ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

知らなかった、杏花飯店の閉店

2008年07月12日 15時52分42秒 | 食に関して

 昨日、小田急線の読売ランド前から徒歩で行く日本女子大西生田での管弦楽部の定演の初めての練習に行きましたが、いつも通りかかる聖蹟桜ヶ丘の駅近くの杏花飯店の入っているビルが、なんだかものものしい工事が始まったようで、気になっていました。

 私は結婚してすぐに公団の永山団地に賃貸で住んでいました。最寄り駅は京王永山、そしてよく、聖蹟桜ヶ丘にも出かけていたんです。

 杏花飯店は、たまに食べ放題のバイキングをやるのですが、その料理がどれもこれもおいしくて、そのチラシが入ると、せっせと出かけていきました。夫も私もけっこう飲むから、お店のスタッフ(小柄なおじさん)にも顔を覚えられていました。清里音楽祭にいつも同行した友人(彼の家から私たちを清里に車で連れて行ってもらっていたのですが)も、よく一緒に食べに行ったのです。ここ2、3年はちょっと行かなくなってしまっていてそのうち、そのうちと思っていたら、なんと今年1月下旬に閉店していたことを知りました。レトロな店内の雰囲気がとても素敵で、多摩地区に昔からあってがんばっているおいしい中華の店と、ずっとこれからもあり続けると勝手に思っていたのでした。なんだか、とてもさびしいです。最後にもっと早く行っておけばよかった・・・。

 ひとつの店が10年20年と(杏花飯店は31年続いたそうです)続けることは、今の世の中では本当に難しいことなんですね。当たり前のように考えていたけれど、内実、大変だったとは・・・。あの店で最初に頼む青島ビール、そして甕の紹興酒、どれもこれもおいしかったのに・・・。バイキングは、いろんな料理があって、楽しかった。鶏肉カシューナッツ炒めや、おこげにジャーっと音を立ててスープをかける料理、特に塩味のあっさりした炒め物が大好きでしたっけ。あのおじさんは、今はどうしているのでしょうか・・・。もしかして、あの丸嘉ビル自体、取り壊して別のビルが建つのかしら。聖蹟桜ヶ丘の名物がひとつ、消えてしまいました。

コメント (2)
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