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ふげん廃炉7年先送り。もんじゅ・ふげんの電気代はいくらかかっているか?萩生田経産相が核燃料サイクル推進堅持

2024-10-31 22:06:19 | 原発

※2022年8月8日、文科省と日本原子力研究開発機構は、2033年度に完了予定の新型転換炉ふげん廃炉作業7年間延長すると明らかにした。現在の工法では放射性廃棄物が建屋内で漏洩する危険性がある事が判明したため、より安全な工法に切り替えるための研究開発に期間を要すると説明している。

 2021年11月8日、萩生田光一経産相が、青森県三田村申吾知事六ケ所村戸田衛村長と会談し、今年10月閣議決定したエネルギー基本計画どおり、核燃料サイクル引き続き推進する方針を堅持する事を確約した。自民党総裁選で見直しの是非が議論になったが放擲した。

 日本原子力研究開発機構廃止措置中の高速増殖原型炉もんじゅと新型転換原型炉ふげんについての2021年度の特別高圧電力入札結果が明らかになった。落札者はともに北陸電力である。ほかの応札者は非公表とされている。

 もんじゅ契約電力量は1.1万kW、予定使用量は6,119.8万kWh、落札額は6億1,791.7万円。ふげんはそれぞれ3,700kW、3,092.6万kWh、2億9,962.3万円。

 同じ福井県敦賀市内の日本原子力研究開発機構の施設(敦賀事業本部事務所、敦賀総合研究センターなど)では高圧電力で、落札者はホープ、ほかの応札者は非公表。7か所の合計で1,125kW、288.8万kWh、3,707.8万円。

 もんじゅ・ふげんの電力使用は極めて大きい事が分かる。もんじゅは、ナトリウムが固まらないよう高温維持が必要である。また、もんじゅ・ふげんともに、使用済み燃料プールの冷却にも使われる。

(2022年8月10日投稿)

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大日本帝国議会では、「民族優性保護法案」が5度提出されていた

2024-10-30 23:19:43 | ハンセン病

 1996年6月18日国会は、1948年9月から実施された「優生保護法」の一部「不良な子孫の出生を防止する」を「削除」し、法律名称を「改称」した「母体保護法」を成立させた。ところで「優生思想」に関連して神聖天皇主権大日本帝国政府では、1931年には日本医師会が「遺伝の濃厚な疾患について断種の法的規制を」とする答申を政府に出していた。そして、その3年後の1933年第65回帝国議会からは、34年第67回帝国議会、36年第70回帝国議会、37年第73回帝国議会、38年第74回帝国議会と帝国議会に「民族優生保護法案」が提出されていたが、いずれも成立しなかったという歴史が存在した事を紹介したい。

第65回第67回議会での法案内容は以下の通りであった。

目的」は、「民族の優生を保護助長し、悪種遺伝を防止根絶する」とし、

対象」は、➀殺人、強盗その他狂暴な犯罪者で、その悪質を遺伝すべきと認められる者 ➁精神狂症、遺伝的脳脊髄病、早発性痴呆症等で、その症状により、これら悪疾を遺伝すべきと認められる者 ③諸種の中毒症、ヒステリー、遺伝性不具、結核病、頼病等の重症者その他優生学上不正常児以外は産めないと認められる者

手術方法」は、「保性断種

人口妊娠中絶」は、「断種対象者の悪種を懐妊した者に対しては、法医審判を経て堕胎させる」

結婚制限」は、「断種対象者で断種法の施術を受けない者又は梅毒淋疾の帯患者で完全に治癒していない者は婚姻できない。全て婚姻しようとする者は、法律上の条件を具備した旨の当該官公吏の証明書及び医師の健康診断書を提出して婚姻許可証を受けなければならない」

罰則」は、「以下の各号に該当する者は、1年以下の禁固又は500円以下の罰金に処す。➀本人が欺罔して結婚したとき ➁本人又は家族が虚偽の申立をしたとき ③故なく本法の手術を拒んだとき ④許可証なく婚姻したとき

施行日」は、「勅令をもって定める」

第70回第73回第74回議会での法案内容は以下の通りであった。

目的」は、我が民族の優秀なる素質を保護し、悪質遺伝を防遏する」

対象」は、「精神薄弱者、癲癇者、精神乖離症者、躁鬱病者、ハンチントン氏舞踏病者、強度な病的人格者、遺伝性盲者、聾者又は強度な身体的畸形者で、これら劣等な素質を遺伝するおそれ顕著なる者」

