大みそか(2017年12月31日)の日本テレビ系の番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」恒例の特別企画「絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時」で、ダウンタウンの浜田雅功が顔を黒く塗る「ブラックフェイス」をお笑いネタとしてやり、問題視されている。
浜田が「ブラックフェイス」をやったのに対し、相方の松本人志は「黒人がわろうてんねん」と発言していた。
浜田の行為と松本の発言は、いづれも笑い飛ばして済ます事はもちろん、黙過してはならない重大な差別事象と見做すべきものである。この二人の「ブラックフェイス」ネタはその笑いのネタの質の低劣さと彼ら二人の知性そのものの乏しさとそれを原因とする冷酷冷虐さを暴露していると言ってよいだろう。もし、私の身の回りでこのような行為をする者がいれば、顰蹙を買って場が白けたり、人格を疑われて不信感をもたれたりし、その事によってそれまでの友人関係や人間関係を狭めたり失ったりする事になる事は明白である。
私たち一般人でもそのようであるにもかかわらず、彼らは芸能を生業として我々一般人以上に広範囲の人間に影響を及ぼすメディアを通して、実行したという心理はどういうものなのか。メディアにおける、この「ブラック」問題について日本社会国民はすでに、過去に何回もの教訓を得てきていた。例えば、漫画「ちびくろサンボ」問題、抱っこ人形「ダッコちゃん」問題についてなどである。また最近では、沖縄基地における大阪府警による「土人」発言、自民党山本議員の「黒いのが好き」発言、などである。上記の発言の際には大きな問題となったのであるが、それにもかかわらず、今回ダウンタウンはこのような問題を引き起こしているという事なのである。このような背景を考えれば黙過してはいけない事はもちろん、決して簡単に落着させてはいけない問題であると考えるべきである。
幼児ではなく、もうすでに充分な大人であるから、いわゆるそれぞれ一人の人間としての社会的常識を備えていると見做されて当たり前であろうし、さらに、メディアを通して仕事をする者として、上記のようなこれまでの知識を有し、常に十分注意すべき事柄として心がけていると見做されても当たり前であろう。しかし、今回「ブラックフェイス」ネタをやったという事は、彼らは「そうではなかった」という事実が明らかとなるとともに、そのために起こるべくして問題化したという事である。そして、この事で彼らが信用を失う結果を招いても仕方がないという事である。
しかし、松本は「恥の上塗り」をしたようだ。それというのは、14日のフジ系のバラエティー番組「ワイドナショー」で、「色々言いたい事はあるんですけども、面倒くさいので『浜田が悪い』でいい」と発言したという点である。この「面倒くさい」という発言には、今回の件が大問題である事を理解できていない事と、悲しみや怒り、心配などを感じた人々(それは人種面で該当する人々だけを指すものではなく、様々な差別言動を許さない意志をもつ人々)に対して思いが至っていない事を感じさせるからである。また、松本の「『浜田が悪い』でいい」という発言には、松本自身が「黒人がわろうてんねん」という発言について、「松本も浜田と共犯(同罪)と見做される立場にある」事をまったく理解できていないという事でを感じさせるからである。松本の「黒人がわろうてんねん」という発言は、浜田が黒人のまね(ブラックフェース)をしている事に自らもおかしく思っている事を示したものであり、視聴者もその笑いに同意するであろうと思い込んだ発言であったと言ってよい。そして松本はさらに、「物まねとかバラエティーで黒塗りが無しでいくんですね?はっきりルールブックを設けてほしい」と言ってしまったようである。この発言では、プロの芸人たる者が自己の発言責任を他人に転嫁し、責任回避しようとしているのである。放送コードを設置するしない以前の個人の人格の問題である。慢心も目に余る。
そして、日本テレビも「差別する意図は一切ありません。本件をめぐっては、様々なご意見がある事は承知しており、今後の番組作りの参考にさせていただきます」と主張している事が問題である。
つまり、「差別していない」という意味の主張をしているのである。否定をすればそれが認められるというものではない。日本テレビは、差別は人権侵害であり、どのような事が差別なのかを理解していないようだ。自己の「差別に対する認識」を客観的に判断していないために「ブラックフェイス」を差別行為であると認識していないのである。また、仮にその行為が差別であると「知らなかった」としても、また、差別行為の「見て見ぬふり」も差別行為を幇助しているものと解釈するのが常識であり、「差別行為」を行っているのと同様の責任を問われて当然であると考えるのが社会一般の常識である事を理解していない。
1969年に発行し日本政府も1995年に批准した「人種差別撤廃条約」を無視した主張をしているのである。条約には以下のように定められているにもかかわらずである。「人種的相違に基づく優越性のいかなる理論も科学的に誤りであり、道徳的に非難されるべきであり及び社会的に不正かつ危険であること並びに理論上又は実際上、いかなる場所においても、人種差別を正当化することはできない事を確信し、人種、皮膚の色又は種族的出身を理由とする人間の差別が諸国間の友好的かつ平和的な関係に対する障害となること並びに諸国民の間の平和及び安全並びに同一の国家内に共存している人々の調和をも害する恐れがある事を確認し、(中略)あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際連合宣言に具現された原則を実現する事及びこのための実際的な措置を最も早い時期にとることを確保する事を希望して、……」
BPO放送倫理検証委員会の「人権委員会」は、「放送で人権を侵害された」という訴えに応じて、放送に問題がなかったかを検証する機関であるが、この件も議題に上がって当然であろう。
問題となっているこの番組第1部の平均視聴率は、17.3%という事であるが、この番組を見て「笑っていた」視聴者は、浜田・松本、日本テレビと同様の意識状況であると見なされるもので意識変革が必要である。また、マクニールさんの問題提起に対して、「コスプレなだけ」とか「日本人に差別意識はない」と投稿した人々も浜田・松本、日本テレビと同レベルの意識状況であると言える。また、この二人の件は、彼らだけの問題としてとどまるものではなく、吉本興業など日本のお笑い芸人の大勢となってしまっている事の反映である。また、その背景には他でもなく、安倍自公政権の体質の浸透(万国博覧会の大阪誘致)があるという事と、各界各分野の主流が安倍政権とのつながりを持つ者たちと化してしまっているという事である。
そして、この番組の高視聴率は、近年の日本国民の知性レベルが「ダウンタウン」化している事を如実に示したという事である。
最後に、1860(万延元)年の徳川幕府による「日米修好通商条約批准」を目的とした遣米使節が目にしたアメリカ黒人観を紹介しよう。
「黒人は人質悪しくして至って愚なる、白人と隔をなし富貴のものなく只白人のとなり、我朝人(日本人)の旅館は、更に講堂の説法買茶見世物芝居などにいたるまですべて、白人の立ち入り場所へ黒人は入る事を禁ず」「国の制、黒人を分かつ。我屠児のごとし。これをとして使う。白人もとより知恵。黒人は愚昧。故に知恵の種を混ぜざらしむ」
と、黒人差別を当たり前の事として問題意識はまったくもっていない。人種問題や奴隷制を当然の事としてとらえていた。また、日本人は自分たちを白人のアメリカ人と同じであるとみなし、白人のアメリカ人が軽蔑する人種を同様に拒否する意識ができていたようだ。そしてそれが次第に同胞黄色人種であるアジア人を激しく軽蔑する態度につながっていったといえる。