原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

早く話し始める子と遅い子の将来の成否

2022年05月15日 | 教育・学校
  昨日、我がひとり娘の引越し作業が最終局面を迎えた。


 引越しの際に使用した段ボール類をすべて不用品引き取り企業に依頼して引き取ってもらう作業を、娘と2人で行った。

 とにもかくにも、親としてはこれで一段落だ。

 今回の娘の引越を通して感じたのは、娘の「ひとり立ち」に対する本人の強い決意と意思である。
 これ程までに成長した娘であることを実感させてもらい、この子は今後本気で一人でやっていける! なる確信を得ることが叶った娘の引越騒動だった。



 話題を大きく変えよう。

 本日朝、「早く話し始める子と遅い子の『学力差』その後の真実 比較対象にはなるが将来の成否を約束はしない」と題するネット情報の一部を、以下に要約引用しよう。

 言葉の早い遅いは、子どもの将来と関連するのでしょうか? 「子育てには数々の『平均値』があり、そのなかでも言葉は『人間らしさ』の表れなので、いつ・どれくらい話せるのが普通か気にする親はとても多い」と話すのは、ブラウン大学経済学部教授で膨大な教育関連データを分析するエミリー・オスター氏。 経済学者としての知見と2児の母としての実体験からベストな子育て法を探る同氏の『米国最強経済学者にして2児の母が読み解く子どもの育て方ベスト』より、月齢と言葉の量、学力との関連について一部抜粋してお届けします。
 「話すこと」は、ごく自然に比較の基準になりやすい。 わが子を他の子と、きょうだいと、そして自分と比べるのだ。
 でも、うちの子は他の子と比べてどうなのか知ろうと思っても簡単にはできない。小児科の健診は、体の発達と同様、早期介入が必要な子どもを見つけるのが主眼だ。 2歳健診でよく聞かれるのは、子どもが日常的に少なくとも25語を話すかどうか。ただ、これは問題がある可能性を示す基準値であり、平均や何らかの範囲は示されていない。
 全体の分布がわかっても疑問は残る。話始めの早い遅いは重要? 早く話し始めると後で何か影響が出る? どちらの質問にも答えはある。データを見てみよう。 (途中大幅略) 
 私たちはみんな親バカだから、自分の子がグラフのどこに当てはまるかを調べるのは楽しいかもしれない。実際にはほぼ全員が話せるようになるのだが、それでも赤ちゃんの頃の差から長期的な差を予測できるかどうかは気になるところだ。早くおしゃべりを始めた子は、文字も早く読めるようになるのだろうか? 学校の成績もいいのだろうか?
 大前提として、言語の発達は両親の学歴と明確な関連がある。一方で、両親の学歴は子どもの幼児期の読む力や後の学力テストの得点など、他の結果とも関連する。つまり、純粋に言葉の早い遅いという影響だけを調べる際には、親の教育歴などを極力排除する必要があるのだ。
 言葉の遅い子は「学力スコア」がわずかに遅い
 この分野での、最も大規模で厳密な研究が注目したのは、言葉が基準より遅かった子どもは、のちに他の面でも遅れを見せるのかというテーマだ。 (中略)
 結果から示されたエビデンスはさまざまだった。言葉の遅れた子のグループは、かなり後になっても学力テストの結果はわずかに劣るようだった。17歳時点のI Qスコアは対照群よりも低かった。
 だが、得点が特別に悪いとはいえなかった。たとえば、言葉の遅れでは下位10%であっても、17歳でのI Qテストで下位10%に入る者はいなかった。
 こうした研究は言葉の遅れた子を対象としている。 (中略)
 言葉の早さは「将来」を約束しない。 (中略) 
 言葉の早いグループの得点が(平均で)高いことがわかる。その一方で、分布にはかなりの重複が見られる。個々のばらつきは平均の差を完全に圧倒しているのだ。
 ごく例外的な言語能力の場合はどうだろう。これにも、言語の早熟と後の成長具合に相関性があるという小規模なエビデンスがある。しかし、相関関係は、この研究でも別の研究でもあまり大きくなく、2歳前によく話せることが必ずしも早く文字を読めたり、他のことを達成できたりすることの決定因子にはならない。
 親がわが子を他の子と比べようとするのは自然なことで、おそらく避けようがないだろう。言葉の発達は最初に目の当たりにする認知過程であり、比較の対象になるのは当然だ。だが、言葉が早いから将来の能力が予測できるかといえば、その可能性はあるにせよ、極めて低い。 言葉の早さは将来の成功を約束はしない。言葉の遅い子も、大半は数年以内に他の子と変わらなくなるのだ。

