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安倍自民党政権馳浩文科相の朝鮮高校無償化除外は世界の常識と憲法を無視した政府押し付けの民族差別

2025-01-15 13:36:47 | 教育

※2016年3月30日投稿の『文科相が朝鮮高校の無償化除外の上、自治体に補助金再考(差し止め)を通知』を再度投稿しました。なお、最高裁第三小法廷(山崎敏充裁判長)は2019年8月27日付の決定で、大阪高裁判決(授業料無償化の対象から除外した処分は適法)を支持し、学校側の上告を退け学校側の敗訴が確定した。

「教育への権利」の「無差別平等」原則は、「世界人権宣言」「子どもの権利条約」「人種差別撤廃条約」などに明記されており、世界の原則であり常識である。しかし、安倍自公政権にとっては非常識な事のようである。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」である。

 馳浩文科相は3月29日、朝鮮学校への自治体の補助金について、再考を促す異例の通知を朝鮮学校68校(6校は休校)がある28都道府県に出したという。「北朝鮮と密接な関係がある朝鮮総連(在日本朝鮮人連合会)が教育内容や人事に影響している」と指摘し、生徒への影響に配慮しながら補助金の公益性や効果の検討などを依頼したという。同日の記者会見では「(通知は)留意点を申し上げただけ。減額しろとか無くしてしまえとかいうものではない」と強調したが、通知後の各自治体の対応については把握するという。

 文科省によると、日本全国の朝鮮学校には約6400人の児童生徒が通う。2014年度は18道府県と114市区町が朝鮮学校や生徒らに補助金を出しており、総額は約3億7千万円であったという。

 今回の馳浩文科相の通知は、朝鮮学校へ補助金を出している自治体に対する、陰険な「止めさせるための圧力」以外の何物でもない。朝鮮学校へ通う児童生徒やその保護者は、消費税を含めて様々な税金を納めているにもかかわらず、また彼らが日本で国民に脅威を与える行動をとっているわけでもないのに、政府からは出さず、自治体にも補助金の差し止めの圧力をかけるという行為は、世界の先進国では「日本」ぐらいであろう。また、安倍自公政権は自身の政治は「正常である」と思い込んでいるようだが、私は「異常である」と考えるが、もし、安倍自公政権下の「日本人学校」に対して外国政府が同じような事をする事が起きたら安倍政権はどういう反応し対応を取るであろうか。そういう意味で安倍政権は異常である。恐ろしいほどに「傲慢」であるといえる。また、日本国は、政府自体が「人権侵害」(差別)「ヘイトスピーチ」を率先して行っている国になっているという事である。ついでに言えば、その安倍自公政府が「ヘイトスピーチ」を規制するためにどんな法律を作ろうとしているのか興味深い。

さてもし、各自治体が馳浩文科相(安倍自公政権)の意向に沿わない場合、馳浩文科相他の補助金で減額したりなどの嫌がらせをするであろう事も、容易に推察できる。それほど質の悪い安倍自公政権なのである。やくざも詐欺師も「脱帽」である。以下はこの件について以前に書いたこれまでの経過である。

 2016年2月17日、自民党は「北朝鮮核実験・ミサイル問題対策本部」や「拉致問題対策本部」などの合同会議を開催。

 そこで、「北朝鮮」に対する日本独自の追加制裁として、文科省が「公益性の観点から朝鮮学校への補助金の支給が妥当かどうか厳密にチェックするよう地方自治体に求める文書を出したい」という考えを示した。

 「高校無償化法」(公立学校等に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律)は民主党政権下の2010年1月に制定され4月から実施された。公立学校の生徒は授業料を払わなくてもよくなったし、私立や外国人学校などの生徒は就学支援金を支給されるようになった。しかし、朝鮮高校の生徒には、いまだに適用されておらず、支給されていない

 高校無償化法の制度目的は、第1条に「教育にかかる経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与する事を目的とする」とあり、子供の教育を受ける権利の保障である。施行規則第1条には、就学支援金の支給対象として「専修学校及び各種学校」第1項第2号は「高等学校の課程に類する課程を置くと認められるものとして文部科学大臣が指定したもの」とあり、朝鮮高校も支給対象となった。2010年8月の「高等学校就学支援金の支給に関する検討会議」報告書は、「外国人学校の指定については外交上の配慮などにより判断すべきものではなく、教育上の観点から判断すべきものであるという事が、法案審議の過程で明らかにされた政府の統一見解である」としている。

