原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

聖母マリアにはなれない(Part3)

2007年09月07日 | 教育・学校
  (Part1、Part2 からの続きです。)

 そして9ヶ月検診を迎えた日、保健婦さんとの面談で私は母になって初めて勇気を持って自分の意見を述べた。今思うに、その頃やっと母親としての余裕が持てる時期にさしかかっていたのであろう。「3か月検診のご担当の先生は離乳食をすぐに始めて早めに離乳するよう指示されたので、今日までそれに従って努力してきたが、どうも予定通りには離乳が進まない。私の焦り感が子どもの足を引っ張っている様子であるし、また、子どもの摂食、咀嚼能力が未発達のようにも察する。今後は子どものそれらの能力の発達状況を観察しつつ、自然に任せて離乳に取り組みたい。」そのようなニュアンスの私見を述べた。
 時代が進化していたのか、はたまた、今回はたまたまキャパシティの大きな保健婦さんに当たったのか、ご担当の方は「お母様がそのようにお考えでしたら、私はそれで良いと思います。何かお困りのことがありましたらいつでもご相談下さい。」と応じてくれ、すんなりと検診は終了し一件落着した。
 その後の離乳状況については詳しくは憶えていないが、呪縛から開放され、本来の自分らしく子どもに接することが出来、私なりに自然体で育児に取り組めたように思う。 ただ、我が子は中学生になっている今でも未だ、摂食、咀嚼能力の弱さを若干引きずっているように思えてしまう。生来のものかもしれないが、母親である私の9ヶ月検診までの離乳の失敗が原因であるように思えてならない。 誰からどのようなアドバイスがあろうが、なぜ母として我が子を信じ自分を信じる強さをもって育児に臨めなかったのか、未だに自責の念にかられる出来事である。
 数年前、子育てに関するマニュアルらしきものを厚生労働省が多額の国庫金を投入して作成し、小中学生のいる全家庭に配布した。(ざっと目を通したところ特段目新しい情報も盛り込まれていないため既に廃棄処分しており、名称等この本に関する情報が不確実である点お詫びするが。)そうでなくとも、育児書、教育書の類は星の数ほど出版されており、育児、教育に関する情報は世に氾濫している。そんなご時勢の中、親は如何なる信念を持ちどのようなスタンスで子育てに臨むべきであろうか。
 「親の背中を見て子は育つ」と昔から言い伝えられているように、まずは、親自身がひとりの人間として一生懸命生きることが子育ての基礎ではないかと私は思う。考えて、悩んで、行動して、失敗して、努力して、また立ち直って、喜び、怒り、泣いて…。そんな親の姿を子どもは必ず見ている。たとえ、出来の悪い親であっても、不完全な人間であってもよいではないか。親の生身の姿を日々子どもに見てもらおう。そして、できるだけ子どもとかかわろう。たとえ、下手なかかわり方しかできずとも、自分なりに精一杯子どものことを思い、愛し、子どもと共に歩めたならば、それが一番の子育てなのではなかろうか。
 少なくとも聖母マリアには誰もなれないし、なる必要もないと私は思う。

  「聖母マリアにはなれない(Part1,Part2,Part3)」  the end

聖母マリアにはなれない(Part2)

2007年09月07日 | 教育・学校
 (Part1 からの続きです。)

