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自民党は旧統一教会だけでなく政治的宗教団体神社本庁とも関わり続けている事が問題だ

2024-10-25 09:10:26 | 日本会議

 自民党員のほとんどは日本会議国会議員懇談会(1997年5月29日設立)の会員である。そして、日本会議を構成し支える中核的組織が、政治的宗教団体である「神社本庁」(1946年2月設立。国家機関内務省神社局が前身)である。「神社本庁」は伊勢神宮(皇室神道)本宗と仰ぎ、全国8万の神社をほぼ傘下に収める神道(明治以降敗戦までの「国家神道」組織と思想を引き継ぐもの)という政治的宗教団体である。「神社本庁」自身も「神道政治連盟(神政連)」(1969年11月8日結成)という政治団体を結成し、それに呼応する自民党国会議員神政連国会議員懇談会を結成している。また、日本会議神政連に所属する国会議員はほとんど同じであり、安倍晋三氏は日本会議では特別顧問を、神政連では会長を務めていた。岸田文雄氏、麻生太郎氏、塩崎恭久氏、森山裕氏、林幹雄氏、丸山珠代氏、中谷元氏、菅義偉氏、島尻安伊子氏、加藤勝信氏、石破茂氏、萩生田光一氏、世耕弘成氏、柴山昌彦氏、衛藤晟一氏などが日本会議国会議員懇談会会員である。

 日本会議では「神社本庁」統理の北白川道久氏(旧皇族)、伊勢神宮大宮司の鷹司尚武氏が顧問を務め、神社本庁総長の田中恆清氏が副会長を務めているほか、神政連会長などが代表委員を務めている。

 「神社本庁」がどのような団体であるのかについては、「神社本庁」の機関紙『神社新報』を刊行している神社新報社の刊行書物『近代神社神道史』後編「神道指令以後の神社界の活動」に、政治運動の最初のものを、「神宮の真姿顕現運動」と称して述べている以下の内容に明白である。

「戦後の神社界が、神道指令に毒された日本人の精神気流を展開させるべく務めたその第一の運動は、伊勢の神宮に対する国の姿勢を正させる、いはゆる神宮制度是正の運動であった。伊勢の神宮は、いふまでもなく皇祖親授の御鏡を奉祀する天皇祭祀の宮社であり、その皇室・国家との関係は、遠く古代から大東亜戦争の占領時代に至るまで二千年にわたって、いささかも変わることのなかったものである。この大切な神宮が占領軍の政策によって、その皇室および国家との公的関係を断たれ、戦後は単に民間の一私法人として取扱われるようになった。それが神宮の本質を損ふものであることはいふまでもなく、占領が解除されたのち神宮の本質恢弘・真姿顕現の国民要望が出てきたのは当然のことであった。これがすなはち神宮制度是正の運動であり、それは結局、昭和三十五年十月、当時の政府、池田首相の回答によってその運動目標の精神的中心点━皇位と神宮との不可分の関係━を明確にさせる成果をかち得ることができた。」

池田首相の回答:首相は三重県選出の自民党衆院議員の質問に対し、「伊勢神宮の神体ヤタノカガミの所有権は皇室にある」と回答した。この回答は、ヤタノカガミを祀る伊勢神宮内宮正殿に、公的性格を認め、伊勢神宮の国営化に道を開くものであった。

 このほか、「紀元節復活運動」「『剣爾御動座』復古の運動」「靖国神社国家誤字の運動」「津地鎮祭訴訟」「自衛隊と神道」など、政教分離の憲法問題について述べており、国家機関が伊勢神宮や靖国神社の神事に、また天皇の神聖性に関与する事を許容するよう求めている。

(2022年12月26日投稿)

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「日本会議」(1997年5月30日設立)の構成員と思想

2024-09-29 22:27:40 | 日本会議

 1997年5月30日、「日本を守る国民会議」(1981年10月27日設立、加瀬俊一議長、黛敏郎運営委員長)と「日本を守る会」(1974年4月2日設立)が合流して「日本会議」が設立された。

