つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

はじまりを歩く(朝日新聞be)「……自由に意見を」に思う

2021-04-11 12:48:34 | 日本人

 2021年4月10日の朝日新聞be記事「はじまりを歩く ……自由に意見を」は、福沢諭吉を取り上げ、慶應義塾福沢研究センターの都倉武之准教授の「福沢は……自分で考え、こうしたいと人に伝え、議論する事で、磨き上げられた良い社会を作り上げていこうとした」という言葉も紹介することによって、福沢を美化した内容にまとめているが、それは彼の一面だけを都合よく取り上げたものであると言ってよい。

 私は、「自由に意見を」述べる事ができるという事は、「思想信条の自由を保障される」という事を意味するものと考える。そうであるならば、取り上げるべき人物としては、福沢諭吉はまったく問題外で、取り上げるべきではなく、それよりもむしろ、内山鑑三山本宣治、そして斎藤隆夫石橋湛山などではないかと考えるのであるがいかがなものでしょう。

 上記の人物についての詳細は別稿に書く事として略記する。内山鑑三は1891年、第一高等学校講師の時に、教育勅語に対する礼拝を拒否した事により、職を追われた。山本宣治京大学連事件(治安維持法違反)で大学を追われた。1928年の最初の普通選挙労働農民党代議士として当選し、第56帝国議会で治安維持法改悪反対して奮闘したため、29年3月、右翼の七生義団員黒田保久二により暗殺された。斎藤隆夫はファシズムに抵抗する議会活動を展開し、1936年の2・26事件直後の帝国議会で「粛軍演説」を行い、40年には日中戦争処理について「反軍演説」を行い議会を除名された。石橋湛山東洋経済新報で様々な政府批判を行い、敗戦後の56年には自民党総裁・首相となったが、病気により辞職した。日米安保条約改定強行反対した。

 メディアは、この人たちが存在した事実とその生き様をこそ、その重要性を正しく評価し、もっと国民に伝えるべきであると考えるがいかがなものでしょう。メディアは、旧態依然とした人物評価に基づくのではなく、評価の再点検の必要と、それによる視点の転換を必要としているのではないだろうか。

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日本テレビ番組でアイヌ民族差別発言:学びが根付かず継承されない体制の改革こそ必要

2021-04-10 17:50:09 | アイヌ問題

 2021年3月12日、日本テレビは同局系の情報番組「スッキリ」において、アイヌ民族に対する差別発言を放送した事により、お詫びした。問題の差別発言はどのようにして発せられたのかというと、アイヌ女性のドキュメンタリー「Future is MINE ーアイヌ、私の声」の紹介後、お笑い芸人である脳みそ夫氏が「この作品とかけまして動物を見つけた時と解く。その心は、あ、犬」と謎かけをしたという事である。これは間違いなくアイヌ民族を「差別」する発言となっているといえる

 北海道大学アイヌ・先住民研究センターの北原モコットゥナㇱ准教授が言われるように、昔からある差別発言と同じで、民族名に「」という言葉をかけて侮辱するものと見做す事ができるからである。

 今回の件にそっくりな事件として1986年には、東京都新宿区市谷砂土原町の「さ・え・ら書房」が同年4月に出版した教育漫画「社会科まんが・日本のんびり旅行1(北海道・東北地方)」に、アイヌ民族を犬扱いした差別記事を載せていたため、北海道ウタリ協会理事の小川隆吉会長が札幌法務局に人権侵犯事案として申し立て問題となった事があるのである。問題となった記述は、男の子が犬に石を投げ、犬に当たったところ「あっイヌだ!あイヌ アイヌ……そうだ!アイヌコタンへいこう」というものであった。

 日本テレビには番組制作体制放送前チェック体制に問題が存在しているようだ。人件費など経営体質とも絡んだ構造的な欠陥が背景に存在して起きた問題といって良い。この事が改革されない限り、再び同じような事が起きるだろう。

(2021年3月13日投稿)

  

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新型コロナ・ワクチン(アストラゼネカ社製)で知っておくべき事(「よつばつうしん」より)

2021-04-08 22:43:57 | 新型コロナ感染症

 新型コロナ・ワクチンの接種が始まったようだが、果たしてそのワクチンには問題や危険がないと言って良いのだろうか?2021年3月「よつばつうしん」119号の「視点 論点」に掲載された天笠啓祐氏の『新型コロナ・ワクチンで知っておくべき事』が指摘している事柄について以下に紹介しよう。

 まず、今回接種が進められているワクチンは、これまでのワクチンとはまったく異なる働きをする、誰も接種した経験がないタイプである。従来のワクチンは、ワクチンそのものを製造し接種してきた。しかし今回のワクチンは、遺伝子を身体に入れて、細胞の中でワクチンの基本である抗原(ウイルスの一部)を作らせ、抗体を誘発するものである。これは人間の細胞で遺伝子組み換えを行う事であり、人間の遺伝子組み換えに当たるものである。

