なぜ今、この家をでるのか。それは、まずはこの家が自分のものではないから。もともと、この家に入ったのは、父ががん闘病の最期のころ、父の家が甲州街道沿いの「うかい鳥山」の入り口にあり、何かあっても道路が混んでいて間に合わないと思って、夫の両親が所有して賃貸にしている家を父の看病を想定して一部屋増やしてリフォームして用意したのでした。ところが、父はこの家のの鍵を預かる日に亡くなりました。
夫と多摩ニュータウンの賃貸団地に暮らしていた私は、同じく父の猫と先代の我が家の猫「ごまこ」が仲が悪く、毎日大変な思いをしていたので、せっかくリフォームしたんだからと父の猫「ねね」と私がこの家に家出してきたのでした。だから、夫と一緒にこの家に住んだわけではなかったのです。
猫のために別居した3年を経て、ついに一緒に住み始めたのですが、猫は、父の猫が1階、ごまこは2階とすみわけしました。夫も、あとからこちらに来たために居心地が悪かったと思います。猫がいることから、1階の3部屋はワンルーム状態になり、さらに2階の仏間には、夫が賃貸団地で保護したエイズ猫をおしこめ、さらに義母の猫2匹を引き取った時もそこに入れたため、人間よりも猫が多い状態が続きました。
団地では一緒に寝ていたごまこが、しばらく離れていたせいか、わたしとは寝てくれずに完全に私は彼女の家来になってしまいました。最愛のごまこが亡くなってからは、さらに不幸が続き、夫ががん闘病、その間に仏間の猫も亡くなり、最後は私一人になりました。戸建の家にたった一人、それは何ともさびしいものです。父のもの、夫の物をある程度処分しても広い家はあまり快適ではありませんでした。
日本の家って、なぜか、人間がその空間に合わせるようになっていますが、本来は、人間に合わせて家を作るんじゃないかと思うのです。97年にリフォームしたこの家の洗面台で毎日を洗っていますが、いつも水がはねてうまくいかないのです。私がきっとばかなんでしょうけれど、サイズが合わないものを平然と押し付けるのも頭に来ます。
この家は、正直、好きになれませんでした。だから、離れたい。それに、6つも部屋がある家にひとりで暮らすのは、どうかと思います。かといって、明日からブルーシートの生活はできない。今日、見学した部屋の一つが、古いマンションできれいにリフォームしていましたが、南側の窓際の床周辺から、コバエの死骸がたくさん転がっていて、案内してくれた人も「これはひどい」と言っていました。
一人で生きるということ、それは相当覚悟がいることです。今はハッチがいてくれて、本当にありがたいことです。ハッチのためにも、がんばらないといけませんね。
そうそう、二つ目の物件は、友人も住んでいる中古マンション。その部屋は一人暮らしの男性のもので、とてもきれいに住んでいます。広いので、ハッチも満足できるかな、と思いました。眺望も見事、高尾山が見えます。父の終の棲家になった家と同じ、高尾山と縁があるのは、いいことかもしれませんね。