つれづれなるままに心痛むあれこれ

知る事は幸福度を高める

国立「昭和館」の展示は偏向した歴史認識に依拠:侵略戦争と認めず自衛戦争であると。

2023-09-27 07:52:11 | 戦争遺跡

 2020年5月11日の朝日新聞記事「戦争 あのころの日用品」という見出しで、「戦争を体験した祖父母の日記や手紙、日用品を見つけたら、歴史資料として収集し、公開している施設があります」という事で、国立「昭和館」を紹介していた。

 国立「昭和館」は1999年3月27日に開館したが、その設立趣旨HPでは、「主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後(昭和10年頃から30年頃まで)の国民生活上の労苦についての歴史資料、情報を収集、保存、展示し後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設です」としている。これには、1999年1月15日の「日本遺族通信」が掲載した、「当時本会「日本遺族会」は厚生省に対し、『苦労した戦没者遺児に対する慰めの気持ちを形に表すと同時に、悲惨な体験を繰り返さないため戦争の本当の姿を後世代に伝える』ことの趣旨で『戦没者遺児記念館(仮称)』の設立を要望した」という日本遺族会の要望が背景にあった。

 このように国立「昭和館」は特定の思想や歴史認識をもつ「日本遺族会」(自民党支持母体の一つ。遺族会には別の思想や歴史認識をもつものが存在する)の立場に立った施設であり、歴代の自民党系政府は、「日本遺族会」にその運営を委託してきた。しかし、「日本遺族会」は、アジア・太平洋戦争を自衛戦争(侵略戦争ではない)と主張し続けているとともに、首相閣僚及び天皇による靖国神社「公式」参拝などを強く要望しており、実態は国家神道宗教団体と言って良く、極めて偏向した思想や歴史認識を持つ組織であると言って良い。「日本遺族会」は国立の建造物である「昭和館」を運営する資格はないのではないだろうか。

 自民党政権が設立した国立「昭和館」とは、「公正・中立」という言葉で主権者国民を欺瞞し、特定の巨大な宗教組織「日本遺族会」の立場を代弁するとともに、侵略戦争の真相を隠蔽する役割を担っているのである。

 「戦中・戦後の国民の労苦」という展示(千人針、必勝、お国の為に、一億一心、大東亜戦争、愛国心、昭和天皇がキーワード)については、「人を殴っておいて『手が痛い』と言っているのと同じである。他国を侵略しておいて、自分たちの苦しみだけを強調するものである」と評価されている。

 上記のような偏向した展示内容だけを後の世代に伝えても、アジア・太平洋戦争からの本当に役に立つ教訓は得られないという事は今日世界的な常識であるという事を、安倍自公政府は認めるべきである。しかし、できないだろう、彼らは神聖天皇主権大日本帝国への回帰を目指しているのだから。主権者国民は、彼らに期待するのを諦めて、彼らを打倒し新しい政権を樹立する道を選択しかない事にそろそろ気づいても良い頃だ。手遅れになる前に。

(2020年5月19日投稿)

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日本の神々の恐るべき素顔!若者は利用されている!

2023-09-27 07:45:32 | 宗教

 近年日本では「神社」ブームが巻き起こっている。全国の神社の祭礼に多くの若者たちが集っている事が、メディアで取り上げられている。特に東京では「靖国神社」がダントツで毎年7月13日~16日までの4日間夜6時から行われる「みたままつり」の祭礼に毎年30万人以上の若者たちが集っている事が取り上げられている。
 靖国神社の祭礼には本来「みたままつり」は存在しなかった。日本国憲法施行直後の1947(昭和22)年7月から実施されるようになった。その祭礼の中身は「靖国神社の概要」に「いわゆる『お盆』にあたる」と書かれているが、こんな事があっても良いのか、おかしな話ですが、本来は仏教行事である「盂蘭盆会」を、神社にとって都合の良い新しい理屈を作り、取り入れて作った(仏教寺院において盆行事は施餓鬼つまり無縁仏への供養という性格を多くもっているのに対し、「みたままつり」は自社祭神のみを対象とする逆の性格をもつ祭礼となっている)ものです。今年も「みたままつり」がもうすぐやってくるが。
 これまでその祭礼には参道の両側に驚くほどたくさんで長い距離の提灯(献灯)の壁(大小3万を超えるという)がつくられ、屋台(露店)が延々と並び、見世物小屋なども作られる。また、神輿振りや青森ねぷた、徳島阿波踊りなどの奉納行事、また、能楽舞台ではプロのバンド演奏も行われている。

つのだひろバンドの締めの曲は「ありがとう」ですが、その歌詞は以下の通りです。

「あなたがいたから、こうして僕は、どうにか暮らしてゆける
 あなたたちが僕らの住む、日本の国を守ってくれたから
 尊い命を未来のために、すりへらして下さった
 言葉だけじゃ言いきれない、心から愛の気持ち届けよう

 ありがとう祖先のみなさま
 ありがとうおじいちゃんおばあちゃん
 ありがとう親父とおふくろ
 あなた方のおかげです

 あなたがいたから、胸を張って生きられる
 あなたたちが僕らの住む、日本の心残してくれたから
 あなたの苦労が根っ子となって、花咲かせ実を結ぶ
 言葉だけじゃ言いきれない、心から愛の気持ち届けよう」
 
 毎夜明りに集まる虫たちのようにたくさんの若者たち、それも高校生や大学生たちが集まってきて気持ちを一つにして共に歌い盛り上がっている。
 若者たちよ!あなたがたは、この歌をこの靖国神社の場で歌う事で、国のため(=天皇のため)、(国=天皇が正当防衛とみなした)戦争を、戦い亡くなった祖先を、ほめたたえるべき存在であると評価すべきだという事と、自分たちはその子孫であるから自分たちは立派な人間なのだという誇りをもって生きる事ができる存在なのだという事を主張し、そのような生き方が正しい生き方である、自分たちも祖先の気持ちを忘れず祖先と同じように生きよう、と訴えているのですか。しかし、その意識は君たちの祖先が戦前の大日本帝国下の学校で社会で教育され強いられた国家神道にもとづいた意識とまったく同じなのです。以下は尋常小学校教科書で修身巻四「靖国神社」の文章ですが、比べてみてください。

「靖国神社は東京の九段坂の上にあります。この社には君のため国のために死んだ人々をまつってあります。春と秋の祭日には、勅使をつかわされ、臨時大祭(合祀祭)には天皇・皇后両陛下の行幸啓になることもございます。君のため国のためにつくした人々をかように社にまつり、又ていねいなお祭りをするのは天皇陛下のおぼしめしによるのでございます。わたくしどもは陛下の御めぐみの深いことを思いここにまつってある人々にならって、君のため国のためにつくさなければなりません。」

 現在、若者たちは、祖先に対して、天皇制大日本帝国時代と形は違えど同様な顕彰の声をあげています。しかし、そうされる事を、祖先は本当に喜んでいるだろうか。祖先はそのように顕彰される事を決して望んではいないと思う。君たちは、祖先を大切に思うならば、天皇たち為政者が彼らの目的を達成するために、彼らが作った荒唐無稽な宗教「国家神道」を「国民道徳」として例外なく強制し、祖先の心に刷り込み洗脳し、兵士として戦場へ向かう事を強制し、死の淵へ追いやり、死後は再び銃後の国民に対して軍事教育をするために靖国神社で祭神として祀り利用してきたという理解の仕方が、また現在君たちが、現在の天皇や安倍政権ワールドに利用されているのだという理解の仕方が必要です。君たちの行っている事は祖先の本当の心を理解するというところまで到達していないのです。君たちは今再び安倍政権ワールドによって、君たちの祖先がたどったのと同じ道をたどるために利用できる人的資源として洗脳をされているのです。

 君たち若者のこのような行動現象は、自然に起こってきたものではありません。この背景には当然仕掛け人が存在し、その人たちによって動員をかけられた人たちがおり、さらにまたその動員をかけられた人たちが集客活動をしている結果です。その仕掛け人は全国的なネットワークを築いている宗教団体であり、政治団体です。
 
