ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

酸素の管・・・

2012年06月22日 22時09分21秒 | 日常

 今日は急遽、代わりの勤務をお願いして休みを取って、午後の面会の時間から最後まで夫のそばにいるつもりで病院に行きました。京王線北野駅からバスに乗っていくのですが、北野駅のフレッシュネスバーガーでお昼を食べるのが楽しみになりました。

 永山団地に結婚当初から13年住んでいたので、聖蹟桜ヶ丘は故郷のようなものです。だから、宮崎駿の「耳をすませば」は私たちの映画のようなもの。その聖蹟桜ヶ丘の駅近くにあったフレッシュネスバーガーは大好きでした。

 昨夜、遅番で勤務しているときに夫が検温を拒否して興奮して私を呼んでいるという電話を受けました。強力な睡眠薬を注射して落着けさせるという同意を求められました。

 紙おむつになったので、パジャマは不向きで、着物のような寝間着スタイルをお願いされ、今日の午前中、イトーヨーカドー八王子店で見つけました。でも、Mサイズは同じ柄の2着しかありませんでした。それを持っていきました。

 今日、会ってみると、昨夜は大変だったのでしょう、酸素の管が鼻に入っていました。

 痛みがひどく、とてもうらそうでしたが、いつもは「うるさい」というはずなのに、ずっと手を握って過ごしました。夫が長年愛用していたタバコの紙を、母が作っていたような鍋敷きにする折り紙を、せっせとしていました。夫が吸っていた「わかば」の包装紙を分解してたくさん保管していたなんて・最近、コルクの鍋敷きがとても傷んできたので、母の鍋敷きを作るにはいいタイミングかもしれませんね。

 消えゆく魂。がんばっていますよ。でも、母や父のように、がんで最後を迎える夫。穏やかな最後を迎えてほしいと思います。私も、取り乱すことなく、穏やかに現実を迎えるようであってほしいと思います。

 生と死は背中合わせ。死を怖いと思うなかれ。

 苦しみから解放されます。聴力は人間の最後まで残っているものだといいます。だから、最後に私が何を言って、彼が何を聴いてあの世に行くのか、よく考えなくてはいけません。

 といいながら、私は今日、主治医に、自分の診察をお願いしました。会社の県央診断で、再検査の指示があったのです。市の嘱託職員になって3年目、毎回、検査の時には高血圧になるのです。夫の看病の毎日なのに、本部の上の人は、再検査の報告を出せってうるさいのです。人間性を疑いますよね。そこで、夫が入院している主治医の内科医の先生にお願いしました。私の、検査の時だけ高血圧というのは「白衣高血圧」と呼ぶのだそうです。ほかの数値が標準値なので、問題ないだろうと言ってくれました。

 夫は、高熱が出ています。とても具合が悪そうです。言っていることには反応しますが、目を開けてくれません。めやにでふさがっていて、どうしたらいいのかと聞いたら、無理にひっぺがすと開くとのこと。でも、無理しても・・。口もからからで、おとといの歯磨き以来、そのままだとか。強烈な口臭です。父もそうでしたが、死に逝く人の口のにおいは相当です。モーツァルトもベートーヴェンもそうでした。

 そういえば、夫は髪の毛ぼさぼさでしたが、先日、に病院にくる理髪店に夫の髪を切ってもらいました。本人はそのままのほうがよかったみたいでした。ベートーベンから、気難しい職人にイメチェンしただけかな。本当に体中が痛いと思います。それでも、今日もがんばっていました。悪性黒色腫の父は、最後には「もう、けりをつけてくれ!」といいました。痛みからの解放、それが死なのです。どうか、安らかに。覚悟をしっかりしてほしいと思います。

 

 

年目。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする