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朝日新聞記事「御養蚕始の儀」:朝日自身の価値観を憲法に照らして記事を書け

2025-01-25 09:52:19 | 皇室

 朝日新聞は、雅子皇后が2020年5月11日、皇居内の紅葉山御養蚕所で「御養蚕始の儀」を初めて行った事を伝えた。そして、この「」の意味については、「明治以降、歴代の皇后が引き継いできた伝統行事である」とする極めて粗雑な説明で済ませている。これでは「フェイク記事」と言われても仕方がないだろう。また、読者はこの記事により、誤った歴史を植え付けられてしまうだろう。

 なぜ、このような雑な説明しか行わないのだろうか。理由を考えてみた。それは、皇室の慣例の儀礼行事の一つであるから実施する事は「当たり前」で、それを主権者国民に伝えているだけだと単純に考えているのだろうか。しかし、それではあまりに浅薄な認識で記事を書いているという事になる。まさかそんなはずはないだろう。それならばなぜだろう?考えられる事は「意図的に」このような記事を書いたのではないかという事である。それは多分、主権者国民に皇后や天皇・皇族に対する親近感とさらには敬意を育ませる事を目的としているためなのではないかという事である。

 「御養蚕始の儀」は「明治以降の皇后」が引き継いできた、と説明しているが、主権者国民に対して、もう少し丁寧な説明をすべきであろう。「明治以降」としているがそれは何故かを詳しく説明すべきである。この「儀礼」は神聖天皇主権大日本帝国政府が、国民の精神的支柱とするべく生み出した新興宗教「国家神道(天皇教)」に基づき、皇后の役割として「創出」したものであり、当時の輸出基幹産業であった「生糸産業の発展」を皇祖皇宗(天照大神に始まる歴代天皇)に祈るためのものであったのである。このような背景があるにもかかわらず、説明しない書かない手法は、読者(主権者国民)に「欺瞞」「洗脳」効果を期待する手法と言って良く、まるまる「ウソ」を書く手法と同類である。朝日新聞はこの「儀」が、帝国政府により極めて政治的な意図をもって創られた「儀礼」である事を主権者国民に伝えるべきなのである。

 ちなみに、明治以降の神聖天皇主権の「天皇制」には2つの顔がある。1つは「軍国」の顔であり、もう1つは「慈愛」の顔である。そして、「慈愛」の顔は、臣民(国民)を懐柔し統合する事を目的として見せてきた「顔」である。敗戦後の日本国憲法に定められた「国事行為」の中の特に「栄典の授与」や、「生前譲位のお言葉」にある「象徴的行為(公的行為)」がそれに当たる。また、「慈愛」の顔は女性皇族の「慈愛」の顔で、彼女たちはそれに適った役割を担ってきた。「坤徳」という言葉があるが、これは「皇后の恩」という意味であり、皇后及び女性皇族は積極的に社会事業に関わってきた「顔」である。

 「軍国」の顔は、天皇陸海軍の最高司令官であり、元首であり、政治と軍事の最高権力者の地位にあった事。また、男性皇族は全員軍人となり、軍国日本の象徴であった事である。 

 敗戦により、神聖天皇主権大日本帝国政府が崩壊したあと、新憲法の下に、国民主権の新しい日本国が樹立され、天皇・皇族も、憲法を「尊重擁護」しなければならない立場に立つ事となった。という事は、天皇・皇族は、政府の1機関と考えるべきであるから、憲法第20条3項に定められた「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」という事や、第89条に定められた「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない」という事を「尊重擁護」しなければならないという事である。

 そのように考えると、朝日新聞は、皇后が上記の「御養蚕始の儀」を手前勝手に「伝統」として継承してきた事自体を憲法違反の行為として問題とすべきであり、また、軽率に「伝統」という言葉を使用して説明をするべきではなく、皇后(天皇家)に対して直ちに廃止するよう要求する事を目的として記事を書くべきなのではないのだろうかと考えるのだが。

 皇后や天皇・皇族も「御養蚕始の儀」を行う事などが今日まったく無意味である事を理解すべきである。また、そのために、主権者国民の税金がいかに無駄に費やされているかを理解すべきである。

憲法第88条「すべて皇室財産は、国に属する。すべて皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない」

(2020年6月19日投稿)