 しかし、安倍自公政権2013年2月20日に、「無償化法」を改悪し、朝鮮高校を「対象外」とした。「審査中」で先延ばしした挙句に、法律を変えて審査対象から外したのである。国連の社会権規約委員会が「人権侵害(差別)」と批判したが、下村博文文科相は5月24日、「状況を理解していない中での見解だ」と反論し、他校の在日コリアンには適用している点などを理由に「民族差別ではない」、「朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)と密接な関係にあり、法令に基づく適切な運営の確証がもてない」と主張し押し通した。

 現在、朝鮮高校生約200人が原告となって全国5カ所で無償化の適用を求める訴訟を闘っている。

 「朝鮮学校を支える宝塚市民の会」では、2010年4月に実施された「高校無償化法」から朝鮮高校だけが除外されているため、1人でも多くの市民に朝鮮高校の生徒たちの姿を見てもらい、理解してもらおうと、2010年12月から毎年1回、神戸朝鮮高校吹奏楽部を招いてソリオホールでコンサートを開催してきました。2014年1月からは、第4回のコンサート(2013年12月)での学生のアピールに応えて、毎月2回、高校無償化適用を求める街頭署名を続けている。宝塚陸橋での座り込み街頭宣伝は、5回目となる。今年も2月20日に座り込みを実施している。

 安倍自公政権は、米国政府と結託し、朝鮮国を永遠の仮想敵国とする軍事経済国家を作ろうとしている。そして、現在の平和主義憲法を全面改訂(そのモデルは大日本帝国憲法であり、神聖天皇主権国家である)し、その目的完遂のために主権者である日本国民の様々な権利を剥奪し「奴隷」化を進めている。

(2016年3月30日投稿)

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12月8日の開戦を国民学校の国語教科書はどう書いていたか、神武天皇没後2600年?や横浜事件名誉回復とも関連

2024-12-09 00:28:05 | 教育

 敗戦までの「国民学校」の国語教科書は「12月8日」の対米英開戦について、一つの教材として独立させて載せている。その教科書は、「初等科国語(六)」(五年生後期用)で「九」番目の教材「十二月八日」である。

 この教科書は、天皇の神聖とその天皇の支配する日本の国体に対する狂信度、狂妄度を強化する教材であったといえる。以下に内容を紹介しよう。

「昭和十六年のこの日こそ、われわれ日本人が、永久に忘れることのできない日である。この朝、私は、ラジオのいつもと違った声を聞いた。さうして『帝国陸海軍は、本八日未明、西太平洋において、米英軍と戦闘状態に入れり。』といふ臨時の知らせを聞いて、はっとした。私は、学校へ急ぎながらも、胸は大波のやうにゆれてゐた。勇ましいやうな、ほこらしいやうな、それでゐて、底の底には、何か不安な気持ちがあることを知って、『いつ、米英の飛行機が飛んで来るかも知れないのに、こんなことでどうするか。』と自分で自分を励ました。朝礼の時間に、校長先生から、戦争の始まったことについてお話があった。『東亜におけるわが国の地位を認めず、どこまでも横車を押し通さうとした米国、及び英国に対して、日本は敢然と立ち上ったのです。いよいよ、来るものが来たのです。私たちは、もうとっくに、覚悟がきまってゐたはずです。』初冬の澄み切った日差しが、運動場を照らし、窓を通して教室に差し込んでゐた。四時間目に、みんなは講堂へ集まった。さうして、その後のやうすをラジオで聞いた。『ハワイ空襲。』とか、『英砲艦撃沈。』とか、『米砲艦捕獲。』とか、矢つぎ早の勝報である。みんな、胸にこみ上げるうれしさを押さへながら、熱心に聞き入った。お昼過ぎには、おそれ多くも今日おくだしになった宣戦の大詔が、ラジオを通して奉読された。君が代の奏楽ののち、うやうやしく奉読されるのを、私たちは、かしこまって聞いた。おことばの一言一句も、聞きもらすまいとした。そのうちに、私は、目も、心も、熱くなって行くのを感じた。『天祐ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践メル大日本帝国天皇』と仰せられる国がらの尊さ。この天皇の御ためなればこそ、われわれ国民は、命をささげ奉るのである。さう思ったとたん、私は、もう何もいらないと思った。さうして、心の底にあった不安は、まるで雲のやうに消え去ってしまった。『皇祖皇宗ノ神霊上二在リ。』と仰せられている。私は、神武天皇の昔、高倉下が神剣を奉り、金のとびが御弓の先に止まったことを思った。天照大神が、ニニギノミコトにくだしたまうた神勅を思った。神様が、この国土をお生みになったことを考えた。さうだ。私たち国民は、天皇陛下の大命を奉じて、今こそ新しい国生みのみわざに、はせ参じてゐるのである。勇ましい皇軍はもとより、国民全体が、一つの火の丸となって進む時である。私たち少国民も、この光栄ある大きな時代に生きてゐるのである。私は、すっかり明るい心になって、学校から帰った。うちでも、母は、ラジオの前で戦況に聞き入ってゐた。『おかあさん、私は、今日ほんたうに日本の国がえらいことがわかりました。』といふと、母も『ありがたいおことばを聞いて、まるで天の岩戸があけたやうな気がしますね。さあ、私たちも、しっかりしませうよ。』といって、目に涙をためながら、じっと私を見つめた。」以上。

