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吉村大阪府知事「教委はいらない」発言:自己の責任を棚に上げて教委に転嫁するな

2019-06-19 10:53:33 | おおさか維新の会

 2019年6月14日、吉村大阪府知事が、吹田市の小学校での女児いじめ問題で、吹田市教委が1年半放置していたとして、「教育委員会制度は廃止した方がいい」「(いじめへの)感度が低い。どこまで本気でやっていたのか」「制度自体が今の時代にマッチしているのかをもう一度考えるべきだ」などと述べた。

 「いじめ」は人権侵害問題である。それを考えれば、これまでの大阪府知事(橋下、松井を含む大阪維新の会)の様々な政策や姿勢も人権を否定無視した内容でしかない。そして、現府知事の吉村氏もこれまで(市長時代)の自分を棚に上げた傲慢な発言だと言ってよい。

 2015年4月1日に施行された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律」に基づけば、「いじめ」問題への対応は、「いじめ事件などが発生した場合は、まず、常勤の教育長(府知事が任命)第一義的な責任者として迅速に対応する事になっている。また、教育長の判断により、教育委員への迅速な情報提供や教育委員会会議の召集ができる。さらに、府知事の判断により、緊急に総合教育会議を開いて、講ずべき措置についての教育委員会と協議・調整を行う事ができる事になっている。

 上記法律の施行により、教育長やそれを含むすべての教育委員は議会の同意を得て府知事(首長)が任命できる事となり、教育長は教育委員会の会務を総理し、教育委員会を代表(会議の主催者、具体的な事務執行の責任者、事務局の指揮監督者)する地位となった。

 また、総合教育会議もすべての公共団体に設置する事となり、府知事(首長)が召集し、府知事と教育委員会で構成し、教育行政の大綱の策定、教育の条件整備など重点的に講ずべき施策、児童・生徒等の生命・身体の保護等緊急の場合に講ずべき措置などを協議・調整する事を定めている。

 大綱とは、教育の目標や施策の根本的な方針の事で、教育基本法第17条「教育振興基本計画」に規定する基本的な方針を参酌して定める。総合教育会議府知事(首長)と教育委員会が協議・調整し、府知事が策定するとしている。大綱は、府知事(首長)の権限に関わらない事項である教科書採択の方針や教職員の人事異動の基準等についても、教育委員会が適切と判断して、府知事(首長)が記載する事もあるとしている。

 以上の事から判断すれば、今回の「吹田いじめ問題」において、最も重い責任を問われるべきなのは吉村洋文・大阪府知事であるという事ではないのか。そういう意味で吉村洋文氏は傲慢で独善的人格の持ち主であり、府知事など「公職」に就く資格を有していないと考えて良いのである。また、かつては、「公職には適していない」とされた人物が、公職に就くようになっているのが現代の政治の世界であるという事なのである。

 吉村氏は、安倍自公政権が目指す、「首長が教育行政を独占する仕組み」をつくるための「露払い役」をつとめているのである。

 

 

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富士山を手をつないで囲み平和メッセージを世界に?:自己満足の平和に浸るより、沖縄の辺野古基地建造阻止のための「人間の鎖」プロジェクトを

2019-06-13 22:07:05 | 沖縄

 民間団体「FUJISAN地球フェスタWA」(本部・山梨県)が、2020年東京五輪の閉会式翌日に、「平和メッセージ」を世界に伝えるとして、富士山を人間が手をつないで囲むプロジェクト(実行委員長・渡辺政男)を計画しているらしい。それも、静岡県と山梨県にまたがる国道約113㌔の片側車線を閉鎖してである。そして、五輪が開かれる4年に1度実施したいという。

 私は思うのだが、現在の日本を「平和」という視点で見回した場合、彼らはあまりにも国民の生活や社会に対する認識が不足しているのではないかと思う。そして、「平和」という言葉をあまりにも浅薄に使用しており、「世界に平和のメッセージを伝える」などと高慢な(思いあがった)目的を掲げ自己満足に浸っているだけだと思う。

 なぜなら、沖縄県辺野古に米軍の新基地作りが安倍自公政権によって、県民の意思を無視して強引に進められている事について、どう思っているのだろうか。知らないとは言えないだろう。彼らの「平和」というものは、沖縄の問題とは関りを持とうとしておらず、現実から国民の眼を意図的に反らせる「平和メッセージ遊び」としか思えない。

 そんなエネルギーがあるのなら、本当に平和が大切であると考えているのであれば、安倍自公政権による沖縄辺野古の米軍新基地作りを阻止し、安倍自公政権のこれまでの安全保障政策を改めさせるためのプロジェクト、例えば「平和を要求する人間の鎖プロジェクト」などを行うべきであろう。そうでないところに彼らのプロジェクトのいい加減さがうかがえるのである。新聞記事掲載の写真に彼らが「地鎮祭」を行ったような場所が大きく写っている事も、彼らが国民を彼らの企てに利用しようとしている事をうかがわせる。

