原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「女性の自立」、私の場合は十分周囲や社会に応援して貰えたと振り返る

2021年05月04日 | 自己実現
 昨日2021.05.03付朝日新聞の一面トップは、「男女平等の理念 遠い日本、“女性の自立 応援しなかった社会」と題する記事だった。


 早速、私事だが。
 そうかなあ??  私の場合は自分自身が主体的に精一杯ひたすら頑張ったが、周囲ひいては社会がそれを十分に後押ししてくれ成功をゲットし続けてきた実感がある。


 とにもかくにも、冒頭の朝日新聞記事を以下に要約してみよう。
 
 個人の尊重と幸福追求の権利を定める憲法13条。 法の下の平等をうたい性差別を禁じる14条。 そして、両性の本質的平等を保障する24条。 憲法は三つの条文によって男女差別を保障する。 しかし、雇用における差別は残り、支援制度も世帯単位で作られ、個人に重きがおかれていない。
 総務省発表では昨年、非正規雇用の働き手は75万人減ったが、そのうち女性は男性の倍を占めた。 厚労省によると、昨年の女性自殺者は7千人超。 前年比15.4%も増えた。
 相談会スタッフは話す。 「相談を受けて痛感したのは、夫婦間や職場で空気を読んで口答えせず、自分のことは後回しにする生き方を強いられて来た女性が、本当に多いことだった。」
 加えて、「彼女達は家の中で娘として妻として嫁として役割を背負わされてきた。 自分にも権利があると考えられる人が多くないのは、女性の自立を応援して来なかった国の、社会の責任ではないか。」

 (以上、昨日の朝日新聞一面トップ記事の一部を引用したもの。)



 私見に入ろう。

 上記朝日新聞記事を読むと。
 正直言って、いつの時代の話か??? と首をかしげてしまう。
 「彼女達は娘として妻として嫁として役割を背負わされてきた」?????

 それが嫌ならば、自分の力で打破すれば済んだ話ではなかろうか?!?

 私はそうしてきた。
 20代早期に“親を捨て故郷を捨てて” 単身上京した後に、我が真の人生がスタートしたとも言えよう。
 そのために必要なものは、まずは“先立つカネ”であろう。 (まさかそれを想定してではなかったが)私の場合、幼少の頃より「貯金」に目覚めている。 その習慣が続き、上京するに際して当面生きていけるカネを貯め込めていた。

 「妻」に関してもそれが嫌ならば、何も婚姻などせず自立して一人で生きれば済む話だ。
 私はそれも実行した。 ただしこれにもカネはかかる。
 独身時代の私は自分の専門分野はもちろんのこと、外見的優越性(???)も最大限活かしつつ働き詰めだった。 それが楽しくかつ有意義でもあり、とことん充実した我が“華の独身時代”を送ったものだ。
 実に“煌びやかな”我が独身時代だった。 仕事では十二分に成功を遂げ、まさに周囲や社会からの多大な応援(と言うよりも期待や信頼)を浴びつつ活躍三昧の日々だった。
 
 縁あって見合いにて晩婚に至ったが。
 その後も決して自分の事を後回しにした経験など皆無。
 私の場合、晩婚で産んだ娘が多少の不具合を抱えていたこともあり、その分野では苦労の連続だったものの。 これすら我が“サリバン人生”との生き様こそが、現在の我が人格をさらに磨いてくれたとプラス評価している。

 ああ、嫁ねえ。
 確かに、私にも「嫁」を自覚させられる経験が無きにしも非ずだったが。 
 それでも現在高齢者自立支援施設入居中の義母と相変わらず良き関係が築けている、と結論付けられよう。


 確かに。 
 「女性の自立を応援しなかった我が国の社会」の責任は多大であろう。
 
 ただ、“もはや戦後ではない” とのスローガンか掲げられた時代背景下に、過疎地に生まれ出た我が身にして。

 その後の自己の弛まぬ精進・努力の日々の甲斐があり。

 (私個人的な話で恐縮ではあるものの)、十分に「男女平等」を自身の力で勝ち取れた人生を全う出来ているのでははなかろうか?? と振り返ったりもする。