ、遠くわが南洋の島々まで、太平洋の波は、ひたひたと打ち寄せる。(中略)かなた、熱帯の海から流れ起こる黒潮、わが大日本の磯を洗いながら、北上し、東へ転じて、遥かにアメリカの大陸をつく。(中略)黒潮と台風と、その焦点に、神は大八洲を生み、皇祖皇宗は国を肇めたまう。そこには世界の原動力が力強くひそみ、最高文化の源泉が高鳴っているのだ。日向を船出して、都したまう国は大和、わが大日本はおおやまと、また浦安の国であるように、太平洋は、皇国の鎮めによってのみ、とこしえに「太平」の海なのである。(『初等科国語八』「太平洋」)

 あかるいたのしい春が来ました。日本は春夏秋冬のながめの美しい国です。山や川や海の綺麗な国です。このよい国に私たちは生まれました。おとうさんも おかあさんも この国にお生まれになりました。おじいさんも、おばあさんも この国にお生まれになりました。日本よい国、きよい国。世界に一つの 神の国。日本よい国、強い国。世界にかがやく えらい国。(『ヨイコドモ下』「日本の国」)

 世界に、国はたくさんありますが、神様の御ちすじをおうけになった天皇陛下が、おおさめになり、かぎりなくさかえていく国は、日本のほかにはありません(『初等科修身一』「日本の子ども」)

 親房は陣中にありながら、ふでをとって国史の本を書くことにしました。親房はその本の初めにこう書きました。「大日本は神の国である。神がこの国をお開きになり、天照大神が天皇の御位を、ながくさかえますように、お伝えになった。これはわが国だけにあったことでほかの国にはまったくないことである。だからこそ、わが国のことを神の国というのである」天照大神の仰せによって、神のお血すじをおうけになった天皇が日本をお治めになります。臣民は祖先のこころざしをうけついで、ひたすら天皇の大みわざをおたすけ申しあげてまいりました。かように、国の初めから、君と臣との分がさだまっているということが、日本の国の一番尊いところであります」(『初等科修身二』「日本は神の国」)

 私たちは先生から、いろいろなお話を聞きました。天皇陛下のありがたいことがわかりました天皇陛下をいただく日本の国は、世界中で一番とうとい国であることを知りました。私たちは天皇陛下にちゅうぎをつくし、このよい国をみんなでいっそうよい国にしなければならないと思います」(『ヨイコドモ下』「ヨイ子ドモ」)

 今の日本は海国日本の名のとおり、世界いたるところの海洋に日の丸の旗を掲げて、国の光をかがやかしながら活動しています。へさきに菊の御紋章を仰ぐ帝国軍艦は、み国のまもりもかたく、太平洋から印度洋にかけてその威力を張っています。海国日本のほまれをあげるぶたいは、かぎりなく大きいのです。その広いぶたいに日の丸の旗をささげて進むのが、私たちの尊い務めです」(『初等科修身二』「日本は海の国」)

 安倍自公政権やメディアは、上記のように、かつての大日本帝国政府によって、「虚構」の神聖天皇制を刷り込まれた臣民が、それを信じそれを誇り「虚勢」を張ったような風潮が再び今日の国民の間に広まる事を望んでいるのである。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和:安倍談話の思想背景は『国体の本義』「第一 大日本国体 四 和と「まこと」」である

2019-05-10 16:17:58 | 令和の元号

 安倍首相の新元号「令和」についての談話(2019年4月1日)内容は、神聖天皇主権大日本帝国下において、美濃部達吉氏の「天皇機関説」の問題化に際し岡田啓介内閣が「国体明徴声明」を発表した後、文部省が1937年5月に発行した『国体の本義』に示された思想、価値観(ウルトラナショナリズム)に基づくものであり、その「焼き直し」である。『本義』は、『古事記』『日本書紀』に基づいた、神聖天皇主権大日本帝国政府による国民教化(洗脳)を目的とした根本テキストで、国体(国家体制)の尊厳・君臣の大義を説いたもので、日本は神聖天皇が頂点に立ち主権を行使する家族国家であり運命共同体であると説くものである。安倍首相が談話によって述べた新元号「令和」についての説明内容は、その『国体の本義』の「第一 大日本国体 四、和と「まこと」」に基づいたものであり、その「焼き直し」である事に気づくべきである。

 「令和」は万葉集の文言を「引用」したとするが、これまでの元号の「引用」の仕方とは異なっている。都合の良い漢字が存在する、いわゆる「」に目をつけて、必要な漢字をくっ付けて作っただけである。実状は「令和」と先に決めた上で、その「2文字」を万葉集の「序」が都合よく含んでいるのを見つけ出し、つなぎ合わせたというところであろう。

