原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

大学全入時代への懸念

2008年04月10日 | 教育・学校
 少子化傾向に伴い、大学全入時代の到来が目前となっている。
 大学と名が付きゃどこでもいい、いかなる学部でもいいと言うならば、希望さえすれば全員が大学に入れる時代の到来である。ただし、現実的にはそういう極端な志願者は少数派であり(?)、通常は入学者の希望等があるため、一部の大学では受験者が溢れ、また一部の大学では入学定員を満たせないという偏り現象は今後も存在し続けるのであろうが。


 先だっての朝日新聞朝刊の記事によると、この大学全入時代を目前にして大学入試問題も易しくなっている傾向にあるらしい。 そして、大学側のテキストも中学、高校レベルのものが多くなっていると言う。
 以前より小耳に挟んではいるが、聞き捨てならない話である。学問を修めるべき学び舎である大学で中高レベルの授業??? これは、とんでもない現状だ。

 この記事によると、例えばある書店が大学の英語教育用に出版したテキストは英検3級レベルであるらしい。英検3級と言うと、中学生レベルの英語力を試す検定だ。我が家の子どもですら中2で既に英検3級は合格し、中3になった現在は英検準2級にチャレンジ中である。(通学している学校の方針で高校卒業までに英検準1級取得を目指して頑張っているのだが。) この出版社は大学向けにより易しい判のテキストも用意していて、歴史ある有名大学も含め全国で延べ190大学でこの易しい判テキストが採用されているらしい。今や、大学1年生の多くが英検3級レベルであり、準2級~1級レベルの学生が半数以上を占めるという大学は非常に少ないということだ。
 これは今後大学進学を目指す子どもを持つ親の立場からも、嘆かわしい話である。 と言うことは、我が子が大学に進学したら皆といっしょに英検3級レベルの復習をもう一度やらされるということか? そんなことでは、大学で自ら目指す本来の学問を学ぼうとする意欲が消え失せるではないか。


 一方このような現状に対応するべく、塾業界が大学事業部設置に乗り出している。学科テストのない推薦入試などで早く合格を決めた学生を対象に大学入学前教育を請け負う体制作りに着手している。
 また、ある塾業界大手企業は大学に対する補習支援サービスを始めたということだ。工業系大学向けの「化学」や経済系学部の「数学」など、大学教授たちが「履修不足」と感じる分野の補習テキストを開発し、講師派遣とセットで大学に提供サービスをするという。
 う~ん……。 私は基本的に塾を否定的に捉える見解に立っている人間である。(本ブログ“教育・学校カテゴリー”バックナンバー「塾の教育力のレベル」を参照下さい。) だが、この問題に関しては、塾に活躍してもらうより他に手段はないようにも思える。 少なくとも、大学とはそもそも中高レベルの補習教育をする機関ではない。大学の存在使命とは、学問、科学の発展に寄与するというところにある。大学がそのような本来の存在使命を果たすためには、さしあたって中高レベルの学力しかない多くの学生の支援を外部の塾業界に頼るのも有効な手段とも思える。
 いくら現状の公教育に教育力がないと言えども、塾業界が義務教育過程である小中学校にみだりに進出することは、結果としてますます法的に義務教育と定められている公教育が自ら努力し発展するべき力を封じるものであり、私はあくまでも本末転倒であると考える。
だが、塾業界が上記のように大学支援という形で進出するのであれば、自由競争の範囲内との解釈も可能であるかもしれない。

 
 この嘆かわしい事態の根源は、現状の中高教育に元々あるのであろう。近年の子どもの学力低下傾向が叫ばれて久しいが、中高の教育レベルがそれ程低いという実態を再認識させられるばかりである。
 そして、大学が自らの生き残りのために、学問を修める能力もない学生を安易に受け入れてしまうところにも大きな病理がある。
 さらに原点に戻れば、この問題は、この国のポリシーなき教育行政が創り上げてしまった“成れの果て”なのであろう。

 日本の学問、科学の未来が末恐ろしい大学全入時代はすぐそこまで、いやもう既にやって来ている。 

 
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