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つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

皇紀2600年奉祝式典に建築使用した「光華殿」は今いずこ

2020-08-25 11:06:10 | 皇室

 オリンピックを取り上げたメディアの記事のなかに、1940年に神聖天皇主権大日本帝国政府が実施した「皇紀2600年奉祝式典」の事に触れている事がある。ところでこの「式典」実施のために、皇居前に「光華殿」と名づけた「式殿」を建築した。現在その場所には存在しないため目にする事はできないのであるが、建物は1942年にそっくりそのまま「小金井公園」内に移築しているのである。そして、文部省国民錬成所の建物として使用したのである。

 敗戦後は学習院中等科の建物とされ、平成天皇が学んだりしたが、1993年には小金井公園」内に開設された「江戸東京たてもの園」の「ビジターセンター」とされ、「たてもの園」の出入り口兼休憩所として利用されている。

(2020年8月25日投稿)

 

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徳村聡氏(大阪維新の会所属大阪府議)に控訴審も賠償命令

2020-08-19 06:52:04 | おおさか維新の会

 2020年8月1日の新聞が報道した。徳村聡氏(大阪維新の会・大阪府議)の発言名誉を傷つけられたり、暴行ケガを負ったりしたとして、大阪府の医師が400万円の損害賠償を求めた控訴審で、7月31日に判決(大阪高裁・中村也寸志裁判長)が出た。

 一審では府議に40万円の支払いを命じていたがそれを変更した。控訴審判決は名誉棄損による損害賠償を認め府議に10万円の支払いを命じたが、暴行による負傷とは認定できないとした。

ところで、大阪維新の会の不祥事はひじょうに多い。維新の会に所属したり関係する人々は、なんと人格面で問題を有しているのでしょうか。元幹部はじめ現在の幹部しかり。そしてその幹部を見倣った会員も。このような体質を有する人々は公的な立場や役職に就く資格に欠けていると思われるが。具体的な事例のいくつかについてはカテゴリー「おおさか維新の会」の別稿をご覧ください。

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ブラックフェイスはダウンタウンの笑いネタの質の低劣さと芸能界での驕りの表れ、国民の知性度の象徴的事象

2020-08-18 10:49:20 | ヘイトスピーチ

 大みそか(2017年12月31日)の日本テレビ系の番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」恒例の特別企画「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」で、ダウンタウンの浜田雅功が顔を黒く塗る「ブラックフェイス」をお笑いネタとしてやり、問題視されている。

 浜田が「ブラックフェイス」をやったのに対し、相方の松本人志は「黒人がわろうてんねん」と発言していた。

 浜田の行為と松本の発言は、いづれも笑い飛ばして済ます事はもちろん、黙過してはならない重大な差別事象と見做すべきものである。この二人の「ブラックフェイス」ネタはその笑いのネタの質の低劣さと彼ら二人の知性そのものの乏しさとそれを原因とする冷酷冷虐さを暴露していると言ってよいだろう。もし、私の身の回りでこのような行為をする者がいれば、顰蹙を買って場が白けたり、人格を疑われて不信感をもたれたりし、その事によってそれまでの友人関係や人間関係を狭めたり失ったりする事になる事は明白である。

 私たち一般人でもそのようであるにもかかわらず、彼らは芸能を生業として我々一般人以上に広範囲の人間に影響を及ぼすメディアを通して、実行したという心理はどういうものなのか。メディアにおける、この「ブラック」問題について日本社会国民はすでに、過去に何回もの教訓を得てきていた。例えば、漫画「ちびくろサンボ」問題、抱っこ人形「ダッコちゃん」問題についてなどである。また最近では、沖縄基地における大阪府警による「土人」発言、自民党山本議員の「黒いのが好き」発言、などである。上記の発言の際には大きな問題となったのであるが、それにもかかわらず、今回ダウンタウンはこのような問題を引き起こしているという事なのである。このような背景を考えれば黙過してはいけない事はもちろん、決して簡単に落着させてはいけない問題であると考えるべきである。

 幼児ではなく、もうすでに充分な大人であるから、いわゆるそれぞれ一人の人間としての社会的常識を備えていると見做されて当たり前であろうし、さらに、メディアを通して仕事をする者として、上記のようなこれまでの知識を有し、常に十分注意すべき事柄として心がけていると見做されても当たり前であろう。しかし、今回「ブラックフェイス」ネタをやったという事は、彼らは「そうではなかった」という事実が明らかとなるとともに、そのために起こるべくして問題化したという事である。そして、この事で彼らが信用を失う結果を招いても仕方がないという事である。

