原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -メルカート広場の夜はふけて-

2016年02月12日 | 旅行・グルメ
 (写真は、フィレンチェのレストランからホテルへの帰り道にメルカート広場にて撮影した夜の風景。 ステンドグラスが美しい建物はメルカートセンター。)



 メルカート広場は、フィレンチェにて宿泊したホテルから程近いこともあり、昼間何度か通過していた。

 フィレンチェ最後の夜に見るメルカート広場の風景は、いつもと随分と趣が異なる事に気付かされる。

 昼間露店を営業していた店主も、店舗に幌をかけて閉店の様子だ。



 明日は朝ホテルチェックアウトの後、フィレンチェ ペレトーラ国内空港からローマ空港へ移動し、いよいよ日本の成田への帰路に就く。




 日本国内はマイナス金利政策を導入したとのことで、株価は下落の一方、円高が煽られているとのこと。
 それに対応出来ない黒田や麻生が、メディアのつっこみにあたふたしている有様だ。 (お前ら、それで政権の要の役割が果たせるのか!?!)

 これでアベノミクス経済もついに崩壊の危機かと思いきや、一時「イクメンを目指す!」と宣言した自民党下っ端のド素人1年生議員が、女性問題で議員辞職したとの話題…


 安倍政権が操るあの国、一体どこまで落ちぶれたら気が済むのか…



 おいおい、原左都子さん。  今はイタリア旅行記を綴っているんじゃないですか???

 我がイタリア旅行の夢物語も、安倍政権の選挙戦を目前にして、阿保過ぎる日本国内の政権ゴタゴタ劇場にもみ消されそうな有様だ。


 あ~あ。  私のイタリアでの夜遊びもほどほどにしてこの辺で閉店しないと…  
 

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -イタリアでの最後の晩餐編-

2016年02月12日 | 旅行・グルメ
 (写真は、イタリア フィレンチェにての最後の夕食のテーブル風景。)



 フィレンチェ最後の夕食は、宿泊ホテルから徒歩2分程にあるメルカート広場の角にあるレストランを選択した。

 まず、注文した料理内容から紹介しよう。

 メインディッシュとして 「トリュフオムレツ」。  これが何とも絶品だ!
 トリュフが卵に合うとは知らなかったが、オムレツの中でトロ~~リと溶けた卵とトリュフの相性が絶妙な一品だった。 ソースは何が使われているかは不明。

 サイドメニューとして、「レストランお勧めサラダ」。 これまた絶品。
 野菜に交ざり、カマンベールチーズとクルミがゴロゴロ入っていて、私などこのチーズとクルミを酒のつまみに食べただけでお腹が一杯になりそうだ。

 そして、「スパゲッティ カルボナーラ」。  これもまた大盛だが、残念ながら塩分が多く私は苦手だった。 もう少し塩分を抑えれば美味しいのだろう。

 写真下右端にあるのは、大きなバケツに入れられた「フランスパン」。
 これはどの客席テーブルにも無料にて出されるようだが、お替り自由で食べ放題の様子だ。
 我々親子は、他の料理にて満腹で、パンには一切手が出なかった。

 以上が、料理の説明だ。



 ところで、このレストラン名を公表しないのには私なりの理由がある。
 ある意味で、居心地が悪いレストランだった故だ。

 実は、ネット検索で日本語にて幾らでも検索可能なレストランである。 その評価は高く、特に料理の味など5つ星に輝いている。
 確かに、料理の味は絶品だ。  それは私も認める。

 ところが、驚く扱いを受けたのだ。
 レストランに入ると、室内と外のテラスとどちらが良いか聞かれる。 ゆっくり寛ぎたい我々は室内を選択した。 すぐさま、レストラン内一番奥のピザを焼く窯が設置されている部屋へ案内された。 入口に近い大部屋がイタリア人と思しき西洋人達で混雑しているのに比し、当初は特別室なのかと思うほどに奥の部屋は落ち着いた雰囲気だった。
 そして英語ペラペラのウェイトレスがテーブルまでやって来て、我々に流ちょうな英語にて注文を聞いてくれる。 その対応には何の失礼もなく、至って親切だ。