 そして、「令和」に込めた意味は、新天皇の下ですべての国民に「和」を尊ばせるという事であり、心身ともに挙国一致体制(一億総活躍体制)を樹立する事をめざすという事である。それは、神聖天皇主権大日本帝国政府が明治の国民(臣民)を教化した『国体の本義』に示されている、あるべき「国体」の姿を実現する事につなげるためである。それは談話で「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ、という意味が込められている」と述べている事がそれである。

 そして、安倍首相は、その「」が天皇制とともに、『記紀』に書かれた神話の時代から変わる事なく継承されてきたものであると国民に刷り込むため(周知の如く事実はそうではない)、万葉集を「我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書である」と決めつけ、国民にそう思い込ませる事を目論み、さらに、日本を「悠久の歴史と薫り高き文化、四季折々の美しい自然」と形容(これも非科学的で主観的で短絡した誤った独善的な歴史修正主義的評価)し、「令和」を「我が国が誇る悠久の歴史、文化、伝統(天皇制を指す)の上に、次の時代を担う世代のためにどういう日本を築き上げていくのか。新しい時代への願いを示す上で最もふさわしい」とし、その上で、「しっかりと次の時代へと引き継いでいく」としているのである。

 元号(昭和への「改元」までは「詔書」によって実施)についても、安倍首相は独善的な解釈に立っている。「元号法」は「元号は国民のために国民が決める」ものと解釈すべきであり、国民主権の今日においては説明の必要がないにもかかわらず、わざわざ「元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と国民の幸福への深い願いとともに、千四百年近くにわたる我が国の歴史を紡いできた」と歴史研究成果とは異なった非科学的(虚偽、フェイク)な内容を述べて事実を隠蔽し国民を欺き、安倍首相にとって都合の良い天皇(皇室)のイメージを国民に刷り込もうとしている。さらに、国民に元号の使用を強制してきた事実をも頬かむりして認めず、「日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を与えるものとなっている」と述べ、そうする事を当たり前と思い込ませる刷り込みをしている事については呆れてしまう。

 

さて、『国体の本義』「と「まこと」」を紹介しよう。

「我が肇国の事実及び歴史の発展の跡をたどる時、常にそこに見出されるものは和の精神である。和は、我肇国の鴻業より出で、歴史生成の力であると共に、日常離れるべからざる人倫の道である。和の精神は万物融合の上に成り立つ。人々が飽くまで自己を主とし、私を主張する場合には、矛盾対立のみあって和は生じない。個人主義においては、この矛盾対立を調整緩和するための協同・妥協・犠牲等はあり得ても、結局真の和は存しない。即ち個人主義の社会は万人の万人に対する闘争であり、歴史はすべて階級闘争の歴史ともなろう。かかる社会における社会形態・政治組織及びその理論的表現たる社会学説・政治学説・国家学説等は、和を以て根本の道とする我が国のそれとは本質的に相違する。我が国の思想・学問が西洋諸国のそれと根本的に異なる所以は、実にここに存する。我が国の和は、理性から出発し、互いに独立した平等な個人の機械的な協調ではなく、全体の中に文を以て存在し、この分に応ずる行を通じてよく一体を保つところの大和である。従ってそこには相互のものの間に敬愛随順・愛撫掬育が行ぜられる。これは単なる機械的・同質的なものの妥協・調和ではなく、各々その特性を持ち、互いに相違しながら、しかもその特性即ち分を通じてよく本質を現じ、以て一如の世界に和するのである。即ち我が国の和は、各自その特質を発揮し、葛藤と切磋琢磨とを通じてよく一に帰するところの大和である。(中略)戦争は、この意味において、決して他を破壊し、圧倒し、征服せんがためのものではなく、道に則って創造の働をなし、大和即ち平和を現ぜんがためのものでなければならぬ。(中略)かくて君臣相和し、臣民互いに親和して国家の創造発展がなされる。現下の問題たる国家諸般の刷新改善も、またこの和によるむすび(創造)でなければならぬ。それは、一に天皇の御稜威の下に国体に照らして誤れるを正し、大和によって大いに新たなる成果を生み出す事でなければならぬ。(中略)このはいかなる集団生活の間にも実現せられねばならない。役所に勤めるもの、会社に働くもの、みな共々に和の道に従わねばならぬ。それぞれの集団には、上に立つ者がおり、下に働く者がある。それら各々が分を守る事によって集団の和は得られる。分を守る事は、それぞれの有する位置において定まった職分を最も忠実に努める事であって、それによって上は下に扶けられ、下は上に愛せられ、又同業互いに相和して、そこに美しき和が現れ、創造が行われる。この事は、又郷党においても国家においても同様である。国の和が実現せられるためには、国民各々がその分を竭くし、分を発揚するより外はない。身分の高いもの、低いもの、富んだもの、貧しいもの、朝野・公私その他農工商等、相互に自己に執着して対立を事とせず、一に和を以て本とすべきである。我が国においては、それぞれの立場による意見の対立、利害の相違も、大本を同じうするところより出づる特有の大和によってよく一つとなる。すべて葛藤が終局ではなく、和が終局であり、破壊を以て終らず、成就によって結ばれる。ここに我が国の大精神がある。而して我が国に現れるすべての進歩発展は、皆かくして成される。(中略)「君のため世のため何か惜しからむ拾てて甲斐ある命なりせば」という歌の心は、臣民が天皇に一身を捧げ奉る和の極致を示したものである。かかる我が国の和の精神が世界に拡充せられ、それぞれの民族・国家が各々その分を守り、その特性を発揮する時、真の世界の平和とその進歩とが実現せられるであろう。(以下省略)

