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パレスチナ問題(中東戦争)の発端はイギリスとアメリカの無責任外交

2024-06-13 22:11:48 | 米国の世界戦略

 パレスチナ問題の発端は、第1次世界大戦中のイギリスの外交手法にある。イギリスがパレスチナ地方に関し結んだ矛盾した3つの協定にある。

 それは先ず1915年10月、イギリスの駐エジプト高等弁務官マクマホンが、アラブ指導者フセインに対し、戦争に協力する事を条件に、アラブ人居住区の独占独立国家建設を認めると通告した「フセイン=マクマホン協定」である。この協定に基づいて、アラブは対トルコ戦を開始した。

 1916年5月には、イギリス・フランス・ロシアによるトルコ領の分割協定を結んだ事である。パレスチナの国際管理も約束したが、1915年の「フセイン=マクマホン協定」でアラブ人に独立国家建設を約束した事と矛盾し、アラブ人を怒らせた。

 1917年11月には、イギリスの外相バルフォアが、ユダヤ系金融資本の協力を得るため、ユダヤ人にパレスチナでの建国を約束した「バルフォア宣言」を表明した事である。この事は、すでに1915年に「フセイン=マクマホン協定」で、パレスチナでの独立建国を約束されていたアラブ人を怒らせた。

 第1次世界大戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となると、イギリスの保護下にユダヤ人のパレスチナへの移住移民が増加し、アラブ人との衝突が始まった。

 イギリスは、両者の対立を解決できず、困った揚句、アメリカ主導下の国連へ、委任統治の返上を申し出た。国連総会では1947年11月29日に、「パレスチナ分割国連決議」を採択した。その要旨は、

1、イギリスの委任統治を1948年8月1日までに終結する。

1、パレスチナをアラブ国家ユダヤ国家エルサレム特別国債管理地区3つに分割する事とし、1948年10月1日までにこれを実現する。1947年当時、全人口の3ぶんの1以下で、パレスチナ全面積の6%しか所有していなかったにもかかわらず、ユダヤ人国家に割り当てられた面積は、全パレスチナの57%を占めていた。

1、イギリス軍は1948年8月1日までに段階的にパレスチナから撤退する。

という内容であった。この決議は、多数派決議案で、表決はシオニストを支持するアメリカが多数派工作を行った結果、賛成33、反対13、棄権10。ソ連は賛成、イギリスは棄権。アラブ6カ国は全部反対であった。 決議案にはこのほかに「アラブ人とユダヤ人の連邦をつくり、エルサレムを首都とする」というインド・イラン・ユーゴスラビアによる少数派提案があった。

 国連総会の「分割決議採決」から、パレスチナは内戦状態になったが、1948年5月にイスラエルが国家樹立の宣言を行った翌日から、第1次中東戦争(=パレスチナ戦争、1948~49)が始まった。

(2023年10月24日投稿)

 

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安倍自民党政権がトランプ米大統領と軍事的に共謀する背景にある戦後の東アジア情勢:日本は米国本土を守る「捨て石」

2024-04-16 08:46:53 | 米国の世界戦略

 ※2015年7月16日に投稿したものを加筆修正し再投稿しました。

 憲法違反であるとの批判を受けながらも、安倍政権ワールドが、あきらめる事をせず、さまざまな「屁理屈」(支離滅裂)を並べ立てて、「集団的自衛権の行使」を含む「安全保障法制」を衆院特別委で強行採決した。安倍政権の体質からみて、強行採決する可能性は十分ありうると予想していたが、その際に、メディアがどのような反応をするかという事に関心を持っていた。それによってメディアの意識を知れるからだ。しかし、予想に反し残念ながら、新聞の夕刊の記事やニュースなどのテレビ番組の取り上げ方では、今回の件で特段将来に対する危機感や安倍政権に対する憤懣を感じさせるわけでもないし、主権者国民としての当事者意識を持っているようにも感じられない、ありきたりの常套用語を使用した型どおりの無味乾燥な記事や取り上げ方に終始していた。そこには多分、メディアに対する政権による外圧(沖縄紙やマスコミ全体への報道威圧)のせいもあるし、企業本来の自主規制(思考停止状態)もあるのだろう。分析力や理解力判断力洞察力さえも失ってしまったとは思いたくないが。残念な気持ちになった。日本の歴史の分岐点といわれる時点で、ジャーナリズムの責任を放棄し、主体性を持たず、結果的に政権を利する側に立ち、敗戦前と同じ過ちを犯すのであろうか?もっと多方面からの情報も主権者国民に提供すべきだ。

