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神聖天皇主権大日本帝国政府下で初の衆院選、沖縄県は1912年にやっと法施行、1946年は選出せず

2024-05-29 15:16:52 | 選挙

 朝日新聞2021年10月19日の「天声人語」に、「明治23年に実施された初めての衆院選」について、つまり神聖天皇主権大日本帝国政府下での第1回総選挙について、近年の投票実績に比して、「投票率は93%だった。女性に参政権がなく、有権者は全人口の1%という制限選挙だったが、驚きの高さだ」とあった。ところで、私としてはこの事については、もう少し別の角度からの大切な面を伝えてもらいたいものだと思った。

 この衆院選は神聖天皇主権大日本帝国政府が1889年2月に大日本帝国憲法制定とともに公布した議員法衆議院議員選挙法に基づき1890年7月に実施したものである。帝国議会(現国会)は天皇の立法権行使の協賛機関として位置づけており、貴族院・衆議院の2院制で、両院は対等(現在は衆議院優位)とした。貴族院は公族・華族・勅選議員・多額納税者からなり、解散はない。皇室を守り、民選の議員(衆院議員)を抑える役割を担った。衆議院小選挙区制直接国税(地租・所得税・営業税)15円以上の男子納入者による制限選挙で、被選挙権は満30歳以上、選挙権は満25歳以上とした。直接国税15円以上とは、農家では2町歩(約2㌶)以上の地主(当時としてはかなりの豪農)、自家営業や勤め人では年収1000円(現在では3000万円?)以上であった。また、この衆議院議員選挙法は、全国一律に施行したのではなく、北海道は1900年になるまで、沖縄県1912年になるまで施行しなかった差別行政を行った事実を伝えるべきである。このような条件により、有権者は約45万人で、全人口の約1.1%であった。この後、このような高額の税金で選挙権を買うというような制度は、さすがに批判が起こり、財産や収入に関わりなく選挙権を得る普通選挙運動が起こる。また、候補者は立候補した事を行政機関へ届ける必要はなく、「供託金」の支払い義務も選挙費用の制限もなかったが、1928(昭和3)年の男子普通選挙制(中選挙区制)から候補者は行政機関へ届け出る立候補制が実施された。

男子普通選挙法の公布は、1925年5月、第1次加藤高明・護憲三派内閣時。

供託金制度……1925(大正14)年に男子普通選挙法が制定された際、保証金を供託する制度が導入された。「候補者の乱立防止」がその理由で、貧困な労農無産政党系の人々などが立候補の制約を受けた。今日では、衆院・参院の比例代表で600万円、衆院小選挙区・参院選挙区で300万円。没収規定は、衆院小選挙区は有効投票総数の10分の1未満の得票。参院選挙区は有効投票総数を議員定数で割った数の8分の1未満。参院・衆院の比例代表は当選者の2倍を超える立候補人数分。

米国・ドイツ・イタリア・フランスをはじめ大多数の国では制度自体なし。イギリスは約6万円、カナダは約8万円、オーストラリアは約4万円。没収点も日本より低い。

ちなみに、供託金制度は法の下の平等を定めた憲法第14条や議員と選挙人の資格を「財産や収入で差別してはならない」と定めた憲法第44条に違反しているのではないだろうか。

更に付け加えておくが、1945年12月17日幣原喜重郎内閣が衆議院議員選挙法を改正公布したが、米軍政下にあった沖縄県施行の例外扱いとした。つまり、現憲法を審議した1946年の国会には沖縄県選出議員は選出せず、現行の「平和憲法は、沖縄県民を除外したうえで成立」したのである。

(2021年10月26日投稿)

 

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沖縄「民主主義死んだ日」は日本全土への前兆、地方自治があぶない

2024-05-20 11:26:02 | 沖縄

 2015年10月29日、元名護市長、岸本建男氏の妻能子さんは、「民意は顧みられず、法も頼りにならない。今日は日本の民主主義が死んだ日です」と語った。

  翁長知事や沖縄県民はなぜ辺野古新基地」の建設に反対しているのか?色々な事があるが最も重要な事は、辺野古に建設されるのは新基地であり、その基地は米国の公文書によると耐用年数200とあるため、基地の恒久化につながるとともに、規模は普天間基地よりも大きくなる。そして、移設、建設、維持費は日本の税金とされているからである。沖縄県は基地の拡大恒久化を問題にしているのである。

