安倍首相の靖國神社参拝(2013年12月26日)をめぐる判決は今日までに3件出ている。大阪地裁、大阪高裁、東京地裁のものである。ここでは東京地裁判決(岡崎克彦裁判長)における司法の主張(請求内容はすべて却下)を紹介したい。そしてそれがいかに司法の職責を放棄し安倍首相の靖國参拝を擁護し正当性を与えようとする内容であるかを確認しておきたい。
請求内容は
1、被告安倍晋三は、内閣総理大臣として靖国神社に参拝してはならない。
2、被告靖國神社は、被告安倍晋三の内閣総理大臣としての参拝を受け入れてはならない。
3、原告と被告国との間で、被告安倍晋三が2013年12月26日に内閣総理大臣として靖國に参拝した事が違憲である事を確認する。
4、原告と被告靖國神社との間で、被告靖国神社が2013年12月26日に被告安倍晋三による内閣総理大臣としての参拝を受け入れた事が違憲である事を確認する。以下省略。
などであった。
これに対し判決は、最も重要な「靖國とは何か」や「首相が参拝する事の意味」について答えなかった。そして、「原告らの法的利益を侵害していない」「(憲法判断は)必要がない」「(参拝後の談話については)恒久平和への誓いを立てたと理解できる。参拝を戦争準備行為などと理解するのは困難だ」「平和的生存権などの侵害はない」「(政教分離の判断については)結論を導くのに必要な場合を超えて判断するのは適当ではない」と主張した。
損害賠償については、「原告の信仰に対して強制や圧迫をするものではなく、損害賠償を求める対象にはならない」と主張。
政教分離原則については、「政教分離規定に反する国の行為があったとしても、(直ちに)個人の間の権利や自由を侵害する事にはならない」と主張。
平和的生存権については、「原告は、侵略戦争それ自体を賛美する靖國神社への本件参拝及び本件参拝受け入れは、精神的な側面から戦争を受け入れる状況を作り出し、日本を戦争ができる国にする戦争準備行為であるのみならず、国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性を高め、原告らの生活に脅威と不安をもたらし、日本を含む諸国を戦争の危機に陥れる行為であるから、原告らの平和的生存権が侵害された旨を主張する。しかしながら、平和とは、理念或は目的等を示す抽象的概念であって、憲法前文にいう『平和のうちに生存する権利』もこれを主張する者の主観によってその内容、範囲が異なり得るものであり、いまだ具体的なものではないから、平和的生存権を被侵害利益と認めるのは困難である。加えて、前記認定事実によれば、被告安倍は、本件参拝後にインタビューに応じ、『恒久平和への誓い』と題する談話を発表したが、その内容は、国のために戦い、尊い命を犠牲にした英霊に哀悼の誠を捧げ、尊崇の念を表し、御霊安らかなれと冥福を祈った事、日本は二度と戦争を起こしてはならず、過去への痛切な反省の上に立って、今後とも不戦の誓いを堅持していく決意を新たにした事などを表明するものであった事が認められ、少なくともこれを素直に読んだ者からは、被告安倍が本件参拝によって恒久平和への誓いを立てたものと理解されるものであって、本件参拝が戦争準備行為であるとか、本件参拝によって国際的緊張を高めて軍事的衝突を引き起こす可能性が高まるといった理解をするのは困難であると言わざるを得ない。したがって、本件参拝及び本件参拝受け入れにより平和的生存権が侵害された事をもって被侵害利益とする原告らの主張は、理由がない」と主張。
この判決理由から司法が訴訟を却下しないと考えられる条件は(澤藤藤一郎弁護士が言われているように)、具体的な権利侵害があり、権利救済の必要がある場合に限られる事。法的保護に値する私的利益の侵害が存在する事である。原告の権利や利益の侵害を離れて国家機関に違憲違法な行為があったからとしてその是正を求めるという訴訟は却下されるという事である。司法は、信仰の自由の侵害がない限り政教分離違反があったという訴訟は取り上げず、政教分離原則違反の主張があっても判断の必要はないという姿勢なのである。つまり司法は、安倍首相の違憲違法な靖國神社参拝によって、原告にどのような権利侵害があったかを特定立証する事を求めているのである。これは「こじつけ」「詭弁」による「職責放棄」以外の何物でもない。「こじつけ」とは「無理に筋の通った事のように言う事」であり、「詭弁」とは「相手を騙すために行われる、もっともらしい虚偽の推論」という意味である。「屁理屈」と言っても良い。
三権分立は大日本帝国のように虚構となり、憲法第76条3項「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」は「絵に描いた餅」となっている。国民主権を踏みにじっているのである。
「日独裁判官物語」でのドイツの憲法裁判所長官の言葉「国家の人権侵害から市民の権利を守る事が我々の任務だ」こそ裁判官の拠るべき姿勢として要求すべきである。
主権者国民は安倍自公政権の政治姿勢「よらしむべし 知らしむべからず」に嵌まってはいけない。