「キラキラネーム」問題、原左都子の場合も人の事を言えない立場かもしれないが…
とりあえず、本日見たネット情報を以下に引用しよう。
「キラキラネーム」どこまで? 戸籍読み仮名、基準に3案 法制審が意見公募へ 2022/05/18 12:12
戸籍の氏名の読み仮名に関する法制審議会部会の3案
法制審議会(法相の諮問機関)の戸籍法部会は17日、戸籍の氏名に新たに付ける読み仮名に関する中間試案をまとめた。いわゆる「キラキラネーム」など漢字本来と異なる読み方をどこまで認めるかについて、三つの基準案を提示。5月下旬からパブリックコメント(意見公募)をし、その内容を踏まえてさらに議論する。法務省は、来年の通常国会に関係法令の改正案提出を目指す。
出生届には「よみかた」の記入欄があるが、戸籍法には読み仮名に関する規定はなく、戸籍には記載していない。読み仮名を付けることになった背景は、デジタル化の進展だ。平仮名や片仮名の方が個人データを検索しやすく、行政の事務処理を効率化させるため昨年9月に法相が諮問。新生児や日本国籍を得る人らが初めて戸籍を取得する場合だけでなく、今の約1億2千万人の国民からも読み仮名を収集。どう集めるかも課題となっており、法制審部会で議論してきた。
法務省によると、3案は、読み仮名が認められる範囲を(1)戸籍法に定めず、権利の乱用がなく公序良俗に反しないといった法の一般原則に基づき判断(2)音訓読みや慣用で読まれ、または字の意味と関連があるものを許容(3)(2)に加え、法務省令で定めたものを許容―とする。(2)が最も厳格という。
法務省の担当者は、仮定の事例として「大空(すかい)」「光宙(ぴかちゅう)」は字の意味との関連があることなどから、認められるだろうとの見解を示している。一方「山田太郎」を字の意味と無関係の「てつわんあとむ」としたり、「高」と書いて逆の意味の「ひくし」と読ませたりする場合は、認められない可能性があるとした。
表記は平仮名と片仮名の両案を提示した。
国民には一定の期間内に自治体に読み仮名を申し出るよう求め、申し出なかった場合は自治体が職権で記載するとした。ただ、自治体関係者からは本人が申し出をしているか紙ベースで確認することが大切との意見もあり、膨大な事務作業への懸念が出ている。
法務省の担当者は住民票取得やマイナンバー登録といった用件で自治体窓口に訪れた際に併せて登録してもらうこともあり得ると説明する。
(以上、今朝見たネット情報より引用したもの。)
私事に入ろう。
昨日のエッセイ内でも公開したが、我が娘の命名は古代ギリシャ・プラトン哲学より引用している。
2度目の大学にて自分の専攻ではない「科学哲学」にはまった当時より、将来産まれてくる子が女の子ならば、それにすると固く決めていた。
後に結婚した亭主もその案に合意してくれた。
一つ迷ったのは、“当て字”の漢字表現にするか否かだったが。
これに関しては、原語の意味合いを重視したいがために敢えてカタカナにての命名とした。 (そのため、我が子の名前は決して“キラキラネーム”ではないのだが。)
親としては、我が娘に対する最高の贈り物と大いなる自信を持っていたところ。
娘の名を他人に紹介する都度、「娘さんの親御さんのどちらかが外国人ですか?」との予定外の質問攻めに遭うではないか!?!
内心思った。(これ一体どうしたの? プラトン哲学とは今時高校生になったら「現代社会」で学ぶだろうに、この人たちはその学習をしていないのだろうか???)
いえもちろんその言葉の学術的意味あいをご存じの方は、「親御さんの職業は何ですか?」と問うてくれたりもするので、聞いてくれた相手に合わせて、「母の私が高校教諭です」、あるいは「主人が物理学研究者です」等々の返答をしたものだが。 もちろんその後、「娘の命名は母の私がしました!」と付け加えた。
それでも娘が小学校入学以降は、やはり「外国人ですか?」の質問が多発するため、やむを得ず通称は“ひらがな”で通してきた。
そうすると今度は、正直な子供たちが言うには、「変な名前」。😵
それは放っておくとして。
私立中高一貫校へ進学させた後には周囲に娘の名前の理解者が急激に増えたため、戸籍名である“カタカナ”に戻した。
高校の授業では、あえて娘の名前の由来である「プラトン哲学」を取り上げて講義して下さる先生もいた、との娘の談話でもある。
今となっては娘も職業人として自立しているため、娘の名前に関して騒ぎ立てられることも皆無となり、安堵している現状だ。
さて、キラキラネームねえ。
上記ネット情報によれば、「光宙(ぴかちゅう)」が認められるとのことならば、それでいいのではないかと思ったりするが…??
これに関して思い出すのは、「悪魔くん」事件だ。
世に議論を醸し出した末に、どうやら漢字を変えて「あくま」くんが存在することになったと記憶しているが。 そのあくまくんは今どうしているのだろう…
我が結論とは。
親が我が子に自信をもって名付けた命名ならば、必ずやいつかは本人にその思いが伝わるであろうと信じたい。
我が家の場合はその後、娘の命名の起源であるギリシャまで娘をいざなって、プラトンのアカデメイアを訪問している。
我が娘が自分の名を恥じたことは、少なくとも高校生以降は一切無いと記憶している。
この名で一生生き抜いてくれそうな娘に、名付け親である私も感謝したい思いでもある。