 辺野古「新基地」建設を押し付けている安倍自公政権に対して、沖縄県民の民意は、昨年の名護市長選、県知事選、総選挙の4つの小選挙区で「反対派」がすべて勝利した事により明確に示されている。にもかかわらず、翁長知事による「埋め立て工事承認取り消し」に対し、沖縄防衛局行政不服審査制度を使い、同じ政権内の国土交通省が「取り消し処分の執行停止」を認めた。

 「埋め立て工事承認の留意事項」として本体着工前に実施する事になっている事前協議も、安倍自公政権は「協議は終わった」と応じていない

 そのうえ安倍自公政権は、名護市の久志」「辺野古」「豊原の「久辺3区」に対し、沖縄県や名護市を交渉相手とせず、区長に「振興費」なるものの直接支出をして懐柔し、県民の分断対立を図り、辺野古の「新基地」建設を強行している。

 さらに、「代執行手続き翁長知事の権限自体を剥奪してでも強行しようと画策している。これは、沖縄県民に対する差別」(人権侵害と呼ぶ程度を超え、「弾圧である。「弾圧」と「懐柔」による県民の「分断対立」こそ、神聖天皇主権大日本帝国政府の常套手法であった。

 今、翁長知事を先頭に沖縄県民は、「民主主義」を取り戻すために闘いの意志を強めている。翁長知事は、沖縄県民にだけでなく、日本に民主主義を取り戻すために闘う、と共闘を呼びかけている。本土の日本人は、このエールをどのように理解し、どのように行動するかが問われているのである。

 アジア太平洋戦争末期には神聖天皇主権大日本帝国政府により、本土決戦のための「捨て石」(時間稼ぎ、米国政府軍事力の消耗を目的)とされた沖縄では地上戦が敢行され鉄の暴風とも形容される戦場と化し、軍隊とともに米軍との戦闘の最前線に立つ事(共生共死)を強要され、4人に1人の死者を出す多大な犠牲を大日本帝国政府のために払わせた事は周知の事実であるが、敗戦後の日本本土民の安全保障や経済的発展についても、その背景に昭和天皇日本政府(米国も)が共謀し、沖縄県民の意志を無視して日本政府が一方的に沖縄県を米国の施政(支配)権下に置く(日本領土から切り離す)事を強要し、日本国への返還後も「米国政府軍事基地」を押し付け続け、沖縄県民をその犠牲にして(戦争の不安、基地の事故騒音、米軍人による犯罪、自立的発展の不可、自己決定権なし、植民地状態など)きたからこそそれがあり得た事をどう考えるのか。この度の安倍自公政権による「辺野古新基地建設」は、日本政府が沖縄県民に対して3度目(より正確には4度目)の「捨て石」を強要し犠牲を強いる政策であるが、それに対して本土民は見て見ぬふりをするのかどうかという事である。誰かが人権を尊重されない状態があれば、それは真の民主主義ではない。沖縄県民を犠牲にしている安倍自公政権は民主主義を尊重していないし差別者である。その安倍自公政権を見て見ぬ(傍観)する本土民は安倍自公政権に加担(沖縄県民に対する差別を容認する)する事になっており、傍観者が多いほど安倍自公政権としては政策を実行しやすくなり正当化できるので、ありがたく思うだろう。それで良いのだろうか。

 また、安倍自公政権の沖縄県民に対して見せる姿勢は、沖縄県民だけで終わるものではない。安倍自公政権は、日本のすべての地方自治体すべての国民に対して、沖縄県民に対すると同様の意識や姿勢を持って臨んでいるのであり、安倍自公政権の沖縄県民への姿勢はやがて本土民にもじわじわと及ぼされてくると予想できる。明治時代の大日本帝国憲法制定過程で見せた自由民権運動に対する弾圧の歴史とも符合する。そして、沖縄県民に対する弾圧福島事件に相当する。安倍自公政権はその姿勢を安保法制の審議経過採決手法にもすでに現しているが、これで終わるものではなくこれからさらに他の分野でも現わしてくると予想できる。だからこそ、翁長知事を先頭に沖縄県民は「日本に民主主義を取り戻すために闘う」と共闘を訴えているのである。

 安倍自公政権は刃向かう沖縄県民を徹底的に弾圧ねじ伏せる事により、他の自治体が政権に刃向かう事を尻込みさせる効果をも狙っている。沖縄県民の自己決定権を奪うという既成事実をつくり、これを前例として全国の自治体にも及ぼそうとしている。安倍自公政権は地方自治体を意のままに動かす事を可能にするために地方自治」の在り方を大転換させようとしているのである。

