つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

津村記久子は「なでしこジャパン」を美化し日本人にナショナリズム全体主義を煽っている

2023-07-20 13:27:59 | ことば

 A新聞は2016年4月11日夕刊の「文化欄」に津村記久子の一文「大和撫子の誇り」を載せた。私はこの短い文を読んで違和感を感じた。それはまずタイトルの「大和撫子の誇り」であった。この言葉を使用する事自体に津村記久子がどのような思想に基づいて物事を考えているかが表れていると思う。「大和撫子」という言葉は敗戦までの日本の女性たちを美化する代名詞として政府が作り好んで使用した言葉であった。「大和撫子」とは、男尊女卑(男女不平等)思想に基づく女性のあり方を示した言葉であり、女性を性によって男性の下位に置き家父長制に奉仕させる前近代的な差別思想そのものを表す言葉であった。敗戦までの(民法典論争の後の)民法では、妻は無能力者とされ、親権は父親にあった。は妻の財産を管理し、無償で使用できた。また、には遺産相続の権利は認められていなかった。さらに、妻の姦通は離婚理由になったが、には姦通罪は適用されなかった(1933年4月「滝川事件」)。そして、植民地として支配したアジア諸地域(例えば台湾でも)の女性に対しても、またその地域に設置した教育機関における女子教育においても、その理想とすべきモデルは当時の日本女性に強制された「大和撫子」であったのだ。このような歴史を津村記久子はまったく無視し、「大和撫子」という言葉を軽率に使用しているとしか思えない。また、意図的に確信犯として使用しているとしか思えない。この言葉自体に疑問を、また不快感を持つべきであるにもかかわらず。

 彼女の言葉を抜粋すると「わたしは彼女たちを知るまで、日本人であることの誇りなんか感じた事がなかった」「本当に彼女たちは国を背負って戦っていた」「彼女たちほどわたしたちの落胆を引き受けてくれた存在はないように思えた。そして勇気づけてくれた存在はないように思えた」「私戦に勝つ以上の尊いことを教えられた。私戦の外側で、自分たちのために戦ってくれる人たちがいるんだということを知った」などと綴っている。

 上記の中で、「日本人としての誇り」を感じると、つまり「日本民族としての誇り」を感じるという言葉を使っているが、何故ここでこのような言葉を使用するのか必要であるのか頭を傾げざるを得ない。「国を背負って戦う」事がさも「賞賛すべき行為」として大きな価値であるかのように表現しているが、これは出来事の意味を恣意的主観的にすり替え日本人に危険なナショナリズムを煽り誘導する効果を期待しているとしか思えない。「わたしたちの落胆を引き受けてくれた、勇気づけてくれた」という言葉は「なでしこジャパン」を美化し、それに津村自身が陶酔したふりをし、さらに日本人の多くにナショナリズムに巻き込んでいく効果を計算した表現としか考えられない。このような意味で、津村は狡猾な偽善者と言ってよい。

さらに、このような内容の文章を載せたA新聞の体質も、残念ながら、堕ちるところまで堕ちたと言わざるを得ない。

(2016年4月13日投稿)

 

 

 

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戦争ことばは日清戦争下の大阪商人が歓楽街花街のお座敷に持ち込み広まった

2023-06-20 15:42:21 | ことば

 2018年10月23日の朝日新聞「声」欄に、新聞・テレビなどのメディアを主に多方面で、「戦争言葉」の使用が氾濫している状況についての投稿が載せられていました。その方は平凡な言い回しでも良いのではないかという気持ちを述べられていたが、私も同感である。

 ところでこの「戦争ことば」の使用についてであるが、いつどこで誰が使用し広く聞かれるようになってきたのかを思い出したので紹介しておこう。

 それは日清戦争下の事であり、大阪商人が大阪の歓楽街花街のお座敷に持ち込み使用し広まったのである。

 たとえば、「おやおや、また、わてにおちょこを。そないに攻めなはんな北京やおまへんで。さあだんさん、予備役の隠し芸を出しなはれ。広乙(清国軍艦)やあろまいし。そない沈んだらあきまへん」というように使用した。また、口先ばかりのお客を「李鴻章」(清国・北洋大臣)と、料理場を「兵站部」と、世話焼きを「赤十字」と、盃をとるのを「ぶんどる」と、引っ張り込まれた客は「捕虜」と呼んだのである。そして、花街をこの時以降「軍艦町」と呼ぶようになったのである。