 安全保障関連法案の「集団的自衛権の行使」を成立させた場合、日本の今後にどのような事態が起こってくるのであろうか。

 安倍政権ワールドが、米国政府の世界戦略に共謀する生き方を日本国民に要求する事になるという事である。この事は、安倍政権が、日本経済の構造を米国と同様の「戦争経済の構造」に変質させるという事を意味し、国民生活も国の政治体制もそれに対応する形に変質させるという事を意味している。それは自民党が「憲法改正草案」に示しているように。そして、これからの日本国が、これまで米国がたどってきたのと同じような道をたどる事を意味している。とりあえずは「国際警察」の役割である。

 安倍政権は米国政府が展開する「国際警察」の片棒を担ぐわけだが、米国政府の世界戦略に積極的自主的に参加するわけである。その在日米軍の基地や人数は世界戦略上どのような状況にあるか。 

 アジア太平洋戦争後、米国政府は、米国本土を防衛するために、防衛ラインは本土から遠いところに設けた。西は太平洋の端、日本列島から沖縄、フィリピンにかけて。東は大西洋の東側。つまり海外の米軍基地を敵からの攻撃目標(戦場)にして、本土を守るという戦略である。米国本土の近くでは戦わない、敵を遠ざけ、敵の近くで戦う戦略である。米国政府は自国(本土)を守るために日本を捨て石にしているのである。日本に米軍基地がある事は日本国民にとって安全でなく危険なのである。ヨーロッパの米軍基地も同じ発想で置いている。

 米軍基地の世界的展開の現状。米国防総省資料では、米兵駐留の地域は、148カ国・地域で、20万人余りが駐留する。実質的には37カ国・地域611か所に国防総省の基地・施設がある。基地面積が最も広いのはドイツで、日本は2番目に広く、3番目の韓国は日本の20%程度である。4番目のイタリアは日本の5%以下である。米軍人数で最多はドイツで約5万4千人、日本は2番目で約4万5千人。韓国は3番目で約2万5千人。その他の国々は1万人以下となっている。1万人以上駐留しているのはドイツ、日本、韓国だけである。

 米軍基地の資産価値(重要度)でみると、米軍基地は資産価値により上中下の3段階に分けられており、に属する約17億ドル以上の資産価値がある基地は20か所ある。その内の8か所が日本である。1位嘉手納、2位横須賀、3位三沢、4位横田8位沖縄県瑞慶覧、12位岩国、17位沖縄県牧港、18位厚木、となっている。日本には巨大な米軍基地が集中しており、また4位までを日本が占めている。国ごとの米軍基地の資産価値を集計比較すると、日本が他を圧倒してトップである。日本は世界で一番米軍基地が集中している国である。

 海兵隊基地施設がある国は、ドイツ、日本、ケニア、韓国、アラブ首長国連邦の5カ国だけである。日本以外の国の場合、基地と呼べるものではなく施設程度のものであるが、日本には21か所の海兵隊基地があり、約2万人の海兵隊が駐留している。外国では基地を受け入れていても海兵隊基地は置かせないのが常識のようだ。

 沖縄県は、1947年、昭和天皇(天皇の地位を維持する)がマッカーサー(天皇を利用して占領統治)と密約を結び、安保条約という形で、長期間の占領支配下(米軍基地の島化)に置かれたが。日米安保条約(軍事同盟)は世界の米軍基地に見られない「全土基地方式」である。細かい協定がなく、日本政府が了承すればどこにでも基地を置く事ができるのである

 米国政府は、日本政府の戦争責任を曖昧にしておき、再軍備をさせていった。それに対する周辺諸国の日本に対する不信感の高まりを利用して、米国政府は日本の周辺諸国との間に軍事同盟を締結し軍事基地を確保していった。1951年米比相互防衛条約と基地協定は、フィリピンが日本の軍国主義が復活する事をおそれて、米国政府に基地を提供した。1951年アンザス条約(太平洋安全保障条約)は、オーストラリア、ニュージーランドと米国との軍事同盟で、日本の軍国主義の復活をおそれて米国政府と締結したもので対日軍事同盟である。