 敗戦後、日本の為政者は天皇主権の大日本帝国で国家神道の頂点に位置づけられた天皇家の祖先神を祀る伊勢神宮と車の両輪をなす靖国神社を解体せず、政教分離の原則と信教の自由、国民主権などを定めた民主的な日本国憲法の下で、宗教法人として残してきた。占領軍も靖国神社の廃止を要求しなかった。占領軍は、靖国神社を宗教的性格をもたないメモリアルとして戦没者の国家施設にするか、民間の宗教施設として残すか、日本政府の選択に任せた。日本政府は民間の宗教施設とする選択をした。その結果、国家神道の組織下にあった日本全国の神社のほとんどは伊勢神宮を頂点「本宗」とする「神社本庁」に改組して戦前と同様の活動を継続し、靖国神社とそのネットワーク(護国神社)もそのまま存続し「神社本庁」との連携を緊密に維持し戦前と同様の活動を継続している。神社本庁の教義は、「神社本庁憲章」(1980(昭和55)年制定)と「敬神生活の綱領」(1956(昭和31)年制定)にうかがえるが、前者では「伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する」とあり、後者では「神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培い太平を開く基である。神慮を畏み祖訓をつぎ、……神の恵みと祖先の恩に感謝し、……神のみこともち(臣下)として世をつくり固めなすこと、……大御心をいただきて睦み和らぎ、……」とあり、戦前と変わらない内容である。
 
 靖国神社は、1952年9月30日に「靖国神社規則」と「靖国神社社憲」を定めたが、「靖国神社規則」の第3条には「国のために(=天皇のために忠義を尽くして)死んだ人を神として祀って、神道祭祀を行い、神の徳を広めて、この神社を信奉する祭神の遺族や崇敬者を教化育成する」とあり、こちらも戦前とまったく変わりがない内容である。つまり、占領の終結とともに、戦前の役割を公然と復活させ活動しているのです。
 伊勢神宮も靖国神社もどちらも、敗戦後新憲法が施行されても、戦前と同様の体質を意図的に残したまま活動しているが、対象となる氏子についても、戦前と変わらぬまま彼らの側から一方的に「国民全員」と決められている。

 憲法違反に当たると考えられるが、これらの宗教団体はポツダム宣言や日本国憲法、東京裁判などを全面否定している。だから、戦後の新憲法体制を否定し、一貫して元首としての天皇制への回帰、神聖なる天皇を神としていただく国家神道復活など戦前の大日本帝国への回帰(戦前回帰)を活動目標としている。そして、この宗教集団であるが政治集団でもある宗教集団ネットワークは安倍政権ワールド(日本会議など)とも緊密な関係を維持して大きな影響を与えています。これまでの大きな活動としては「首相の靖国神社公式参拝実現運動」「紀元節復帰運動」「皇室典範の改正反対」「原子力発電への支持運動」「選択的夫婦別姓反対運動」「永住外国人地方参政権取得反対」などがある。

 自民党安倍政権ワールドは、すでに今の若者たちをターゲットとして憲法改正草案の前文に「国と郷土を誇りと気概を持って、自ら守り……」という言葉を入れており、「神社ブーム」を作り出し、若者の意識をその方向へ導こう世論操作を進めている。

若者たちよ!! 今、恐ろしい日本の神々に狙われているぞ!!心も身体も生命も

(自民党憲法改正草案前文)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、……。日本国民は国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、……、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。……日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、この憲法を制定する。

(2020年8月30日投稿)
 
 

 

 
 

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オバマ広島演説:巧言令色鮮し仁、詭弁欺瞞に満ちた傲慢な自己正当化?

2023-09-26 20:09:09 | 核兵器

 観光農園「世羅ゆり園」はオバマ大統領を称賛するのをやめよう。「花絵」それも「オバマ大統領」の「花絵」で「平和」が広がるほど世の中甘くない。「平和」は天から降ってくるものではない、「日々の闘い」や、「異議申し立て」をする事でしか得られない。オバマ大統領に、そして安倍政権に対して。

エドワード・サイートの言葉を紹介します。

沈黙というのは最悪の選択である。批判し続けるところからしか希望は生まれない

 

 以下の文章は、「核兵器禁止条約」に対する米国の、そして、安倍政権の欺瞞的な態度に抗議の意味を込めて、2016年6月10日に投稿したものを、改めて投稿しました。

 オバマ広島演説は、多くの人々が賛同し否定できない理念が随所にちりばめられていた。それは、

「国家は人々を犠牲と協力で結びつける物語を伝え、顕著な業績を可能にしながら台頭します。しかし、それらの同じ物語は、幾度となく異なる人々を抑圧し、その人間性を奪うために使われてきました。」

