2020年7月18日の「耕論」に漫画家のひうらさんが「相手を想像し感謝の行動」という主張を掲載していた。彼女の主張の趣旨は、彼女の言葉を借りると、「新型コロナでは、医療従事者への『ありがとう』の思いを表現したいと考え、4月に『#GratefulForTheHeroes絵(ヒーローに感謝の絵を)』として、医療従事者を描いたイラストの投稿をSNSで呼びかけました。」「少しでも元気になってもらいたいからと、明るく『たたえる』というイメージで描いた」という事である。しかし、この発想は極めて「浅はか」なものと言って良い。その「浅はかさ」は、ひうらさんのいう「相手」の、ここでは医療従事者の事であるが、彼らの置かれた状況や彼らが本当に切実に求めている事への想像力が残念ながら欠如している事が原因である。そしてそれは、ひうらさんの偏狭な歴史認識をも顕わにしている。彼女の歴史認識は、2013年12月末に安倍晋三氏が靖国神社参拝後に行った談話の趣旨とピッタリ同じ発想をしている。談話は、
「……尊い犠牲の上に、私たちの平和と繁栄があります。今日は、その事を改めて思いを致し、心からの敬意と感謝の念を持って、参拝しました」というものである。これは「靖国神社の思想」であり、「祭神」に対し「感謝」の言葉で対応する事により、国民(臣民)に対し、「天皇国家」のために「殺す事」や「死ぬ事」を強制し、そのような生き様(死に様)を模範とさせ、またその生き様(死に様)に対して「疑問」や「憤り」や「恨み」や「悲しみ」や「辛さ」を抱く事を封じ、ひたすら命じた事に邁進させる(神聖天皇主権大日本帝国政府ではさせた)事を意味するものなのです。どうでしょうか?
ひうらさんの主張は、安倍晋三首相(安倍自公政権)の考え方を支持し、意図的でない事を信じたいが、代弁する効果を生み扇動している事にもなっているのである。そして、そのような主張であるにもかかわらず、さらにSNSで不特定多数の人々に軽率に無責任にも呼びかけてしまっているという事なのである。この主張に対する批判に謝罪文を投稿したようですが、上記のような事に気づいたうえでの事なのでしょうか。どのような内容であったのか知りたいですね。また、「感謝」や「謝罪」は直接相手を目の前にして、その反応を直に確かめながらするべきものだと思います。
ひうらさんは、文末で「批判の背景には、コロナの前からあった労働環境や格差への不満もあるように感じます。そういう社会構造に対して何かできる事はないか。そんな事も考え始めています」と述べているが、SNSで呼びかける前に、そのような事にこそ第一番に気づくべきだったと思います。そして、軽率に無責任にSNSなどで扇動するべきではないと思います。
日中全面戦争の真っ最中の1939年1月20日に「兵隊さんよありがとう」(原題:兵隊さんよありがたう)という歌のレコードがコロンビアから発売された。この歌詞は大阪朝日新聞と東京朝日新聞が前年の10月に、「皇軍兵士に感謝するための歌」を懸賞募集した際、佳作一席に選ばれたものである。作詞したのは東京の印刷所に勤めていた工員さんであるが、その時の感想が「街で見かける少年少女たちの兵隊さんに対する尊敬や憧れの純真な気持ちをそのまま童謡風に綴ってみた」というものであった。
「1、肩をならべて兄さんと 今日も学校へ行けるのは 兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために戦った 兵隊さんのおかげです
2、夕べ楽しい御飯どき 家内そろって語るのも 兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために傷ついた 兵隊さんのおかげです
3、淋しいけれど母さまと 今日もまどか(安らか)に眠るのも 兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために戦死した 兵隊さんのおかげです
4、明日から支那の友達と 仲良く暮してゆけるのも 兵隊さんのおかげです
お国のために お国のために尽くされた 兵隊さんのおかげです
兵隊さんよありがとう 兵隊さんよありがとう」
ひうらさんのSNSの呼びかけは、この歌詞や安倍首相の談話などとどれほどの違いがあると言えるだろうか?ひうらさんは自身にとって致命的な誤りを犯したと言って良い。
(2020年8月9日投稿)