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歴史教科書検定合格基準に歴然の自公政権の「未来志向」

2024-09-16 11:18:50 | 関東大震災

 歴代の自公政権は、日韓関係の歴史における、特に神聖天皇主権大日本帝国政府が「韓国併合」により「大韓帝国」を植民地支配した時代の様々な出来事に対する自公政権の歴史認識について、韓国政府や韓国国民、又日本国民などが非難や批判を行う事に対して、「未来志向」という言葉を頻繁に使用してきている。その過程で「未来志向」という言葉の意味が、「過去を詳らかにしない」「日本政府や自公政権の歴史認識が正しい」「過去にこだわるのを止めよう」「過去は水に流そう」「過去は忘れよう」という意味である事を自ら暴露してきた。つまり、侵略側加害側があえて「未来志向」を主張する姿勢は、自公政権自身が、神聖天皇主権大日本帝国政府が行った歴史の事実を認めない」「歴史事実から学ばない」「歴史を反省する気はない」という姿勢を堅持する意図を有しているとともに、韓国政府や韓国国民、日本国民に「過去を忘れさせよう」とする狙いを有しているという事を意味しているのである。

 上記の自公政権の姿勢は、中学校の歴史教科書検定の合格基準の変化にも表れている。「関東大震災」の内容だけをみると、

育鵬社」(2015年発行)は、

殺害原因については、『交通・通信の途絶えにより混乱が起こった』とし、「警察や軍によるデマについては一切書いていない。加害者は「自警団だけで、『自警団朝鮮人社会主義者を殺害した』としている。研究によりすでに明らかになっている政府、軍隊、警察が加害者である事を書いていないのである。

自由社」(2016年発行)

殺害原因」である「警察や軍隊によるデマや流言」は一切書いていない。「加害者」については政府、軍隊、警察だけでなく自警団すら書いていない。「被害者」が朝鮮人や中国人、社会主義者、労働運動指導者などであるという事も書いていない。そして、「未来志向」の言葉そのものといえる「帝都復興、耐震設計、都市防災、公園緑地などがその後できあがった」という事しか書いていないのである。

自公政権による「未来志向」という言葉は、真実から学び記憶しようとする主権者国民を愚弄しようとする狙いを有し主張している言葉である。

(2024年9月16日投稿)

 

 

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小池百合子都知事が朝鮮人等虐殺犠牲者追悼式典に追悼文を送付しない根拠

2024-09-14 21:32:11 | 関東大震災

 小池百合子東京都知事は、2017年以降、朝鮮人等虐殺犠牲者追悼式典追悼文を送付してきていないが、その理由を「慰霊大法要ですべての方々に哀悼の意を表している」と説明している。しかし、本当の理由は別にあるのだ。それは、明治天皇が1923年9月12日に発した関東大震災についての詔書」に基づいているからだ。この評価が当時の神聖天皇主権大日本帝国政府公式見解であった。それは、

「……9月1日の激震は事咄嗟に起り、其振動極めて峻烈にして、家屋の潰倒、男女の惨死幾万なるを知らず。剰え火災四方に起りて、炎燄天に冲り、京浜其の他の市邑一夜にして焦土と化す。此の間交通機関杜絶し、為に流言飛語盛んに伝わり、人心恟々として、倍々惨害を大ならしむ。之を安政当時の震災に較ぶれば、寧ろ凄愴なるを想起せしむ」

というものであった。これに基づいて帝国政府や支配層は、多数の朝鮮人や中国人、社会主義者、労働運動指導者などの虐殺の事態は、「交通機関の杜絶」と「流言飛語」によるものとして片づけたのであった。

 9月1日夜半には、内相官邸で内田康哉臨時首相(2日午後7時半に第2次山本権兵衛内閣の親任式)のもとに閣議を開催し、臨時震災救護事務局官制を起草し、9月2日午前8時からの閣議で決定した。5日の臨時震災救護事務局警備部の会議では極秘の「朝鮮問題に関する協定」を決定した。この内容は「詔書」の趣旨に基づいたものと言えよう。以下に紹介しよう。