 『守る会』は宗教人と文化人で設立され、『国民会議』は政界、財界、学会、宗教界など各界の代表者で設立された。『守る会』は右派系の宗教団体を中心に結設立。事務局は東京渋谷区の明治神宮会館内。事務総長は『国民会議』と同じ、明治神宮権宮司の副島廣之。代表委員など役員職には朝比奈宗源(臨済宗円覚寺)、伊達巽(明治神宮)、富岡盛彦(富岡八幡宮)、岩本勝俊(曹洞宗総持寺)、金子日威(日蓮宗本門寺)、清水谷恭順(浅草寺)、谷口雅治(生長の家)、関口トミノ(佛所護念会教団)、岡田光玉(世界真光文明教団)、蓮沼門三(修養団)、石川弥八郎(モラトロジー研究所)、安岡正篤(全国師友会)などが就任。『国民会議』の役員職には、宇野精一(東大名誉教授)、清水幾太郎(学習院大教授)、小堀桂一郎(東大名誉教授)、江藤淳(評論家、東京工大教授)、香山健一(学習院大教授)、村松剛(筑波大名誉教授)、加瀬英明(外交評論家)、村尾次郎(歴史学者)、瀬島龍三(伊藤忠商事会長)、井深大(ソニー名誉会長)、石井公一郎(ブリジストン相談役)、塚本幸一(ワコール創業者)、武見太郎(日本医師会会長)、小田村四郎(元行政管理事務官、拓殖大総長)、中川八洋(筑波大名誉教授)、百地章(日大教授)、大原康夫(国学院大教授)などが就任。

 『日本会議』は、初代会長は塚本幸一(ワコール会長)、副会長は安西愛子(声楽家)、石井公一郎(ブリジストン元社長)、岡本健治(神社本庁総長)、小田村四郎(拓殖大総長)、小堀桂一郎(明星大教授)、理事長は田中安比呂(明治神宮権宮司)が就任。

 「設立宣言」は「我が国は、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取し同化させて鋭意国づくりに努めてきた。明治維新に始まるアジアで最初の近代国家の建設は、この国風の輝かしい精華であった。また、有史以来未曾有の敗戦に際会するも、天皇を国民統合の中心と仰ぐ国柄はいささかも揺らぐ事なく、焦土と虚脱感の中から立ち上がった国民の営々たる努力によって、経済大国といわれるまでに発展した。しかしながら、その驚くべき経済的繁栄の陰で、かつて先人が培い伝えてきた伝統文化は軽んじられ、光輝ある歴史は忘れ去られまた汚辱され、国を守り社会公共に尽す気概は失われ、ひたすら己の保身と愉楽だけを求める風潮が社会に蔓延し、今や国家の溶解へと向かいつつある。加うるに、冷戦構造の崩壊によってマルクシズムの誤謬は余すところなく暴露されたが、その一方で、世界は各国が露骨に国益を追求し合う新たなる混沌の時代に突入している。にもかかわらず、今日の日本には、この激動の国際社会を生き抜くための確固とした理念や国家目標もない。このまま無為にして過ごせば、亡国の危機が間近に忍び寄ってくるのは避けがたい。我々は、かかる時代に生きる日本人としての厳しい自覚に立って、国の発展と世界の共栄に貢献しうる活力ある国づくり、人づくりを推進するために本会を設立する」とした。

基本運動方針」は

1、美しい伝統の国柄を明日の日本へ

 国民統合の中心である皇室を尊び、国民同胞感を涵養する

2、新しい時代にふさわしい新憲法を

 わが国本来の国柄に基づく「新憲法」の制定を推進する

3、国の名誉と国民の命を守る政治を

 独立国家の主権と名誉を守り、国民の安寧をはかる政治の実現を期す

4、日本の感性をはぐくむ教育の創造を

 教育に日本の伝統的感性を取り戻し、祖国への誇りと愛情を持った青少年を育成する

つまり、皇室の尊崇、憲法の改正、国防充実、愛国教育、伝統的家族の5本柱である。

 『日本会議』結成の前日、5月29日には『日本会議国会議員懇談会』が結成されている。会長は島村宜伸(自民党衆院議員)、幹事長は平沼赳夫(自民党衆院議員)、事務局長は小山孝雄(自民党参院議員)などが就任。