 安倍自公政権は地方自治体をどのように改革したいのか?自民党の『憲法改正草案にその事が示されている。章「地方自治」第92条「地方自治の本旨」では、これは新設しようとするものであるが、「……住民の参画を基本とし、住民に身近な行政を……」としているが、これは住民が主権者である事を認めず、政府の上意下達機関とする事であり、国家的な規模でなく身近な行政を扱わせようとする意図が見える。そして第2項で「……住民は……その負担を公平に分担する義務を負う」としているのである。

 また、93条「地方自治体の種類、国及び地方自治体の協力等」では、「地方自治体は、……その種類は法律で定める」としており、地方自治体を新しく定義し直し自治体を国に協力させやすくするように変更する意図が見える。では、「国及び地方自治体は、法律の定める役割分担を踏まえ、協力しなければならない。地方自治体は、相互に協力しなければならない」とし、自治体が政府への協力に応じるように定めており、また自治体が単独で特別な行政を行わないよう自治体間で「同調圧力」を生じさせる文言を定めている

 96条「自治体の権能」では、現行では「その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する」となっているが、それを「その事務を処理する権能を有」するとだけ定め、自治体の権能を制約し、政府の権能を強めている

 さて、本土民は神聖天皇主権大日本帝国政府への回帰を企てる安倍自公政権に対してどう対処すべきかを問われている。明治からの神聖天皇主権大日本帝国政府は敗戦で崩壊し、敗戦によって国民主権象徴天皇制(天皇制民主主義)へと変革されたと思われているが、それは実は看板だけで、敗戦後も敗戦前までの国家体制は表に見えない形できちんと維持されてきているのである。だから日本国民は今日まで150年間、皇国臣民(天皇の家来)化政策(教育)のもとでの歴史を歩んできたと言ってよいと思う。沖縄県の米国政府軍事基地問題は敗戦後の昭和天皇米国政府(マッカーサー)との密約により始まった。日本国民が真の自由を手に入れるためには、日本国民の「自由な思考や活動」を制約する「象徴天皇制」を廃止する事が重要な課題であろう。それは皇国臣民からの脱却であり、真の主権者としての立場を獲得するという事である。

 現在日本の政治様相は、神聖天皇主権大日本帝国政府時代の満州事変の翌年の5.15事件の時に似ている。現在は当時の軍隊に当たる勢力は存在しないが、その軍隊の果たした役割を行政権を掌握する安倍自公政権が一人二役で果たし当時の状況をつくっているとみなす事ができる。安倍自公政権は非合法クーデターで政策を実行する手法をとる政権である。そして、メディアの対応はそれを厳しく非難せず、「称賛」したり、また「やむを得ない」事として曖昧にし結果的に不問にするような対応をとっている。5・15事件当時のメディアの論調を見ると、テロを行った軍隊に対して「動機が正しければ、道理に反する事も仕方がない」というもので、このため軍はもちろん国民の間には軍の暴走や国際ルールの無視という事に対しても疑問を抱かない意識状況が作り上げられていったのである。その後の日本国民が歩まされた歴史は周知のとおりである。現在のメディアにもそのような姿勢が現れており、その姿勢が安倍自公政権の手法を正当化させ安倍自公政権が次々と「違法行為」をする事を許す事につながっている。また、メディアは国民には沖縄県民の問題が自分たちにとっても重大な問題となる、と自覚できないように疑問を持たないようにする手法で報道をしている。それがまた安倍自公政権を支持する国民を増加させ勢いづかせている。メディアは常に政権を監視し政治機構の不公正や不合理をただすなど、国民の権利が国家権力により侵害されないようにするだけでなく、より以上に保障尊重されるために日本国憲法の理念に基づいて主権者国民の側に立ち一体となってオピニオン・リーダーとしての役割を果たす事が使命である事を放棄してはならない。選挙制度や司法制度、政党政治、自治体行政などに対して根気よく批判を行うべきである。