※2022年6月12日朝日新聞は「皇室の伝統行事「養蚕」は明治以降、歴代皇后が継承し、約150年続いてきた。皇后さまは2020年から取り組んでいる。今年は5月11日に「御養蚕始の儀」に臨み、同月19日には天皇陛下とともに蚕に桑の葉を与える「御給桑」を、今月1日には長女愛子様も加わってご一家で、御給桑と、繭造り用の器具である蔟に蚕を移す「上蔟」も行った」と載せた。

※2022年7月13日朝日新聞は「皇后さまが、皇居内の紅葉山御養蚕所で『御養蚕納の儀』に臨んだ。宮内庁によると、皇后さまは、純国産種の「小石丸」と、白繭、黄繭の生糸の束を供えた神前に拝礼した。同庁は同日、生糸の写真を公開した。同庁によると、皇后さまはコロナ禍に伴う様々な制約などがある中、無事に御養蚕納の儀を迎えられ、関係者に感謝の気持ちを示していたという。美しくつややかな生糸を見た皇后さまは、歴代皇后が大切に引き継いできた養蚕を今年も無事に終えられた事を、感謝の気持ちとともに、感慨深く思っている様子だったという。」と載せた(2022年7月13日)。

※2024年6月5日朝日新聞は「皇后さまは4日、皇居内にある紅葉山御養蚕所で、カイコに桑の葉を与える『御給桑』に臨んだ。今年は純国産種『小石丸』約5万頭などを飼育しており、この日は小石丸のカイコ400頭に桑の葉を一枚一枚丁寧に与えていた。カイコがすぐに葉の上に登ってくる様子を見て『もう(葉の上に)上がってきている』などと目を細めつつ、作業にあたっていた。養蚕は明治時代から皇后に受け継がれている伝統行事。」と載せた(2024年6月5日)。

 

 

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皇紀2600年奉祝式典に建築使用した「光華殿」は今いずこ

2025-01-24 22:32:44 | 皇室

 オリンピックを取り上げたメディアの記事のなかに、1940年に神聖天皇主権大日本帝国政府が実施した「皇紀2600年奉祝式典」の事に触れている事がある。ところでこの「式典」実施のために、皇居前に「光華殿」と名づけた「式殿」を建築した。現在その場所には存在しないため目にする事はできないのであるが、建物は1942年にそっくりそのまま「小金井公園」内に移築しているのである。そして、文部省国民錬成所の建物として使用したのである。

 敗戦後は学習院中等科の建物とされ、平成天皇が学んだりしたが、1993年には小金井公園」内に開設された「江戸東京たてもの園」の「ビジターセンター」とされ、「たてもの園」の出入り口兼休憩所として利用されている。

(2020年8月25日投稿)

 

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神武天皇没後2600年?皇太子一家が山陵参拝、なぜメディアはコメントしないのか?

2025-01-24 22:30:34 | 皇室

 ※天皇・皇后の神武天皇山陵への参拝についての考え方については

同ブログの別稿「神武初代天皇没後2600年?天皇皇后が山陵に参拝?歴史を捏造するな、天皇教復活の地ならしか?」を読んでくださいね。

 2016年7月22日の朝日新聞は、「神武天皇山陵を参拝」の記事を載せた。33面の下隅に小さな活字を使用して。小さな一家の写真を添えて。その記事は、

「皇太子ご一家は21日、奈良県を訪れ、神武天皇山陵を参拝した。愛子さまが参拝するのは初めて。今年は初代天皇とされる神武天皇の没後2600年にあたり、4月には天皇、皇后両陛下が神武天皇山陵に参拝している。」というものだ。

そして、それ以外には朝日新聞社の注釈やコメントは一切なかった。これでは、

朝日新聞は記事の内容について、すべて歴史的事実であるとみなしているような書きぶりである。このような記事の書き方で済ませて良いと思っているのであろうか。もしそうならば、朝日新聞は、読者に対してひじょうに不親切であり、読者は新聞社の思想的体質に対して不信感を持たざるを得ない。

読者は、

「神武天皇を初代天皇」としているのは、なのか?

また、「神武天皇」が存在したとしているのはなのか?

また、今年が神武天皇没後2600年である、とが決めているのか?

また、神武天皇山陵はいつどのようにして作られたのか?

以上の事について、歴史学の定説ではどのように説明されているのか?

などについて、きちんとした記事を書くべきであり、読者は読みたいのである。

記事として取り上げるならば、上記のような点に力を入れて、読者に伝えるべきではないか。それでなくとも昨今、「皇室に関する問題」が頻繁に話題となっているのであるから、いい加減な意識で記事を書き載せるべきではないと考える。

朝日新聞は読者に何を伝えたかったのだろうか?

