原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

就職活動悪戦記

2007年09月24日 | 仕事・就職
 50歳を過ぎたおばさんが就業を試みても、自分が納得できそうな求人は年齢制限で門前払いであることは別章「宝の持ち腐れ」で既に述べた通りである。
 それでも、私は新聞の求人欄や求人折込広告を日頃よく見る。就業に関する社会的動向を把握するのが第一目的なのであるが、まれに年齢制限が無かったり高齢者可の募集で、かつ自分の職業経験や資格が活かせそうな求人を発見すると、私は果敢にも電話で求人先に問い合わせたり、履歴書を送ったりすることがある。

 電話で問い合わせる場合、求人広告には年齢不問とは書かれていても大抵は年齢の確認ははずせない様子で、必ず「何歳ですか?」との質問が返って来る。正直に答えると、やわら手のひらを返すような対応をする担当者が多い。年齢不問とは書いておいたものの、まさか50歳代のおばさんから問い合わせがあるとは夢にも考えていないのであろう。「とりあえず、履歴書送っていただけますか?」との応えは返ってくるのであるが、まかり間違っても採用されそうもないため、個人情報保護の観点からも履歴書送付は控えることが多い。 また、“高齢者”の解釈が当方と求人側とで大きく異なる時もある。私は高齢者とは60歳以上位の方々を指すものと認識しているのだが、以前の私の経験では求人側は35歳位から45歳位を高齢者としていた事例もあった。当然ながら、電話での問い合わせ時点で門前払いである。

 電話連絡は不可で直接履歴書を送付せよとの場合は、私の場合、経歴、資格等の応募条件を満たしている求人しか応募しないためか、ほぼ100%試験、面談通知が来る。どうせまた年齢で採用まではこぎつけない事は承知の上ではあるが、採用担当者の資質や力量や事業所のレベルの程をとくと拝見する楽しみもあり、私は必ずいそいそと採用試験に出かける。

 1年ほど前に、某(名門塾として名高い)塾の本部まで個人指導講師募集の試験、面談のため出かけた時のことだ。30歳代位の若い採用担当者(この業界は、大体30~40歳代位の担当者が多いようだ。)が対応されたのであるが、担当者にお会いするなりいきなり学科試験から始めるとおっしゃる。それは特段問題ないのだが、試験の前に「小6程度の学科試験ですが、受験しますか?」と聞く。今日私はそのためにわざわざ来ているのにおかしな事を聞く人だと思い、その旨聞き返すと、「学科試験は受けたくないので面談だけにして欲しい、と要求する応募者が多いため。」との答えなのだ。加えて、「途中でやめても結構です。」とも言う。何だかずい分失礼な採用試験との感覚を持ちつつ、私は学科試験を開始した。内容的には恐らく超難関中学受験を想定したレベルの試験であったが、第一50歳を過ぎた人間に小6の問題を解かせること自体大変無礼であるけれども、どうせそんなことであろうと私は前もって予想して採用試験に臨んだため、大して驚きもせず試験に集中していた。個室受験だったのだが、私が集中している最中に担当者が突然入ってきて、何と「まだ続けますか。」と聞くのだ。「はい。」と言いつつ試験に集中していると、「終わったら言って下さい。」と言う。制限時間も無いとはまったく人を馬鹿にしているとしか思えないと怒りつつ、試験が終了したためその旨告げた。私は学科試験をやり遂げた爽快感はあったものの、この時点で塾側は採用する気が元々ない事を既に悟っていた。元より、塾講師に50歳以上の“高齢者”がいないことは、子どもの塾通いの経験から私は既に承知の上でもあった。
 その後の面談では経歴の確認や時給額の折衝がなされた。そして、採用担当者から「講師として登録されても、実際の仕事をいつ紹介できるかについては今は申し上げられない。」旨の話があり、その後、案の定、現在に至るまで一切連絡は無いままである。(塾だ、塾だと世間は騒いでいるが、塾の存在の是非についてはいずれ別章で私観を述べたいと考えている。 それはそうとして、このような講師採用の実態から推し量って、今時の塾の経営理念とはどういうものなのか、是非共塾経営者様にお伺いしたく存じるものでもある。)

 話はガラリと変わって、私は半年ほど前に公立小学校の“相談員”募集にも応募した。当然ながら自治体の教育委員会からの求人である。 数年前、私がまだ40歳代であった頃にも同一の求人に応募して“不採用”となっている。数年前に私が不採用となったのは、この相談員の主たる業務(不登校対策)に関する自己の考え(私は不登校肯定論者である。この問題についても後に別章にて私観を述べたいと考えている。)が教育委員会の見解(当然ながら、不登校否定の立場を取らざるを得ないのであろう。)と大幅に異なったためであると私は考えている。
時代が流れ、いじめ問題、子どもの自殺が大きな社会問題となり社会全体が激震する中、学校や教育委員会の社会的立場も縮小化せざるを得なくなっている。そのような現在、公教育理念も移り行き時代に即応するべく進化しているものと私は考え、果敢にも再チャレンジしたのである。その期待もむなしく、面談(公的機関での採用試験は面談のみの場合が多い。短く、しかも集団での面談でいったい応募者の何がわかるのか不思議でもあるし、やはり公的機関は未だに“コネ”採用なのかとの疑惑が消し去れない…。)のみの採用試験の結果、またまた不採用となった。(コネを使ってもいいんだけど、コネをつけてくれた人に気兼ねしながら働くよりも、自分自身の実力を思う存分発揮しながら自由に働きたいと若い人たちだって思ってるんじゃないかと、おばさんは思うよ~。)
(と言いつつ、私はいつ再び、子どもたちを救えるのだろう…。)
  
 
 まだまだ、50歳を過ぎてからの「就職活動悪戦記」は語りきれないので、また近いうちに続編としてお届けしたく考えている。
 次回も、是非お読み下さい! 
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