 改めて確認しよう。安倍首相・安倍自公政権はどのような理念をもった集団なのであろう。閣僚の多くが「日本会議」の役員なのである。安倍首相は「日本会議」の特別顧問である。「真正保守の政治を実現する」事をめざす国民運動組織である「日本会議」の2014年~16年の3カ年構想によると、14年から、地方議会での憲法改正意見書採択運動を開始し、16年には国会発議が予定されている。「日本会議」の役員には神社本庁」や明治神宮を筆頭に「宗教団体の幹部らが入っている。「誇りある国づくり」を合言葉に、皇室敬慕の奉祝運動愛国心の育成靖国神社の公式参拝などの運動を展開。憲法改正(新憲法制定)は中心的政策。特別顧問に安倍晋三、麻生太郎。以下の役職には、谷垣禎一、石破茂、古屋圭司、菅義偉、高市早苗、加藤勝信、荻来田光一稲田朋美、磯崎陽輔などメディアによく出る名前が並ぶ。

 2013年7月始め、安倍首相は日本記者クラブの党首討論会で、権力に縛りをかける憲法の役割について、「王権の時代、専制主義的な政府に対する憲法という考え方だ」と語った。自分は独裁者ではないと語っていたけれど、実際はどうだっただろう。主権者国民はこのような大きなウソにだまされてはいけない。

 今年の11月2日の「天声人語」には、東京都日野市議会が、昨年6月に新しい憲法の制定を求める意見書を可決した事が載っていた。改正の具体的主張はなく「時代の要請」だからとしているだけだ、との事。そして、同じような動きが地方議会に広がっている、との事。また、改憲に反対する者との関わりを避ける自治体が目立つ、との事。自分の生活する自治体の動きを調べてみよう

 本土民の将来は、沖縄県民の「辺野古新基地闘争」がどういう結果に終わるかにかかっている。翁長知事を先頭とする沖縄県民は本土民に共闘を呼びかけている傍観者でいる事は沖縄県民を差別する事になり、差別者安倍自公政権を利する。それは本土民自らも早晩安倍自公政権に自由を奪われる事につながる。時間はない。本土民はどうするのかを迫られている。今からでも遅くはない。沖縄と本土の国民が連帯して、「辺野古新基地建設」を阻止しよう。

(2015年11月4日投稿)

 

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神戸東須磨小の教員間でいじめ:児童生徒間のいじめの構図そのままだ、最近の中堅教員は人権尊重意識が乏しいのか

2024-05-17 15:35:03 | 教育

 2019年10月に入って、神戸市立東須磨小学校での、「教員間のいじめ」をメディアが報道した。メディアがこのような内容を報道するのは戦後史上では初めてであろう。しかし、「やっと」というべきかもしれないし、「ついに」というべきかもしれない。「やっと」というのは、すでにどこの学校でも「教員間のいじめ」は存在していたからである。また、「ついに」というのは、すでにこれまで存在した「教員間のいじめ」がどんどんパワーアップレベルアップしてきて、ついに看過できない状態にまで至ったのかと思ったからである。

 加害教員らがいじめを行いえた立場や、いじめの内容や、いじめを行いえた職場環境や、いじめが発覚した時点での彼らの釈明などには、児童生徒間のいじめと同様の構図が存在している。加害教員らは、児童生徒に対し、いじめを行ってはいけないと指導する立場にありながら、児童生徒間のいじめの実態そのままを、自らすすんで行っていた。

 加害教員は4人で30代の男性3人と40代の女性1人である。被害を受けた教員も4人である。加害教員らは同校では教員組織の中での中堅リーダー的な立場であり、その立場を利用していじめを繰り返し行っていた。暴言や暴力、性的な嫌がらせなどのハラスメント行為である。被害教員の中の20代の男性教員に対しては、「ボケ」「カス」などの暴言を浴びせる事に始まり、物で尻を叩くなどの暴力や、LINEで女性教員に猥褻なメッセージを送るように強いたり、被害男性教員の車の上に乗ったり車内でわざと飲み物をこぼしたり目や唇に激辛ラーメンの汁を塗ったり、いじめている時の様子を写真に撮る、などというものである。加害教員らは、別の3人の20代の教員(女性2人、男性1人)に対してもセクハラ行為をしたり、侮辱したあだ名で呼んだりしていた。

