2020年3月23日の朝日新聞は、国立歴史民俗博物館は、新しい研究成果を積極的に展示に取り入れていると伝えている。それは、
徳川幕府が支配した時代の身分制度であるとして学校教育で教えている「士農工商」について、固定的な身分としてあったのではなく、武士以外は百姓・職人・家持町人などは社会的序列は存在せず、対等であった。また、徳川時代中期の町人たちは「職分」=社会的分業と考えていた事が明らかになっていると。さらに、神聖天皇主権大日本帝国政府が、「四民平等」政策を強調するために、「士農工商」を「社会的序列」とする見方が定着したというものである。
しかし、この説はいわゆる歴史修正主義者(安倍自公政権)の主張であり、これまでのきちんとした科学的な研究成果を認めず、自己に都合よく歴史を偽造し書き換えようとするものと言って良く、政治的な意図をもって行われていると考えるべきで、主権者国民にとっては極めて危険な動き(歴史を国民洗脳のために利用する事)がひそかに進行しているという事を示すものと考えて良い。
徳川幕府は、それまで(織豊政権時代)に形成されてきた身分社会の崩壊を避け「士農工商」(正確には穢多非人も)として再編固定化しようとした。そのために、「士農工商」各身分=職分のあり方について細かく規制する様々な法典を制定するとともに、儒教による教化を行ったのである。儒教では、貴賤富貴をすべて天命として、先天的に受け入れて固定させる。天は尊く高く、地は卑しく低いように、上下差別があるのが人間世界であるとする。人においても君は尊く、臣は卑しい。この上下の区別をつける事が大事で「礼」であるとしたのである。
徳川中期の思想家・三浦梅園の『價原』には、士は「上に仕え、下を教え、礼儀を道とし、政刑を権とし、社稷を守り、国土を安んずる者」、農は「黍稲桑麻を作り出して自他を養い、筋力を以て徭役を務め、余算を得て工商と相通ずる者」、工は「天下に色々の器財なくてかなわぬもの故に、朝夕その道を鍛錬し、百の器物を作り出し、民生の用に不自由なき様にする者」、商は「此にあり彼に無きを通用させて、天下の用をなす者」とみ、「この四者は一つ欠けても天下の用をなし難いから、それぞれの職分を務め怠らないようにすべきで、これにより共存共栄、以て国を富まし、国を興すべきである」としている。この職分意識が、農民に生産にだけ励ませ、年貢を納入させる拠り所とされていた。
「士農工商」という身分は、それぞれの職能に基づいて国家社会における役割を分担させた「職分」なのである。そして、「職分」=「身分」はいずれも相互に上下や貴賤といった格付けをし、平等に取り扱わず差別待遇を定めたのである。
ヨーロッパ中世では、「農民は僧侶と騎士とのために耕さねばならず、僧侶は騎士と農民を地獄から救わねばならず、尊敬すべき騎士はすべて僧侶と農民とに悪事を働こうとする者を退けねばならぬ」と考えられ、農民・僧侶・騎士のそれぞれが特有の職能を持っていた。しかし、これらの各身分は決して平等に評価されたのではなく、上下貴賤の別があったのであり、農民身分は最下層の者として他より賤視された。
しかし、最下層に置かれた商身分はその身分秩序に変更を迫る動きを見せた。ヨーロッパではピューリタニズムであるが、日本では石田梅岩の石門心学がある。そこには商売の利益を武士の禄と同等の道徳的地位に引き上げ、商の職分を天命にしたがうべき天職とみなす考え方が見られる。
「四民平等」政策というのは、「士農工商」を平等にしたという事を示す政策ではなかった。神聖天皇主権大日本帝国政府は、徳川時代の身分秩序を廃止したが、それは平等としたという事を意味するものではなく、新たにそれに代って華族・士族・平民という身分秩序(差別待遇)を設け国民を再編成し利用しようとしたものなのである。資本主義を発展させるために、前近代的身分秩序を競争の条件として利用するために意図的に残したのである。
(2020年3月26日投稿)