手術方法」は、「断種(精子又は卵の輸精管又は輸卵管を通過することを不可能ならしめる手術」

申請者」は、「➀本人 ➁戸主、法定代理人又は保佐人、官公立の精神病院、刑務所、矯正院又は教護院の長戸主、官公立の精神病院等の長の場合は本人の同意を要す、ただし本人が無能力者のときはその配偶者、法定代理人又は保佐人の同意で可」

審査機関」は、「優生診定委員会(保健衛生に従事する官吏及び医師若干名で組織、厚生大臣※が任命又は嘱託)」(※第70回議会提出法案では内務大臣)

手続」は、「地方長官は、申請を受けたときは、優生診定委員会の議に付し、優生診定委員会は3月内に断種の適否に関する協議をなし、その結果を厚生大臣※に具申しなければならない。厚生大臣※は、断種を適当とする旨の具申を受けたときは、1月以内に指定する場所において、任命された医師に断種手術を行わせなければならない」(※第70回議会提出法案では内務大臣)

報告」は、「断種の手術をした医師は、手術後30日以内に手術の結果及び経過を厚生大臣※及び優生診定委員会に報告しなければならない」(※第70回議会提出法案はでは内務大臣)

罰則」は、「秘密を守る義務に違反した者は、6月以下の懲役又は500円以下の罰金に処す」

施行日」は、「勅令をもって定める」

以上である。

これより後、神聖天皇主権大日本帝国政府は、1940年に「国民優生法」を成立させ、1941年7月1日には「国民優生法」を施行する。

(2024年10月30日投稿)

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皇室典範内容は憲法原則違反、差別の元締め的特徴、玉音放送、東京大空襲、メディア

2024-10-30 09:37:35 | 皇室

 天皇家が最近よくメディアに登場している。天皇家の存在を国民の意識に定着させる事が目的である。また、近い将来において、日本の「元首」の地位に就く上でのムード作りである。『自民党憲法改正草案』第1章第1条には、「天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある。草案解説では、「明治憲法には、天皇が元首であるとの規定が存在していた。また、外交儀礼上でも、天皇は元首として扱われています。我が国において、天皇が元首である事は紛れもない事実ですが、……元首として規定する事の賛成論が大多数でした」とある事が背景にあり、それをメディアが翼賛化して報道しているのである。そういう視点が必要である。

◎現皇室典範に見る天皇家の差別的体質

天皇家は人権侵害(差別)の総元締めである。

皇室典範第1条「皇位継承の資格」では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とあり、日本国憲法の男女平等の原則に基づかない男尊女卑思想(女性差別に基づく憲法違反である。2016年3月に国連女子差別撤廃委員会勧告で女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直し(改正)を求めたが、安倍自公政権は抗議をし削除させた。国会でも岸田外相は「我が国の皇室制度は歴史や伝統が背景にある。女子に対する差別目的とは全く別の事柄である」と説明。菅官房長官も「国民の支持を得て今日に至っている。女子に対する差別を目的としていない」と述べている。安倍自公政権は世界で普遍的な考え方や価値観を認めようとしないのである。この姿勢は選択的夫婦別姓制度においても同根である。

第3条「継承順序の変更」では、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、……皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とあり、身体障害を持つ場合には、皇位継承から除く事ができるとしている身体障害者に対する差別人権侵害であり、憲法違反である。

第22条「成年」では「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」とあるが、国民の成人年齢は未だに20歳であるのはどういうことか。世界のほとんどの国が18歳となっているにもかかわらずである。天皇家は日本国民ではないのか、国民とは別格の別世界の人間である事を表している

第26条「陵墓」では「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を、その他の皇族を葬る所をとする」とあるが、墓所の呼び名を変えて差別化しているが、今日その必要はまったくないと思う。憲法違反である。外国ではありえない

以上のような日本国憲法の原則に反した(憲法違反)、人権を認めない内容が定められている事は問題であると思う。このような規則で天皇家を存在させておく事は問題である。

日本国憲法第1条「天皇の地位・国民主権」では「……、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とある事に基づいて、少なくとも改善すべきである。また、天皇制自体を「廃止」すべきである

 『憲法改正草案』第6条「天皇の国事行為等」5項では、「第1項及び第2項に掲げるもののほか、天皇は、国又は地方自治体その他の公共団体が主催する式典への出席その他の公的な行為を行う」とあるが、これは「靖国神社」の国営化、天皇の靖国参拝を狙っている事をうかがわせるものであるので注意すべきである。