鮮人問題に関する協定

一、鮮人問題に関し、外部に対する官憲の採るべき態度に付、9月5日関係各方面主任者事務局警備課に集合、取敢えず左の打合せを為したり。

 第一、内外に対し、各方面官憲は鮮人問題に対しては、左の記事事項を事実の真相として宣伝に努め、将  来これを事実の真相とすること。

 従って、(イ)一般関係官憲にも事実の真相としてこの趣旨を通達し、外部へ対してもこの態度を採らしめ、(ロ)新聞紙等に対して、調査の結果事実の真相として、かくの如しと伝うること。

      左  記

 朝鮮人暴行又は暴行せむとしたる事例は多少ありたるも、今日は全然危険なし、而して一般鮮人は皆極めて平穏順良なり。朝鮮人にして混雑の際、危害を受けたるもの少数あるべきも、内地人も同様の危害を蒙りたるもの多数あり。皆混乱の際に生じたるものにして、鮮人に対し、ことさらに大なる迫害を加えたる事実なし。

 第二、朝鮮人の暴行又は暴行せむとしたる事実を極力捜査し、肯定に努ること。なお、左記事項に努ること。

 イ、風説を徹底的に取調べ、これを事実として出来得る限り肯定することに努ること。

 ロ、風説宣伝の根拠を充分に取調ぶること。

 第六、朝鮮人等にして、朝鮮満州方面に悪宣伝を為すものは、これを内地又は上陸地において、適宜、確実阻止の方法を講ずること。

 第七、海外宣伝は、特に、赤化日本人及び赤化鮮人が背後に暴行を扇動したる事実ありたることを宣伝するに務むること。」

(2024年9月14日投稿)

 

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小池百合子都知事行政「人権啓発映画上映禁止」は放置できぬヘイトクライム行政

2024-06-18 14:21:32 | 関東大震災

 2022年8月30日から11月30日まで、東京都人権プラザ(公益財団法人 東京都人権啓発センター)が主催事業として、アーティスト・飯山由貴企画展「あなたの本当の家を探しにいく」を開催している。その付帯事業として、飯山氏の映像作品《In-Mates》(2021制作)を上映する予定であったが、東京都総務局人権部がその映画の事前検閲を行い、メールで「上映の禁止」を伝えてきたため、大問題となり、チェンジ・オルグなどで「上映実施を訴える署名運動」が起こっている。

 東京都総務局人権部の姿勢(メールの概略)は、以下のようなものである。

「《In-Mates》作中で歴史学者が『日本人が朝鮮人を殺したのは事実』と発言しているシーンに対し、『関東大震災での朝鮮人虐殺に対して、都ではこの歴史認識について言及していません』とし、小池百合子知事が毎年9月1日関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典への追悼文送付をしない姿勢について、『都知事がこうした立場をとっているにも関わらず朝鮮人虐殺を❝事実❞と発信する動画を使用する事に懸念があります』」

 加えて、在日コリアンの権利を毀損する内容を記していた。

 これは小池百合子都知事と、東京都総務局人事課職員共謀による、東京都行政による「ヘイトクライム」(異文化異民族に対する偏見差別などを原因として起こす憎悪犯罪)行為であり「歴史改竄」でもあり、憲法第21条「表現の自由、検閲の禁止」の「言論、出版その他一切の表現の自由はこれを保障する。検閲はこれをしてはならない」や、第99条「憲法尊重擁護の義務」の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」に違反しており、国民の「知る権利」をも侵害する行為である。

