ハッチがいた日常

夫は病死、仕事も辞めて被災猫ハッチと暮らしたけれど、10年で終わってしまった。これからは本当の一人暮らしの日々。

石川酒造の社長さん

2017年09月11日 15時12分10秒 | 日常

 昨日の午前中、公民館の分館で、歴史懇話会という講座があり、はじめて受講しました。今月と来月は、地元の石川酒造の社長さんが、石川家の歴史を教えてくれます。

 夫が生きていたら、喜ぶでしょうね、日本酒の歴史。地元のご老人たちがたくさん集まって、集会室は賑やかでした。そして、とても興味深いお話、さすがジャズミュージシャンでもある社長さんは、ライブになれていらっしゃいます。彼が18代目、息子さんはまだ中学生、でも19代目。5年前に先代が亡くなり、跡を継いで、名前も当主の名前に。

 そういえば、友人の嫁ぎ先が漁師の網元。でも、ご主人は商社マンで、普通の名前。なのに、長男は代々の名前を継いでいます。ご主人は定年後、網元になっています。子供の頃にずっと手伝いしていたので、できるそうですが、息子さんは漁師をしていないので、跡を継ぐのかどうか・・。代々続くというのも、大変なことですね。

 石川家は、跡継ぎしか見てはいけないという不思議な刀があるそうで、そこから、もしかしたら戦国時代に北条の家臣団の一人だったのでは、と思ったそうです。記録が出てくるのは1600年代後半から。多摩地域には、江戸時代に入ってすぐは、名乗れない、負けた方の生き残りが相当数いたのかもしれません。そして、みなが忘れたころ、根付いた土地で名乗って、代々百姓の代表みたいな存在になったのかも・・。いわゆる名主ですね。

 武士から農家へ、そして酒造業へ。はじまりは副業からという考え、面白かったです。

 太平洋戦争の敗戦後の社会の変動のすごさ、日記でうかがえるのですが、それはそれは、生きていくのも大変な時代だったようです。インフレのすごさ、それでも先々代の党首は闇に手を出さず、信用第一でがんばったそう。

 人とのつながり、窮地になっても助けられるのは、その信用を築いているからこそ。

 今の社会も、ちょっと戦後すぐの状況に似ていると私は思います。人をだますことが多いから。オレオレ詐欺で手に入れたお金って、結局はあぶく銭でしょう。絶対に身につかない。犯罪で手に入れるものが、いいもののはずがない。

 ほかにもいろいろ、心に残るエピソードがありました。

 土曜の深夜に再放送していた歴史秘話ヒストリア、江戸時代、宝永の富士山大噴火の話を見て、感動しました。もしかして、石川家文書にも記述があるかと社長に聞いてみました。目録にあれば、あるとのことで、さっそく、午後に図書館で目録を見たのですが、日記は1750年ごろからのしかなくて、残念・・。リファレンス室には、ぶつぶつ卑猥な独り言を言いながら本を虫眼鏡で見ている男性がいて、ちょっと迷惑でした。怪しい人物です。

 ヒストリアでは、被災した地域の復興のために、関東郡代だった伊奈忠順が尽力したとのこと。幕府は当時、何もしなかったそうで、それを被災村の人たちとともに訴えて復興に動かしたそうです。火山灰が堆積した畑は、収穫はとても望めず、村が消滅寸前に・・。復興の方法は、「天地返し」というものです。大変な作業ですよ。

 そんな宝永富士山大噴火のことを知りたくて、図書館で「江戸の自然災害」と、ついでに村方の古文書学習に役立つかもと「江戸村方騒動顛末記」の2冊、借りました。

 最近まで読んでいた敗戦後のGHQ関係の本は、面白いというよりも、つらかったです。

 話は戻って、石川社長の、代々の周期で考えると、次の代で、changeの時代が来るそうです。それまでは、幕末、終戦とあったので、それくらいの変化がくるかもしれないって。

 果たして、どんな変化が起こるのか・・。借金だらけの日本も、変化せざるを得ないですよね・・。ああ、長生きは怖い。とはいえ、どんな変化も受け入れられる柔軟性が、人間には必要だと思います。自分だけよければという殻に閉じこもるのは、間違っていますもの。持っている人が持たない人を助けるという姿勢、それが救える手段なのかも。だって、地球はみんなのものだから。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする