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全権委任法成立後のナチス・ドイツ(第三帝国)の画一支配の手法

2024-11-09 15:54:20 | ナチス・ドイツ

 ナチス・ドイツは、1933年3月23日に全権委任法を成立させた後、ワイマール共和国をどのように改変解体し第三帝国を誕生させたのか?

 ドイツの都市や農村のいたるところで政治的熱狂の波と、ナチ党への転向が巻き起こり、新体制に抵抗するものはことごとく改変解体された。ナチ党の曰く「画一支配」をめざす「国民革命」を始めた。強制的に、また自発的に。真摯にドイツ民族としての自覚に目覚めた者や、単にバスに乗り遅れるなと慌てふためいた者、そして、これまで割を食っていた分を世間にお返ししてやろういうナチ党員や、分け前をできるだけ多く分捕ろうという新しい権力者たちがいた。

 政治の世界では、これまでの秩序を根本から覆すような地滑り現象が起きた。民主主義・ブルジョア政党支配下の各州政府は州議会内で与党が多数を占めていなかったので、ナチ党は、中央政府の権限による圧力と、ナチ党の宣伝技術を併せて攻撃した。例えば、警察の指揮権を党員に移譲させた。拒否するとナチ党員の警察官が押しかけ、警察庁舎にカギ十字旗を掲げ、SA(突撃隊)指導者を中央政府により特別警察委員に任命し、中央政府に統合した。ナチ党の高官を統監(国会炎上大統領緊急令で各州で公共の安全が維持されない場合、各州の行政権を中央政府が代行するとの規定を根拠に、ヒトラー内閣が派遣した中央政府の代理者)とし、州の全権を奪った。

SA(突撃隊)……1921年創設。ナチスの直接行動隊。反対派を暴力で打倒する事が主任務。失業者・遊民・退役軍人などが主体でナチスの騒動を受け持った。のちに準軍隊的存在となり国防軍と対立したが、ヒトラーは34年の血の粛清でSAの指導者を一掃し、解散させた。

 SAが「画一支配」への推進役となった。テロの手口は多種多様であった。脅迫、恫喝、犯罪者扱いや誹謗中傷。私生活の領域にまで及び、新聞紙面を使い中傷キャンペーンも展開した。人身に虐待行為を加えたり、屈辱を与えたり、「保護拘束」と称する無法行為も罪悪感なく当然のように行った。こうして指導的地位にある人々に対しては、退職するか年金生活に入るかの道に追い込んだ。又、地方政治を取り仕切る臨時代行者を勝手に指名し、それまで指導的立場にあった人々に汚職容疑でっち上げて取り調べ、辞職へ追い込み、「粛正」「刷新」「整理事業」などと称した。ユダヤ人に対する不法行為を最初に計画したのもSAであった。「ユダヤ系」といわれるデパートのショーウインドウを破壊したり、ユダヤ商店をボイコットしたりした。また、開廷中の法廷に乱入し、ユダヤ人と見られる検事弁護士拘束し、SA秘密収容所連行した。また、ベルリンのオペラ広場で2万冊の書物を「非ドイツ的図書」として火の中に投じた(焚書)。

 又、証券取引所周辺をSAの部隊がデモ行進し、取引所の全役員の辞職を要求したり、「マルクス主義的」な消費協同組合の食品搬入を阻止する封鎖デモを行ったり、銀行の役員の一員にするよう要求し、受け入れなければ隊員の出動命令を出すと脅したり、国家の敵として人狩りを行い、「臨時強制収容所」と呼んだ倉庫や地下貯炭庫や地下室に連れ込み乱暴の限りを尽くした。一日中立ったままの姿勢で狭いロッカーの中に閉じ込め、自白を強要した。尋問は殴打で始まり殴打で終わった。SAが交替で鉄棒、硬質ゴム製の警棒、ムチで殴り続けた。

 ドイツ国民が画一支配されたのはテロの脅威だけでなく、自発的な服従やヒトラーを救済者とする期待あきらめ日和見主義などもある。ドイツ工業全国同盟非アーリア人の役員を除名したり、各種の組織や利益団体はナチ党員を役員として受け入れ、指導者原理に基づいて組織を再編したり、上記のように「刷新」された役員たちが甘んじてナチ党へ忠誠誓約書を提出した。