 3か月検診のため地元の保健センターへ行ったことにより、次の悲劇が始まる。一見して我が子は並外れて大きいと思った。実際、身長、体重共に平均よりはるかに上回っていたが、検診結果には何の問題もなく通過し、最後の保健婦(保健士)さんの問診までいったときのことである。「(我が子が)大き過ぎなので、授乳量を減らして離乳食を始め、なるべく早めに離乳しましょう。」とその担当者がおっしゃるのだ。私も既に育児書等で離乳の知識があったため、離乳を赤ちゃんの大きさだけで判断するのは短絡的ではないのかとの疑問を抱いた。ただ、当時の私はまだ若かったこともあり、地方自治体のような公的機関にそのように指導されればそれに従うより他にないと判断し、早速離乳食を取り入れていくこととなる。
 今度は、この離乳に難儀を極めることとなった。ご存知のように、離乳食は「ゴクゴク期」「モグモグ期」「カミカミ期」と赤ちゃんの摂食、咀嚼能力の発達に従って進めていくのであるが、我が子もまずは汁状の飲み物から離乳食を開始した。我が子は特にコンソメスープやうどんの汁等だしのきいた飲料がお気に入りの様子で、なかなかグルメ赤ちゃんだなあ、などと親馬鹿ながら悦に入っていた。ところが、「モグモグ期」に入ろうとした頃から難航し始める。ごく小さな固形物がほんの少しでも混入していると拒絶反応を示し吐き出してしまうのだ。この状態がしばらく続き、完璧主義で神経質な私はまたもや焦り始めることとなる。保健婦さんのアドバイスが頭にこびりついていたためだ。私は元々、育児に無理は禁物、何事も子どもの発達に合わせるべきと頭では理解できているはずなのに、またもや、あの指示に従わなければこの子の将来がすべて駄目になる、というような発想しかわかないような呪縛に囚われていたのである。私の気持ちは日々、離乳を進めることに集中してしまっていた。当然ながら、親が焦るほど子は緊張を強めていき、その悪循環の繰り返しに親子で陥っていた。この状態が9ヶ月検診まで続いてしまう。
 ただ、またまた幸いであったのは、我が子はミルクの摂取量は相変わらず多く、引き続き丸々と元気に育っていてくれていたことである。

  (Part3へ続く)

聖母マリアにはなれない(Part1)

2007年09月07日 | 教育・学校
 私は子育てにおいては失敗だらけの出来の悪い母親であるが、子どもが乳児の頃、大きな失敗をしでかしていて、未だに後悔している事がいくつかある。
 (以下は、1990年代前半の頃の話である。現在では、産院及び自治体の育児指導はこの頃より進化を遂げていることと信じたい。)
 私が子どもを産んだ病院は授乳教育が徹底的にマニュアル化されていて、授乳時間が厳格に決められており、毎日その時間になると母体の健康状態にかかわらず、母親は全員強制的に授乳室に集合させられた。そして、赤ちゃんの体重測定を経て授乳を行うのだが、母乳が足りない赤ちゃんには人工乳で補うという手順となる。ところが、生まれたばかりの赤ちゃんと言えども千差万別であるし、また時にはご機嫌斜めで授乳を拒否する等のハプニングは当然のことであるのに、その産院では、赤ちゃんが規定量を飲む(無理やり飲ませる)まで母親は病室に帰れないシステムとなっていた。我が子は不運にも母乳も足りていなければ人工乳の飲み方も少ない子で、私と私の赤ちゃんは授乳の時間毎に授乳室に居残りとなり、授乳の都度、胃が痛い思いをする辛い入院生活を味わう羽目となった。
 この拷問に近い仕打ちを余儀なくされた産院を何とか無事退院したものの、元々完璧主義で神経質な私は、この後も、この産院の悪しき習慣を引きずってしまう。後になってみれば、愚かな新米母親であった自分をつくづく恥じ入るばかりである。だが、小さくていたいけな我が子を目の前にすると、その産院の授乳習慣に従わないとこの子は死んでしまうのではないかとの呪縛にがんじがらめとなり、冷静な判断ができなくなってしまうのである。医学的、教育学的バックグラウンドがあり、結婚、出産が遅かった分人生経験も豊富だと自負していた私でさえも…。
 ただ幸運であったのは、我が子は退院後授乳量が急激に増え、準備した規定量を難なく飲み干してくれスクスク(というよりは丸々と)大きな赤ちゃんに成長してくれたことである。ところが、今度は、我が子のその大きさが新たな呪縛を呼び起こす原因となる。
   (Part2へ続く)