平沼が行った「設立の挨拶」は、

日本を守る会、日本を守る国民会議は、二十有余年にわたって、日本全国津々浦々で力強い、そして幅広い活動を展開されてきました。この二つの会が大同団結を致しまして、新たに塚本幸一新会長を迎えて日本会議が設立されます。それに呼応致しまして、我々国会議員も党派を超えて、全国的な力強い日本のための運動を展開していこうという趣旨の下に今日、皆様方ご参集の下、この設立総会を迎えたわけでございます」

としている。

 『懇談会』と安倍内閣との関係は、2012年12月の第2次安倍内閣では閣僚19人中12人(63%)、2014年の第2次安倍改造内閣では閣僚19人のうち15人(80%)で、官房副長官や首相補佐官など官邸スタッフの全員が懇談会員であった。第3次安倍改造内閣では、閣僚20人のうち13人(65%)が懇談会員で、安倍晋三(首相)、麻生太郎(副総裁兼財務相)、高市早苗(総務相)、岸田文雄(外務相)、塩崎恭久(厚労相)、森山裕(農水相)、林幹雄(経産相)、丸川珠代(環境相)、中谷元(防衛相)、菅義偉(官房長官)、島尻安伊子(沖縄及び北方担当相)、加藤勝信(一億総活躍担当相)、石破茂(地方創生担当相)であり、萩生田光一と施工弘成(内閣官房副長官)、柴山昌彦と衛藤晟一(首相補佐官)も懇談会員。

 『日本会議』の2016年6月の役員名簿では、顧問は鷹司尚武(神宮大宮司)、服部貞弘(神道政治連盟常任顧問)、北白川道久(神社本庁統理)、渡邊惠進(前天台座主)、副会長には田中恆清(神社本庁総長)。代表委員は石原慎太郎(作家)、市川晋松(元日本相撲協会相談役)、伊藤憲一・佐藤和男(青山学院大名誉教授)、入江隆則(明治大名誉教授)、宇都宮鐵彦(日華代表取締役会長)、大石泰彦(東大名誉教授)、岡田光央(崇教真光教え主)、小串和夫(熱田神宮宮司)、尾辻秀久(日本遺族会前会長)、黒住宗晴(黒住教教主)、慶野義雄(日本教師会)、志摩篤(偕行社理事長)、志摩淑子(朝日写真ニュース社会長)、千玄室(茶道裏千家前家元)、高城治延(神宮少宮司)、武覚超(比叡山延暦寺代表役員)、竹本忠雄(筑波大名誉教授)、長曾我部延昭(神道政治連盟会長)、寺島泰三(英霊にこたえる会会長)、徳川康久(靖国神社宮司)、中島精太郎(明治神宮宮司)、中野良子(オイスカインターナショナル総裁)、丸山敏秋(倫理研究所理事長)、横倉義武(日本医師会会長)。理事長は男成洋三(明治神宮崇敬会理事長)などであった。

(2022年8月29日投稿) 

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日本会議の正体は?

2024-09-29 22:22:46 | 日本会議

 東大名誉教授の島薗進氏による日本会議の正体は?青木理著『日本会議の正体』内の島薗氏の言葉を以下に紹介する。

「かつては危ない勢力と認識されていた者たちが、今や立派に見えてしまっている。…(背後や源流の生長の家創始者・谷口雅治信奉者など)新宗教の指導者たちは、市井の人々に心の安らぎを与える事はあっても、政治や思想の面はさほど強くありませんでした。ところが谷口雅治はとてもインテリ臭い人で、政治思想にも詳しい。だから信者にも勉強好きなものが多かったわけですが、世直し的な面も持っていて、戦前は天皇中心主義に深くコミットし、戦後も似たような立場を堅持した。学者や文化人の中にも類似の国体論的な考えを持っている人が以前から一定数はいた。黛敏郎松村剛などはその代表ですが、実業家にもそういう人たちがいて、宗教団体が結集点(日本会議)をつくると吸い寄せられていく。…日本会議はかなり特殊な勢力です。神社本庁も含めてですが、かなり特殊で復古的な思想を持った人たちのあつまりです。…戦前もそうでしたが、停滞期において不安になった人々は、自分のアイデンティティーを支えてくれる宗教とナショナリズムに過剰に依拠するようになる。戦前の場合は国体論天皇崇敬、皇道というようなものに集約されたわけです。(戦後再び停滞期で日本会議への共鳴拡大)神道指令を否定し、政教分離も踏みにじるわけだから、これは戦前回帰だと受け止められてもしかたがない。……」

