バックナンバーにて幾度も述べているが、この原左都子は幼少の頃からバリバリの“集団嫌い”だ。
この“コロナ禍”により学校が休校になった際、集団嫌いの私なりに思った事がある。
それは、もしも私が現役児童・生徒だったならば、自宅学習の自由度が上がり更に優秀度も増したのではなかろうか??、という事だ。
学校現場に関するコロナ報道を見ていると、メディアのインタビューを受けた児童・生徒達皆が皆口を揃えて、 「学校へ行けなくて残念です。 お友達に会いたい。」……
集団嫌いの私としては、「本心かよ??」としか思えない。
親や学校の教師がインタビューを受けたらそう言え! と陰で児童生徒を指導しているんじゃないか?? と勘ぐっている程だ。 (実際のところ子ども達の本心の程が不明だが、もしその手の指導が実際になされているとすれば大問題だろう。)
私の場合、幼稚園児時代からそこへ通わせらるのが楽しいと思った事などただの一度も無かった。 何分持って生まれた律儀かつ真面目な性格で、親が行け!と言うから義務感で通ったまでのことだ。
何と言うのか、皆が皆同じ事をやらされるのに幼心に抵抗感があった。 (私はこんなことやりたくないのに、どうして…)との感覚だ。
唯一面白くて感情移入出来たのが、「知能(IQ)検査」だったことはバックナンバーでも記載しているが。
こんな面白い遊びがあるんだ! と実に楽しめて一人勝手にどんどん次のページへ移ってしまい、園教員に「ここで一旦やめなくてはダメ!」と怒られたことを記憶している。
そんな思いが“コロナ禍”以降ずっと我が脳裏にあったのだが。
朝日新聞2020.06.08付朝刊一面記事トップが、「オンラインなら出席できた 学校を休みがちな生徒 変化の兆し」と題する記事だった。
当該記事を、少しだけ引用しよう。
コロナ禍による長期休校で、オンラインを使った教育を模索する動きが広がった。 普及はまだ一部の学校に限られるが、時間や場所に縛られない新しい学び方が学校での一斉授業になじめなかった子ども達に光をもたらしている。 (中略)
オンライン化で思わぬメリットが見えてきた。 休みがちだった生徒がオンラインには参加し、学校再開後姿を見せた。
コロナ禍のオンライン学習で変われた子もいる。 某私立進学校に入学した中1男子生徒は、「人生で初めて」きちんと授業を受け課題を提出した。 その息子の姿を見ていた母親は、「魔法にかかったみたい」と驚く。 生徒は、画面を見ればいつ何をやればよいのか一目でわかる。 同級生の目を気にしなくてよく、学習に集中できる、と言う。
某不登校者救済団体は、公立中学校でもオンライン授業を急いで欲しいと語る。 「学校に行きたくない子は、日によってオンラインを選べるようになればいい」
オンライン学習は公立校で遅れが目立つのが現状。
(以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私見に入ろう。
欧米等先進諸外国では、既にオンライン授業は一般的なことだろう。
我が国日本に於いては、何故これ程までにそれらの設備構築が学校現場(特に公立)で遅れてしまっているのだろう。
それはまさに、政権(特に文科省)の旧態依然とした体質こそが諸悪の根源であろう。
私が公立小中高校に通ったのは、5,60年前の時代だ。 我が娘がそこに通ったのが、1,20年前の時代(娘は公立は小学校のみ、中学校以降は私立だが)。 その両者間に4,50年の年月差があるにもかかわらず、(ちまちました文科省の改革らしきものはあったものの)実質問題何ら進化していない公立学校現場だったとの印象が強い。
世界規模での“コロナ禍”との超非常事態に及んで尚、何故この国の政権は「教育改革」に着手出来ないのか??
下手なアベノマスクを配布したり、「持続化給付金」問題で巨額の国家予算を喪失している場合ではなかろう。
その無駄金の一部を教育行政に回せばよい、との簡単な話だろうに…。
(安倍氏とは、どうしても一生掛けて自身の“お友達”好きな人種なのだろうねえ……)
能力ある子ども達を国や自治体が大事に立派に育て上げてこそ、ゆくゆく国家が繁栄するとの観点に立ち戻って欲しいものだ。