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NHK朝ドラ「エール」:実在した人物について捏造を加えた人物像を作り上げ視聴者(主権者国民)に刷り込むな

2020-05-18 23:17:28 | メディア

 2020年5月15日、NHKが、新型コロナの感染拡大防止のためとして、連続テレビ小説「エール」の放送を一時休止すると発表した。

 NHKによると、「エール」は、作曲家の古関裕而(1909~89)と妻の金子を「モデル」としているという事であるがどういう意味だろうか。「モデル」という意味は、事実ではありません事実には沿いませんという事であろう。そして、虚偽捏造も加えていますという事を意味しているのだろう。

そして、そのように視聴者自身が認識したうえで見てくれれば、そのようなドラマを放送しても別に問題はないと考えているという事なのであろう。つまり、視聴者が、主人公を、古関裕而ではなく、古山裕一であると認識したうえで、気楽に楽しんでほしいという事だろう。しかし、果たして結果的に実際はどうなっているであろうか。ほとんどの視聴者は間違いなく無意識に、小山裕一は「古関裕而」であるとして見てしまっていると言って過言ではないだろう。つまり、古山裕一を見ているという事は、古関裕而を見ているという事になってしまっているのではないだろうか。古山裕一を見た事をもって、古関裕而について知っているという事になってしまっているのはないだろうか。そう考えると、朝ドラ「エール」は、捏造した人物像を視聴者に伝え刷り込んで洗脳しているという効果結果を生み出しているという事なのである。それはまた、NHKの手法は、歴史修正主義(安倍自公政権、日本会議)の手法につながるものであるとも言えるのである。

 公共放送であるNHKが、上記のような結果効果影響を生み出している放送の手法をとって良いものだろうか。視聴者(主権者国民)にすればNHKの朝ドラ制作の手法に対して不信や危うさを感じるものであり、断じて許してはならない手法であると考える。

 神聖天皇主権大日本帝国政府下において、古関裕而作曲(作詞は野村俊夫)した有名な作品に、1940(昭和15)年に伊藤久男が歌った「暁に祈る」がある。軍歌である。歌詞は、

「ああ あの顔で あの声で   手柄たのむと 妻や子が

 ちぎれる程に 振った旗    遠い雲間に また浮かぶ」

というもので、松竹大船映画の「征戦愛馬譜 暁に祈る」(佐々木康監督、徳大寺伸・夏川大二郎・田中絹代主演)の挿入歌であった。

 「暁に祈る」という言葉にはまたもう一つの意味があった。

 敗戦後、モンゴル人民共和国の首都ウランバートル日本人捕虜収容所に収容されていた池田重善が、同じく収容されていた日本人捕虜に私的制裁を加え死亡させた事件(1949年、同じ収容所の生き残りである笠原金三郎吉川慶作から告訴され、同年7月14日に池田は逮捕され、裁判の結果、懲役3年の実刑判決が下った)がからんでいる。訴えによると池田は、収容所内で「吉村」と自称し、隊員は彼を「吉村隊長」と呼んでいたが、ソ連(現ロシア)人との間に立って隊員に過酷な労働を強制し、ノルマを達成できない隊員を絶食のリンチに処した。吉村の部屋の前の木に半裸で縛りつけられた体力の低下した隊員は、夜間の厳しい寒さのために凍死する者が30人にも及んだ。夜が明けてみると、木に縛られたまま、うなだれて死んでいる姿が「暁に祈」っているようにみえたので、当時この私刑を収容所内で「暁に祈る」と呼んだという。

 実在した人物を、安易に都合よく捏造を加えて放送すべきではない。特に公共放送という責任を改めて自覚すべきである。

(2020年5月18日投稿)

  

 

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