※以下は2018年6月9日に投稿したものを改めて投稿したものです。
1945年8月から52年4月までの間は日本国政府は在日する朝鮮人を、大雑把には「日本国籍を有する」ものとして扱っていた。しかし、その過程にはGHQの圧力を利用し自己に都合よく朝鮮人統治政策を推進した日本政府の狡猾な目論見が明確に見受けられる。
GHQは、1946年11月12日には「日本国籍を保有する」との見解を表明し、同年11月20日には「日本国籍を持つ日本人である以上、日本の法律に従うべきである」という理由で、日本政府が朝鮮人取締りの完全な権限を持つ事を認めた。
1947年5月3日には日本国憲法を施行したが、その前日の5月2日には(大日本帝国政府)最後のポツダム勅令という形式で外国人登録令を公布し、第11条「朝鮮人はこの勅令の適用については当分の間外国人とみなす」との規定により、「当分の間、外国人とみなす」事とし、同令に違反した場合、「原則として本邦外に退去せしめる方針」であるとし、「脅し」の姿勢を示した。
1947年9月末には第1回の外国人登録を締め切ったが、その際、日本政府は外国人登録証明書の国籍欄にはすべて「朝鮮」と記載した。
この国籍に関して、1950年の第1回登録証明書切替え(登録証明書の有効期間は3年)に際し、大韓民国(1948年8月15日成立)から国籍欄に「朝鮮」とあるのは独立国家大韓民国の尊厳を損傷するから「大韓民国」で統一するよう申し入れがあった。GHQの圧力もあり、日本政府は了承し、本人からの申し出があった場合には「朝鮮」なる「用語」に替え、「韓国」又は「大韓民国」と記載する事とした。この事について当時の植田俊吉法務総裁は「これは単なる用語の問題であって、実質的な国籍の問題や国家の承認とは全然関係なく、朝鮮あるいは韓国、大韓民国のいずれを用いるかによって、その人の法律上の取扱いを異にする事はない」と発表した。この「単なる用語」見解は1965年3月まで日本政府の一貫した見解であった。
1952年4月28日にはサンフランシスコ講和条約が発効したが、それを境に日本政府は、在日する朝鮮人に国籍選択の機会を与えず(希望を尊重する事なく、選択の権利を無視して)一方的に「日本国籍」を剥奪し、「外国人」とした。そのために、その同じ日に「外国人登録法」を公布、即日施行し適用した。この法律は、日本に居住する外国人に対し、居住地の市町村に登録する事を義務づけた法律で、各人毎に全国一連の番号を付した外国人登録証を発行し、3年毎に登録証切替えを定め、14歳以上の者にその常時携帯を義務づけ、1955年からは登録に際し指紋の押捺も義務づけ、これらに違反すると刑罰を科す事を定めたものである。
加えて出入国管理令も適用した。この管理令は1951年11月、旧外国人登録令の中から出入国と退去強制の条項を分離して作られたもので、ポツダム勅令(政令)として出したが、講和条約発効と同時に廃止し、改めて法律として定めたのである。日本に出入国したり、在留する外国人すべてを対象とした。そして、朝鮮人も含めたのである。
しかし、外国人登録の国籍欄の記載に関して、日本政府は1965年10月26日になって、政府統一見解を発表した。日韓特別委員会八木入管局長は「韓国は国籍であるが、朝鮮は従来どおり用語である。今日から変わったので、昨日まではそうではなかったんだというのではありません。従来国籍と見るべきものであったにもかかわらず、我々入管当局がそういう事を言明しなかったというだけでありまして、すでに前から国籍と認めておるわけでございます」と発表したのである。
この背景には、1965年6月22日に調印された日韓条約に付随する法的地位協定に基づく協定永住権申請に「大韓民国の国籍を有するもの」という条件を定めていた事があったからである。1966年1月16日に「在日韓国人についての法的地位協定」が発効し、協定永住権の申請受付を始めたが71年1月16日の締切りまでの5年間に在日朝鮮人の半数以上が申請した。
つまり、日本政府は、サンフランシスコ講和条約発効から日韓条約発効までの約13年間、在日朝鮮人が自分の国籍を持つ事を認めなかったという事である。そして、日韓条約締結において、それまで外国人登録証明書の国籍欄の「朝鮮」「韓国」の記載は「用語である」としてきた事を一方的に破棄し、「韓国」だけを国籍とみなしたという事であり、その事は、大韓民国を朝鮮半島で唯一の合法的国家とみなし、日本政府が朝鮮戦争に始まる反共の防波堤の役割を担う事をより明確にしたという事である。それはまた、米国による朝鮮半島分断と北朝鮮に対する敵視政策に加担するとともに、在日朝鮮人社会をも分断し対立させて統治する事を明確にしたという事である。在日朝鮮人にとって、韓国籍を選ぶか用語「朝鮮」を選択するかにより日本在留の条件は大きく変えられ家族内においても異なる条件を強いたのである。
※在日する朝鮮人を「日本国籍を有する」ものとして扱った期間の現実の姿については後日紹介したい。