 ついでながら日清戦争の端緒も紹介しておこう。

 反封建反侵略を掲げる甲午農民戦争(1894年2月~)は、日清間の天津条約に基づいた神聖天皇主権大日本帝国政府軍が朝鮮国仁川へ上陸(6月12日)した時点ですでに、朝鮮国政府と農民側との間で和約が成立(6月10日)した後であったため朝鮮政府は日清両軍の撤退を要求した。そのため神聖天皇主権大日本帝国政府には出兵理由がなくなったのであるが、神聖天皇主権大日本帝国政府の目的は清国から朝鮮国を奪い取るためであったので、清国が拒否するのを計算ずくで「日清両国による朝鮮の内政改革」を提案した。しかし、清国は朝鮮に対する内政干渉であるとして「日清共同撤兵」を主張したため対立した。また、神聖天皇主権大日本帝国政府の強引な手法に対して列国が干渉してきた。ロシアは「共同撤兵を拒否すれば、日本政府の責任は重大である」と主張した。神聖天皇主権大日本帝国政府を支持していたイギリスは東洋貿易の途絶をおそれ日清間の調停に乗り出したが、清国は譲歩しなかった。そこで神聖天皇主権大日本帝国政府は清国に「将来不測の変生ずるあるも、神聖天皇主権大日本帝国政府はその責に任ぜざるべし」との絶交状を、朝鮮国には「7月22日までに清国の宗主権を認めた条約を破棄せよ」との最後通牒を突きつけ、期限切れを待って実力行使(クーデター)に出た。

 7月23日未明、まず朝鮮王宮を占領、親清派の閔妃政権を廃し、親日派の大院君を国王に据え、25日には「朝鮮国は清国の属国ではない。清国軍は即時退去せよ」と宣言させた。同日に海軍が豊島沖で清国海軍を攻撃、陸軍もソウルから牙山へ進撃、安城で戦闘開始した。そして、8月1日に宣戦布告を行った。当時、大日本帝国国民(臣民)は中国人を蔑視を込めて「チャンチャン坊主」「チャンコロ」などと呼び、「欣舞節」の中にも歌われていた。

 福沢諭吉は『時事新報』社説「日清戦争は文野の戦争なり」(1894年7月29日付)に、「日清戦争は……文明開化の進歩を謀るものとその進歩を妨げんとするものとの戦いにして……清兵は何れも無辜の人民にして之を皆殺しにするは憐れむべきが如くなれども、世界の文明進歩のためにその妨害物を排除せんとするに多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、彼らも不幸にして清国の如き腐敗政治の下に生まれたるその運命の拙きを自ら諦めるの外なかるべし」と主張。朝鮮に対しても社説で「文明流の改革のためには脅迫を用いざるを得ず、国権の実権を日本が握るべきだ」と主張した。

 「余も一時はかかる愚(戦争の利益)をとなえた者」と反省し日露戦争の際には非戦論に転換した内村鑑三も「孔子を世界に供せし中国は、今や成人の道を知らず、文明国がこの不実不信の国民に対する道は、唯一途あるのみ、鉄血の道なり、鉄血を以て正義を求むるの途なり、……日本は東洋における進歩主義の戦士なり、故に我と進歩の大敵たる中国帝国を除くの他、日本の勝利を望まざるものは宇内万邦あるべきにあらず……」と主張した。

(2018年10月30日投稿)

 

 

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香道:香りを「かぐ」ではなく「聞く」とするのは、中国語で表現しているだけの事