◎「玉音放送」

 今年8月1日付で、「玉音放送」を宮内庁が録音原盤から再生し公表した。「玉音放送」とは、1945年8月15日正午に臣民に向けてラジオ放送された、昭和天皇が自ら「大東亜戦争終結に関する詔書」を読み上げた録音の放送の事である。

 以下、天皇が臣民に訴えた言葉の抜粋(朝日新聞の記事を基にしたが、原本により近い形に修正した)と、矢印(→)以下は私の注釈である。

 「帝国臣民の平穏無事を確保し、すべての国々が共に繁栄する喜びを分かち合う事は、皇祖皇宗(歴代天皇)が大切にしてきた教えであり、朕が常々心中強く抱き続けているものである。」→臣民とは天皇皇族の家来を指し、国民の事。家来は主人の主君のために命をかけて奉公するのが原則。

 「英米2国に宣戦したのも、まさに帝国の自存と東亜(東アジア諸国)の安定とを心から願っての事であり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、もとより朕の本意ではない。」→満州事変以来の中国などとの戦争を日本による侵略戦争であると認識していない。戦争最高責任者である事の無自覚と責任回避。

 「敵国は新たに残虐な爆弾を使い、……」→新たな残虐な爆弾とは、原子爆弾の事でその使用を非難している。天皇制大日本帝国でも、東大と京大で原爆製造の研究が行われていた事には口を閉ざしている。

 「朕はいかなる手段で赤子を守り、歴代天皇の御霊にわびる事ができようか。」→赤子とは臣民の事で家来の意味。家来は主人のために命を捧げるのが原則。

 「東亜(アジア諸国)の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。」→1943年11月に「大東亜共栄圏」の結束を図るため開催された「大東亜会議」に参加したアジア諸国の協力にもかかわらず、アジア諸国の解放ができなかった事が残念であるとの事。「大東亜共同宣言」では「共存共栄・独立尊重・互恵提携・文化高揚などが採択された。ビルマ、満州国、中華民国、日本、タイ、フィリピン、自由インドの7カ国。

 「朕は、ここに国体を護持する事ができ、忠義で善良な臣民の真心を信頼し、常に臣民とともに過ごす事ができる。」→国体とは敗戦までの神聖天皇主権国家を指し、天皇に対する臣民の対応の在り方を護持できた事を喜び、改めて一方的に押し付けている。

 「感情の高ぶりから節度なく争い事を繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである」→戦争終結の御前会議では「戦争を続ける事はかえって国内治安の乱れる事が考えられる」(保科善四郎手記)との発言があり、神聖天皇主権体制そのものを脅かすような国内危機の出現を予想した。敗戦よりも敗戦によって起こる混乱と国体変革を恐れた天皇を中心とする支配階級は、国民と軍隊が起こすかも知れない動揺を抑えるために、最後の切り札として天皇の権威を利用(聖断)したのである。戦争終結が「聖断」によってもたらされたという物語をつくり最大限に活用し、翼賛体制化しているメディアは、「玉音を拝して感泣嗚咽」「朝夕詔書を奉戴して再建へ」と「天皇の慈悲深さ」を宣伝した。

 「国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、……総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、……揺るぎない志をしっかりと持ち、誓って国体の精華を発揚し……」→日本は神国であり、不滅である事を信じ、その国体の精華を発揚すべき事を誓いなさいとしている。

つまり、この詔書は、天皇を中心とする支配階級が、「天皇制護持」だけが重要事であって、それを将来の日本国においても不変のものとして臣民に対し念押しをしたものであり、それ以外は何も考えていなかったという事を示している。国民の犠牲も、アジア諸国に与えた苦難や被害や損失なども。この事は、この戦争の本質を如実に現わしている。

 朝日新聞は、記事の最後に「総力戦の行き着いた果てに防空壕で起きた事を、世代を超えて記憶し、風化に抗し語り継いでほしいとの願いを感じる」としているが、余程の「お人よし」である。手前勝手な解釈をしてはいけない。歴史は事実をきちんと押さえなければただの恣意的な作り話となり、誤った評価判断を生む。語り継ぐ価値のあるものとするために、メディアがやるべき使命は、国民が歴史の真実に、より以上近づくための正しい情報を提供する事である。