「私たちは、歴史を直視する責任を分かち合っています。そして、こうした苦しみの再発を防ぐためにどうやり方を変えるべきなのかを問わねばなりません。」

「私たちは戦争そのものへの考え方を変えなければいけません。それによって、外交を通じて紛争を防ぎ、すでに始まった紛争を終わらせる努力をしなければなりません。相互依存の高まりが、暴力的な競争の原因になるのではなく、平和的な協力を生むものだと考えるのです。」

「私たちは一つの人類の仲間として、互いの関係を作り直さなければいけません。……私たちは学び、選ぶことができます。人類が共通の存在であることを描き、戦争をより遠いものにし、残虐な行為は受け入れられがたいような、異なる物語を私たちは子どもたちに伝える事ができます。」

「「すべての人は等しくつくられ、生命、自由、幸福追求を含む、奪われることのない権利を創造者から授けられた」。……これらが、私たち全員が伝えていかなければならない物語なのです。」

「広島と長崎が「核戦争の夜明け」ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まり」

などである。

 

しかし、それと同時に、日本国民の声を無視した欺瞞的な虚偽の判断や、組織と条約への自らの消極的否定的対応を形式的表現ですませたり、詭弁を弄して自己の政策を正当化したり自己の真実の姿を隠蔽している。それは、

「あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択をしてきました。米国と日本は同盟だけでなく、私たちの市民に……友情を築きました。」

「国際社会は戦争を回避し、核兵器の存在を制限し、縮小し、最終的には廃絶するために働く組織と条約をつくりました。それでもなお、世界で目の当たりにする国家間のあらゆる攻撃的行動、あらゆるテロ、腐敗、残虐性、抑圧は、私たちの仕事に終わりがないことを物語っています。」

「私たちは、人間の悪をなす能力をなくすことはできないかもしれません。だからこそ、国家や私たちが作り上げた同盟は、自衛の手段を持たなければなりません。」

「しかし、私の国のように核を保有する国々は、恐怖の論理にとらわれず、核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければなりません。」

などにみられる。

 

その事は、ここ最近の同盟下の日米両政府の動きをみると理解できるのではないだろうか。

①オバマ政権は、今後30年間で1兆㌦(約110兆円)を投入し、新型の核巡航ミサイルなど核兵器の近代化計画を進める。

②国連軍縮作業部会(2016年5月)では、核兵器禁止条約に反対する米国など核保有国は会議をボイコットした。米国の「核の傘」の下にある日本政府は「反対」した。日本政府は「進歩的アプローチ」という、徐々に核廃絶を進める立場をとるが、時期目標を示さないのは、その本音が米国支持であり作業部会を攪乱混乱させる役割を担っているためである。

③安倍政府は、2014年4月1日「防衛装備移転三原則」制定により、武器輸出を支援して海外市場を開拓し、「米国型の軍産複合体」を築く事を目指している。

④沖縄での元米兵による死体遺棄容疑事件で、2016年6月4日、カーター米国防長官は、沖縄県が求める日米地位協定の改定ではなく協定の運用見直しで合意した。

⑤2016年6月2日、カーター米国防長官は米軍普天間飛行場の辺野古地区への移設計画について、改めて計画変更はないという認識を示した。

⑥2016年6月4日の日米韓3か国防衛相会談(シンガポール)で「北朝鮮に対するミサイル防衛の合同演習」実施を確認した。同年3月7日から4月末には「史上最大の米韓合同演習」を実施した。←同年4月23日北朝鮮の外相はAP通信とのインタビュー(米ニューヨーク)で、「米国が朝鮮半島周辺での韓国との合同軍事演習をやめれば、北朝鮮も新たな核実験をやめる用意がある」と発言。某ブログ「朝鮮国問題の根源はアジア太平洋戦後の米政府の朝鮮半島処理政策にある」も参照してください。

⑦2016年5月23日、オバマ大統領はヴェトナム訪問中の2016年5月23日、ヴェトナムに対する武器輸出を全面解禁すると発表した。中国に対して米越の連携を強めるためといわれる。