 その後、事態が急変する。
 我々が料理を食べ始めた頃、奥の部屋に次々と案内されてくるのが東洋系客ばかりなのだ。 言葉から察するに中国人がほとんどで、日本語は聞こえて来ない。
 どんどんと中国人客が増え、あっという間に奥の部屋内は中国人で埋め尽くされた。
 これが大変!  中国の皆さんの喋りのけたたましさは知る人ぞ知ろうが、怒涛の如く奥の部屋は喋りの洪水渦中に巻き込まれてしまった!
 落ち着いて食事など出来やしない。 我々母娘は身を小さくしながら、「早めに食事して帰ろう」との事態と相成る…

 ところで、我々の横のテーブルに案内されてきた家族連れ中国人の小学生ぐらいの少年の英語が何とも流ちょうな事。 両親も英語ペラペラだが、特にその少年の英語の発音が何とも素晴らしい。
 こうなると我々は取り付く島もなくなる。 もはや、ヘボいジャパニーズ・イングリッシュをそれら中国ファミリーに披露する訳にもいかず、こっそりと小声でウェイトレス氏にデザートとカプチーノを注文する始末だ…  何だか惨めったらしくなりつつ、身を縮めてそれらを食し、そそくさとレストランを去る。


 これが、まさかレストランによる「人種隔離政策」ではないことは理解出来ている。
 単にイタリア語会話力がない観光客を奥の部屋へ集めて、 英語にて対応するべく親切な対応を心掛けた結果なのだろう。

 ただ私に言わせてもらうならば、出入国審査じゃあるまいし、たかがレストランがそこまでせずとてイタリア語が通じずとも何とかなるものだ。 他のレストランでもお店でもすべてそうして通って来ている。
 しかもその方が観光客にとっては楽しくもある。 下手なりにも何とかコミュニケーションが取れ心が触れ合える事こそが、むしろ旅の醍醐味とも言えよう。


 国境を越えた真の“おもてなし”とは何なのか? 
 このレストランに於いて、まさにその課題につき改めて考えさせられる一夜の晩餐だった。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -イタリアでの最後の酒宴編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、娘と共にフィレンチェ最後の夜に訪れたレストランにて撮影したワインとビールの写真。)



 「酒宴」と言ってみたとろで、何とも親孝行な事には“亭主血縁系DNA”を受け継いだらしき我が娘は酒には滅法弱い体質の様子だ。 
 そのため母の立場としては娘の将来に関する心配の種が一つ減り、ラッキーの限りである。


 冒頭写真の酒類は酒豪の私一人が飲み干すに決まっているのだが、それでもサリバン母を100%信頼してくれている我が娘は、いつも我が酒宴に快く付きあってくれる事もこれまた嬉しい。



 そしてフィレンチェ最後の夜(イコール イタリア旅行最後の夜)に訪れたレストランにて、私はイタリアンビールとハウス赤ワインを注文した。

 (次なるエッセイにて、その後提供された料理に関するコメントを述べる手筈となっておりますので、読者の皆様、ご安心下さいますように。)


 ここで、イタリアンビールとハウス赤ワインの感想を述べておこう。

 まずイタリアンビールだが、これはアリタリア航空内でも飲んでいるイタリアン等の様子を既に見物していた。  
 レストランにて飲んだ私の感想としては、味が“きつい”とのイメージを抱いた。 辛口と表現するよりも、何だか舌触りが“きつい”のだ。  

 レストランのハウス赤ワインに関しても、当該レストランがフィレンチェ客を問わず国内外からの観光客も来店して流行っている事に起因しているのだろうが、ハウスワインにして大した印象がなかったのが正直なところだ。 
 おそらく大量生産の後、ボトル詰めして客席に提供しているのであろう。

 ローマのレストランにてデカンタで提供されて楽しんだ自家製白ワインの方が、私にとってはよほど感激ものだった。



 最後のフィレンチェ酒宴に於いてレストランより提供された料理内容に関してのエッセイは引き続き綴り公開しますので、是非とも、原左都子によるイタリア旅行記を今週末までお楽しみ下さいますように。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -ウフィツィ美術館編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ウフィツィ美術館前広場にて撮影した一風景。)



 このウフィツィ美術館の正式名称は、我がフィレンチェ宿泊ホテルにて貰ったイタリア語地図によれば 「Galleria degli Uffizi」 と記載されているのだが、その日本語表記の程が様々なようだ。