◎御文庫付属室(防空壕)と東京大空襲について

 戦争終結を決めた御前会議の場となった「御文庫付属室」も「玉音原盤」と同時に公表した。「御文庫付属室」は1943年1月から天皇皇后が生活していた場所である。1945年3月10日の「東京大空襲」時、天皇皇后はどのような行動をしていたのか。渡辺清氏『私の天皇観』によれば、

「1945年3月10日の東京大空襲で奇怪な事実がある。B29が大挙、爆撃を開始したのが午前0時8分、それから7分も経過した0時15分に空襲警報が発令された。その理由は、床の中ですでに安らかに眠っている天皇を起こすのは誠に恐れ多い、という東部軍司令部参謀の配慮から、一秒一刻を争う状況の中で、あたら7分間も空襲警報を遅らせたのである。その7分はたった一人の天皇、45万坪の広大な屋敷の中に広さ500坪余、500㌔爆弾もはね返すという厚さ3㍍のコンクリート、配電、除湿、防音装置に調理室までついていたという堅牢な大防空壕を有していた天皇一人の安眠を妨げないようにという事だったとは、心の煮える思いがする」とある。

朝日新聞1945年3月19日付では、

畏し、天皇陛下戦災地を御巡幸 焦土に立たせ給い御仁慈の大御心 九重の奥深くまで醜翼の羽搏き伝わり、高射砲の轟音響き渡る皇国の危局、朝に夕に一億国民ひとしく忠誠の心いまだ足らざるを嘆き悲しむ、今はただ伏して不忠を詫び奉り、立っては醜の御楯となり、皇国三千年の歴史を太しく護り抜かんことを、誓うのみである。ああ、しかもこの不忠の民を不忠とも思し召されず、民草哀れと思し召し、垂れさせ給う大御心の畏さよ。18日、天皇陛下は帝都の空襲戦災地の御巡幸を仰せ出だされたのである。」→天皇の本心はいかなるものであったか、翼賛体制化した新聞による、「天皇の行為を賛美する」記事はどういう効果を生んだであろうか。言をまたない。

 1964(昭和39)年には、来日した「東京大空襲」の総指揮官カーチス・ルメイ天皇や自民党日本政府は最高の栄誉「勲一等旭日大綬章」を贈った。主戦派のルメイは、太平洋戦争末期のトルーマン政権下で、都市全面爆撃に反対したハンセルに代わって司令官となり、一夜にして10数万の死者をだした「東京大空襲」を含む日本無差別爆撃の張本人である。ルメイは後にヴェトナム戦争下の米空軍参謀総長にもなった。昭和天皇や自民党日本政府が、自らが起こした侵略戦争を、米政府を、どのように位置づけていたのかが分かる。

(2017年3月14日投稿)

 

 

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国連女子差別撤廃委の皇室典範見直し要求、安倍自公政権抗議で削除の問題

2024-10-30 09:19:09 | 皇室

 「天皇家」を特別扱いする安倍政権ワールドは国民の命と生活の安全、幸福追求を阻む。

 2016年3月9日の新聞に「皇室典範見直し要求 国連委の当初案政府抗議で削除」の見出しが載った。国連女子差別撤廃委員会が3月7日に発表した日本に対する勧告を含む「最終見解の案」に、皇位を継げるのは男系男子のみとして女性天皇を認めない皇室典範を問題視し、見直し(改正)を求める内容の記述があったという。これを知って私は、これまでの勧告などでは「皇室典範」に関する内容はまったく含まれていなかったために、このような勧告もするのだと驚いた。それとともに国連委は委員会の原則に基づいて真摯に仕事をしていると感じた。

 この「最終見解の案」に対して、安倍政権が、「審査で議論されていない内容を最終見解に盛り込むのは、手続き上問題がある」という理由で抗議をした。その結果、委員会は最終的に「皇室典範」に関する記述削除に応じたという。

 国会ではこれも仲間内どうし結託して準備された「演技」と言えるが、皇室制度について国民がもつべき認識について国民に対するマインドコントロールを意図して、政党「日本のこころ」の和田正宗議員がこの真偽を問うたのに対する岸田外相の答弁は「女子に対する差別への言及だったが、我が国の皇室制度や諸外国の王室制度もそれぞれの国の歴史や伝統が背景にあるという事、女子に対する差別目的とは全く別の事柄であると説明した」との事。和田氏は「一国の皇位継承権にまで言及するのは許せない。さらなる対応は」と続けたのに対し、岸田氏は「今後しっかりと説明し、理解を得るべく努力は続けていく」と答弁した。