 このようないじめに対して周りの他の教員や校長や教頭など管理職の教員はどのように対応していたのか。周りの他の教員はほとんどが見て見ぬふりをしていたのである。つまり、極めて簡単に言えば傍観(共同正犯行為)していたのである。加害者でも被害者でもない第三者が傍観する事により、いじめは継続できたのである。これも児童生徒間の場合と同じである。また、校長や教頭など管理職は、加害教員らのいじめ行為を把握した時点でも、加害教員らに対しては「口頭注意」で済ませていた。そしてこの事をもって、市教委への報告は「問題は収束した」としていた。この対応は、いじめの隠蔽、管理職の責任回避ともいえる結果を導いた。これも児童生徒間のいじめによくある教員や学校の対応である。

 そのため、上記の被害男性教員は、その後も、暴言を浴びせられ、9月から欠勤を続けている。加害教員らは、被害男性教員にいじめをチクられたため「仕返し」をしたのである。そのため児童生徒でいえば「不登校」状態に追い込まれたのである。

 市教委は被害男性教員の家族から連絡を受けてやっと調査を始めた。その調査で加害教員らは、被害教員らに対するいじめ行為について、「悪気はなかった」「相手が嫌がっていると思っていなかった」などと、児童生徒間の場合の調査でも、よく発せられ良く聞かれる、児童生徒を導く教員とは思えない無責任な釈明をしている。

 いじめの被害教員は守られるべきであり守るべきである。いじめ行為は人権侵害行為で犯罪行為であるという事は常識となっている。加害教員らはそのような意識がまったくなく、人権尊重意識を欠いていると言って良い。しかし、教員意識の現状は、彼らのような意識の教員はすでに以前から存在しており、益々増加の傾向にあり、たまたま東須磨小の彼らが表面化したと言って良い。また、東須磨小以外においても同様の意識の教員が少なからず存在し増加していると考えても何ら不思議ではない。再発を防止するために被害調査をする事が必要だろう。そして、彼ら加害教員のような人物を教員として採用している採用試験制度の見直しも必要である。制度の制定に関わった関係者や関係機関の責任も問わなければならない。それは、突き詰めれば文科省の体質教育委員会、そして安倍自公政権を問う事でもある。

加害教員らは、自らの人権の大切さを認識できていないため、自らの人権を守る意識をもてないとともに、共に生きる仲間の人権を守る意識をもたねばならない事の大切さにも気づいていない。

(2019年10月9日投稿) 

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興福寺五重塔修理記事:メディアは興福寺僧が国家神道政策に無抵抗だった頽廃的過去を教訓として伝えるべき

2024-05-17 12:06:19 | 世界遺産

 2020年2月20日の朝日新聞が、世界遺産である奈良・興福寺(730年に光明皇后の発願で建立され、現在の五重塔は室町時代の再建)が21年度から、約120年ぶり(1901年に屋根の吹き替え工事)に国宝の五重塔(高さ約55㍍の京都東寺に次ぐ2番目の高さ)の大規模修理を行う事を報道した。

 この記事の書き方を見て残念に思った事がある。それは、五重塔の修理は、明治維新に神聖天皇主権大日本帝国政府国家神道政策に基づいて宗教統制をするために発した神仏分離令(廃仏毀釈運動)をきっかけに興福寺の僧たちの頽廃的風潮が起こした五重塔売却という危機状況が現実化しなかったからこそ可能となったのだという事実を、国民に伝え国民が今後の教訓にできるうな内容にする事こそ、記事とする意味がある事を知るべきだという事である。

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、古代律令国家(神道神権政治)回帰する事を目指し、神道を国教とする祭政一致の政治の整備を進めた。そして、神祇官が、それまで神仏習合状態にあった宗教のあり方に対し、1868年3月神仏分離(廃仏毀釈運動)を命じた。その際、興福寺の僧たちは春日大社の神職にさせられ(実態は自ら進んでなった)興福寺は廃寺同然となった。この時に五重塔は入札をもって払い下げられ、25円で落札(評価の基準は単に金具にあった)されたのである。

 買主商人で、解体するのに大変な手数と費用が必要である事が分かり、金目の金具だけ剥ぎ取ろうとした。しかし、作業の人夫への手当も大変だとわかり、ついに焼いてしまった後金具を拾う事にした。しかし、近隣の民家から類焼の恐れがあると抗議されたため、結局買う事を止めたのである。

 『明治維新・神仏分離史料』には「奈良における神仏分離、ひいては廃仏毀釈は、興福寺において、最も激烈を極めたりき」とある。

その際の興福寺別当(長官)格の大乗院・一乗院両院家の対応について『奈良市史』には「されば排仏の事決せらるるや驚愕甚だしく、四月十三日(1868年)両院家先ず復飾(還俗)を願い出ると、一山衆徒も之に倣って復飾を願い……」との状態であった。