 ⑧世界初の核実験が行われた米ニューメキシコ州トリニティ・サイトの周辺住民がオバマ大統領に「私たちの所にも来て、実態を見てほしい」と健康被害を訴えている。

 ⑨「米海兵隊研修資料」には沖縄に対する偏見が見られる。

基地問題に関する沖縄世論について「論理的というより感情的」「二重基準」

沖縄の政治状況について「基地問題を『てこ』として利用する」

米兵による事件や事故について「歴史やその解釈が反基地の物語を生み出し、事件や犯罪、事故など全てを否定的に捉えさせ、必要以上の注目を集める」「メディアや地元の政治は半分の事実と不確かな容疑を語って負担を強調しようとする」

日本政府の基地問題への対応について「交渉や話し合いは(計画の)実現よりも結果を取り繕う事を重視する官僚によって主導されている」

普天間飛行場の移設問題に関する政府の県内移設方針について「本土に代替地を見つけられないから」

名護市辺野古について「漁業やジュゴンに悪影響与える事から評判が悪い」

沖縄の人々について「一般的に限られた情報源しか持っておらず、情報を得るための努力をしない」 「住民の大半は沈黙しているが、反基地を訴える少数派の声が地元メディアによって増幅されている」「多くの人々にとって軍用地料が唯一の収入で、土地の返還を望んでいない」 

⑩安倍政府は「駐留軍等の再編の円滑な実施に関する特別措置法」を改正し、「米軍再編交付金」の支給対象を、現行の市町村に加え、自治会や都道府県へと拡大する方針を固めた。沖縄県の辺野古移設反対運動を懐柔分断する事が狙いである。

(2016年10月7日投稿)  

 

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スリランカ(入管内で死亡したウィシュマ・サンダマリの出身国)やインドも爆撃した神聖天皇主権大日本帝国政府

2023-09-19 09:17:34 | アジア・太平洋戦争

 2021年9月9日の朝日新聞「特派員メモ」が「スリランカ」に関する事を取り上げていた。元大統領ジャヤワルデネ氏が1951年のサンフランシスコ講和会議で、仏陀の言葉を引き「憎しみは憎しみによってはやまず、ただ愛によってのみやむ」として、「スリランカを空爆した日本に対し、賠償請求権の放棄を表明し、厳しい制裁を求めた他の戦勝国を諫めた」と。

 ところで神聖天皇主権大日本帝国政府は、現在の国名でいえば、インド、バングラデシュ、スリランカにも攻撃をし、占領し大きな被害を与えていた。

 1942年3月には大日本帝国軍は、アンダマン諸島、ニコバル諸島に上陸し45年7月まで占領していた。しかし、補給を断たれて食糧不足に困ったため、島の住民の中で軍に直接役に立つ住民だけを残し、他の住民をすべて射殺したり、生きたまま海中に沈めたりして「始末」していた。

 43年4月にイギリス軍が潜水艦によってアンダマン諸島に突撃隊を上陸させてきた。これに対して大日本帝国軍は、イギリス軍の情報を手に入れるために、住民を捕え、英語の分かる住民に対して拷問を加え、多くの男女と子どもを殺していた。

 また大日本帝国軍は、1942年4月には、南インドヴィシャーカパトナムカーキナーダセイロン島(スリランカ)コロンボトリンコマリー爆撃していた。42年末から43年にかけては、カルカッタ(コルカタ)、チッタゴン、マニプールにも、43年10月には南インドマドラス(チェンナイ)、43年12月には再びカルカッタ(コルカタ)爆撃していた。そのため民間人農民多数の死傷者が出ていた。特にビルマと接するマニプール州には繰り返し爆撃し多くの死傷者が出ていた。

 加えて43年から44年にかけて、ベンガル地域では飢饉が起こり、350万人餓死者が出ていた。

 そして、東条英機首相は、ビルマからインドへの侵略を決定し、44年3月には白骨街道という言葉で有名なインパール作戦を開始した。作戦指揮は川辺正三中将と日中全面戦争のきっかけとなった盧溝橋事件の当事者である牟田口廉也中将であった。兵力10万の内7万5千人死傷者を出して7月には中止し失敗した。

(2021年9月10日投稿)

  

