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中江兆民いわく「日本に哲学なし」(鷲田清一氏特別授業「哲学の役割」)

2023-12-08 21:00:17 | 中江兆民

 明治学院大学の高橋源一郎氏のゼミの特別企画のゲストとして招かれた京都市立芸術大学学長の鷲田清一氏が「哲学」について特別授業を行った事を朝日新聞が載せた。そして、鷲田氏は、

「哲学には僕らがこれから生き延びていくための大事な役割がある。暮らしやシステムを、ゼロから立ち上げ直さなくてはいけない時代。手放してよいものは何で、はずせないものは何か。それを見極めるための方向感覚は、哲学やアートによって身につけられる」と語ったという。

 私はこの言葉を目にしてすぐに、明治時代に活躍し歴史に名を残した「中江兆民」の言葉を思い出した。そして思った。それは、100年以上前に生きた兆民がそれ以前や当時の日本人に対して感じた思いと、現在の日本国民の意識状況とがあまり変わっていないのではないか進歩していないのではないかという事である。

 兆民の著書『一年有半』には以下のような事が書かれている。

わが日本古より今に至るまで哲学なし。……哲学なき人民は、何事を為すも深遠の意なくして、浅薄を免れずわが国人これを海外諸国に視るに、極めて事理に明らかに、善く時の必要に従い推移して、絶えて頑固の態なし、これわが歴史に西洋諸国の如く、悲惨にして愚冥なる宗教の争いなき所以なり。明治中興の業、……旧来の風習を一変してこれを洋風に改めて、絶えて気にかけ惜しまない所以なり。しかし、その騒がしく軽薄の大病根も、また正にここにあり。その薄志弱行の大病根も、また正にここにあり。その独造の哲学なく政治において主義なく、党争において継続なき、その原因ここにあり。これ一種小怜悧、小巧智にして、偉業を建立するに不適当なる所以なり。極めて常識に富める民なり、常識以上に挺出(他に優れて抜きん出る事)することは到底望むべからざるなり。速やかに教育の根本を改革して、死学者よりも活人民を打出するに務めるを要するは、これがためのみ。……」 

中江兆民「1848~1901。土佐藩出身、1871年岩倉使節団とともにフランスへ留学し74年帰国。81年以降「自由民権論」を説いた。『民約訳解』(ルソーの『社会契約論』の翻訳)などで天賦人権説、人民主権説を紹介し、フランス流の民権思想の普及とともに明治専制政府の批判をした。明治憲法改正をめざし、1890年には、衆議院議員となった。超然主義を継承する時の山形有朋首相が第一回帝国議会で「国家独立自営の道は一に主権線(国境)を守禦し、二に利益線国境を守るための地域=朝鮮)を防護するにあり」と陸海軍増強の必要性を演説軍備拡張を含めた予算案を提出したのに対し、民権派政党は松方財政による農村疲弊を救うため政費節減・民力休養を主張した。しかし、民権派政党立憲自由党土佐派が政府の買収切り崩し工作により裏切り政府側に寝返ったため、「衆議院は無血虫の陳列場」と憤激し、辞職した。」

(2016年4月28日投稿)

 

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