 上記両院に次ぐ権別当(副長官、喜多院)復飾の願いに遊民同様の僧侶、過分の高禄を世襲の事、恐縮……」と自認していた。

 1869年6月24日には、髪を蓄え、俗服を着た元僧侶たちは神職となるために、興福寺東室に集まり、神道を学ぶため国学(『古事記』)の講義を受けた。

 このように興福寺の僧たちは一斉に還俗し、寺を捨てたため、寺(五重塔)も仏像も宝物も政府によって売りに出されたのである。

 また、『明治維新・神仏分離史料』による当時の興福寺には「本寺本山既にあれども無きが如く、法音聞こえず、香烟絶え、強慾無慚の輩は、重宝什器を偸みて、私腹を肥やすに汲々たる有様にて、中に之を監督すべき官吏にして、権威をほしいまま、名画名器を私するもの少なからず、某々知事の如き其のもっとも甚だしかりしものと称せらるる」という状態も見られた。

1872年9月には、一山の土塀・諸門などがことごとく破壊された。

1882年政府は、廃仏毀釈を止め、古社寺を保存するため「古社寺保存金制度」を実施した。1889年には、広大な興福寺跡に奈良県立公園が設立された。

1909年には、大乗院庭園跡の丘陵上に奈良ホテルが建てられた。

 神聖天皇主権大日本帝国政府が推進した文明開化政策は、実利主義に立った。その社会改造は破壊的であった。歴史的伝統的なものを排斥して、古い物と見なせば、深くその価値を考えず破壊した。美術も建築も破壊又は骨董屋に並び、風俗、習慣、嗜好さえも文明開化の名の下に政治権力で強引に変えさせた。

消滅寸前にそれを免れ今日に残るものの例を挙げると、彦根城、姫路白鷺城、吉野山の桜、鎌倉大仏、名古屋城、能楽などがある。

メディアはある事を記事にする場合、何を目的とすべきかを熟考すべきである。

(2020年2月23日投稿)

 

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ALPS(多核種除去設備)の排気フィルターが大量破損

2024-05-16 14:38:25 | 原発

 原子力資料情報室によると、2019年と2021年の2度ALPS設備の排気フィルターの大量破損というトラブルがあった。2019年には25基の排気フィルターすべてが破損していた。その際、東電はフィルターを交換しただけで、経済産業省や経産省「廃炉・汚染水・処理水対策チーム会合/事務局会議」や原子力規制庁への報告をしておらず原因の追及もしなかった。 

 2021年の場合は、9月30日に東電HDが経緯や原因究明に関する資料を経産省「廃炉・汚染水・処理水対策チーム会合/事務局会議」に提出したので以下に要旨を紹介しよう。8月24日に増設ALPS内でスリラー(ALPSでの処理過程で出てくる残滓で外側をステンレスで補強したポリエチレン製容器(HIC)に貯蔵。残滓が含む放射性物質からの強い放射線に晒され脆くなるため、容器の吸収線量が積算で500万グレイを超えると評価された場合、移し替え作業を実施)の移し替え作業中、移し替え装置の排気ライン警報が鳴ったため、作業を中断、調査を開始し、8月30日に排気フィルターの破損を発見した。スリラー移し替え作業に関連する排気フィルター全部で25基設置しているが、24基が破損していた。ALPSは8月24日から2週間停止し9月7日に再開した。

 移し替えスリラー溶液を吸い上げて移送するのであるが、全量を移す事は出来ず、底の2㌢ほどは残る。そして2本の容器を放射性廃棄物として当面保管する。底に残った方の容器からの移し替え作業は「原子力規制庁殿と議論のうえ実施」としている。警報はスリラー移送作業中にダストモニターの警報が鳴ったのであり、排気フィルター破損の原因はエアブローを実施する作業によるものであった。それはHICの中のミストを吸い込む事で、排気フィルターに水分による強度劣化が生じ、エアブローを実施する事で破れた。

 東電HDは、ALPS設備の他の部分の排気フィルターについても調査した結果、新たに8基既設ALPSにある28基の排気フィルターのうち4基、増設ALPSにある18基のうち4基)の破損を発見した。高性能ALPSにある5基の排気フィルターに破損はなかった。これらの破損原因もミストであった。

(2023年8月22日投稿)

 

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