  2016年11月17日の衆院憲法審査会では、自民党の安藤裕議員が、「天皇の地位は日本書紀における『天壌無窮の神勅』に由来するものだ」と発言した。また、昨年来、自民党議員は「八紘一宇」「皇紀」「神武天皇の偉業」などの言葉を発言するようになっている。それはなぜか。彼らにとってその言葉と発言が意味を持ち、正当化する根拠となっている事が存在するからである。それは、天皇や皇太子が『日本書紀』の「神話」の記述にもとづいて「神武天皇没後2600年」として天皇や皇太子たちが奈良橿原を訪問しているからなのである。

 メディアは、自民党議員の発言だけを嘲笑し批判するだけでなく、天皇や皇太子などの行為こそ批判し止めさせる事こそ重要な使命である事を自覚すべきなのである。

 自民党議員たちはもちろん、天皇や皇太子たちもおそらく、『日本書紀』の「神話」を「真実である」と信じているのではなく、「国民に信じ込ませ騙す」ために、信じている「ふり」をし、「装っている」だけであるという事実も見抜いておかなければならない。

 だからメディアは、自民党議員の発言を「時代錯誤」であるとか、「神話」と「史実」を混同していると批判するだけでは問題の本質を見抜いていない、的を得ていない批判でしかないのである。

 この件と関連してまた、『日本書紀』の「神話」に基づいた神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制(国体)を守るために、「治安維持法」が制定さらに改正された事をおさえておかなければならない。田中義一内閣は1928年6月、緊急勅令で改悪し、国体変革を目指す者は「死刑・無期刑」を科した。

 その「改悪法」が適用された最大の事件が「横浜事件」である。戦後2008年の再度の「再審請求」により、「改悪法」が廃止された事を理由に「免訴」が確定したが、「免訴」とした判断は「違法」であるとして「名誉回復」を求める「控訴審」が12月2日から始まった。

 治安維持法に問われた人たちの「名誉回復」がなされるか否かは、敗戦までの「神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制」が「新憲法」によって本当に否定されたのか、それとも「新憲法」下の今日にも息づいているのか、という事を判断する上で極めて重要な事なのである。そして、「名誉回復」がなされるならば、「神聖天皇主権大日本帝国政府の国家体制」に基づく天皇・皇太子たちによる「神武天皇没後2600年」行為をどのように評価判断する事が適切であるのかも自ずと明確になるだろう。

(2016年12月11日投稿)

 

 

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主権者教育は国民統合のための国民教化運動たる国民精神総動員運動全体主義への道

2024-11-21 10:59:05 | 教育

 2016年3月31日に公表された『「主権者教育の推進に関する検討チーム」中間まとめ~主権者として求められる力を育むために~』の内容について、新聞が載せた。

 主権者教育を推進する方法として、地域行事への主体的な参加促進や高校生向け副教材の使用状況を調べる事などを盛り込んだ。「手伝いの推進」もその一つだ。チームトップの義家弘介文科副大臣は「家庭を守らずに地域を守れるか。地域を守れずに日本を守れるか」「国がこんなお手伝いをしなさいという事ではないが、学校が評価する事は必要」と説明。子どもたちが手伝いの内容を記した日記を学校に提出するなどの取り組みを広げる考えという。