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天皇がヴェトナム晩餐会の「お言葉」で触れなかった事が天皇の正体を浮き彫りにする。

2023-09-19 01:06:06 | ヴェトナム戦争

 日本とヴェトナム(ヴェトナム民主共和国)との外交関係が樹立されたのは、1973年9月21日にパリにおいてヴェトナム戦争の和平協定が調印された時であった。その後、紆余曲折があったが、1992年以降、両国間の外交・貿易関係は復元し発展を遂げてきた。

 そして、2017年2月28日、天皇皇后は初めて訪問し、ヴェトナム社会主義共和国国家主席主催の晩餐会において「お言葉」を述べた。その内容は、古代から現在までの日本とヴェトナムとの交流史のなかで、友好的な印象を受ける事柄についてであった。天皇制大日本帝国政府のヴェトナム侵略の罪業と、敗戦後に自民党政府が沖縄県民に対し、米国によるヴェトナム戦争の後方基地として犠牲を強いた歴史と、現在の安倍政権が沖縄の米軍基地を維持強化しようとしている事(辺野古新米軍基地建設)に波及していく事を避けたためである。

 しかし、それは交流史のなかでも、現在のベトナム国民(1976年からヴェトナム社会主義共和国が気分を良くする事や日本に対する印象を悪くさせない「明るい部分」だけを取り上げており、ヴェトナムに対して行った日本の「罪業」や「暗部」については一切触れていない。この事は、ヴェトナム国民だけでなく、日本国民、なかでも沖縄県民をも欺瞞するものであり、科学的研究の成果を否定し、歴史を修正する効果を狙った行為というべきである。

 たとえば、「東遊(ドンズー)運動」について、その運動に大日本帝国政府がどのように対応したのかという点を触れていない。「東遊運動」はファン・ボイ・チャウが起こした、ヴェトナム青年をフランスからの独立運動戦士として育てるために日本留学させる運動で、1905年~09年までの4年間に約200人が日本に留学した。しかし、1907年6月、大日本帝国政府はフランス政府との間で、フランスがヴェトナムを支配する事と、日本が朝鮮を支配する事を、互いに認め合う「日仏協約」を結んだ。そして、フランス政府は日本政府に「ヴェトナム独立運動」の取り締まりを求めたのに対して、日本政府はヴェトナムの留学生、そしてファン・ボイ・チャウも追放し「東遊運動」を粉砕したのである。

 アジア太平洋戦争においては、大日本帝国軍(皇軍)はヴェトナムで「略奪」の限りを尽くした。家屋、車両、船舶を没収し、あるいは住民を追い立てて土地を占拠して、飛行場にしたり要塞を築いたりし、あるいは牛、豚、鶏を奪って兵士に与え、あるいはどこでも農民の熟した稲を刈って馬に食わせ、こうして一束のわら、一束の野菜、一個の卵にいたるすべてを略奪した。また、石炭、米、とうもろこしを日本に飢餓輸出する事を強要した。その結果、1945年には200万人にものぼるヴェトナム国民が餓死に追い込まれた。これは当時の人口の1割に近かった。

 1954年~1975年までは、ヴェトナムは北部(1945年9月2日にヴェトナム独立同盟の指導者であったホーチミンを大統領として樹立されたヴェトナム民主共和国)と南部(ヴェトナム共和国)に分断され、日本政府は南部だけと経済関係を維持した。また、日本政府はアジア太平洋戦争敗戦後は米国に強く依存従属するようになったため、インドシナ戦争の休戦協定(ジュネーブ協定)の調印を拒否した米国が、ヴェトナムの南北統一に猛反対していたゴ・ジンジェムを大統領として樹立した南部のヴェトナム共和国を承認した。

 1965年から米国は、南ヴェトナム人民が結成した南ヴェトナム民族解放戦線(ヴェトコン)を支援した北部のヴェトナム民主共和国への爆撃(北爆)を開始した。その時の米軍の爆撃機の基地は米国軍政下に置かれていた沖縄県であった。1965年5月7日、佐藤首相は米国のヴェトナム民主共和国への爆撃に対し支持を表明政府見解は「米国軍が沖縄の基地をどう使おうと、日本政府は口出しできない」という事であった。そして、日本本土は朝鮮戦争に次いでヴェトナム戦争によっても高度の経済成長を獲得したのであった。つまり、米国の戦争に加担する事によって経済成長を獲得したのであった。ちなみに、ヴェトナム戦争でのベトナム人死者は1995年公式発表で300万人強(アジア太平洋戦争での日本人死者数と同じ)という。また、米国軍の砲爆弾使用量は、太平洋戦争で日本本土に投下した量の900倍ともいわれる。