 今回のエッセイでは、朝日新聞より引用して 「ウフィツィ美術館」にて統一させて頂くこととしよう。


 さてさて、実は「ガリレオ博物館」観賞中に、またもやカメラの充電切れなるハプニングに苛まれていた。 
 一体全体、(亭主から借りて来た4万円もしたとの一眼レフでもない この “私でも写せるバカチョンカメラ” の性能はどうなっているのか!?!  とイタリアにてぶち切れたとて問題は解決しない。


 こういう場合、諦めが肝心だろう。

 「ウフィツィ美術館」とは観光客で常に満杯で、その内部を観賞したい場合予約が欠かせないとの情報も日本出発前から得ていた。 
 長時間並んで内部を観賞する時間は元々取れないと目論んでいた我々母娘は、現地到着後も前庭が観光客で溢れている様子を一見して、今一度内部入場を諦めた。
 

 要するに正直なところ、元々観光客でゲロ混みらしき当該“超人気美術館”にはさほどの思い入れがなかった我々母娘だ。


 そうして、カメラの充電が少しでも復活するのを待って撮影したのが、冒頭のウフィツィ美術館外の広場にて写した写真だ。

 携帯写真も撮影したが、やはり画面が大きい上記写真を紹介するに留めておこう。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -ガリレオ博物館編-

2016年02月11日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ガリレオ博物館にてガリレオ・ガリレイ像を見上げる我が娘。)



 実は、このガリレオ博物館には“間違えて”入場した。


 何処と間違えたのかと言えば、ウフィッツ美術館かと勘違いしたのだ!

 そんな訳があるはずがない、とウフィッツィ美術館を訪れた経験がある方々は呆れ果てるであろう。
 博物館の入口にはちゃんと 「Museo Galileo」と書かれているし、世界に名立たるウフィッツィ美術館がこんなに小さい訳もない。

 ところが何故私がガリレオ博物館をウフィッツィ美術館と取り違えたのかと言うと、両者が同一敷地内に存在しているためだ。
 要するに、ガリレオ博物館とはウフィッツィ美術館の分館の位置付けなのだろうか??


 間違えて入場した割には、元科学者の端くれの私にとってガリレオ博物館は大変興味深いスペースだった。
 ここはそもそもイタリアに於いて、日本の国立科学博物館のごとくの役割を果たしている博物館の一つなのだろう。
 その展示は、天文学分野のみならず、化学・医学等々科学各分野の多岐に及んでいる。


 そもそもガリレオとは、コペルニクスが提唱した「地動説」を支持し教会と対立した人物だ。
 天動説こそが絶対と信じて疑わない教会側は「太陽中心の世界観を抱くとは異端!」との思想の下、ガリレオの研究成果を否定し続けた。
 これに打開策を見出だそうと、ガリレオは天動説と地動説両者をあくまで仮説とし、禁令に触れることがないよう地動説を解説した書物「天文対話」を出版する。 にもかかわらず、「天動説」思想を曲げない教会側はこの書物がローマ教皇の意に背くと判断し、ガリレオは2度目の異端審問にかけられる。
 その後ガリレオは有罪判決を下され、終身刑を言い渡される。 有罪判決の際、地動説を放棄する旨の異端誓絶文を読み上げさせらた後、ガリレオがつぶやいた一言が有名だ。

 「それでも地球は動く」 …… 
  
 (以上、ネット情報に私論を交えつつ紹介した。)


 いやはや、科学論争の世界は時代を問わず常に命がけだ。
 ガリレオの功績の足元にも及ばない稚拙な例を挙げると、一昨年「STAP細胞事件」で大揺れした理化学研究所も、再生医療一基礎研究者の自殺者を出している事を思い起こした。

 
 ガリレオ博物館内には、アーミラリ天球儀や大昔の望遠鏡等々、世紀を超えて天文学の発展に寄与して来た多くの天文学機材が展示されている。

 また化学分野に関しては、昔のフラスコ等の実験器具や天秤、顕微鏡等も数多く展示されている。

 医学分野では、母親の子宮内異常体位胎児模型が展示されていたのが興味深かった。
 我が娘も私の体内で逆子(さかご)だった事が一つの理由で出産時のトラブルに繋がった事を、フィレンチェの地にて思い起こさせられる展示だった。



 観光の対象としては十分に“異色”だが、フィレンチェの歴史的建造物に飽きた時、気分転換にこんな博物館を訪れてみては如何だろうか。