 新聞は見出しで、「お手伝い」が主権者教育?と疑問を呈し、識者のコメントには、「子どもの主体的な行動より、大人の期待に応えさせる思惑が感じられる」「家庭教育と学校の主権者教育は別だ」「しつけに偏った印象だ。政治的問題を家庭でどう話し合うかという点にも触れるべきだ」などを載せている。

 この記事の限りでは「お手伝い」の事を中心に問題としているかに思われる。しかし、この「主権者教育中間まとめ」における問題はそれ以上に大きな問題を含んでいる。

 それは、「中間まとめ」の「2、主権者教育の基本的な考え方について」の内容に示されている「主権者教育の目的」である。それによると、「単に政治の仕組みについて必要な知識を習得させるにとどまらず、主権者として社会の中で自立し、他社と連携・協働しながら、社会を生き抜く力や地域の課題解決を社会の構成員の一人として主体的に担う事ができる力を身につけさせることとした。このような主権者教育を進めるに当たっては、子供達の発達段階に応じて、それぞれが構成員となる社会の範囲や関わり方も変容していくことから、学校、家庭、地域が互いに連携・協働し、社会全体で多様な取組を行う事が必要である。また、取組を行うに当たっては、学校等のみならず、教育委員会等の地方公共団体の関係部署が、積極的な役割を果たす事も重要である。」としている点。

また、「3、主権者教育の推進方策についての【1】の1」で「平成27年12月に全国のすべての国公私立高等学校等に配布された副教材が有効に活用されるよう、今後、平成28年中に実態把握のための全校調査を行う。さらに、優れた取組を行う高等学校等の指導方法等について調査・分析し、その結果を共有する事により指導の充実を図る」としている点。

【2】社会全体で主権者教育を推進する取組について、の(2)学校、家庭、地域の連携・協働による子供達の社会参画の機会充実、の1の地域住民参加型の多様な活動の実施や地域の多様な人材を構成員としたネットワークの構築」で「国家・社会の形成者としての意識を醸成するためには、グローバルな視点で国家的な課題等を知る事と同様に、ローカルな視点で身近な社会の課題などを知る事も地域を作り、支えるためためには重要である。身近な社会の課題などを知り、地域の構成員の一人としての意識を育むためには、学校だけではなく、地域資源を活用した教育活動・体験活動や、子供が、地域行事などについて、単なる参加者ではなく、主催者の一人として参画し、主体的に関わる機会などを意図的に創出していく事が必要である。そのため、平成28年1月に文部科学省が発表した「次世代の学校・地域創生プラン」でも掲げられている「学校を核とした地域の創生」などの観点を踏まえ、土曜日の教育活動、放課後子供教室、学びによるまちづくり、親子で参加・参画する地域活動などの地域学校協働活動や、社会奉仕活動などの体験活動において、より多くの地域住民が参画した発展的な活動が実施されるよう、地域と学校との連携・協働体制を構築する。また、こうした地域学校協働活動等が多様かつ継続的なものとなるよう、退職教職員教員志望の大学生などの地域における多様な人材を活用するとともに、それぞれの活動を個別に支援するだけではなく、コーディネート機能を強化し、連携・協働型の取組の推進を図る。」としている点。

 そして、「2子供の生活習慣づくりの推進」として「子供達が家庭において、基本的な生活習慣や社会的なマナーを習得し、自立心を養う事ができるよう必要な家庭教育環境の整備を進める。また、子供達が構成員としてお手伝いなどの役割を担い家族の一員として主体的に家庭生活に参画する取組を進める。」としている点である。

 新聞は最後の「お手伝い」だけを問題視しているが、このまとめに書かれている内容は、国民、家庭、学校、地域すべてを動員して、政府の指示のもとに「統合」「統制」しようとするものである。そして、このモデルは、日中戦争勃発後に「挙国一致」体制を持続するために実施された「国民精神総動員運動」であり、「主権者教育」なるものはその復活をめざすものなのである。平成版「国民精神総動員運動」なのである。