2021-04-02 09:00:03 | ことば

 7月31日の朝日新聞の「文化の扉」欄に「香道 心で聞く」という記事が載った。

その記事の「タイトル」は大きく書かれていた。そこには、「聞く」という表現に「威厳」を持たせを使用する事を「強調」したいという思いと、「香道に親しむ人たち」がこの記事の読者に対する「上から目線」の「優越感」が、否応なく「にじみ出ている」のを「見え見え」で感じた。

 なぜなら、「聞く」という表現については、一般的に日本人が「匂いを嗅ぐ」と表現するのに対し、中国では「聞」と表現してきたのである。それを日本人が「聞く」と日本語的に発音表現してきただけの事であって、日本人が「特別」に深い由緒があるかのように威厳を持たせて使用するべき「ことば」とする必要がないからだ。「聞く」という表現を使用し続けてきたという事は、これまでの日本人の、中国や朝鮮半島諸国に対するコンプレックスの表れ以外の何物でもないと考えるべきである。

 現在の日本で、日本語で表現できる事を「英語」で表現する意識とその理由は同じである。

 また現在、この「香道」から発展変化してきたものといってよい「アロマテラピー」というものがあるが、「医療介護」分野において世界でも有効視されている。

 最後に、「匂い」や「香り」を「消す」という文化を持つ国民は「日本人」だけといえる事も知っておいた方が良いだろう。現在の日本の国ほど生活に「匂い」や「香り」のない国はこの地球上で存在しないだろう。昔の日本はそうでもなかったけれど。

「匂い」「香り」のない、またそれを「消す」「文化」は日本人にとって、幸せを導くのだろうか?

(2016年8月2日投稿)

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ミラン・グラン(チェコ人)の言葉:日本国民が今こそ大切にしなければならない

2019-12-19 20:35:40 | ことば

 ミラン・グランは、チェコで民主化宣言に署名した人である。チェコの民主化運動に加わった人で、フランスへ亡命して色々な作品を書いている。その人は言う。

 「人間の、権力に対する闘いは、記憶の忘却に対する闘いである」と。

 何とかして自分たちの記憶を消そうとする人たち(為政者、権力者)がいる。何度も何度も同じことを繰り返す事によって、私たちの記憶を消そうとする人たち(為政者、権力者)がいるが、その権力者に対する人間の闘いは、記憶の忘却に対する闘いなのであると。

 大韓民国ソウル南山山麓の公園に作られたモニュメントの言葉もミラン・グランの言葉と同じ意味を持つものである。このモニュメントは2016年8月にソウル市とその市民によって「慰安婦にされた女性たちを記憶しよう」という目的で建設されたものである。この場所は、元々、神聖天皇主権大日本帝国政府が朝鮮統監府を置いていた場所で、モニュメントには、英語と中国語と日本語とハングルで言葉を刻んである。それは、

記憶されない歴史は繰り返される」というものである。

 歴史修正主義者たちは、記憶を抹殺しようとしている。記憶を殺そうとしている。民主主義を守ろうとするものは記憶を受け継ぎ、継承し、再び同じ事が起きないように、ずっと記憶し続けなければならない。記憶される事が不都合な人々がいる。そういう人たちと闘うために。

(2019年12月19日投稿)

 

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Re:お答えします「小学校の歴史の本にはえらい人ばかり なぜ」、天皇や貴族、武士、政治家などは「えらい人」?

2016-11-14 11:18:35 | ことば

 ※教科書は生徒の「教化」を目的としたものであってはならず、科学的な思考判断を「教育」する事を目的としたものでなければならない。

 小学生の質問が、「なぜ、学校の歴史の本にのっているのは『えらい人』ばかりなのですか」というものなのですが、それに対して回答者は、質問者が「えらい人」という言葉に込めた意味に対して一切助言をせず、小学校ではそれぞれの時代に活躍した人の話を中心に学ぶ事になっているとし、またその人たちは天皇や貴族、武士、政治家などで、それらの人々すべてが、「えらい人」ばかりだと質問者に同意している。回答者は質問者の付与する意味と同様であると判断し同意しているようである。この点ですでに回答者の認識に大きな誤りがある事といえる。