 政党労働組合も、ヒトラーに迎合した。ドイツ労働組合総同盟は社会民主党と絶縁ナチ党忠誠誓約書を提出し、中道及び右翼政党は、ナチ党へ合流する動きが強まった。あくまで党や労働組合への忠誠を捨てない党員は強制収容所で命を代償とした。ブルジョア政党には手心を加え、ナチ党国会議員団に所属させたり、ナチ党国会議員と協力する無所属議員として扱った。このような結果、ナチ党はドイツにおける唯一の合法政党となった。

(2022年11月5日投稿)

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名称変更や表現の言い換えの効果とル・ボン(フランスの心理学者)とヒトラー

2024-10-27 11:05:29 | ナチス・ドイツ

 ギュスターヴ・ル・ボン(1841年5月7日~1931年12月13日)は、フランスの心理学者である。その著書『群集心理』(1895年)では、「今我々が歩み入ろうとしている時代は群集の時代である」とし、「群衆とはその構成員すべてが意識的人格を完全に喪失し、操縦者の断言・反復・感染による暗示のままに行動するような集合体であり、産業革命以後の社会現象の特徴が人々をこうした群集心理下に追いやるものである」と述べた。

 ル・ボンは、名称変更や表現の言い換えの効果について次のように述べている。「物事の本質的な部分は全く変えず、ただ名称を変更するだけで、新しい素晴らしいものができたかのような幻想を作り出せるという。また、言葉には「魔術師」の持つような「神秘的な力」があるといい、ある事象に群衆が大きな反感を抱いてしまった場合には、その事象を指す単語を変更して「人受けのする言葉」で「用語を巧みに選択しさえすれば、最も忌まわしいものでも受け入れさせる事ができる」と述べている。

 ヒトラー『群集心理』を読んでいたといわれ、『わが闘争』で同じような内容を述べている。

プロパガンダを用意周到に継続して行えば、天国を地獄と思わせる事ができるし、逆に、極めて惨めな生活を天国と思わせる事もできる。」とか、「生活上の重要問題を国民に忘れさせる目的で、政権が意義深く見えるような国家的行事を作り上げて、新聞で大々的に扱わせると、一ヵ月前には全く誰も聞いた事もなかった名前が、何もないところから魔法のように作り出され知れ渡り、大衆は大きな希望を寄せるようになるのである。」と。ナチ党が政権掌握後に行った具体例としては、「起業家」を「従業員の指導者」、「独裁」を「より高次の民主主義」、「戦争準備」を「平和の確保」と呼び変えるなどである。これは「ダブルスピーク」であり、言葉の表面とその意味内容は全く正反対なのである。

ダブルスピークとは……受け手の印象を変えるために、言葉を言い換える修辞法。  1つの言葉で矛盾した2つ意味を同時に言い表す表現方法をいう。

 ヒトラーはまた心理学に関連して、「大衆に理念を伝えられる扇動者は、常に心理学者であらねばならない。心理学を心得ていれば、その扇動者は人間に疎く世間知らずの理論家よりも指導者に相応しい。」と述べている。

(2022年4月1日投稿)

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レニ・リーフェンシュタールとヒトラーの言葉

2023-11-01 23:34:09 | ナチス・ドイツ

 ナチス・ドイツは1933年1月30日、政権獲得後初めてのナチ党大会を「勝利の全国党大会」と名付け、1933年8月30日から9月3日まで開催した。この党大会の映画撮影を、映画『青の光』(1932年)で高く評価していたヒトラーは、レニ・リーフェンシュタール(1902.8.22~2003.9.8)監督に依頼し、『信念の勝利』というタイトルで撮影させた。しかしヒトラーは、1934年7月に粛正した突撃隊幕僚長レームがヒトラーと一緒に閲兵するシーンがあったため廃棄した。