 敗戦までの国民学校教科書では「富士山」は「神の山」とされていた。

「どこから見ても、いつ見ても、富士のお山は美しい。

 白いおうぎをさかさまに、かけた下から雲がわき、

 すそ引くはての松原に、太平洋の波が立つ。

 やさしいようで おおしくて、

 とおといお山、神の山

 日本一のこの山を、世界の人があおぎ見る。」(『よみかた四』「富士山」)

「大昔から雲の上、雪をいただく富士の山。

 いく千まんの国みんの 心きよめた神の山

 今、日本にたずね来る よその国人あおぐ山

 いくまん年ののちまでも、世界だい一、神の山。」(『うたのほん下』「富士の山」)

 などである。

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竹田氏、名誉会長辞退へ:当たり前だが、理事会で推薦を検討する事自体が異常だ

2019-06-13 12:19:52 | スポーツ

 2019年3月の理事会で「定年」を理由に退任を表明して今日に至っているが、このような処理で済ませてはならない「問題」を起こしているのであり、本来は「罷免」(又は自ら進んで辞任)すべきであった。それにもかかわらずさらに、理事会は、JOCの定款「(名誉会長については)理事会で推薦した者につき、評議員会の決議を経て会長が任命する」どおりに、竹田氏について「名誉会長」の推薦を検討している事は、JOC理事会はもちろんJOC全体に、いかに一般国民の常識と異なった「異常性」「偏向性」を有している「常識」が蔓延しているかという事を表しているものであり呆れてしまう。また、竹田氏は、「慎重に検討した結果、今はその時期ではない」と語ったというが、このような言葉を竹田氏自身が語る事は許されるものではなく、ここには彼の傲慢な態度が象徴的に表れていると言うべきである。「固持」するしないという意思を、表示できる立場にないという認識さえ持ち合わせていないのである。主権者国民を馬鹿にするのもいい加減にすべきだ。

(2019年6月13日投稿)

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日本軍性奴隷制度被害者 徐阿英(中国)さん死去

2019-06-13 10:50:33 | 慰安婦問題

 2019年6月2日夜、中国浙江省金華市で、日本軍性奴隷制度の被害者徐阿英さんが死去した。92歳。彼女は16歳の時に、集落に侵略してきた日本軍に捕まり、無理矢理、日本軍の陣地に拉致され性奴隷被害を受けた。1か月後、彼女ら17人の被害女性が、この地に展開していた革命武装勢力の徐兄弟に夜中に助け出された。しかし、1週間後、彼女が買い物に出た際、不幸にも再び日本軍に捕まった。彼女は金華中山埠頭の日本軍の拠点、及び雅堂街の「慰安所」で、3年間、性奴隷被害を受けた。彼女は日本軍から受けた屈辱的な記憶が深刻で、からだと心が大きな傷を受けていた。

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安倍首相在任伊藤博文を抜く:メディアは無意味な比較をして紙面を無駄に使うな

2019-06-11 21:25:35 | メディア

 2019年6月7日の朝日新聞が、「安倍首相 在任歴代3位に」「2721日同郷の伊藤博文を抜く」という見出しの記事を掲載していた。これをみて、メディアの昨今の質の低下を感じ失望し嘆かわしくなった。これほど読者を馬鹿にし紙面を無駄にした記事はなく、購読料のぼったくりというべきだ。なぜなら、戦前と戦後の総理大臣のその在任日数だけを比べても記事にするほどの意味がないからである。戦前と戦後の内閣制度は名称は同じでも、まったく異質な制度である事は誰にも明らかな事であり、それを無視して日数だけを比較して記事にする事にどれだけの意味があるのかという事である。

 戦後の場合、日本国憲法において、行政権は内閣に属し、その行使については国会に対し連帯して責任を負う。また、内閣総理大臣は国会議員の中から国会の議決で選び、国務大臣を任命罷免する事ができる(議院内閣制)。しかし戦前の場合、大日本帝国憲法では内閣制度を定める条文は存在しない。また帝国憲法は、宮中と府中(行政権)を区別し、陸海軍の統帥権は天皇大権と定め、内閣は行政全般を担当するのではなく、行政を行う天皇を補佐する輔弼機関であった。内閣総理大臣は元老などの推薦に基づいて天皇が任命し、他の国務大臣は天皇が任命したが、総理大臣も他の国務大臣と対等であり、内閣は天皇に対して責任を負うとされていた。

 1924年第1次加藤高明内閣以降「議院内閣制」のような運用が見られたが、1932年の5・15事件以後は軍部・官僚内閣となった。1937年の第1次近衛内閣以後、元老による推薦は行われなくなり、重臣層の会議によった。

 このような違いがあるにもかかわらず、総理大臣という名称だけで単純に在任日数を比較して意味づけをしようとする姿勢には呆れてしまう。

(2019年6月11日投稿)

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