 新型バイオ・ワクチンには現在、➀DNAワクチン、②mRNA(メッセンジャーRNA)ワクチン、③ウイルスベクター・ワクチンの3種類あり、細胞内で抗原を作らせ、抗体を誘発する事で効果を発揮しようとする点では共通しているという。そして、菅自公政府購入を契約しているワクチンは、米国のファイザー社とモデルナ社mRNAワクチン英国アストラゼネカ社ウイルスベクター・ワクチン3種類である。

 接種開始とともに懸念される事は、高齢者や福祉関係施設の関係者、基礎疾患を持つ人などに対し、強制される懸念である。政府は無料での接種を推進し、副反応被害に対して企業責任を免責し、政府が責任を負うとしているが、「因果関係がはっきりしない」などの口実で補償がなされない可能性がある。その前例となる事がHPV(子宮頸がん)ワクチンの被害者への対応で起きている。

 新型バイオ・ワクチンの問題点については、開発が優先され、安全性が軽視されている事。これまでワクチン開発は、基礎的研究、動物実験、臨床試験が積み上げられ、有効性と安全性の確認がなされてきており、最低でも10年近くかかる。今回は基礎研究、動物実験、臨床試験が同時並行で行われ、1年にも満たない期間で実用化に至っている。

 また、運び屋に用いるウイルスについての問題。ウイルスベクター・ワクチンの場合、ウイルスを用いて遺伝子を体内に入れるが、アストラゼネカ社のワクチンでは、チンパンジー・アデノウイルスを用いている。弱毒化したウイルスを用いるとしても、その毒性が復活する可能性がある。

 相次いで効果が報告されているが、いずれも開発メーカーによる試験であり、そのい裏付けは確実とは言えない

 ウイルスの実像でいまだに不明な点が多く、感染者でも急速に免疫反応が衰える事が指摘されており、変異した場合に効果がどうなのか分からない。

 効果の持続という点も、分かっていない。特にmRNA(メッセンジャーRNA)ワクチンに用いるmRNAは、大変不安定な物質であるため、効果が持続するか疑問である。

 ワクチン自体がこれまでも、一定の割合で、アレルギーや過敏症、自己免疫疾患などの副反応をもたらしてきた。その副反応も多種多様となり、免疫系だけでなく、脳神経系で起きるものでは、脳炎や脳症、ADEM(急性散在性脳脊髄炎)などの中枢神経疾患、その他の重篤な副反応疾患が増えている。最近の報告では、抗体依存性感染増強(ADE)やワクチン関連呼吸器疾患増強(ERD)の発生があり、これらはワクチン接種がウイルスの感染や増殖を強めてしまう現象である。

 ワクチンの大量接種で心配される事は、さらに危険な新しいタイプのコロナウイルスを誕生させるのではないかという事である。新型バイオ・ワクチン接種はこれまでに経験のない地球規模での人体実験なのである。以上。

天笠啓祐:日本消費者連盟共同代表、遺伝子組み換え食品いらない!キャンペーン代表、市民バイオテクノロジー情報室代表。

(2021年3月15日投稿)

 

 

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香道:香りを「かぐ」ではなく「聞く」とするのは、中国語で表現しているだけの事

2021-04-02 09:00:03 | ことば

 7月31日の朝日新聞の「文化の扉」欄に「香道 心で聞く」という記事が載った。

その記事の「タイトル」は大きく書かれていた。そこには、「聞く」という表現に「威厳」を持たせを使用する事を「強調」したいという思いと、「香道に親しむ人たち」がこの記事の読者に対する「上から目線」の「優越感」が、否応なく「にじみ出ている」のを「見え見え」で感じた。

 なぜなら、「聞く」という表現については、一般的に日本人が「匂いを嗅ぐ」と表現するのに対し、中国では「聞」と表現してきたのである。それを日本人が「聞く」と日本語的に発音表現してきただけの事であって、日本人が「特別」に深い由緒があるかのように威厳を持たせて使用するべき「ことば」とする必要がないからだ。「聞く」という表現を使用し続けてきたという事は、これまでの日本人の、中国や朝鮮半島諸国に対するコンプレックスの表れ以外の何物でもないと考えるべきである。

 現在の日本で、日本語で表現できる事を「英語」で表現する意識とその理由は同じである。

 また現在、この「香道」から発展変化してきたものといってよい「アロマテラピー」というものがあるが、「医療介護」分野において世界でも有効視されている。

 最後に、「匂い」や「香り」を「消す」という文化を持つ国民は「日本人」だけといえる事も知っておいた方が良いだろう。現在の日本の国ほど生活に「匂い」や「香り」のない国はこの地球上で存在しないだろう。昔の日本はそうでもなかったけれど。

「匂い」「香り」のない、またそれを「消す」「文化」は日本人にとって、幸せを導くのだろうか?

(2016年8月2日投稿)

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