 1934年には9月5日から10日まで「意志の全国党大会」を開催した。ヒトラーは、この党大会も『意志の勝利』というタイトルでレニに再度監督を依頼した。この映画は、35年3月28日にベルリンで公開した。観客数は記録的に多かったが、この理由は集団鑑賞鑑賞券の大幅な割引などの組織的な動員によるものである。動員された子どもたち学校行事として強制的に鑑賞させられ、作文も書かされたようである。

 1934年のナチ党大会でのヒトラー演説の内容の要旨を以下に紹介しよう。

「階級・身分のない社会を築こう。諸君はこんな物をはびこらせてはならない。

ドイツは大帝国になってほしい。諸君はその日に備えよ。

従順な国民であれ。平和を愛し、勇敢な国民たれ。平和的であれ。

 我々に下されているのは、この世の権威ならず、

我が民族を創造せし神からの偉大なる命令である。」

 レニのドイツ人の特質についての言葉も以下に紹介しよう。

「ドイツ人は模範になる人を欲しがる。指導者を求める国民

ヒトラーを素晴らしい、これが指導者だと皆が言った。

ヒトラーを指図してくれる人だと言った。家でも学校でも規律第一だ。

誰かに指導させたがる。」

(2023年11月1日投稿)

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ヒトラーの世論操作の思想(『わが闘争』)と岸田首相の年頭記者会見

2023-11-01 00:43:38 | ナチス・ドイツ

 岸田首相が1月4日、三重県伊勢市での年頭の記者会見で、「インフレ率超す賃上げ実現要請」と「異次元の少子化対策挑戦」を表明した。しかし、この表明が、かつてのドイツ・ヒトラーによる、大衆(国民)を欺瞞する世論操作同じ手法でしかなかった、という結末となるのではないかと安易に信用できない。

 ヒトラーは『わが闘争』で、「大衆(国民)の支持を得ようと思うならば、我々(ナチス)は彼ら(大衆、国民)を欺かねばならぬ。……巧みな宣伝をたえず用いれば、人々に天国を地獄と見せる事も、その逆に、もっと惨めな状態を楽園のように見せる事もできる。諸君(ナチス)の言う事を大衆(国民)に信じさせる秘訣は、諸君(ナチス)の言うウソの大きさにある。大衆(国民)は小さなウソよりも、大きなウソを信用する。なぜならば、彼ら(国民)は、小さなウソは自分でもつくが、あまり大きなウソは恥ずかしくてつけないからである。……人々(国民)の大多数は、その態度および性質において女性的であるから、彼ら(国民)の活動や思想は、冷静な考慮によって動機づけられているというよりは、感情によって左右されている。……宣伝の効果は、したがって、常に感情に働きかける事に向けられねばならぬ。……大衆(国民)の組織者(ナチス)は……大衆(国民)の弱点と野獣性につけ込むように努めねばならない。」と述べている。

 また、以下のようなナチス・ヒトラーの国民支配の手法を述べていることも紹介しておこう。

「被征服民族(「国民」に換言)に対して学校教育を強制してもいけない。ロシア人・ウクライナ人・キルギス人(いずれも「国民」に換言)などが読み書きできる事は、我々(ナチス・ドイツ)の害になるばかりだ。読み書きができると、頭の良い者が、歴史的知識を獲得し、政治的思考をわがものにして、ついにはドイツに反逆するおそれがあるからだ。したがって、彼ら(「国民」に換言する)に教育を与えるよりも、ラジオ拡声器を各村落に備えてニュースを流したり、娯楽を提供したりした方がよい。……ラジオではむしろ音楽だけを放送すべきであり、軽快な音楽によって労働意欲を増進させるべきである。……衛生学の知識を被征服民族(「国民」に換言)に与える事は、彼ら(「国民」に換言)の人口を急激に増加させる事になるので望ましくない。……東欧占領地で被征服民族(「国民」と換言)に武器を持たせる事は最大の不合理である。そんな政策をとれば支配民族(ナチス・ドイツ)の方が必ず没落する。」

上記の内容は、かつて、麻生副首相が2013年7月29日に発言した「ナチスの手口……」という言葉の意味が、このような意味でもある事という事を示すものである。国民は自公政権を上回る知恵を有さねばならない。政治は知恵比べである。

(2023年1月6日投稿)

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