朝日新聞の「しつもん!ドラえもん:4168けいさつ編」の質問文回答説明文を見て首を傾げた人はいないだろうか?なぜなら、その質問文は、「街の平和を守る警察官。日本で警察組織が生まれたのはいつだろう」としているからであり、「こたえ」の説明文も、「江戸幕府がたおれた後、……、「邏卒」と呼ばれる警察官のような役職が設置された。日本での警察の始まりだよ。」としているだけだからである。この質問文と回答説明文では神聖天皇主権大日本帝国政府が初めて警察組織(制度)を定めた明治以降から、敗戦を経て新たに成立した日本国政府が改めて定めて今日に至る組織(制度)の役割や性格とが一貫したものであるかのように受け取れるからである。事実がそうではない事を思えば、この文章は読者に対しあえてその事実に触れず隠蔽し、誤った(朝日新聞にとって都合の良い)理解をさせる事イメージを植え付ける事を意図したものであるといえる。批判的読み方を充分に身につけておらず、純粋に受け入れてしまいやすい「子どもたち」を意図的にターゲットにして、一方的に都合の良い偏向した「イメージ」の「刷り込み」を目的とした企画であると評されても仕方がないであろう。
日本の警察の性格はアジア太平洋戦争の前後、つまり戦前と戦後では、憲法の性格に違いがあるように、警察の役割性格にも違いがある。「邏卒」が設置されたのが日本での警察の始まりだとしているが、今日の国民がイメージする警察組織(制度)は基本的には敗戦後の日本国憲法(国民主権・基本的人権の尊重の原則)に基づくものであり、基づくべきものである。敗戦までの大日本帝国憲法に基づく組織(制度)とは全く異なるものである。それを、「邏卒」(1871年設置。1874年に巡査と改称。交番設置。)について安易に「街の平和を守る」とするどのような立場からでも都合よく受け取れる曖昧な表現で評して良いはずがないだろう。
戦前の、神聖天皇主権大日本帝国政府の支配する日本国家は「警察国家」体制をとっており、「警察」は帝国政府を守るための国家権力を行使する組織(制度)であり、「警察官」はその現場行使者であった。帝国政府は権力を維持するために警察組織(制度)を使い、帝国臣民(現国民)一人一人の思想や行動を監視し、自由を取り締まり、政府自体や政府の政策を批判し敵対する思想を持ち表現行動運動する人間を取り締まり弾圧し撲滅する体制を整備していたのである。それは川路利良(当時大警視=現警視総監)の建議を契機に創設されていった。その建議書には「日本人民は不教の民であり、これに自由を許すべからず。『頑悪の民は政府の仁愛を知らず、さりとて如何せん、政府は父母なり人民は子なり、たとえ父母の教えを嫌うも子に教うるは父母の義務なり、誰か幼者に自由を許さん、その成丁に至る間は、政府宜しく警察の予防を以てこの幼者を看護せざるを得ず』『束縛は保護なり、規則は良民にとりては必ず幾分の煩いとなるも、その実は己を保護するために設けられたるものなれば、またやむを得ざるなり』」と述べていた。
1873年には内務省(内務卿は大久保利通)を設置し、74年には全国の警察権を一手に掌握し、74年には東京警視庁を設置し、東京府は内務省直轄とした。1900年治安警察法制定、11年警視庁に特別高等課設置、1925年治安維持法制定、1928年治安維持法を改悪し全府県に特高警察課(内務省直轄)設置、1941年治安維持法改悪、1943年神奈川県特高警察(カナトク)による横浜事件。45年10月特高警察課はGHQ指令により解体。
(2021年10月22日投稿)