私め原左都子も、近い過去に表題と同趣旨のエッセイを2本公開している。
そんな私にとって、大いに勇気づけられる著名人によるネット情報を発見した。
早速、以下に引用しよう。
明石家さんま65歳、ワクチン打ちたくない理由は「打ったら体が変わってしまう」
明石家さんまが、15日放送の『MBSヤングタウン土曜日』(MBSラジオ) で、65歳でありながら 新型コロナウイルスのワクチンを接種しない意向を表明した。
さんまは、同じく65歳の浅田美代子から昨日、「ワクチンどうするの?うちは(接種のお知らせが)来たけど?」といった電話がきたことを明かした。この相談に対し、さんまは「僕は打たないつもり。誰かに回してあげたいと話した」と振り返った。
一方、浅田は「私どうしようかなぁ」と悩んでいたそうで、これに彼は「いやあ、美代子さんも打たないほうが(いい)」と勧めたと告白。理由としては「今まで2人とも菌にかかったことないから」というもの。
今年7月で66歳になるさんまは、「66年間、一回も(ワクチンを打ったことが)ないんですよ。ここでワクチンを打つと、体が変わってしまうので俺は打たないって(決めている)」と述べた。
(以上、ネット情報を引用したもの。)
残念ながらこのさんま氏の発表には、バッシング意見が押し寄せているようだ。
そりゃそうだろう。 大抵の国民たちは、(その個々のポリシーの程は不明だが)どうも“我先に”と数少ないワクチン接種に躍起なっている様子だ。
(この原左都子など、その風潮の方にこそよほどの“恐怖感”を抱かされるのだが…)😨
私見に入るが。
上記さんま氏のご見解が素晴らしいのは、きちんと「ワクチン打ちたくない理由は『打ったら体が変わってしまう』から」とのご自身なりのポリシーを語っておられる点だ。
このさんま氏の“ワクチンを打たない理由”が、我が理由と重なる。
実際私が(コロナに限らず)ワクチンや投薬を一貫して敬遠しているのは、そういうことだ。
私の場合、元医学関係者にして普段より“予防医学”を徹底し、滅多なことでは“人為的”とも表現できる「医療」に依存しない主義を長年貫いている。
それが功を奏しているのか、現在さんま氏と同い年にして難病には一切縁がなく、比較的健康体をずっと維持して来れている。
そんな身にして、世の発表によれば少なからずの副反応や死者が報告されている“コロナワクチン”はまさに恐怖の対象である。
まさにさんま氏がおっしゃる通り、そんなものを突然打ったならば、「体が変わってしまいそうな」恐怖感があるのだ。
何分病院へ行かない主義のため、普段「薬剤」を処方される機会すらない。
私の場合、持病のひとつに激しい「花粉症」があるが、これさえ一切の投薬無くして、毎年ひたすら鼻が真っ赤になって剝けてくるまで鼻水をかんで耐えている。
あるいは40歳時に「頭部皮膚癌」を患った際には、やむを得ず医療に依存して癌の摘出手術を受けた。 それはやむなしとして。
当時我が皮膚がんに有効作用する抗がん剤は世に存在しない、と把握していた私が “抗がん剤”投与を強く拒否したにもかかわらず。 担当医師よりのたっての願いで1週間限定との約束で投与されてしまい… それまで“明るい癌患者”の称号をもらうほどに元気はつらつだった私が、真の病人に仕立て上げられてしまったとの辛い経験がある。
抗がん剤投与のせいですっかり病人に成り下がっての退院で、未だ小さき発達障害児の娘を育てねばならない身にして、しばらくは髪の毛が抜け続けるし、身体が実につらかったものだ…
私にとっての医療行為受け入れとはまさにそれだけであり、それ以外は各種ワクチンは元より、何らの医療依存無くして現在に至っている。(自然治癒があり得ない歯科には依存しているが。)
そんな私も、さんま氏同様に今更コロナワクチンなどを接種してしまうと。 むしろ薬剤等異物に抵抗力がない我が身にして、“体が急変してしまいそうな不安感(というよりも恐怖感)”があるのだ。
高齢者の皆さんがワクチン接種をして平然としている姿を垣間見るに。
あれは普段から大量の劇薬を投与されることに対し身体に免疫が成立している故だろう、と感じざるを得ない。
今回のコロナワクチン接種は、「任意」のはずだ。
それをあくまでも尊重していただきたいものである。
著名人が「コロナワクチン接種拒否」発言を公表する権利は重々あると、私は結論付ける。