 関東大震災50周年朝鮮人犠牲者追悼行事として、東京都墨田区都立横綱町公園(陸軍被服廠跡)に建てられた台座の碑文を紹介しよう。

「この歴史 

 永遠に忘れず 

 在日朝鮮人と固く 

 手を握り

 日朝親善 

 アジア平和をうち

 たてん     

    藤森 成吉」

 以下に、1921年にフランス帰りの小牧近江が金子洋文らと発刊した様々な党派の共同戦線をめざす雑誌『種まく人』の「帝都震災号外」を紹介しよう。

「震害地における朝鮮人の問題は、流言飛語として政府側から取り消しは出たけれども、当時の青年団その他の、朝鮮人に対する行為は、厳として存在した事実である。悲しむべき事実である。呪詛すべき事実である。憎悪すべき事実である。拭うても拭うても、消す事の出来ない事実である。震災と共に起こった、こうした事実を眼のあたりに見せつけられた僕たちは、できるだけ冷静に、批判、考究、思索の上、僕たちの立場からして敵味方を明確に凝視する必要を感ずる。果たして、あの、朝鮮人の生命に及ぼした大きな事実は、流言飛語そのものが孕んだに過ぎないのだろうか?流言飛語そのものの発頭人は誰であったか?いかなる原因で、その流言飛語が一切を結果したか?中央の大新聞は、青年団の功をのみ挙げて、そのを何故責めないか?何故沈黙を守ろうとするか?事実そのものは偉大なる雄弁である。この偉大なる雄弁に僕たちプロレタリヤは、あくまで耳を傾けなければいけない。そして僕たちは、この口を縫われてもなおかつ、抗議すべき目標を大衆とともにあきらかに見きわめなければいけない。」

 小池百合子都知事都総務局人事課職員は、ただちに「上映禁止」を謝罪撤回し、その決定に至った経緯を調査公表し、関係者関係局課には認識を糾すために「研修」を受ける義務を課するべきである。でなければ辞職していただくべきである。

(2022年11月5日投稿)  

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関東大震災朝鮮人被害者式典に小池都知事が追悼文を送らない狙いは、都民国民の記憶を風化させ歴史を書き変えるためである

2024-06-18 14:19:46 | 関東大震災

 2018年8月9日の新聞に、小池都知事が、関東大震災における朝鮮人被害者の追悼式典に、昨年に続き今年も追悼文を送らない方針である事を伝える記事が載っていた。

 追悼式は関東大震災で「朝鮮人が暴動を起こした」などとするデマによって虐殺された朝鮮人を追悼するもので、市民団体の日朝協会などが毎年開催しているものだ。

 小池氏が追悼文を送らないとして主張している理由は昨年同様に「全ての犠牲者に哀悼の意を示しており、個別の形での追悼文は控える」というものである。

 さて、ここには多くの問題が存在する事を見てみたい。まず、「全ての犠牲者」という言葉であるが、その「犠牲」という言葉の意味は広辞苑では「身命を捧げて他のために尽くすこと。ある目的を達成するためにそれに伴う損失を顧みないこと」としている。これによれば、小池氏は震災の「被害者」という言葉を使うべきであり「犠牲者」という言葉は適当ではない。そして、この震災では多くの震災「被害者」を生み出しただけでなく、震災の混乱の中で流された「デマ」によって日本人による朝鮮人虐殺が行われた。「虐殺」される朝鮮人被害者」が発生したのである(朝鮮人と間違えられて殺された日本人もいた)。

 関東大震災における「朝鮮人虐殺」の経緯については、2017年8月26日投稿のカテゴリー「関東大震災」の「「朝鮮人虐殺」内閣府HP、「削除ではない」と前言をごまかし本音を隠蔽し開き直る」」をご覧ください。

 つまり、小池氏は、歴史的事実である虐殺による「被害者」と震災という災害の「被害者」を恣意的に強引に区別せず一括して扱っているだけでなく、その言葉が不適切である事にも構わず2種類の異なった「被害者」を「犠牲者」として「追悼」する事で事足れりとし、朝鮮人虐殺の事実に意図的に触れない事によってその事実を存在しなかったようにしようとしているのである。