 しかし、松本は「恥の上塗り」をしたようだ。それというのは、14日のフジ系のバラエティー番組「ワイドナショー」で、「色々言いたい事はあるんですけども、面倒くさいので『浜田が悪い』でいい」と発言したという点である。この「面倒くさい」という発言には、今回の件が大問題である事を理解できていない事と、悲しみや怒り、心配などを感じた人々(それは人種面で該当する人々だけを指すものではなく、様々な差別言動を許さない意志をもつ人々)に対して思いが至っていない事を感じさせるからである。また、松本の「『浜田が悪い』でいい」という発言には、松本自身が「黒人がわろうてんねん」という発言について、松本も浜田と共犯(同罪)と見做される立場にある」事をまったく理解できていないという事でを感じさせるからである。松本の「黒人がわろうてんねん」という発言は、浜田が黒人のまね(ブラックフェース)をしている事に自らもおかしく思っている事を示したものであり、視聴者もその笑いに同意するであろうと思い込んだ発言であったと言ってよい。そして松本はさらに、「物まねとかバラエティーで黒塗りが無しでいくんですね?はっきりルールブックを設けてほしい」と言ってしまったようである。この発言では、プロの芸人たる者が自己の発言責任を他人に転嫁し、責任回避しようとしているのである。放送コードを設置するしない以前の個人の人格の問題である。慢心も目に余る。

 そして、日本テレビも「差別する意図は一切ありません。本件をめぐっては、様々なご意見がある事は承知しており、今後の番組作りの参考にさせていただきます」と主張している事が問題である。

 つまり、「差別していない」という意味の主張をしているのである。否定をすればそれが認められるというものではない。日本テレビは、差別は人権侵害であり、どのような事が差別なのかを理解していないようだ。自己の「差別に対する認識」を客観的に判断していないために「ブラックフェイス」を差別行為であると認識していないのである。また、仮にその行為が差別であると「知らなかった」としても、また、差別行為の「見て見ぬふり」も差別行為を幇助しているものと解釈するのが常識であり、「差別行為」を行っているのと同様の責任を問われて当然であると考えるのが社会一般の常識である事を理解していない。

 1969年に発行し日本政府も1995年に批准した「人種差別撤廃条約」を無視した主張をしているのである。条約には以下のように定められているにもかかわらずである。「人種的相違に基づく優越性のいかなる理論も科学的に誤りであり、道徳的に非難されるべきであり及び社会的に不正かつ危険であること並びに理論上又は実際上、いかなる場所においても、人種差別を正当化することはできない事を確信し、人種、皮膚の色又は種族的出身を理由とする人間の差別が諸国間の友好的かつ平和的な関係に対する障害となること並びに諸国民の間の平和及び安全並びに同一の国家内に共存している人々の調和をも害する恐れがある事を確認し、(中略)あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言に具現された原則を実現する事及びこのための実際的な措置を最も早い時期にとることを確保する事を希望して、……」

 BPO放送倫理検証委員会の「人権委員会」は、「放送で人権を侵害された」という訴えに応じて、放送に問題がなかったかを検証する機関であるが、この件も議題に上がって当然であろう。 

 問題となっているこの番組第1部の平均視聴率は、17.3%という事であるが、この番組を見て「笑っていた」視聴者は、浜田・松本、日本テレビと同様の意識状況であると見なされるもので意識変革が必要である。また、マクニールさんの問題提起に対して、「コスプレなだけ」とか「日本人に差別意識はない」と投稿した人々も浜田・松本、日本テレビと同レベルの意識状況であると言える。また、この二人の件は、彼らだけの問題としてとどまるものではなく、吉本興業など日本のお笑い芸人の大勢となってしまっている事の反映である。また、その背景には他でもなく、安倍自公政権の体質の浸透(万国博覧会の大阪誘致があるという事と、各界各分野の主流が安倍政権とのつながりを持つ者たちと化してしまっているという事である。

 そして、この番組の高視聴率は、近年の日本国民の知性レベルが「ダウンタウン」化している事を如実に示したという事である。

 最後に、1860(万延元)年徳川幕府による「日米修好通商条約批准」を目的とした遣米使節が目にしたアメリカ黒人観を紹介しよう。

「黒人は人質悪しくして至って愚なる、白人と隔をなし富貴のものなく只白人のとなり、我朝人(日本人)の旅館は、更に講堂の説法買茶見世物芝居などにいたるまですべて、白人の立ち入り場所へ黒人は入る事を禁ず」「国の制、黒人を分かつ。我屠児のごとし。これをとして使う。白人もとより知恵。黒人は愚昧。故に知恵の種を混ぜざらしむ」

と、黒人差別を当たり前の事として問題意識はまったくもっていない。人種問題や奴隷制を当然の事としてとらえていた。また、日本人は自分たちを白人のアメリカ人と同じであるとみなし、白人のアメリカ人が軽蔑する人種を同様に拒否する意識ができていたようだ。そしてそれが次第に同胞黄色人種であるアジア人を激しく軽蔑する態度につながっていったといえる。

 

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戦後75年「本土決戦 新聞が指南した」:九州「防衛新聞」だけでなく「朝日新聞」はそれ以前から

2020-08-17 15:38:12 | メディア

 2020年8月14日の朝日新聞「戦後75年」が「本土決戦 新聞が指南した」という見出しで、九州で発行された「防衛新聞」(1945年4月18日朝日新聞西部本社創刊)の記事を紹介していた。「国民遊撃戦」と題した連載も組まれていたようだ。

