最近、参院選での安倍首相の街頭演説で、ヤジを飛ばした人を警察官が排除するという今まであり得なかった事態が相次いで(札幌市、大津市などで)起こっているが、2019年8月24日には新たに、埼玉県知事選で応援演説していた柴山文科相に対して「柴山やめろ」とか「(英語の)民間試験撤廃」などとヤジった大学生を警察官が取り囲み遠ざけたという事態が起こっている。
これに対するメディアの報道に違和感がある。警察官の排除行為をまず問題とすべきではないのだろうか。その警察官の排除行為がどのような法的根拠に基づいているのかについての追及をすべきではないのだろうかという事である。そしてそれを命じた責任者の責任を糾すべきであろう。北海道の鈴木知事は、法的根拠など事実関係を公表する事を要請したが、未だになされていない。このような行為は警察官個人の意思によるものではなく、偶然でもないと考えるべきである。警察組織の国民に対する姿勢の変化と考えるべきであろう。つまり、警察組織は国民の憲法で保障された主権者としての権利を守る存在ではなく、安倍自公政府が国民を支配統制するための権力組織、暴力組織として変化している表れと考えるべきなのである。
神聖天皇主権大日本帝国政府は臣民(国民)の自由民権運動を支配統制(言論弾圧)するために、政府や政府要人を批判するものを厳しく罰するために「讒謗律」(讒は讒毀、謗は誹謗の事で、どちらも人の悪口を云う事)なるものを制定したが、安倍自公政府は現在そのような法律を制定こそしていないが、警察官による一連の、閣僚や政策への批判者に対する排除行為はその法律によって取り締まった内容とまったく同じである事に気づかなければならない。そして、安倍自公政府は国会での現在の多数派の立場を悪用(多数決、採決強行)して、それを合法化するために、近い将来同様の法律を成立させる可能性も高いという事も頭に置いておかなければならない。沖縄県の辺野古新基地建設に反対し闘争する人々に対してはすでにこれまでとられてきた姿勢態度であり、今も続けられている事にも思いを巡らせなければならない。安倍自公政府は本土の沖縄化を進めているのである。
柴山文科相の発言姿勢については、自らに対する批判を、「喚き散らす声」「大声を出す」という言葉で事実を歪曲して貶めるとともに、また偏見を持って「大集団になるまで警察は黙って見ていろと?」などと何をするか分からない無法者であるかのような印象操作をし、演説に対する妨害行為にスリカエ決めつけた対応をした事を問題視しその責任を追及すべきである。