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政府(内閣府)広報による子供支援奨励の新聞記事:ペーパー行政をやめ全身全霊を賭して解決策を実施せよ

2019-05-02 14:30:50 | 安倍政治

 2019年4月20日の新聞に内閣府の政府広報が載った。それを見て安倍自公政権の体質に改めて、驚きと怒りを感じた。その内容は、

「子供の貧困 あなたにできる 支援があります。

 【支援の例】

 ●学習支援 ●子供食堂 ●子供の居場所づくり」

というものなのである。

 このような政府広報を新聞に掲載したのは敗戦後の歴代政府のなかでは初めてであろう。この広報は政府が、国民に親たちに、子どもの貧困状況に対して、何らかの支援をさせようとするものである。しかし、本来、政府が取り組まねばならない問題であるにもかかわらず、それにほおかむりをし、歴代政府がとらなかった、国民に支援させ国民に責任を負わせようとする手法に驚きと怒りとを禁じえない。それも、政府広報の新聞記事掲載という安易な手法をとっている事に(これが安倍自公政権の真の体質であるが)。国民は、安倍自公政権の、官僚的で無責任な、第三者的立場に立った物言いや、国民生活の現状を関知しようとしない悪質な体質むき出しのペーパー(通達)政策をやめさせるべきである。国民は、このような体質の安倍自公政権を存続させるべきではない。

(2019年5月2日投稿)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

退位即位儀式:メディアは生前退位のため服喪の自粛でなく、奉祝フィーバー番組以外を自粛

2019-05-01 15:44:05 | 皇室

 昭和天皇の死去に際しては、その前後において異常な自粛がメディアはもちろん各所で行われた。それに対して、この度の退位即位の儀式に際しては、「過度の自粛は行われなかった」とメディアは報じているようである。しかし、それはメディアが昭和天皇の際と同じ物差しで判断し報じているからである。また、国民にも同じ物差しでの判断をさせようと意図しているからであると言っても良い。平成天皇が生前退位である事を考えれば「服喪」の必要はないのであるから、一見かつてのような自粛が見られないという事で「異常な自粛は行われていない」と判断するのは当たり前である。しかし、国民は、メディアの報じるままに単純に「過度の自粛は行われなかった」と思う事はこの度の状況について誤った理解を招く事になると考えなければならない。それというのは、「過度の自粛」は形を変えて行われているからである。一見かつてのような自粛は行われていないように見えるが、実はこの度はメディア特にテレビにおいては、すべての局がニュースはもちろんその他のすべての番組において、退位即位の儀式内容を「これでもか」というほどの時間を当てて報じているのである。そして、そのためにその他の通常放送している番組を差し替えたり通常番組の内容を変質させているからである。つまり、メディアは退位即位の儀式の報道はいくら行っても皇室からも安倍自公政権からも批判を受ける事はないと心得ているから、その関係の内容を番組に充満させるという形での自粛をしていると考えるべきなのである。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内閣府が「新天皇即位」を国民こぞってお祝いするよう新聞で勧める異常な安倍自公政権

2019-05-01 12:35:46 | 皇室

 2019年3月23日に、内閣府新聞に政府広報を載せた。内容は5月1日に予定している「新天皇の即位」に関するものであるが、それは安倍自公政権の「人権」に対する軽視(差別的体質)を自ら暴露しているものである。主権者国民としては政府からいちいち指図されることは「大きなお世話」で不愉快である。以下に紹介する。


「5月1日 天皇の即位の日 国民こぞってお祝いしましょう。即位の日の前後は大型連休になります。国民の皆様の生活に支障が生じないよう、政府として万全を期して参ります」

 このような政府広報は、「即位30年記念」の際にも掲載していた。その際には「国旗掲揚するよう」に国民にお願いする内容であったが、この件も主権者国民にとっては、押し付けがましく感じ不愉快であった。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする