※アメリカ合衆国第4代大統領ジェームズ・マディソンの言葉「自らの支配者たらんとする人民は、知識が与える力で自らを武装しなければならない」
2017年2月4日の朝日新聞「天声人語」に、「ソメイヨシノ」に関して、「いまや桜の代名詞となったソメイヨシノも、明治以降、その華やかさが好まれて広がった」と説明していたが、これでは「広がった」理由をあまりにも軽率に、単純な「美的好悪」の感性の説明だけで済ませていると受け取れるが、「ソメイヨシノ」はそのレベルの説明で済ませる事ができる「花」ではない。「好悪」の感性だけを普及理由としてしまうならば、それは説明としては誤りというべきだ。執筆者がそれを分からないはずはないであろう(分かっていないとすれば執筆者は勉強不足である)。もしも、それを分かっていながら上記の説明をしたとするならば、非常に問題のある説明というべきである。執筆者は意図的に読者に事実を伝えず、「好悪」だけが理由であったように読者に思わせ、洗脳する事を目的としていると言ってよいもので、読者にとってはきわめて危険な説明であるといえる。
現在、「ソメイヨシノ」は日本の桜の8割を占めるといわれるが、その「ソメイヨシノ(染井吉野)」は幕末から明治時代初めに、東京の染井周辺で人工的交配により生み出されたもので、その後各地に広まったといわれている。当初は「吉野桜」と呼んでいたが、1901年、「ソメイヨシノ」が正式名となったようだ。
神聖天皇主権大日本帝国政府は、「ソメイヨシノ」を「国花」として位置づけ、明治以来「小学校」ではその「徽章」として使用するようになり、学生服の金ボタンにも使用するようになった。また、学校教育においては、国定教科書の第3期4期の教科書では「サクラ」の花を教科書の「顔」として取り入れ、子どもの頃から意識の中に刷り込んでいった。
東京では、1880年代以降「ソメイヨシノ」が流行し始め、1890年代には政府の意向に沿って各地の行政機関により、公園整備の際に植えるようになった。1890年頃には、「靖国神社」の境内にも「ソメイヨシノ」が植えられたという。
大阪では、日露戦争前後に、天王寺公園に初めて「ソメイヨシノ」が植えられた。
「ソメイヨシノ」が大々的に植えられるようになったのは、1910年以降であるという。それは、帝国政府や軍部の意思に沿って広められたものである。また、帝国政府は、国家神道(天皇教)信奉者(現在の歴史修正主義者)による「作り話」プロパガンダ活動にも支えられて、国民の間に「ソメイヨシノ」が日本の「伝統」的な桜であると信じ込ませようとするとともに、それを通して為政者は自身に都合の良い思想認識を捏造し、それを「日本民族」が持つべき思想認識と位置づけ、国民に刷り込み洗脳していったのである。それを示すものを以下に示しておこう。
前田曙山『曙山園芸』(1911年)の『桜』には「……桜と日本は神が結べる縁で、何者が水を差すとも、切れるの変わるのという仲ではない」としている。
1913年改訂の国定教科書『高等小学読本』第1課にある井上哲次郎の『桜花』には、「……我が日本民族の長所が個人主義にあらずして、むしろ団体的活動にあるを表現してあまりありというべきなり。……桜花は我が日本民族のまさに具有すべき気性精神を表現するものにほかならず」としている。
大町桂月『筆艸』の『日本国民と桜』には「……日本国民の特質をいえば、淡白にして思い切りよく、生死に未練なく、個人的ならず団体として大いに強し。桜の花神、化して日本国民となれるか。日本国民の魂出でて桜の花となれるか。桜花は日本国民の表象なり」としている。
1937年の大照晃道『桜と日本民族』には「……山桜のパッと咲いて潔く散れると云う処、民族的精神と相通っているのである。……桜に備えている徳……は、同時に国民の精神のその内容を為しているものであった。その精は植物となっては山桜となり、人となっては大和民族となったものであろう」としている。
日本の「歴史修正主義」は大日本帝国政府による近代化とともに始まり、敗戦により否定されたが、それは表面的なものであって、地下水のごとく根強く暗躍し続け、社会の表面へ返り咲くチャンスを伺っていたが、1990年代より、公然と活動しその主張を正当化するようになり、今日の安倍政権に至るのである。神聖天皇主権大日本帝国政府の国民支配の手法を継承する安倍自公政権は、歴史は自分の都合の良いように「書き換えるべきもの」であると考えており、現代の国民を思いのままに洗脳したり、歴史の発展を逆戻りさせる事を不可能な事ではないと強く信じているのである。
(2020年3月30日投稿)