つい先程、我が「原左都子エッセイ集」バックナンバー群を見ていて、こんな表題のバックナンバーを見つけた。
早速、以下に全文を紹介しよう。
「エロコメントを送って下さる方へ」 2007.10.15 記
50歳を過ぎて更年期真っ最中の私が綴るこんな“気難しい”ブログにまで、どういう訳かエロコメントをいただく。お送り下さっている方には、いつもいつも即時削除させていただき申し訳ない次第である。
私は、常々大きな心で皆さんのコメントやトラックバックをお待ち申し上げているのだが、エロコメントとて例外ではない。ところがどうしたことか、お送りいただくエロコメントのすべてが高齢者の私には読解不能なのだ。すべて暗号のような文章なのである。持ち前の洞察力でエロコメントであろうことは何とか察するが、残念ながら主張論点が読み取れない。 何か、その業界や仲間内での申し合わせでもあるのであろうか。
私のブログをお読み下さればおわかりいただけるように、当ブログはオピニオンの公開を趣旨としている。 上記のごとく“エロ”とてその例外ではなく、我がオピニオン展開の対象とするべくアンテナをはっている。にもかかわらず、こうも読解不能だと分析に苦慮するばかりで削除させていただくしかない。
どうか、せっかく当ブログにコメントをいただけるのであれば、せめて私のような高齢者にも読解可能なものをお願いしたい。そして願わくば、たとえエロの世界であれ文化の香りのする格調高いコメントをお願いしたいものである。
私は、常々大きな心で皆さんのコメントやトラックバックをお待ち申し上げているのだが、エロコメントとて例外ではない。ところがどうしたことか、お送りいただくエロコメントのすべてが高齢者の私には読解不能なのだ。すべて暗号のような文章なのである。持ち前の洞察力でエロコメントであろうことは何とか察するが、残念ながら主張論点が読み取れない。 何か、その業界や仲間内での申し合わせでもあるのであろうか。
私のブログをお読み下さればおわかりいただけるように、当ブログはオピニオンの公開を趣旨としている。 上記のごとく“エロ”とてその例外ではなく、我がオピニオン展開の対象とするべくアンテナをはっている。にもかかわらず、こうも読解不能だと分析に苦慮するばかりで削除させていただくしかない。
どうか、せっかく当ブログにコメントをいただけるのであれば、せめて私のような高齢者にも読解可能なものをお願いしたい。そして願わくば、たとえエロの世界であれ文化の香りのする格調高いコメントをお願いしたいものである。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーを再掲載したもの。)
我が「原左都子エッセイ集」開設は、今から遡る事ほぼ15年前の2007.9 なのだが。
その当初より、ブログ記事を書いて公開する都度、「エロコメント」がわんさか押し寄せてきていた。
これ、一体どうなってるの!?? 怒りと不信感に襲われたものだが。
他人様が書いて公開されているブログにも同じ様にエロコメントが沢山押し寄せていたため、そんなもんなのだろう、と捉えて諦めるしか方策が取れなかったものだ。
この「エロコメント」がブログ界からすっかり消え去ったのはいつの事だろう。
記憶が無いのだが、気が付いたらそれが完全に撲滅されていた。
おそらく、ネット世界が秩序を取り戻すべく躍起になったものと思われる。
もちろん、こんなものが届かないのが良いに決まっているのだが。
原左都子なりに思う事もある。
現在のブログ界を渡っている(と言うよりも、今となっては原左都子個人的にはコメント欄完全閉鎖、「いいね!」不参加、等々、なるべくかかわりたい人とのみかかわれるべく手段を採用しつつ、オピニオンブログ等を公開する方式に変更している、とも言えるのだが。)と。
何というのか、現在公開されているブログとは。
内容を綺麗にまとめて、自分にとって不要な対象は排除しつつ、仲良しブロガーとのみかかわりながら、その世界を“上手く”渡っていく道具に成り下がっているような感覚すら抱いてしまう。
それを思うと、何だかあの「エロコメント」が無秩序に氾濫していた頃のブログ界の方が、人間味があった気すらしたりもする。
我が「原左都子エッセイ集」の場合、“オピニオンブログ”であるが故に、言い方によればそもそも “敵を作りやすいブログ” であるのかもしれない。
それ故に、過去に「コメント欄」閉鎖措置を採るに至ったとも言えよう。
「エロコメント」ねえ。
冒頭の我がバックナンバー内にも書いたように。
「たとえエロの世界であれ文化の香りのする格調高いコメント」であるならば、我がエッセイ集は歓迎申し上げたく思っている。