私は残念でなりません。死刑を単純に被害者の死者数や殺人手段で考えるのはおかしいです。まるで江戸時代の判例みたい。前例に基づいてだけの裁判に、何の意味があるのでしょう?
確かに、強姦目的であっても行為に至っていないからとか、そんなこと問題ではないはず。彼女を殴ってひどい目にあわせ、顔が腫れた姿でその気がなくなったなんて、許されることではないでしょう。それに、死に至るまでの恐怖はとても想像つかないほどだったはず。そして何より、今回の裁判では死後の彼の遺体処理のむごたらしさに何も感じていないこと。これは絶対にありえません。日本という国の特殊な伝統、死者への思いということが何も考慮されていません。無宗教の私でさえ、死者という存在には尊厳を感じます。遺体へのあのような行為こそが死刑に値すると思います。
もしも私が裁判員になったら、このような犯罪には最高に重い刑(当然死刑です)を望みますね。
無期懲役ということは、税金でその犯罪者を生活させることですよ。国民はそんな税金、払うつもりはありません。日本という国はたいした更生プログラムも用意していないくせに、無期懲役とかそういうことばかりで、この不況で生活苦にあえぐ人たちはみんな刑務所に入りたがるでしょうね。それでいいのでしょうか?罪はどんな軽い罪でも犯してはならないのです。
少年法も改正すべきです。殺人者が少年だから死刑を逃れるというのが許せません。悪人に年齢はないんじゃないの?
更生プログラム、もっときちんとしてもらいたいです。そうじゃないと、初犯、再犯で世の中刑務所だらけになっちゃうんじゃないの?
遺族の気持ちを考えると、あの裁判は「死刑」が当然だと思います。遺体をあのようにすることへの嫌悪は誰もが感じるものです。みなさんも、身近なひとがそういう殺され方したら、気が狂うほどショックを受けるはずです。あんなこと、許していいわけがありません。死んでからのこと、それも絶対に量刑に加えるべきです。彼女が本当にかわいそうです。
もし、警察が初動段階でマンションの全ての部屋を捜索する権利があれば、彼女は生きて発見されたはずなのに、本当に悔しいです。彼も殺人を犯すことはなかった・・。時間を戻して彼女を生き返らせたいです。なんで切り刻んでトイレに流されなくてはならないの、若い女性が!
生きていてこういうあまりに残酷な事件ばかり見なくてはいけないなんて、なんて悲しい世の中でしょうか・・・。
村上春樹さんがイスラエルでの授賞式に、壁と卵というたとえをしました。人間を卵になぞらえて、壊れやすいものだと。そうです、殺人を犯すあなたも殺される彼女も同じ卵なんです。卵を壊す権利なんて、誰にもないのです。粉々に壊される身になって考えるべきです。武器も殺意も卵を壊すためにある。卵の側に立って考えよう。武器を捨てよう、戦争をやめよう!