 菅官房長官も岸田氏と同様に9日の記者会見で「我が国の皇室制度も歴史や伝統が背景にあり、国民の支持を得て今日に至っている。皇位継承のあり方は女子に対する差別を目的としておらず、委員会側が皇室典範について取り上げる事は全く適当ではない」と述べている。

 和田氏と菅氏の説明をどう考えるか。彼らは委員会の勧告の意味を正面から真摯に受け止めようとしていないのである。委員会の考え方とは異なる考え方に固執妄執し委員会の考え方を認める気がないのである。この姿勢は日本政府(最高裁も)が「委員会」を軽視、冒涜しているものでもある。この事はほかの内容(夫婦同姓など)の勧告を見れば一貫している事が分かるはずである。そして、説明になっていない説明?をして委員会の理解を得て削除させたように答弁し述べているが、普遍的な考え方や理念(男女平等、人間平等)を認めようとせず「安倍政権の主張」を押し通しただけであり、委員会側は呆れて日本政府とは「会話が不能」と思った事であろう。

 皇室制度や皇室典範はたかだか120年前に作られたもので、天皇家は政治的に利用され歴史の表面に登場させてもらったのである。それもそれ以前のあり方とは一変(変身)した姿内容で。明治天皇が「ひげ」や「眉毛」を伸ばしておらず「書き眉毛」「化粧」をしていた事は歴史の事実である。また、国民から知られない存在から日本に君臨し徳川に替わって新たに国民を支配する存在である事を知らしめるために「全国巡行」をしたのではなかったのか。そして、初の「皇室典範」とドイツ憲法をアレンジした「大日本帝国憲法」を制定し自らの地位を確固たるものにしたのではなかったのか。その間にはその動きに反対する国民の「自由民権運動」を警察や軍隊という「国家暴力」で殲滅したのではなかったのか。そして、その国家体制(天皇制)を国民から守るために「治安維持法」などの治安立法を制定したのではなかったのか。そして、大日本帝国の存立と膨張を目的として国民を動員して行った数々の「侵略戦争」の最高責任者として存在したのではなかったのか。そして、敗戦時に天皇家を将来再び支配者として復帰できるように、米国との間で存続のための「取引」をしたのではなかったのか。その「取引」により「沖縄の島と島民」を「米国米軍の基地」として売ったのではなかったのか。それが皇室制度の真実の「歴史」と「伝統」ではないのか。

 皇室を国民とは異なる世界に住む国民より上位に立つ存在と見なしてはいけない。憲法第1条「天皇の地位・国民主権」で「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」とあるように、天皇家を存続させるか否かは「国民」の意志により決定する事なのである。和田氏や菅氏の発言はそれを故意に無視し国民とって「神聖不可侵」な存在であり「そうあるべき」と、結託して演技でアピールしたのである。日本国憲法の第99条「憲法尊重擁護の義務」を認めない立場(確信犯)を取っているのである。

◎新皇室典範に見る天皇家の差別的体質

 天皇家は人権侵害(差別)の総元締め以外の何物でもない。皇室典範第1条「皇位継承の資格」では「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と明記されており、日本国憲法の「男女平等の原則」を適用していない憲法違反であるし、今日のグローバルな価値観に反している。この事に安倍政権は真摯に「国民」に対して答えよ。そして、天皇家についてのあらゆる課題は主権者である「国民」に対してオープンで行うべきである。国連の勧告についても「国民」が考えるべき事であり、「国民」に提示すべき事であると受け止めるべきであり、国民の考え意思を尊重する手立てをして当然ではないか。なぜしないのか。したくないのですね。

第3条「継承順序の変更」では、「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、……皇室会議の議により、前条に定める順序に従って、皇位継承の順序を変えることができる」とあり、身体障害を持つ場合には、皇位継承から除く事ができるとしている。身体障害者に対する人権侵害差別であり、憲法違反である。国民の象徴が差別を容認しているのである。

第22条「成年」では「天皇、皇太子及び皇太孫の成年は、18年とする」とあるが、国民の成人年齢は未だに20歳であるのはどういうことなのか。天皇家は日本国民ではないのか、別格の別世界の人間として扱っている事を意味しているのではないのか。世界のほとんどの国では18歳としているにもかかわらずである。