 1937年8月24日、近衛内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定。「挙国一致堅忍不抜の精神を以て現下の時局に対処すると共に今後持続すべき時難を克服して愈々皇運を扶翼し奉る為官民一体となりて一大国民運動を起こさんとす」として実施決定。9月11日には、政府主催の国民精神総動員大演説会をひらき、「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」の3つのスローガンを掲げ運動の開始を呼びかけた。運動の推進団体として、運動が民間から起こった自発的な運動であるかのような外観をもたせるために「中央連盟」を結成。在郷軍人会などの軍人団体、愛国婦人会・国防婦人会などの婦人団体、大日本連合青年団・壮年団中央協会などの青壮年団体、全国神職会・仏教連合会をはじめとする教化団体など74団体、その多くは工場主・小売店主・地主・教員・神官・僧侶など地域の有力者。地方組織は道府県単位の総動員地方委員会が中心となり、地方官庁がこれに協力する形式をとった。このようにして上からの組織化を進め、神社・皇陵の参拝、勅語奉読式、武道・ラジオ体操の奨励、清掃などの勤労奉仕など様々な儀式や行事を通して、天皇制(神聖天皇主権)イデオロギーを浸透させて国民統合を強め、自発的な戦争協力態勢づくりに力が注がれた。1940年9月11日、内務省は運動の実行単位となる「実践網」整備のため「部落会町内会等整備要綱」を発し、全国くまなく部落会・町内会・隣組などの隣保組織を整備し、常会を開設するよう指示した。「整備要領」では、隣保組織の目的は「国民の道徳的錬成と精神的団結を図る」組織であり、「国策をひろく国民に透徹せしめ国政万般の円滑なる運用に資せし」め、「国民経済生活の地域的統制単位として統制経済の運用と国民生活の安定上必要なる機能を発揮せしむること」とされた。部落常会や隣組常会などには、構成員全員の出席が原則。常会は、宮城遥拝、皇軍の武運長久祈願および「英霊」への黙とう国歌斉唱のあと、諸事項伝達、協議・懇談に入るのが一般的。常会では申し合わせが行われたが、違反者には制裁が加えられた。申し合わせは強制力として働き同調を余儀なくされた。つまり、「非国民」という言葉の発生。

 1942年8月14日、部落会・町内会・隣組など隣保組織は大政翼賛会(1940年10月12日結成)の下部組織へ正式に編入、両者の一本化がなされた。

(2016年4月8日投稿)

 

 

 

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自公政権による国立大学法人法改悪や日本学術会議の統制と北里柴三郎のことば

2024-11-17 10:10:48 | 教育

 北里柴三郎(1852~1931)は東大卒で細菌学者。ドイツへ留学しコッホに学び、破傷風菌の純粋培養に成功した。1889年に帰国。1894年にペスト菌を発見し、血清療法の研究に尽した。1892年10月に福沢諭吉の援助を得て私立伝染病研究所を設立し初代所長となった。しかし、1915年に私立伝染病研究所の東大移管に反対し、私立北里研究所を起こした。1916年慶応大学医学部開設の際には福沢への恩義から初代部長となった。1923年には日本医師会初代会長となった。

 さて北里柴三郎は、安倍晋三政権が(ここでは彼の思惑については触れないが)2024年に新たに発行するとしていた1000円札の肖像画に採用している人物である。彼の価値観を知れる「ことば」として、東大の緒方正規教授の在職25年祝賀会における門弟総代としての祝辞を以下に紹介しよう。

「時に或は学術上において、先生と意見の衝突をきたした事もありまして、先生の尊厳を冒し奉った事もございますが(緒方が脚気の病原菌を発見し発表したのに対し、実験手法の不備を指摘し病原菌発見を否定したが、北里の意見は正しかった事など)これは学術上の事で、正々堂々いわゆる君子の争いであります。……かくの如きは学問に忠実なる真正の研究者として、初めてこれをあえてなし得るのであります。かの学術研究の何物たるかを解せず、したがって意見なく、いたずらに他人の説に雷同附和する軽躁浮薄の輩、もしくは表面は服従を装い、裏面にてその事業を悪口するが如き者、総じて曲学阿世(曲学を以て世俗におもねり、任期に投ずる言説をなす事)の徒は、決してかくの如き趣味を伺い知るものではございません。」