 「佐藤首相の北爆支持」に関して、鶴見俊輔『戦時期日本の精神史』は「本土の日本人は……この(平和憲法があって戦争参加が許されない)状態を賛美する事ができたのに対して、沖縄に住む日本人は、ヴェトナム戦争を自分が助けているという事に対する現実認識をもっていました」と述べている。

 ヴェトナム戦争に結果、沖縄県では、基地拡張のための新たな土地取り上げや、様々な事故などによる被害が続発し、1968年11月にはB52爆撃機が嘉手納基地で墜落大爆発を起こした事もあって、祖国復帰運動が盛り上がり、基地機能の低下を恐れた米国は施政権の返還を決意したのである。沖縄県は日本復帰本土復帰に際して、「米軍基地の存続や自衛隊の配備に反対して、基地のない平和の島(核抜き本土並み)としての復帰を希望する建議書をまとめたが、佐藤政権は国会で取り上げる事もせず沖縄返還協定と関連法案強行採決し、1972年5月15日、返還協定は発効(核兵器の沖縄配備容認の密約が交わされていた)した。

 改めて天皇の「お言葉」を読み、腰をかがめ耳を傾けて元残留兵の妻へ「いろいろご苦労もあったでしょう」という天皇の話しかけに対して人々が感謝感激する姿をも含めて、天皇は国民に対してどのような役割を演じ果たしているかを考えると、現行天皇は、安倍政権を補完する役割を果たしている事が明白であり、近代日本、特に敗戦後の政治権力は天皇と内閣がセットで補完し合って機能するようになっており、互いにそれぞれの与えられた役割(天皇=権威と内閣=権力)を演じ果たす事によって、国民支配を巧妙にできる二重構造となっているという事である。この構造は昭和天皇についても同様で、自民党内閣とセットであった。

 天皇は、安倍内閣と互いに補完し合う関係を拒絶し、昭和天皇の罪業について自身に都合の悪い事には無関心な態度をとるのは非常識で、すべてを継承し自身の姿勢を明らかにしなければならない事を自覚し、自ら新たな罪業を生み出す事のないように、上から目線の傲慢な考え方や「思いに寄り添う」などの同情同情は相手を対等と認めず差別以外の何物でもない)と同義の言葉を使用する事もやめ、「ひざまずいて話す」事によって「寄り添う」ように見せるという演技演出(最近、安倍首相もそれが国民に与える効果に気づきまねるようになった)もやめ、国内外を問わず「罪業の謝罪と人権平和のために尽くす事を誓う旅」こそ積極的に行うべきである。沖縄県民の下へ、「反戦平和」を主張した事を治安維持法違反として処罰した人々の下へ、政府の侵略戦争行為により生じた空襲で被害を受け人生が歪められた人々の下へ、等々……。

 2016年8月の「お言葉」に「人々と共に過ごして来ました」「常に国民と共にある」「国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう」など、「国民と共に」という言葉を多用しているが、それは自分が見えていない自己中心で自己満足の言葉である。「共に」生きるためには努力がいる。それは、相手を理解するための努力と、相手に自分を知ってもらうための努力である。そしてその際に、自分の価値観を押しつけない事である。押しつけのある関係では「共に」生きる事はできないのである。天皇は自己の「価値観の押しつけ」によって国民生活を歪め統制している事を自覚すべきである。

 それを解消するためには天皇は何をすべきか。それは、憲法の「政教分離原則」を遵守する事である。具体的には、「古事記」「日本書紀」に基づく皇室神道(かつての国家神道の核)への信仰やそれに基づく行為をやめる事である。天皇という「公人」が宗教行為を公然と行う事、そのために「公金」(税金)を使う事は「憲法違反」で許される事ではないと定めた「憲法」に主権者である「国民」が賛同しているからである。

(2017年3月5日投稿)

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