夏休みの宿題の絵日記で、児童生徒が天気欄のすべてを「晴れ」と書いてきたらどうする?
上記文章は、朝日新聞2022.05.24付「天声人語」の冒頭の文章を引用したものだ。
この原左都子も高校教師経験がある身だが。
子どもの教育とは、日々こんな「問い」の繰り返しであると言えよう。
今思い出すままに、それに似たような具体例をピックアップしてみよう。
ちょっと不良の高2のAくんは、いつも突っ張っているタイプだ。
そんなAくんのクラスの「商業経済」定期試験時に、私は自己の意見を述べる設問をよく出題した。
それらの定期試験問題の一部を我が書棚に保存してあったため、その一例を以下に列挙してみよう。
〇 日本における1989年からの税制改革において、どのような改革が行われたか?
〇 今の日本は“経済大国”といわれるまでに経済成長したが、人の暮らしが真に豊かな国だと言えるか? そうでないとすれば、どのような点が豊かでないか、また、それをどのように変えていけばよいのか、あなた自身の考えを自由に述べよ。
〇 PLCモデルにおける導入期において、商品のコストが非常に高くなるのはなぜか?
〇 世界の人口が増加すると、なぜ地球環境が破壊されるのか。 その過程を簡単に説明せよ。
〇 地球環境を守っていくために、あなた自身は何をすればよいと思うか。日頃実行していること、今後実行したいことなどを自由に述べよ。
〇 「普通取引約款」とは何かについて述べた上で、その問題点について述べなさい。
いや、これは私の主義であり、如何なる授業の定期試験であれ、必ずや「生徒の意見を書かせる設問」を必ず1問は設けることにしていた。
そして授業中に、我が私論をあくまでも個人的な意見であることを断って必ず述べたものだ。
この設問を嫌がる生徒は実に多かった。
そして通常の設問には高得点を挙げる生徒が、この意見を述べる設問に答えられなかったりしたものだ。
さて、ちょっと不良のAくん。
この子はいつも、素晴らしい自己の意見を述べて来た。
他の問題にはさほど答えられないのに、自己の意見は必ずや解答欄一杯に書いて来るのだ!
これに感心した私は、後でAくんと会合を持ってAくんのご意見に関して討論したりもした。
Aくん以外にも、自己の意見をしっかり内在させている生徒は複数存在した。
その採点だが。
とにかく自身の意見をきちんと書いてきた子たちには、その内容にかかわらず必ずや「満点」を与えた。
まあ一番多かったのは、私が授業中に語った見解を書いてくる生徒達だ。
これ、授業をよく聞いてくれて嬉しい反面、教師としての責任問題につながるなあ、と多少の恐ろしさも自覚したものだった。😱
話題を、冒頭の「夏休みの宿題の絵日記で、天気欄のすべてを「晴れ」と書いてきた」事例に戻そう。
発達障害を抱えている我が子の小学生時代に、夏休み課題の絵日記のほぼすべてを私が仕上げたに等しいのだが。
一番鬱陶しかったのは、まさに日々の「天気」の記入だ。
後の記載に関しては後にいくらでも自由に片づけられるが、この「天気」のみは当日の天気を記載せねばらなかったものだ。
その時の経験から私が思うには。
「絵日記」に「天気」の記載は必要ない!と結論づけたい。
元より、「絵日記」自体の課題自体どうにかならないものか? とご意見したいほどだ。
確かに日記をつけることとは子どもの文章力アップにつながるだろうし、また「絵日記」の場合は絵の描写力が育成できるとも言えよう。
ただ、これを手伝わされる親の身にもなって欲しい!
我が家のように、家庭によっては子ども一人の力量では到底手に負えない課題が課されている場合もある。
小学校過程とはそれも視野に入れて、親の参加・援助を期待している部分もあるのだろうが。
実際今私が思い起す我が子の小学生時代(中高・大学時代にも及んで)の学習・学問フォローは並大抵のものではなかった、と振り返るなあ。
(それでも、今となっては我が娘は立派に独立してくれました。)😂