 日米安保条約の締結は、米国政府は、周辺国に対して「米国政府が日本に軍隊をおいて抑止するから軍国主義復活はさせない」という理由をつけている。1970年代に、キッシンジャー国務長官周恩来首相が会った時、日米安保条約を批判していた周恩来に「安保条約というのは、実は日本が独り立ちすると何をするか分からないから、米軍が日本に居て抑止しているのだ、だから安保条約を認めてほしい」と説明している。

 日本が戦争責任をきちんと取らないため、周辺諸国に不信感が生まれ、東アジアがまとまれなかった。米国政府はその状態を利用して、相手によって色々な理由を使い分け、各軍事同盟を組織し、米軍基地を置いていき、東アジアを分断したのである。そして、アジアがまとまらない状況の中で、米国政府が東アジアを仕切るという体制を作っているのである。これが日本敗戦後の、米国政府の東アジア戦略なのである。東アジアの米軍基地ネットワークなのである。

 竹島や尖閣の所属についても、サンフランシスコ講和条約では書いていない。米国政府が意図的にそうしたのである。竹島は、朝鮮戦争で、共和国が朝鮮半島を統一した場合にそなえて、日本との間のもめ事(対立)の種として米国政府が故意に残したものだ。現在は韓国との間で問題となっているが。尖閣も大陸中国が台湾を領土に包含した場合に、日本との懸案事項として残したものだ。

 米国政府は、日本政府と周辺諸国とのもめ事の種を故意に残したのである。そして日本政府を孤立させていった。ダレス国務長官の言葉では「日本政府が周辺諸国との信頼関係をつくれないと、日本政府は米国政府に頼るしかなくなる。そうすれば米国政府としては日本政府に色々な要求を突きつける事ができる。日本政府はそれを拒否できないのである」と。

 つまり、東アジアの国家関係は米国政府によって仕組まれ利用されてきたのである日本が米国政府に対して自立するためには、周辺国との関係改善こそが重要な政策なのである。

 

 

 

 

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ペンス米副大統領の発言が示す、安倍政権以降がめざしている新しい日本国の形(国体)

2022-12-18 23:03:47 | 米国の世界戦略

 2018年2月7日、ペンス米副大統領は安倍首相と首相官邸で会談した。そこでは、首相が「関係国に北朝鮮のほほえみ外交に目を奪われてはならない事を訴えていく事で一致した」とし、「日米韓の強固な協力関係」の重要性を強調したという。それに対し、トランプ政権ペンス副大統領は「すべての選択肢をテーブルの上に置く」として、軍事攻撃も排除しない方針を改めて示したが、日本国民にとってそれより重要と考えるべき発言をしている。それは、「日米軍事同盟について日本の役割を拡大しようとしている安倍首相の努力に感謝する」と述べた事である。

 また、翌日の2月8日、米軍横田基地での在日米軍兵士たちに対する演説の中では、上記と同様に日本国民に関係する重要な発言として、「全ての選択肢はテーブルの上にある。米軍と自衛隊は(日本)国民とその生活を守るための準備を整えるだろう」と発言している事である。

 つまり、トランプ政権ペンス副大統領と安倍政権は、北朝鮮に対して、軍事攻撃も辞さない事、その際に日米軍事同盟(日米安保条約)における日本(自衛隊)の役割を拡大する事の確認をしているという事なのである。

 そして、その戦略の内容こそが、トランプ政権が2月2日に発表した「核戦略の見直し」(NPR)なのである。それは、世界122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約に対して「国際的な安全保障環境の変化という前提を無視した、まったく非現実的な核兵器廃絶の期待に駆られている」という批判や、あらゆる核実験を禁じる包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准も目指さないとしたり、「米国は深刻な技術的、地政学的な問題が起きた場合、速やかに核実験を再開できるようにする」とか、「通常兵器やサイバー攻撃などを受けた場合にも核兵器で報復する可能性がある」とも主張し、核兵器の役割を拡大増強させている。