第26条「陵墓」では「天皇、皇后、太皇太后及び皇太后を葬る所を陵、その他の皇族を葬る所を墓とする」とあるが、墓所の呼び名を変えて差別化しているが、今日その必要はまったくないと考える。憲法違反である。外国ではありえない。特別扱いをするべきではない。

以上のような日本国憲法の原則に違反(憲法違反)した、人権を認めない内容が定められている事は問題である。このような規則法律で天皇家を存在させておく事は主権者である国民として責任を感じるべき問題である。天皇家には皇室典範には国連委が勧告として指摘した以外にたくさんの問題を有しており、国民的課題として取り組むべきであり、少なくとも改善すべきであり、天皇制自体の「廃止」も考えなければならない。

(2016年3月26日投稿)

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小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は死直前、大日本帝国の将来について悲観

2024-10-29 19:03:42 | メディア

 ラフカディオ・ハーンは大日本帝国の国籍を取得するため日本人名を「小泉八雲」とした。彼は1904年4月に出版した『怪談』で日本国民に知られた人物であるが、彼の死の直前の大日本帝国の将来についての、今日の国民にほとんど知られていない「言葉」を紹介したい。

○1850年6月、ギリシャで生まれた。父はアイルランド人、母はギリシャ人。

○少年時代には不幸が相次いだ。両親の離婚、事故による左眼失明(16歳)、父の旅先での死、経済上の理由での退学。

○ロンドンに出て造船所で働き、華々しい産業革命の陰で陽の当たらない生活を送る人々の中で成長。

○1869年、ロンドン又はフランスのル・アーブルから移民船「セラ号」に乗って、無一文でアメリカへ渡り、移民列車で、多くのアイルランド人が住んでいたオハイオ州のシンシナティへ行く。19歳。そこで、給仕、廃品回収業、行商、電報配達員、ビルのガラス磨きなどの職を転々とした。

○産業革命後の資本主義経済に抑圧された立場から、資本主義の暗黒面への批判や文明化への疑問を持つようになる。

○1877年、ニューオリンズへ移り(27歳~37歳までの10年間)、文才を認められ新聞記者(1878~1881年)となる。『デイリー・シティ・アイテム』新聞社で准編集者となった。挿絵を入れた、アメリカで最初の新聞風刺漫画も書いた。仏文学の翻訳もし、ゾラ(仏の自然主義作家、94~99年ドレフュス事件)やモーパッサンの作品を通じ、益々文明社会への批判を強めた。『タイムズ・デモクラット』紙の文芸部長となり、評論と翻訳を中心とする文学的な記者として活躍。

○同時に素朴な民族や国へのあこがれを抱く。ニューオリンズで開かれた博覧会(1884~85年)で日本館の出品物に触れ、日本へ強い関心を寄せた。ニューオリンズと松江市とは友好都市提携している。

○1890年(40歳)、来日(米新聞記者として日本を紹介するため)。

○島根県松江の中学校の英語教師となる。

○1891年、松江の「小泉セツ」と結婚。セツは没落武家の娘でハーンのところへ奉公に来た。父母の反対で入籍せず。

○1892年、熊本へ、その後神戸、東京へ。東京帝大や早稲田専門学校(1902)にも出講。神戸ではジャーナリストとなり、英字新聞「神戸クロニクル」を発行し、大日本帝国政府に警鐘。1894年12月(日清戦争開始後)の論説では日本軍の戦闘について、「女性や子どもに対する不必要な残虐行為である。大日本帝国政府の報復行為は言い訳できない」と論じた。熊本では第五高等中学校で英文学を教授。熊本市内の「富岡写真館」で夫婦の写真を撮影。東京帝大時代に『怪談』出版(1904年4月)。

○1896年、子どもも生まれ、大日本帝国の国籍取得。長男一雄誕生。ラフカディオの「カディオ」からとった。小泉家に婿入り。大日本帝国の国籍取得のため日本人名を「小泉八雲」とした。「八雲」は古事記からとった。

○1904年、日露戦争(04年2月開戦)中に54歳で急死。

 死の直前の論文『産業の危機』で大日本帝国の将来を悲観した。

 「この調子では大日本帝国はもはや、果てしない戦争に突入していって、最後には破滅するのではないか……」と。

○彼は、出雲大社よりも、松江藩主の守り神であった「城山稲荷神社」(1638年、松平直政が火難除けとして城内に建設)の「石きつね」を好んだ。

(2024年6月22日投稿)

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