先日、家電量販店で引っ越し先で使う洗濯機を下見してきました。今はいろんなものがあって、値段も様々。とても手が出ない高価なものがあり、びっくりでした。一応、一人暮らしのシンプルなものは、私の予算に見合っていて、ほっとしました。
ついでにデジカメのメモリーカードを探したら、今はとんでもなく大容量のものがほとんどでそれも高価なばかり。こんな容量、昔はPCがこのくらいじゃなかった?なんて、時代の変化についていかれません。新しいPCでも古いプリンタは使えたのですが、ふるいデジカメはどうかな、とスタッフさんに声を掛けました。
古い機種だと、大容量のカードは入らないかもしれないとのこと、とりあえず絶対に使えるという2GBだけにしました。
昔はカメラもデジタルじゃなくてインスタント、ほかにはプロが使う一眼レフで、みんながフィルム使っていましたっけ。それも36枚が一番多い枚数だったのに、なんでそんなに必要なの?と思うくらいの枚数が入るカード。
何のために写真を撮るのか、その原点まで戻ってしまいそうです。
ドラマもそうです。一日24時間しかないのに、ドラマ見放題って、その時間はほかに使いようがないし。録画してみる時間は、リアルタイムの番組は見られない。人の時間は、セミよりは多いけれど、限度がある。そういっている和t氏も、こうしている時間はそれで本当にいいのかと自問自答。
本当に心に残っているのは、写真じゃあないと思います。一人の人間に、そんなに必要があるのかしら。電気だけじゃなく、メモリ容量も、無駄遣いしているような気がしました。ああ、人間は地球のがん細胞だなあ、増殖しすぎ。
見る、見られるが悪いとは思いません。でも、それって、本当の姿ではないでしょう。嘘ばかりの世界に、うんざりします。SMAPの解散も、そういう面で考えると納得がいったりして・・。