 岸田自公政権改正国立大学法人法成立にこぎつけた。改正法は「一部の国立大に『運営方針会議』という合議体の設置を義務付ける。会議は学長と、外部の有識者も想定する3人以上の委員で構成し、中期目標予算の決定などを行う。学長選考に関しても意見を述べる事もできる。委員の選任には、文科相の承認が必要」という内容であり、「承認人事を通じて、大学の直接的支配に乗り出そうとしている。大学の自治への死刑宣告」と評すべきものである。又、日本学術会議の組織改編に関して内閣府が決定した法人化への基本方針「➀学術会議の会員選考に当たって外部有識者から意見を聞く『選考助言委員会』を設置 ➁外部者が過半の『運営助言委員会』を設置 ③大臣が任命する『監事』が業務や財務を監査 ④大臣任命の外部有識者による『評価委員会』が業務や運営を評価、などの内容で、「改正国立大学法人法」と同様に、大学の独立や自律性を否定する内容となっている。岸田自公政権独善的な目的完遂のために憲法を無視した、大学の自治学問研究の自由抑圧したり統制しようとするファッショ的な企てをやめるべきである。

(2024年1月8日投稿)

 

 

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自公政権は学習指導要領教科書検定制度を自己の偏狭な主張価値観を押しつける制度(国定教科書制度)に変質させ国家公教育生徒を私物化した

2024-10-04 11:30:04 | 教育

 安倍自公政権文科省は、領土問題について教師はどのように教えるべきであると主張しているか。国民が明確に認識しなければならないその主張の基本的特徴は、安倍政権は歴史上の一時期の政権でありながら、「安倍政権の見解」を日本国民はもちろん関係諸国に対しても独善的に、さも普遍的真実であるかのように「我が国の見解」という言葉を使って強制し開き直ったという点にある。安倍政権は、学習指導要領制度を、今回の要領改訂で、その中身全体を政権の見解や価値観歴史観に基づくように作り変え、指導要領の法的拘束力を悪用して、学校教育(先生や生徒)に押し付けていく制度に変質させたのである。

 改訂指導要領では、尖閣諸島について、中国も領有権を主張している事について、文科省は、「我が国が実効支配している固有の領土である」と教えるべきだとしている。ここで「我が国が」としているが、固有の領土である」と主張しているは安倍自公政権であって、それを意図的に「我が国が」という表現を使って、これまでの日中政府間の交渉事実を無視した自己の偏向した主張を強制的に正当化しようとしているのであり、それは国民に事実を明らかにせず欺こうとしている行為であり、国民としては、「安倍自公政権が」と読み変える事が必要である。

 また、竹島北方領土についても、文科省は「先方が領有権を主張しているが、それは不法占拠であり、歴史的にも国際法上も我が国固有の領土であると説明すべきだ。他国の主張を並列で扱う指導は不適切だ。我が国の領土について正しい理解の妨げになるなら、中国や韓国の主張は教えないでほしい」としている。

 ここでも「我が国」としているが、国民としては、「安倍自公政権」と読み変える事が必要である。また、「正しい理解」としているが安倍自公政権の見解の理解」と読み変える事が必要である。また、安倍自公政権の主張は、今はやりの「オルタナティブ・ファクト(もう一つの事実)」というものであり、日中政府間の(棚上げ論)を受け入れず開き直ったものと考えるべきである。また、「中国や韓国の主張を教えるな」というのは、学校教育ではあってはならない行為で、「学問の自由」「研究の自由」「学習権」など人権を侵害する行為であり、憲法違反であるが、安倍自公政権の常識は国民のそれとは異なり、自己都合でルールを変えるのでそんな事は何とも思っていないし、現行憲法を廃棄(憲法改悪)するつもりだから。

 また、文科省は、教育基本法は、教育の目的として、「国民の育成」と規定しているから、先生の役割は「我が国の立場は国際法的にも、歴史的にも妥当だときちんと言い切ってもらう」事であるとしている。

 しかし、「国民の育成」という言葉の前の部分に、「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な○○○○○」という文言があり、「我が国立場(安倍自公政権の見解)」を「言い切る」事を先生の役割にする根拠にはできないのである。しかし、文科省はその文言を完全に無視し、「安倍自公政権の見解」を子供に言い切る事を先生の役割と決めつけ押しつけているのである。この事は安倍自公政権においては、教育とは教化する事とみなしており、先生の役割は安倍自公政権の主張(指導要録の内容)を伝えるだけの存在と見做している事を意味しているという事である。そしてそれは、先生は生徒を絶対服従させなければならない意味も含んでいるのである。これは神聖天皇主権大日本帝国政府下の教育方針そのものである。

 また、文科省は、「グローバルな時代だからこそ、我が国の立場を正しく理解する必要がある。日本の主張を子どもたちが理解していないかぎり、平和的解決とはならない」という。つまり、「グローバルな時代だから安倍政権の見解を正しいものとして理解する必要がある」としているのであるが、「グローバルな時代だから」という言葉は、国旗掲揚国歌斉唱を不法に国民に強制する場合にも用いられる常套的説明で、これは詭弁であり、何の正当性ももたない国民を欺瞞し愚弄した説明である。「我が国」は「安倍自公政権」、「正しく理解」とは「安倍自公政権の見解を理解」、「日本の主張」は「安倍自公政権の主張」と読み変える必要がある。言葉に騙されてはいけない。

 また、文科省は、「古地図を持ち出した綿密な実証作業をしなければ、我が国の立場を実証する事は難しいから、領土問題は存在しない」と教えるべきだとしている。「我が国」は「安倍自公政権」の意であるが、文科省の説明は詭弁であり結論が短絡的で、この事は、学校が生徒の学習権や学問の自由を否定する事を意味するし、先生には生徒に伝える知識授業内容を統制禁止する事を意味している。これも神聖天皇主権大日本帝国政府の教育方針である。

 また文科省は、「領土問題で白黒の判断がつきにくいというのは理解できない。並列な扱いでは我が国の領土に対する正しい理解に至らない」としているが、これは、安倍自公政権の「オルタナティブ・ファクト」以外の何物でもない。そして、国民の反対を押し切って安倍自公政権が自ら政府見解を定め、政権の偏向した主張価値観歴史観に基づいた改訂指導要領を定め、その指導要領の規定であるとして先生に「安倍自公政権の見解」に基づいた画一的な指導を強制し、子どもたちには「安倍自公政権の見解」を「事実」として押し付けているだけである。傲慢独善そのものである。安倍自公政権は学校教育を私物化し、安倍自公政権の偏向した「主張見解価値観歴史観」を押し付ける場と見做しているのである。安倍自公政権は、学習指導要領制度国定教科書制度に変質させ、学校教育を神聖天皇主権大日本帝国政府が強制した「教化教育」の場へと変質させ、その内容を政権の偏向した主張見解価値観歴史観のみに統制し画一化しようとしているのである。

 また、文科省は、「日本の公教育とは要するに、教育基本法の言葉を使えば国家及び社会の形成者を育てる事を目指している。他国の主張があり、それには理があるという風に思っていただくのは困る」としている。この文科省の理屈についても、先に示したように、教育基本法第1条「教育の目的」の「国家及び社会の形成者」の前には、「人格の完成を目指し、平和で民主的な」という文言が記されているのであり、安倍政権文科省にとって都合の良い言葉だけを、部分的に切り取って利用し改訂学習指導要領を正当化する根拠にはできない。

 また、文科省は、改訂指導要領について「子どもたちが我が国の領土について正しく理解するために、定められた内容を指導する事を規定している。その目的に沿わない指導は不適切だ」とする。先にも書いたが、ここでの「我が国」の意味は「安倍自公政権」であり、「正しく理解する」の意味は「安倍自公政権の見解を理解する」である。そのうえで、それ以外の指導は「不適切」であるとするのである。この姿勢は、学習指導要領制度を自己の政治目的達成のために恣意的に悪用しているものであり、安倍政権の見解価値観歴史観のみを正当とする思想統制であり、学問の自由学習権、教育権など人権を侵害するものであり、安倍政権の政治思想の押し付けであり、指導要領制度を制度として存在させながらその制度の意味をまったく変質させてしまった事を意味しているといえる。

まさかそんな事はしないだろう」という言葉は、安倍政権に対しては使えない

麻生氏が言った、「ナチズムの手口ようにやればいい」というのはこの事なのだ。

(2017年4月4日投稿)

 

 

 

 

 

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