 つまり、トランプ米政権を批判したり、反発反抗し従属しない存在に対して、彼は「抑止力」という言葉で世界の眼を欺き核兵器という「軍事力」によって圧倒・威圧・威嚇し、恐怖を抱かせ沈黙させ己の意思に従わせようという目論見なのである。「力こそ正義」という時代錯誤の価値観でこれからの世界を牛耳ろうとしているのである。

 そして、このトランプ政権に対する安倍政権の姿勢は、たとえば2月3日には河野太郎外相が「NPRは米国による抑止力の実効性の確保と日本を含む同盟国に対する拡大抑止への関与を明確にした」として「高く評価する」と発表した。また、「政府には国民の平和と安全を現実的に守らなければいけないという責務がある」(これは国民を欺くための口実である)とし、「核抑止と核軍縮は相反するものではない」と、核兵器禁止条約に参加しない態度を示した時点から、誰もがもうすでに信じていない矛盾した理屈を今なお白々しく述べているのである。また、安倍首相はすでに1月30日の衆院予算委員会において、「核兵器による米国の抑止力を維持していく事が必要不可欠だ。核兵器禁止条約は核抑止そのものを否定しており、政府としては条約に参加する事はできないと言わざるを得ない」との答弁で明確に表明している。安倍自公政権のめざす新しい日本国の形(国体)がここに示されているのである。

 そして、その仕上げが、「憲法改正」なのである。2月6日の衆院予算委員会での首相の発言「憲法は国の形、理想を語るものである」はそのような意味を表しているのである。

(2018年2月11日投稿) 

 

 

 

 

 

 

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『ベルツの日記(1905年8月27日)』:ルーズヴェルト米大統領の日露戦争の講和条約に対する姿勢

2021-10-12 12:35:59 | 米国の世界戦略

 日露戦争(1904年2月~1905年8月)においても、米国狡猾世界戦略がうかがわれる事を、『ベルツの日記(1905年8月27日)』より以下に紹介しよう。

ルーズヴェルト講和条約のため、全力を尽くしている。一般にアメリカの世論は急変して、ロシア側に有利となったらしい。別に不思議な事はない。清国(現中国)商人の大々的な対米ボイコットによりアメリカは、日本の勝利がいかに好ましからざる影響を伴うものであるかを教えられ、また適当な時機に日本(神聖天皇主権大日本帝国政府)を抑えつけないと、この影響がさらに程度を増大するかも判らない事を知ったからである。」(1905年8月27日)

(2021年10月12日投稿)

 

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モーリシャス共和国へ移住させられたチャゴス諸島住民と最大の島ディエゴ・ガルシア

2020-09-23 21:51:38 | 米国の世界戦略

 岡山県の長鋪汽船所有の貨物船が2020年7月26日、モーリシャス共和国沖合でサンゴ礁に乗り上げ座礁し、重油約1000㌧を海に流出させる事故を起こした。

 モーリシャスは16世紀初めにポルトガル人が上陸した。1598年にはオランダ領となり、オランダ総督マウリッツにちなんで「モーリシャス」と名づけられた。1715年にはフランス領、1814年にはイギリス領となった。1967年に自治権を獲得し、68年に英連邦内の自治国として独立し今日にいたる。民族はインド系が約7割で圧倒的多数であるがクレオール(欧州人とアフリカ人の混血)、中国系、フランス系など多民族からなる。宗教もヒンドゥー教が半数以上である。

 ところで、チャゴス諸島も16世紀にポルトガル人が上陸し、1814年に英国が保護領とし、「モーリシャス」の一部として統治した。ところがイギリスは1965年には「チャゴス諸島」を「モーリシャス」から分離し、「イギリスインド洋」の領土に編入した。

 「チャゴス諸島」は60以上の島からなるが、その中で最大の島は「ディエゴ・ガルシア島」である。1966年にイギリスはその「ディエゴ・ガルシア島」を米国に貸す契約を結んだ。そして、米国はインド洋や中東に向けた軍事拠点として空軍基地を作っていった。その時、イギリスは「チャゴス諸島」の住民を諸島の外へ、主に「モーリシャス」へ強制的に移住させた。そのため、「チャゴス諸島」にはそれまでの定住民はまったくいなくなり、「ディエゴ・ガルシア島」の米軍関係者や建設作業員などだけしか定住していないところとなってしまったのである。

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