稲田朋美元防衛大臣も南スーダンの件で、「武器を使って人を殺傷したり、物を壊したりする行為はあったが、国際的な武力紛争の一環としての戦闘行為とは評価できず、PKO参加5原則は守られていた」「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではない事から、武力衝突という言葉を使っている」など、奇異(実は主権者国民を欺くためであった)な答弁をしていたが。
2018年4月27日、安倍政権は自衛隊のイラク派遣の活動報告(日報)に記載されていた「戦闘」という言葉について、自衛隊法で定義されている「戦闘行為」の意味で使用されたものではないとする答弁書を閣議決定した。つまり、自衛隊法での「戦闘行為」とは、「国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為」を指し、日報に記載された「戦闘」という言葉は「国語辞典的な意味での戦闘」であり、それとは異なるものであるとした。
安倍首相は、2017年7月の衆院予算委員会でも「(憲法の要請との関係で)定義を決めている戦闘行為とは違う意味で、一般的、いわば国語辞典的な意味での戦闘という言葉を使う、これはあり得る」と答弁していたが、この答弁書に納得できる人はいるであろうか。おそらく主権者国民のほとんどがその理屈を理解するのは不可能であろう。つまり、その理屈は「屁理屈」としか思えないのである。
なぜなら、この日報を記録したのはほかでもなく「自衛隊員」であるはずだからだ。そして自衛隊員であれば、自衛隊法についての研修を受けているはずであり、言葉の使い方については、伝えるべき内容の正確さを期すために、主観的でなく客観的な、自衛隊員として身につけているべきルールに則る事が重要視されているはずである。だから、「戦闘」という言葉についても、安倍首相の答弁にある「(自衛隊法の定義とは異なる)国語辞典的な意味での使用はあり得る」というような、色々な意味が考えられるような言葉の使い方は厳しく禁止されているはずであるからである。
つまり、「戦闘」という言葉は自衛隊法で定義する「戦闘」でしかなく、それ以外の意味には使用してはならないのである。それを安倍首相は「屁理屈」によって主権者国民を欺瞞しようとしているのである。主権者国民は、このような「子供だまし」(子どもでも騙そうとしている事に気づくが)の「屁理屈」に納得する事はできないのであり、許してはならないのである。
そして、「戦闘」の真相については、主権者国民は、その「日報」の記載者に、また、当時の現場を知るすべての体験者から、真実を証言してもらう場を設ける以外に明らかにする方法は存在しない事を安倍政権に要求すべきである。
安倍政権の「ウソ」に騙されないためには。
(2018年4月30日投稿)