(2016年7月26日投稿)

 

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神武初代天皇没後2600年?で天皇皇后が山陵に参拝?歴史を捏造するな、天皇教復活の地ならしか?

2025-01-24 22:28:13 | 皇室

 天皇皇后が4月3日、奈良県の橿原市にある「畝傍山東北陵」を訪れた。そこは、明治政府(伊藤博文)によって、皇室では「初代天皇」と位置づける「神武天皇」(歴史学では存在は否定されている)の墓所とされたところである。そして、今回の訪問は、神武天皇の没後2600年(戦後の歴史学では縄文時代)にあたるとして、参拝したとの事。

 いわゆる「神武陵」は1863年5月に明治政府によって工事は着工され、12月に終えた。この時「神武田」にある「洞村」という集落を撤去し、住民を追い出した。明治天皇は、1877年2月11日、「紀元節」が制定されて4年目に、「神武天皇陵」に参拝した。「神門」の外の左右には「大真榊」を立て大阪鎮台から歩兵一大隊が儀仗として整列した。天皇は「有栖川宮熾仁親王」らの皇族を従えて拝礼、「お告文(祝詞)」を奏した。

 1874年5月、明治政府の太政官は各府県に対して「御陵墓調査上古墳の届出方」とする通達を出した。太政官は「上世以来御陵墓の所在未定の分」について取り調べ中で、開墾などの時、「口碑流伝の場所は勿論其の他古墳と相見え候地」は、発掘などせず、「絵図面」などを付けて教部省へ問い合わせるようにせよ、と命じた。1880年11月には沖縄県を除き「再届出方の通達」を発し、古墳と思われるような土地は、個人所有であっても、みだりに発掘してはならない、などとした。1874年7月10日、明治政府は初めて自らの手で「神代三陵」を治定した。「大日本帝国憲法」や「皇室典範」を公布した1889年夏には「十三陵」を決定し、この年、歴代天皇陵すべてを治定した。

 伊藤博文は、「十三陵」を決めた際に、「条約改正の議起こるに際し、伯爵伊藤博文以為らく、万世一系の皇統を奉戴する帝国にして、歴代山陵の所在の未だ明らかならざるものあるが如きは、外交上信を列国に失う」事になるので、速やかにこれを検証し、治定し「国体の精華を中外に発揚」するようにしようとした(『明治紀第七』)、という。

 しかし、古代天皇陵について、当時同志社大学教授の森浩一氏は1986年6月8日の「毎日新聞」に述べている。「いまの指定のままでいいと言えるのは、天武天皇の野口王墓と天智天皇の御廟野古墳だけだ」と。

 メディアが、「神武天皇陵参拝」は天皇家の行事「宮中祭祀」(これは国家神道なる宗教行事)の一つであると書いている事についてであるが。「宮中祭祀」は現在においても基本的には1908年9月の「皇室令」第一号で制定された「皇室祭祀令」に基づいて行われているようだ。「宮中祭祀」には「大祭」と「小祭」の別があるが、これらの大半は、「明治維新後」に新たに作られたものである。「明治維新前」から行われていた祭典は、「大祭」では「神嘗祭」と「新嘗祭」及びその「鎮魂祭」のみであり、「小祭」では「歳旦」「祈念」「賢所御神楽」の三祭に過ぎないという。「紀元節」はもちろんの事「神武天皇祭」も存在しなかったという事である。「国家神道」の祭祀の基準として編成された「宮中祭祀」は、新たに作り出された国家宗教(国家神道、天皇教)の儀礼にふさわしく、新登場の祭祀が大半を占めたのである。

 4月3日(当初の3月11日を改めた)の「神武天皇祭」は敗戦まで国民の祝祭日(休日)としていた。「神武天皇祭」は、神武天皇の死去相当日に皇霊殿と陵所(墓所)において行う祭典であり、当日夜には特に神楽を奏奉して神霊を慰める「皇霊殿神楽」を実施していたのである。

 問題は、このような「神武天皇祭」を天皇皇后が「まことしやかな顔」をつくって参拝する事の意味である。科学的な研究の成果を認めない非科学的な大日本帝国憲法下の国家神道に基づく「宗教」行為を行ったという事なのである。そして、メディアがこの「参拝」について報道をしながらも(意図的に)ほとんど問題の重要性について「コメント」を発表しないという異様さ」を「主権者国民」は気づいているのかという点である。おそらくほとんど感じていないと思われる。主権者国民の「無知」につけ込んで、かつての「明治維新政府」が捏造整備した「現人神天皇制」と同じ思想に基づく、安倍自公政府の謀略と考えるべきなのである。

