昨日は「発達障害エッセイ」を綴り公開するに当たり、goo編集画面の誤作動により画面が大幅に乱れました事をお詫び申し上げます。
本日、「結語」を綴りたく考えておりましたが、またもや編集画面の誤作動により、自分が書いた文章がコピー不能な有様です。
時間的都合によりそれの手書きが叶いませんが、いつか時間が取れる時に是非とも「結語」を公開したく考えております。
何故かスマホ版では、昨日公開したエッセイも含め、コピーが生きている様子ですので、もしよろしければ昨日公開の表題エッセイをスマホにてご確認いただけましたら幸いです。
一応、以下に我が「結語」部分をコピーしておきます。(この「結語」部分も、スマホでは生きているようです。)
一体全体、この編集画面、どうなってるんだ!!
gooが編集画面をリニューアルでいじる都度、改悪される感覚があるが……
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最後に、現在の原左都子の結語を述べよう。
「発達障害児」に関して、今現在は一昔前に比し、学校現場に於いてその理解が急激に進んでいる様子である。
そのためまかり間違っても学校現場の教育担当者間では、「発達障害」に関する“誤解”や“無理解”は無いものと信じたい。
一方、一般市民間に於いては未だその理解が進んでいないような感覚を機会ある毎に抱く。
「発達障害」の種類にもよるが。
昨日のエッセイにても記したが、例えば「ADHD」等のようにその行動様式が特異的で目立つ場合は、その理解が得やすいようだ。 我が娘の小学校のクラスにもそれに該当する子供が在籍していたが、例えば参観日でその子を一見したのみで、(ああ、発達障害児「ADHD」だ…)との感想を抱いたものだ。
それに比し、我が娘の特質のごとく「極度寡黙性・無反応性」(弛まぬサリバン指導により現在までに大幅改善しているが、やはりその特質のすべてを消し去る事は残念ながら不能だ。)の場合、目立ちにくい故に命拾いか?と思いきや。 決してそうではなく、子供達間では容赦がなかった。 特に幼稚園時代から小学校低学年頃まで、その弱点を突かれてどれ程のいじめに遭ったことか。 やむを得ず住居買替転居により転校し、いじめから“逃げる”との強硬手段をとる等の無駄な出費と苦労を味わっている。
今現在、我が娘は一応正社員として中小企業に勤務し、娘なりに精一杯頑張っている。 ただ、本音を言えば今の時代においては、既に娘の「発達障害」は職場内でバレているであろうとサリバンの私は推測している。 おそらく本人の仕事に対する人一倍の努力と真面目さ故に、周囲の暖かい陰なる応援に支えられて娘の就業が成り立っているだけの話であろう。 それでも親としては(いつ首になるのか??) と常にビクビクものであり、それに備え娘が将来的に“食っていける”財産の蓄積”に余念がないのが現実だ。
我が娘の実態を語り過ぎてしまったようだが。
実際問題、「障害」と名の付く子供を授かったしまった家庭は、一生涯に渡りその支援に躍起にならざるを得ないのが実情だ。
それでも、我が子とは何にも増して可愛いのも親の本音だ。
何処の「発達障害児」を持つご家庭も、その思いは我が家同様だろう。
どうか皆様、そんな家庭が抱える苦労の程を少しは推し計って頂き、少なくとも「発達障害なんて大嘘で、単に家庭での育て方が悪いんだよ、育つ環境すら整えれば解決する問題だよ」なる無責任発言だけは、くれぐれも慎んでいただけますように……