 質問者がそういう認識理解を持つ事を既定の、当然の事として受け止め、それが「正しい認識」であるとして同意を示しているのである。しかし、このような姿勢は歴史を真に学ぶ姿勢を持っているとは言えない。また、質問に答える資格を有していないといえる。質問者に対し歴史を真に学んでもらおうという姿勢ではなく、歴史を恣意的に解釈しており、誤った歴史認識を植え付けており、極めて無責任で回答者の望む解釈へ誘導し洗脳する姿勢であり、さらにメディアを使って広範な読者にもそれを拡散しようとする意図さえ感じられ許されない事である。

 たとえば、天皇や貴族、武士、政治家など「活躍した人」「身分の高い人」を「えらい人」としているようであるが、「えらい人」という言葉を「立派な人」「優れた人」という意味であるとするならば、「活躍した人」「身分の高い人」などが必ず「えらい人」だと決めつける事はできない。とするならば「えらい人」という表現は誤りだという事になる。

 また、どのような人間でも多面的な人格、色々な「顔」を持っている。そのために何を基準にするかによって色々な評価を受けるのが自然である。この点からも軽率に「えらい人」という表現を使用する事は誤解を生む。そういう意味で、「えらい人」という言葉を回答者のように軽率に使用すべきではないと考える。

 回答者はまた、「えらい人」たちがどういう人たちであるかを示すために、記録されている例として何の説明もなく「日本書紀」を挙げているが、そのような対応や助言もあまりにも単純で軽率である。歴史を学ぶという事は、「えらい人」とか「えらくない人」という道徳的評価をする事とは直接関係のない事である。歴史を学ぶという事は、過去を科学的に理解し、それによって現在を理解し、さらに未来を生きるための教訓、糧とするためであるという認識をすべきであり、小学生に対して上記のような例の示し方は非常に無責任であり、誤った歴史授業観や歴史認識へ誘導しているとしか思えない。つまり、回答者が自己の歴史授業観や歴史認識を質問者や読者に植え付ける洗脳を目的としているとしか考えられない。

 他の部分の説明で、回答が適切でないと感じさせるところも指摘しておこう。まず、「えらい人」の反対語として使用しているが、「ふつうの人」という表現は不適切であろう。「えらい人」の反対は「えらくない人」であろうし、「ふつうの人」の反対は「特別の人」という事になると考えるが、回答者はもう少し、言葉を吟味して使用すべきだと考える。

 次に、読み書きできる人について、「昔は字を読み書できるのは身分の高い人やお坊さんだったので、農民や商人といった人たちが自分たちの事を書いたというのはほとんどありません」とか「江戸時代には多くの人たちが読み書きできるようになり、たくさんの文章を残しました」と説明しているが、そのような状況であった理由も説明した方が理解しやすいであろう

 回答者はまた、教科書に載せられている、回答者の言う「えらい人」は、誰の意図を呈して、何を基準として選択され記載されたのか、どのような目的で生徒たちに学習させているのかという事も説明すべきであろう

 教科書には42人の人物について載せられているが、その発端となった人物は誰かというと、「東郷平八郎」である。森喜朗らが発端をつくり、「教科書問題を考える議員連盟」を結成し、文部省に圧力をかけて実現させたのである。

 1985年10月23日付琉球新報の新聞を紹介しておこう。

教科書問題を考える議員連盟の発足のきっかけについて『日本が国家存亡の危機をかけて戦った日露戦争の記述で、教科書には東郷平八郎元帥や乃木希典将軍の名前が全然見当たらないのはおかしい、という指摘が発端だ』と同メンバーの一人は解説した。同氏は『伝統や歴史をきちんと教えないで、立派な日本人を育成する事はできない』と言う。

 この背景にはいじめ、校内暴力、青少年非行などが深刻の度を深め、『教育の荒廃』が叫ばれる中で、自民党内に『一体学校では何を教えているのだ。道徳教育は形がい化しているのではないか』(自民党文教族)という学校教育に対する強い不満がある。」

  

 

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