丸川珠代氏(男女共同参画担当相兼五輪パラ担当相)の国会答弁や記者会見への不信感と批判が日毎に高まっている。
それはなぜか?丸川氏の国会答弁や記者会見の発言が、すればするほど、どのように考えても、上記担当相にあるまじき支離滅裂な屁理屈としか言いようがないからである。
丸川氏は、今年2021年1月30日付(大臣就任前)で、選択的夫婦別姓制度実現を求める意見書の採択を進めていた埼玉県議会議員宛に「『選択的夫婦別氏制度』の創設には反対しております」との文言で、自民党衆参50人の国会議員有志の名前を連ねた中に丸川氏の名前も入る書状を送っている事が明らかになっている。
賛同し名前を連ねた事に関して丸川氏は、2月24日の記者会見で「私個人の信念だ」と説明するとともに、「私の考えは脇に置いてでも、国際社会から理解を得て、力を尽してやる」とも述べている。
また2月24日の衆院内閣委員会では、選択的夫婦別姓の議論の進め方についての質問に対し、「国民が深い議論をするような環境を後押しするのが自己の役割」と答弁している。
また、3月3日の参院予算委員会では、選択的夫婦別姓に反対している丸川氏の男女共同参画および五輪パラ担当大臣としての資質を問う質問に対して、「今は大臣である」「一議員としての意見を表明した」「家族の一体感について議論があって、家族の根幹にかかわる議論だという認識をもったからだ」とも答弁している。
上記の丸川氏の答弁主張をそれなりに整理してみると、「夫婦別姓反対の信念を脇に置いて、国際社会から理解を得て、ジェンダー平等の職責を果たし、男女平等参画を推進する」という事になる。これは支離滅裂な屁理屈に過ぎないのではないだろうか。
果たして丸川氏の言うような事が可能であるのか。彼女の言うような事は実際は不可能である事は分かり切っているのではないだろうか。彼女のジェンダー平等推進についての考え方では形だけの結果しか生まないのではないだろうか。
なぜなら、丸川氏は「信念」という言葉を使ったからである。「信念」とは「固く信じて動かない心」という事である。自己の考え方を変革しようという意思がないのである。学び成長発展しようとする姿勢がみられないのである。担当相ならば、自ら学ぶ意思を持ち、さらに自己変革しようとする意思をもつ必要があるのではないだろうか。はじめから「信念を脇に置く」のではそれは不可能である。常に柔軟で科学的な思考をし、これまでの「信念」をも変革する柔軟な意思がなければ、どんな事でも「推進」する事はできないのではないだろうか。
このような点から、丸川珠代氏は、男女共同参画担当相および五輪パラ担当相の資格を有しない事が明確であり、自ら辞任および更迭すべきであると考える。
また、菅首相が3月4日の参院予算委員会で、丸川氏について、「一政治家としてこうした活動(夫婦別姓制度反対)をする事は、おかしくない。任命時に承知していないけれども、こういう事を事実と知っていても、大臣は丸川さんにお願いする」と答弁している事に関して付け加えておきたい。
「任命時に承知していない」というのはどういう事なのか。これはウソだと思うが、誰でもいいのか。任命というのはそんないい加減なものだという事である。また、「こういう事を事実だと知っていても、大臣は丸川さんにお願いする」という答弁は、菅首相は森発言をきっかけに現在世界中で、菅自公政権の「ジェンダー平等」意識やその解消取り組みについて強い関心を持たれているなかで、その解消に本気で取り組もうとしていないという事を表しているのだろう。今のままの方が都合がよいという事であろう。
菅首相も、菅自公政権も、まったく主権者国民のための政権担当能力を有していない事は明らかで、主権者国民は、生活の安心安全を守るためには菅自公政権をできる限り早く打倒し、主権者国民の安心安全を第一とする新しい政権を樹立しなければならない。そして、主権者国民も新しい政権を支え、ともに汗を流し生きる覚悟を持つべきである。主権者国民が自己の将来を本気で考えなくて何を求める事ができよう。
(2021年3月6日投稿)