 今回の天皇の「神武天皇陵参拝」行為は「神武天皇」の「実在」を「捏造」しようとする「謀略」と捉えるべきなのである。子どもたちが学校教育で教科書で「神話」を学んでいるとすれば、子どもたちにとっては「神話」(作り話)ではなくなり、「真実」として受け止められていく効果を生むという事なのである。

 さらに、重要な事は、このような「私的であるとともに思想的に偏向し現憲法の定める政教分離原則を無視した無価値な行為」に主権者国民の納めた貴重な多くの「税金」が、「限られた為政者たち」によって「無駄遣い」されているという点なのである。

 最後に、1977年4月の参議院内閣委員会で社会党の秦豊氏が「陵墓」を「公費」で賄っているのなら、「発掘」させるべきだと意見を述べた事を紹介しておこう。「天皇陵は国民共通の文化財だが、宮内庁は陵墓としておさえ、学術調査の対象にはなり得ない、として拒んでいる。今後ともずっと拒否するのであれば、天皇陵の維持管理に関する予算は認めるわけにはいかない。内廷費に加えるべきだ国民の共通財産的な、歴史的価値あるものについて調査の対象にしてもらいたい、と言うと、それは拒否する、予算は国家のものを使います、天皇家の私的なものは守り抜きます。これでは憲法88条「皇室財産・皇室の費用」「すべて皇室財産は、国に属する。すべての皇室の費用は、予算に計上して国会の議決を経なければならない。」に誠実に対応しているとは、とても思えない

(2016年4月5日投稿)

 

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戦前国民に歌わせた紀元(皇紀)2600年奉祝歌と今もなお有効な神武天皇即位を紀元とする法律

2025-01-24 22:25:55 | 皇室

 神聖天皇主権大日本帝国政府は、アジア太平洋戦争での敗戦にいたるまで、臣民(国民)に対し、政府が捏造した、「神聖天皇による建国神話」を刷り込み洗脳し奴隷扱いし、世界制覇のために命をも軽く扱った。二度と同じ轍を踏んではならない。以下に、紀元2600年奉祝会と日本放送協会(現NHK)が制定した、奉祝国民歌『紀元(皇紀)2600年』の歌詞を紹介しよう。

1、金鵄輝く日本の 栄えある光 身に受けて

  今こそ祝え この明日 

  紀元は二千六百年 ああ一億の胸は鳴る

2、歓喜あふるるこの土を しっかと我ら 踏みしめて

  遥かにあふぐ おほみこと

  紀元は二千六百年 ああ肇国の雲青し

3、すさぶ世界に唯一つ ゆるがぬ御世に 生い立ちし

  感謝は清き 火と燃えて

  紀元は二千六百年 ああ報国の血は勇む

4、潮豊けき海原に さくらこぶしの 影おりて

  世紀の文化 また新た

  紀元は二千六百年 ああ燦爛のこの国威

5、正義凛たる旗のもと 明朗アジア打ち立てし

  力と意気を 示せ今

  紀元は二千六百年 ああイヤサカの陽は昇る

何と独善的な価値観を正当化し、それに自己陶酔した歌詞であろうか。

 

なお、神聖天皇主権大日本帝国政府が、その紀元2600年の紀元とした「神武天皇即位」を正当化する言葉を使用した法令が現在も効力を有している事を知っているだろうか。日本国憲法下において、今なおこの法令が効力を有している異常な状況を速やかに改めなければならないのではないだろうか。

 その法令は、1898年勅令第90号「閏年に関する件」で、その文章は「神武天皇即位紀元年数の4を以て整除し得べき年を閏年とす 但し紀元年数より660を減じて100を以て整除し得べきものの中、更に4を以てその商を整除し得ざる年は平年とす」というものである。

 このような非科学的で偏向した思想に基づいた神聖天皇主権大日本帝国政府によって定められた法令が、日本国憲法下の現在において効力を有している事は極めて異常であろう。戦前の為政者(戦後の自民党系)が敗戦後も天皇制を存続させる事に成功した事と大いに関係している事は明らかであろう。

(2019年12月8日投稿)

 

  

 

 

 

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