 小池氏は、科学的な研究成果を尊重しないだけでなく、再び同じ事を引き起こさないために、明らかになった過去の事実から都民国民とともに教訓を学び継承してきたこれまでの都知事や都行政の姿勢に価値を認めず否定する歴史認識に立つ都知事であるという事だ。そして、朝鮮人虐殺という歴史の事実を都民国民とともに再確認し継承していこうとする意思をもっていない事を表明しているのである。このような姿勢に固執し、それを都民国民に強引に押し付け続ける事によって都民国民を洗脳(マインドコントロール)し、自己に都合よく歴史を書き換え事実を隠蔽し記憶を風化させようとしているのであり、その手法は安倍自公政権と同じで、歴史修正主義者である。小池氏や安倍自公政権は、自己に都合の悪い歴史事実は検定で教科書から削除し、政府見解として改ざんした内容を「事実」として学校教育で教師に教えさせ、教師がそれ以外の内容を教える事を認めず、生徒や国民に安倍自公政権の政治政策に疑問を抱かず支持する精神風土を培おうとしているのである。国民が主権を行使する上で最も重要な権利である「知る権利」を妨害し、剥奪しようとする行為である。

(2018年8月10日投稿)

 

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関東大震災の『読売新聞』論説「支那人(王希天を含む)惨害事件」を検閲・削除・押収し隠蔽を図った神聖天皇主権大日本帝国第2次山本内閣

2023-11-14 13:22:28 | 関東大震災

 2021年9月1日、関東大震災直後の警察や軍、自警団による朝鮮人虐殺犠牲者を追悼する式典が東京都墨田区横網町公園で行われた。日朝協会などの実行委員会が主催し1974年から行われてきた。宮川泰彦実行委員長は「98年前の悲惨な歴史的事実を忘れず、世代を超えて伝承する事が私たちの責務」と挨拶したが、小池百合子氏が都知事になってからは5年連続で追悼文送付をしなかった。実行委員会の要請に対しては「都慰霊堂(同じ公園内)での大法要で犠牲者すべてに哀悼の意を表している。個々の行事への送付は行わない。昨年と同様の対応にご理解を」と回答していた。また、別の慰霊碑(同じ公園内)前では、政府の中央防災会議報告書を無視し虐殺を否定する「日本女性の会 そよ風」(日本会議)が集会(2017年から)を行ない「朝鮮人6千人虐殺はぬれぎぬ朝鮮人追悼碑を撤去に追い込みましょう」と主張した。「そよ風」は2019年集会での主張について、都は人権尊重条例「都オリンピック憲章にうたわれる人権尊重の理念の実現を目指す条例」に基づき「不当な差別的言動(ヘイトスピーチ)」と認定していたが、都はその後も公園での同様の集会利用を許可してきた。(以上は2021年9月5日投稿)

※以下は2020年5月8日に投稿したものを改めて投稿したものです。

 読売新聞は、1923年9月1日に発生した関東大震災の混乱を利用して陸軍が起こした「王希天事件」など中国人虐殺について、同年11月7日に第2次山本権兵衛政府を糾弾する「社説」を掲載しようとしたが、政府検閲強化による削除とともに、削除前の発送済分については配達前に押収し、事件の隠蔽を試みた。

 政府は検閲体制について、震災後の9月3日には「朝鮮人関係記事の一切差止」を命令し、同月16日には「原稿または校正刷を官房検閲係に提出し内検閲を経たる後発行すべし」と強化した。理由は「日支国交上の問題のため」との事であるが、政府は「中国人虐殺」が暴露される事をひじょうに恐れていたのである。ちなみに、この事実を読売新聞は1976年に発行した『読売新聞百年史』には記載していない。

 ところで、その「論説」には、どのような内容が書かれているのか紹介しよう。

「  支那人惨害事件

一、朝鮮人虐殺及びこれに伴うて我が日本人まで殺傷を被るものがあった事件は、大杉其の他の暴殺事件と共に、日本民族の歴史に一大汚点を印すべきものであることは、繰返して此に言うまでもない。然るに朝鮮人以外に多数の支那人が同様の惨害を被っている事実があることは、それよりも大なる遺憾事である。しかもその事件の発生以後二カ月を経る今日まで我が政府は何らこれに関する事実をも将たこれに対する態度をも明かしていない。吾人はなるべく我が政府が自発的に行動をとらん事を希望して今日に至ったが、国民の立場として何時までもこれを黙止するわけにはゆかぬ。