 青木氏は日本会議の政治思想の特徴を、自民族優越主義・天皇中心主義・国民主権の否定・過剰なまでの国家重視と人権の軽視・政教分離の否定・神社非宗教などとし、戦前の国家神道の論理と同じであるとしている。

(2022年9月2日投稿)

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国旗国歌法の可決と「日本会議」の法制化運動

2024-09-29 12:35:28 | 日本会議

 国旗を「日の丸」、国歌を「君が代」と定めた「国旗国歌法」を自民党政権が可決成立させたのは1999年8月13日であった。99年2月に広島県世羅高校校長が、国旗として日の丸掲揚と国歌として君が代斉唱を要求した文科省と、それに反対した教職員組合の板挟みとなり、自死した事件をきっかけに、小渕恵三政権法制化を急いだ。野中広務官房長官が法制化の必要性を主張し、日本会議も熱心に運動を展開した。

 1999年6月4日、日本会議の副会長・小田村四郎、顧問の石井公一郎、常任理事の大原康夫、事務総長の椛島有三、日本会議国会議員懇談会の平沼赳夫、衛藤晟一、安倍晋三、高市早苗らが首相官邸で小渕首相と会い、「国旗国歌法」の早期法制化を求める以下のような「要望書」を手渡した。

国旗(日の丸)、国歌(君が代)は、国民の圧倒的な支持を得て定着し、国際社会においても広く認知されて、すでに慣習法として確立しています。にもかかわらず、教育現場においては、一部反対勢力の妨害により、その扱いをめぐり未だ大きな混乱が生じており、日本の将来に大きな禍根を残す事は必至です。政府におかれては、次代を担う青少年が国旗・国歌への敬愛の精神を養うために、国旗・国歌の法制化を早期に実現されるよう要望いたします」

 「国旗国歌法」が参院本会議で可決成立した際には、「日本会議」は衆院第二議員会館で緊急集会を開き、「日本会議」の機関紙とみなしてよい『祖国と青年』(1999年9月号)には以下のように伝えてた。

「参議院本会議で国旗国歌法が可決された瞬間、モニターの画面を見つめていた約二百名から大きな拍手がわき上がった。立ち上がって万歳三唱、喜びが漲る……」

(2022年12月6日投稿)

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日本会議2001年刊『新憲法のすすめ……』を基にした自民党憲法改正草案と国民主権

2024-09-29 12:31:54 | 日本会議

 自民党と密接な関係をもつ「日本会議」の「新憲法研究会」が編集し、2001年に刊行した『新憲法のすすめ……日本再生のために』(明成社)は、自民党が2012年に作成した『日本国憲法改正草案』の基調をなしているが、その事を象徴するものとして、『新憲法のすすめ……』の「憲法前文」を以下に紹介しよう。一言でいえば、現行国民主権の憲法を否定するものである。

「我々日本国人は、古来、人と人との和を尊び、多様な価値の共存を認め、自然との共生のうちに、伝統を尊重しながら海外文明を摂取・同化する事により独自の文化を築き、天皇と国民が一体となって国家を発展させてきた。我々は、このようなわが国固有の国体に基づき、民意を国政の基礎に置く明治以来の立憲主義の精神と歴史を継承発展させ、国民の自由と権利を尊重するとともに国家の一員としての責任を自覚して新たな国づくりへ進む事を期し、併せて世界の平和と諸国民の共存互恵の実現に資する国際責任を果たすために、この憲法を制定する」としている。

 日本会議の事務総長を務めている椛島有三氏によると、国民主権を否定している。日本会議の実質的機関紙である『祖国と青年』からその事実を以下に紹介しておこう。

「日本の政治史は、天皇が公家、武士、政治家に対し政治を「委任」されてきたのが伝統である。天皇が国民に政治を委任されてきたというのが日本の政治システムであり、西洋の政治史とは全く歴史を異にする。天皇が国民に政治を委任されてきたシステムに、主権がどちらにあるかとの西洋的二者択一論を無造作に導入すれば、日本の政治システムは解体する。現憲法の国民主権思想はこの一点において否定されなければならない」(1993年4月号より)

(2022年12月5日投稿)

 

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