A新聞は2016年4月11日夕刊の「文化欄」に津村記久子の一文「大和撫子の誇り」を載せた。私はこの短い文を読んで違和感を感じた。それはまずタイトルの「大和撫子の誇り」であった。この言葉を使用する事自体に津村記久子がどのような思想に基づいて物事を考えているかが表れていると思う。「大和撫子」という言葉は敗戦までの日本の女性たちを美化する代名詞として政府が作り好んで使用した言葉であった。「大和撫子」とは、男尊女卑(男女不平等)思想に基づく女性のあり方を示した言葉であり、女性を性によって男性の下位に置き家父長制に奉仕させる前近代的な差別思想そのものを表す言葉であった。敗戦までの(民法典論争の後の)民法では、妻は無能力者とされ、親権は父親にあった。夫は妻の財産を管理し、無償で使用できた。また、妻には遺産相続の権利は認められていなかった。さらに、妻の姦通は離婚理由になったが、夫には姦通罪は適用されなかった(1933年4月「滝川事件」)。そして、植民地として支配したアジア諸地域(例えば台湾でも)の女性に対しても、またその地域に設置した教育機関における女子教育においても、その理想とすべきモデルは当時の日本女性に強制された「大和撫子」であったのだ。このような歴史を津村記久子はまったく無視し、「大和撫子」という言葉を軽率に使用しているとしか思えない。また、意図的に確信犯として使用しているとしか思えない。この言葉自体に疑問を、また不快感を持つべきであるにもかかわらず。
彼女の言葉を抜粋すると「わたしは彼女たちを知るまで、日本人であることの誇りなんか感じた事がなかった」「本当に彼女たちは国を背負って戦っていた」「彼女たちほどわたしたちの落胆を引き受けてくれた存在はないように思えた。そして勇気づけてくれた存在はないように思えた」「私戦に勝つ以上の尊いことを教えられた。私戦の外側で、自分たちのために戦ってくれる人たちがいるんだということを知った」などと綴っている。
上記の中で、「日本人としての誇り」を感じると、つまり「日本民族としての誇り」を感じるという言葉を使っているが、何故ここでこのような言葉を使用するのか必要であるのか頭を傾げざるを得ない。「国を背負って戦う」事がさも「賞賛すべき行為」として大きな価値であるかのように表現しているが、これは出来事の意味を恣意的主観的にすり替え日本人に危険なナショナリズムを煽り誘導する効果を期待しているとしか思えない。「わたしたちの落胆を引き受けてくれた、勇気づけてくれた」という言葉は「なでしこジャパン」を美化し、それに津村自身が陶酔したふりをし、さらに日本人の多くにナショナリズムに巻き込んでいく効果を計算した表現としか考えられない。このような意味で、津村は狡猾な偽善者と言ってよい。
さらに、このような内容の文章を載せたA新聞の体質も、残念ながら、堕ちるところまで堕ちたと言わざるを得ない。
(2016年4月13日投稿)