原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

優先席物語(Part2)

2007年09月10日 | その他オピニオン
  (Part1 からの続きです。)

 座席を譲った方の経験は多いが、その中で一番よく憶えているのは、上京して間もない若かりし頃のことである。お年寄りが電車に乗ってきたため、私は直ぐに立って「どうぞ」と座席を譲ると、その男性は快く座ってくれた。すると、その方はやわら買い物袋からおそらくご自身のために買ったと思われる“コーンの缶詰”を取り出して、私に「これ、持って帰りなさい。」と持たせてくれるので、若干躊躇はしたがご好意に甘えていただいて帰ったことがある。
 近年は、譲られる方が譲られて迷惑したごとくの話もよく耳にする。譲られる側にも様々な事情があるようだ。例えば、自分はまだまだ若いのに年寄り扱いされて自尊心を傷つけられた、と言う人もいれば、自分は人様の世話にはならぬと恩を売られる事をかたくなに拒む人もいる。また、健康のために立っている人もいる。深刻なのは、体が不自由で立ったり座ったりの動作が難儀なため立っているのに席を譲られて困惑した人もいるようだ。
 上記(Part1)のように、私も座席を譲られた経験があるため譲られる側の気持ちが少し理解できるのであるが、行きずりの人から席を譲られるという行為自体に、まずは戸惑ってしまう人も多いのではなかろうか。昔は、見知らぬ人が席のお礼に“コーンの缶詰”を差し出すような(上記参照)、人と人とのかかわりが円滑な時代もあった。時代が流れ人間関係が希薄化し、人の好意を逆手に取るような犯罪も激増している現在、特に見知らぬ人同士のコミュニケーションが老いも若きもぎこちなくなってしまっている。人の好意を素直に受け取って良いものやら悪いものやら、はたまた最初から疑ってかかるのが無難なのやら、その逆の立場すなわち好意を提供する側もまた同様に、判断がつきにくい世知辛い世の中となってしまっていることは残念ながら事実である。ましてや、席を譲られるのはとっさの出来事で、相手の好意に即時にそつなく応じるという、スマートな行為をやってのけられる人が激減しているのではないかと感じる。
 そこで提案であるが、席を譲られたら、身体的ハンディ(席に座れない等の)が無い限りは自分のプライドや頑固さは一旦胸のポケットにしまって、その好意に甘える振りをしてはどうか。席を譲る側は譲られる側よりも大抵は年齢が下の世代であろう。その人生の後輩のモラルを育てる意味合いでも、譲られる側はたとえ演技であれその好意を無にしないで欲しいと私は思う。そして、譲る側も、例えばさりげなく降りる振りをして席を立つ等、譲られる側の心理的負担とならないような譲り方を工夫してはいかがか。
 世の中、自分の知人なんてほんのひと握り、その他は皆知らない人たちばかりなのだ。その知らない人たちとのちょっとしたコミュニケーションがうまっくいってこそ、自分の世界が広がり、ひいては社会全体が円滑に機能していくのであろう。そのためには、場を把握する力、自分を客観視できる力を育て、他者に配慮するゆとりを持たねばならない。たかが乗り物という小さな社会であるが、一期一会を大切にして、人々のささやかなコミュニケーションが息づいていくことに期待したい。



  「優先席物語(Part1)(Part2)」  the end


優先席物語(Part1)

2007年09月10日 | その他オピニオン
 優先席(シルバーシート)をはじめ乗り物の座席をめぐるモラルについては、優先席が社会に登場した当初より今日に至るまで、物議を醸し続けている。
 私は、当然ながら年齢的(更年期真っ只中であるが)にまだ優先席を利用したことはない。立つ時でもなるべく優先席利用者の妨げにならないように一般席付近で立つよう心がけている。
 そんな私も一般席での出来事であるが、今までの人生で何と2度も座席を譲っていただいたことがあるのだ。いずれも妊娠中の時であった。
 一度目は妊娠8ヶ月目くらいの頃であったが、電車に乗り込んでつり革につかまるや否や、少し年上らしき女性がさっと立ち上がって「どうぞ」と座席を勧めて下さるのだ。私が妊娠している事に気付いてご配慮下さったのだと直ぐに察知できたが、席を譲られるなんて生まれて初めての経験であったし、予期せぬ出来事で戸惑い焦った。私は高齢での妊娠ではあったが、元々、つわり期と臨月以外は体調が安定しており、出産間近まで毎日片道2時間かけて電車とバスを乗り継ぎ通勤していたこともあって、電車で立つぐらい何の苦にもなっていなかった。その日も体調は良く、実は駆け込み乗車で乗り込んだばかりのことであった。(危険ですので、駆け込み乗車はやめましょう。)が、その見知らぬ女性の気配りがとてもうれしくて、丁重にお礼を申し上げて座らせていただいた。
 2度目もやはり臨月に近い妊娠中であったが、年老いた母と一緒に電車に乗ったときのことだ。一般席が一人分だけ空いていたため、「お母さん、座りなさいよ。」と私が言うと、母は「あなたが妊娠中なんだから座りなさい。」と言い、二人でその押し問答を繰り返していると、空席の隣に座っていた男性が黙って立ち上がって下さったのである。この時は申し訳ない思いでいっぱいで、「いえ、大丈夫ですから。」とは言ったものの、まさかその男性も座り直すわけにもいかないだろうし、やはりお礼を申し上げて二人で座らせていただいた。が、押し問答などせずに静かにさっさと一人だけ座るべきだったと、その男性や周囲の方々に迷惑を掛けたことに後悔しきりで、何ともばつが悪い思い出である。
 後者の例については、日常乗り物に乗るとよく出くわす風景である。先だっても、山手線電車内で立っていると目の前の席がひとつ空いた。横に立っていたサラリーマン風中年男性の二人組が「お前が座れ。」「いや、お前が。」の押し問答になったため、私は座ることを控えた。すぐさま空席の隣に座っていた若い男性がさっと立ち上がり男性二人組が座れる状況が整った。すると立っていた二人組のひとりが、「そんなつもりじゃないのに。」と席を譲られたことをさも迷惑気に言い始めるではないか。私はその無礼さに驚き、(あんたらが騒いでいるから譲ってくれたのに、そんな言い方はないだろ!御礼を言ってさっさと座れよな!)と心中穏やかではなかった。


 
 (優先席物語 Part2 へ続く)