(Part1、Part2 からの続きです。)
そして9ヶ月検診を迎えた日、保健婦さんとの面談で私は母になって初めて勇気を持って自分の意見を述べた。今思うに、その頃やっと母親としての余裕が持てる時期にさしかかっていたのであろう。「3か月検診のご担当の先生は離乳食をすぐに始めて早めに離乳するよう指示されたので、今日までそれに従って努力してきたが、どうも予定通りには離乳が進まない。私の焦り感が子どもの足を引っ張っている様子であるし、また、子どもの摂食、咀嚼能力が未発達のようにも察する。今後は子どものそれらの能力の発達状況を観察しつつ、自然に任せて離乳に取り組みたい。」そのようなニュアンスの私見を述べた。
時代が進化していたのか、はたまた、今回はたまたまキャパシティの大きな保健婦さんに当たったのか、ご担当の方は「お母様がそのようにお考えでしたら、私はそれで良いと思います。何かお困りのことがありましたらいつでもご相談下さい。」と応じてくれ、すんなりと検診は終了し一件落着した。
その後の離乳状況については詳しくは憶えていないが、呪縛から開放され、本来の自分らしく子どもに接することが出来、私なりに自然体で育児に取り組めたように思う。 ただ、我が子は中学生になっている今でも未だ、摂食、咀嚼能力の弱さを若干引きずっているように思えてしまう。生来のものかもしれないが、母親である私の9ヶ月検診までの離乳の失敗が原因であるように思えてならない。 誰からどのようなアドバイスがあろうが、なぜ母として我が子を信じ自分を信じる強さをもって育児に臨めなかったのか、未だに自責の念にかられる出来事である。
数年前、子育てに関するマニュアルらしきものを厚生労働省が多額の国庫金を投入して作成し、小中学生のいる全家庭に配布した。(ざっと目を通したところ特段目新しい情報も盛り込まれていないため既に廃棄処分しており、名称等この本に関する情報が不確実である点お詫びするが。)そうでなくとも、育児書、教育書の類は星の数ほど出版されており、育児、教育に関する情報は世に氾濫している。そんなご時勢の中、親は如何なる信念を持ちどのようなスタンスで子育てに臨むべきであろうか。
「親の背中を見て子は育つ」と昔から言い伝えられているように、まずは、親自身がひとりの人間として一生懸命生きることが子育ての基礎ではないかと私は思う。考えて、悩んで、行動して、失敗して、努力して、また立ち直って、喜び、怒り、泣いて…。そんな親の姿を子どもは必ず見ている。たとえ、出来の悪い親であっても、不完全な人間であってもよいではないか。親の生身の姿を日々子どもに見てもらおう。そして、できるだけ子どもとかかわろう。たとえ、下手なかかわり方しかできずとも、自分なりに精一杯子どものことを思い、愛し、子どもと共に歩めたならば、それが一番の子育てなのではなかろうか。
少なくとも聖母マリアには誰もなれないし、なる必要もないと私は思う。
「聖母マリアにはなれない(Part1,Part2,Part3)」 the end
そして9ヶ月検診を迎えた日、保健婦さんとの面談で私は母になって初めて勇気を持って自分の意見を述べた。今思うに、その頃やっと母親としての余裕が持てる時期にさしかかっていたのであろう。「3か月検診のご担当の先生は離乳食をすぐに始めて早めに離乳するよう指示されたので、今日までそれに従って努力してきたが、どうも予定通りには離乳が進まない。私の焦り感が子どもの足を引っ張っている様子であるし、また、子どもの摂食、咀嚼能力が未発達のようにも察する。今後は子どものそれらの能力の発達状況を観察しつつ、自然に任せて離乳に取り組みたい。」そのようなニュアンスの私見を述べた。
時代が進化していたのか、はたまた、今回はたまたまキャパシティの大きな保健婦さんに当たったのか、ご担当の方は「お母様がそのようにお考えでしたら、私はそれで良いと思います。何かお困りのことがありましたらいつでもご相談下さい。」と応じてくれ、すんなりと検診は終了し一件落着した。
その後の離乳状況については詳しくは憶えていないが、呪縛から開放され、本来の自分らしく子どもに接することが出来、私なりに自然体で育児に取り組めたように思う。 ただ、我が子は中学生になっている今でも未だ、摂食、咀嚼能力の弱さを若干引きずっているように思えてしまう。生来のものかもしれないが、母親である私の9ヶ月検診までの離乳の失敗が原因であるように思えてならない。 誰からどのようなアドバイスがあろうが、なぜ母として我が子を信じ自分を信じる強さをもって育児に臨めなかったのか、未だに自責の念にかられる出来事である。
数年前、子育てに関するマニュアルらしきものを厚生労働省が多額の国庫金を投入して作成し、小中学生のいる全家庭に配布した。(ざっと目を通したところ特段目新しい情報も盛り込まれていないため既に廃棄処分しており、名称等この本に関する情報が不確実である点お詫びするが。)そうでなくとも、育児書、教育書の類は星の数ほど出版されており、育児、教育に関する情報は世に氾濫している。そんなご時勢の中、親は如何なる信念を持ちどのようなスタンスで子育てに臨むべきであろうか。
「親の背中を見て子は育つ」と昔から言い伝えられているように、まずは、親自身がひとりの人間として一生懸命生きることが子育ての基礎ではないかと私は思う。考えて、悩んで、行動して、失敗して、努力して、また立ち直って、喜び、怒り、泣いて…。そんな親の姿を子どもは必ず見ている。たとえ、出来の悪い親であっても、不完全な人間であってもよいではないか。親の生身の姿を日々子どもに見てもらおう。そして、できるだけ子どもとかかわろう。たとえ、下手なかかわり方しかできずとも、自分なりに精一杯子どものことを思い、愛し、子どもと共に歩めたならば、それが一番の子育てなのではなかろうか。
少なくとも聖母マリアには誰もなれないし、なる必要もないと私は思う。
「聖母マリアにはなれない(Part1,Part2,Part3)」 the end