二、大地震の当時及びその以後、京浜地方に於て日本人のために惨害を被った支那人は、総数三百人くらいにのぼるであろうとの事である。就中最も著大に最も残虐な事実は、九月五日府下南葛飾郡大島町支那人労働者合宿所において多数の支那人が何者にかおう殺され、また同月九日右支那人労働者の間に設けられた僑日共済会の元会長王希天氏亀戸署留置された以後生死不明となったという事実である。これらの事実は主として支那人側、就中我が政府の保護を受けて上海に送還された被害者中の生存者から漏泄されたものである。したがってその内、どの点までが事実であるかはなお明確ではないが、とにかく多数の支那人が惨害を被って生死不明である事は事実である。

三、しかして右大島町の惨事は九月五日から九日前後までの間に起り、今日に至るまで既に二カ月を経過している。右の事実はこれを人道上、国際上より観、就中我と善隣の誼みある支那との関係であるだけ、重大なる外交問題であることは言を俟たぬ所であるが、退いてこれを我が国内における司法警察の眼より観ても、同様に否むしろそれ以上に重大なる内政問題である。しかるに右重大な事件が先ず相手国の支那において問題とせられるまで、我が内務及び司法の官憲は果してその知識を有していたか否かをも疑われ、乃至既に支那において問題とされた今日までなおその真相をも態度をも明かにしていないという事実のあるのは実に一大失態である。

四、本事件は内政関係は鮮人事件、甘粕事件と同一の原則に依り、あくまで司法権の発動を待ち、もって我が国内の法律秩序を維持回復する意義に於て最も重大である。同時にその外交関係はその事実を事実と認めて男らしくこれに面して立ち、出来得るだけ自ら進んで真相を明かにし、その犯行に対してはあくまで法の厳正なる適用を行い、もって内自らその罪責を糾正し、それによって、対支那政府と国民とに謝するの外はない。幸いに支那政府国民は今回の惨害が天変地異と相伴うて起った不幸の出来事であるのに対し、多少の寛仮と諒恕とをば有し、就中心ある者はこれによって震災以後折角勇起した両国の好感を根本から破壊することのないようにと考えてくれるものすらあるようである。

五、吾人は本事件のため内外に向って困難の間に立たしめられた内務司法並びに外務の当局に対し十分にその苦心を諒とする。蓋しおよそ国民の中に起った事柄は先ずその国民自身が根本の責任を負うべきものであるからである。さりながら政府当局者としては、もちろんその当面の責任をば免れぬ。しかして本事件に対する政府の責任は他の朝鮮事件、甘粕事件同様、我が陸軍においてその大部分を負担すべきはずである。何となれば、これらの事件は、すべて戒厳令下に起った事柄であるからである。もし陸軍にして司法内務並びに外務の当局者と十分なる協調を保ち、共同の事件調査と共同の責任分担をなさざる限り、司法内務は行きづまりとなり、外務は立往生となるの外はない。しからばその結果、最後の全責任は我が国民自身が直接にこれを負担せねばならぬことになる。故に吾人は我が国民の名において最後にこれをその陸軍に忠言する。」

※「支那人」という呼び方について……中国を「支那」という呼び方を決めたのは神聖天皇主権大日本帝国政府であった。今日では差別用語となっているが、1913年に帝国政府が「閣議決定」したのである。1911年には辛亥革命により中華民国が成立していたにもかかわらず、その名前を日本国民に使用させたくなかった事がその理由である。中華民国の憲法(臨時約法)には「中華民国は国民を主人公とする国である」とあり、共和制国民主権の国である事を定めていたため、大日本帝国が天皇主権である事に帝国臣民が疑問を抱かないように、また国民主権が危険な思想であるかのように思わせようとしたのである。上記の「論説」中の「支那人」については、原文のまま使用した事をお断りします。

 神聖天皇主権大日本帝国政府では、上記の『読売新聞』の「論説」をきっかけに、1923年11月7日に、後藤内相、山本首相、平沼司法相、田中陸相、伊集院外相による「五大臣会議」を開き、「王希天」を含む「中国人虐殺事件」について、「隠蔽」する事を「閣議決定」したのである。

(2020年5月8日投稿)

 

 

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