 ところで、朝日新聞の全国版ではすでにそれ以前から、そのような内容の記事を載せていた事を紹介しよう。例えば、

 1944(昭和19)年9月22日朝刊「神風賦」には、「体当たり精神」を賛美した記事を載せていた。それには「……体当たり精神とはどんなものか。『弾丸が雨と降る中に、倒れても倒れてもなお突撃して来る超人的能力』として、日本の歩兵の突撃精神は、外国戦術家の驚異となっている。この歩兵の突撃精神を、さらに一歩進めたものが体当たり精神である。もとより生還を期さない。生命の執着を地上に忘れてきたものに違いない。いな、俺は死ぬんだといった感じのものではなく、その瞬間には、生死を超越し敵を斃さねばならぬという必墜の信念でぶつかってゆく気持だといわれる。……肉弾の強さは洋の東西を問わぬ。特に日本はこの肉弾をもって、今日まで戦って来た。物量よりも、武器の性能よりも、生命をもってぶつかって行く肉弾精神こそ、敵の最も怖るる『不思議な力』である」としている。

 1945年4月16日朝刊には、女性や老人など残る一般人を対象に、手榴弾の握り方や投げ方を細かく説明している。「投げ方は立ち投げ、膝投げ、伏せ投げの3パターンがあり、兵士は立ち投げで30~35㍍、伏せ投げで20㍍以上投げるが、この距離は容易に投げられる距離ではないから、老若男女は投げる訓練をすべきである。手榴弾がないからといって訓練ができないでは済まされない。手榴弾との同じ形、重さの石でも何でもよいから、訓練を積むべきである」としている。

 1945(昭和20)年6月11日朝刊には、大本営陸軍部刊行の『国民抗戦必携』を引用し、刃物などを使った敵兵殺傷の仕方を紹介している。例えば、「ナタ、玄能、出刃包丁、鳶口、鎌等を用いる時は後ろから奇襲すると最も効果がある。正面から立ち向かった場合は半身に構えて、敵の突き出す剣を払い、瞬間胸元に飛び込んで刺殺する。……一人一殺でもよい。とにかくあらゆる手段を用いて何としてでも敵を殺さねばならない」としている。

 1945(昭和20)年6月14日には、「敵来らば『一億特攻』で追い落とそう」という見出しで「『一億特攻隊』の言葉が叫ばれて既に久しい。だがこの言葉の叫び続けられねばならぬところ、国民のなかにはまだ特攻精神に徹しきっていないものがあるのではないか。しかも今ほど一億国民すべてに、あの烈々醜虜(外国人の意)を焼きつくさずんばやまぬ特攻精神が求められることはないのだ。沖縄の決戦なお続くといえども大局我に利あらず。我々は遂に敵の本土上陸を覚悟しなければならなくなった。男も女も、老人も子供も、一たび敵が本土に上陸せば、武器となし得るものすべてを武器とし、敵兵を突き刺さねばならないのである。一億特攻、今にしてこれを我がものとして敵に立ち向かうのでなければ勝利は永遠に失われるであろう。……『一億特攻』と絶叫し、本土上陸の敵を迎え撃つことに最後の勝利を見つめたいのである。……」としている。

 メディア(当時は新聞・雑誌・ラジオのみ。テレビはなかった)が果たした恐るべき実態である。しかし、日本のメディアは現在も、上記のように、主権者国民を洗脳し、教化し、扇動する動きを強めている。公共放送との位置づけのNHKも。主権者国民は幸せに生きる権利を守るうえで、メディアが発信する情報に対する判断能力(メディア・リテラシー)を向上させなければならない。

(2020年8月17日投稿)

 

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「母の日」の由来

2020-08-17 09:07:11 | 文学・歴史

 1948(昭和23)年7月20日発布の法律第178号「国民の祝日に関する法律(祝日法)」では、5月5日の「子どもの日」は、「子どもの人格を重んじ、子どもの幸福をはかる」日とするとともに、「母に感謝する日」ともしているが、一般的に「母の日」は「5月の第2日曜日」という事になっている。

 由来はアメリカにあり、母を亡くした人は、生前のキリストマリアの涙を意味する「」、母が健在の人は復活したキリストを意味する「」のカーネーションを胸に飾り、母に花束を贈って常日頃の母の苦労を慰め、母の愛を讃えて感謝する日とされている。

 アメリカのウェストヴァージニア州教会に、ミス・ジャービスという女教師がいた。日曜学校の説教の時、モーセの十戒の一つ「汝の父母を敬え」という章の解説に「母の恩の深い事を人に悟らせる方法を考えよ」と教えていた。彼女が亡くなり、その追悼式が命日に行われた時、一人娘のアンナ・ジャービスは、母が好きだったという白いカーネーションを母に捧げる事で母の教えを伝えていこうと思い、信者たちに白いカーネーションを配った。信者たちはそれを胸に飾って、教えの通り母への感謝を示した。

 この話を伝え聞いたデパート経営者ジョン・ワナメーカーが、1908年5月の第2日曜日に母を讃える記念会を催して、アンナの話を人々に伝えた。これが反響を呼び、1914年、議会の決議をへて、第28代ウィルソン大統領が国民の祝日として、5月の第2日曜日を「母の日」とする事を定めたという。

 

 

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