 (以上、ネット情報を途中大幅に略したもの。)



 話題を、我が一人娘に戻そう。

 我が子の場合、出産時のトラブルにより「仮死状態」で産まれ出て来たとの特殊事情があり、特に幼少の頃は周囲の子供たちと比較して“有意な遅れ”が目立っていた。
 その状態に母である私自らが気付き、2歳になって未だ娘に発語がなかった時点で医療機関を訪れたところ、やはり医師より「有意な遅れがある」との診断が下された。 そしてすぐさま、その医療相談や教育相談を執り行った。

 その後親の考えで、娘小2の途中で専門家による指導を全面的に取りやめて。
 医学・教育両分野の職業経験がある母の私が、娘のサリバン先生を担当し娘の指導を一手に引き受けることとした。
 要するに、日々娘が学校へ行っていない時間帯は私が娘に全面的に付き添って、教育指導を執り行った。

 このマンツーマン指導が功を奏したのか、娘は私立中学入試に合格し私立中高一貫校へ進学することが叶った。
 その娘が通った私立中高の学習指導が幸いなことに娘に合っていたことと、我が家に於けるサリバン指導とが並行して。 その後も我が娘は順調に学業成績を上げていき、漢検・英検等合格の私立大学推薦入試に必要な条件を早期に満たすことが叶った。
 当時、美術に興味があった娘はそれと並行して夜間は美大予備校にも通っていたのだが、そこでのデッサンに躓き美大受験は諦めざるを得なかった。
 ところがラッキーなことに、娘の高校での学業成績が大学公募制推薦の条件を十分に満たしていて、娘は志望大学への合格を見事勝ち取った!
 大学進学後も母であるサリバンの私が大学の小論文課題等々を手伝い(と言うよりも)。 サリバンの私が娘の大学授業ノートを熟読しては担当教官が如何なる小論文を書いて欲しいのかを読み取り、娘の大学レベルに合わせた小論文を書き上げて提出させたものだ。 (それをするには娘に大学の授業を正確に聞き取り筆記させる必要があったのだが、娘は十分にその能力があった!)
 これらのサリバン業が功を奏し、娘は優秀な成績で大学を卒業することが叶っている。

 就職はどうしたかと言うと。
 これは娘に任せた。 そうしなければ娘の将来が無い!、とサリバンとして結論づけた故だ。
 その結果、娘は大学での専攻とはまったく異なる分野である「IT技術者」としての就職を自ら決定した。 就活にて娘の面談担当者は娘の異常とも言える寡黙さに気付いたようだが。 娘も就職までの短期間に「情報処理パスポート国家資格」をゲットして。 結果としては「正社員」としての就業が叶っている。


 そうこうして、就職後今年で7年目を向かえたこの春に。

 娘は、「親から離れてひとり立ちしたい」宣言をしてきた。
 その宣言は、真実味を帯びていた。
 それを娘から感じ取った我々親どもは、その勇敢な娘の未来を本気で見つめてやろうと考えた。

 そして、娘は職場に近い都内某所の自らが選んだ新居へと旅立った。


 仮死状態にてこの世に産まれ出て、その後発語の遅れが目立った我が娘。
 母の私が、娘のサリバン先生として尽力した時期もあったが。

 28歳にして立派にひとり立ちした娘に、心を込めてエールを送ろう!!