原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

朝日新聞 絵むすび (2016.2.6編)

2016年02月08日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2016.2.6付 別刷「be」 パズル 「絵むすび」に原左都子の娘が解答したもの。)



 イタリア旅行関連のエッセイを綴り公開している途中ですが、どうしても 「原左都子エッセイ集」編集画面内で、朝日新聞「絵むすび」に関するアクセスが殺到している状況が気になっていました。



 今夜、娘がこの課題に解答してくれましたので、冒頭にその解答写真のみを掲載します。

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -サンマルコ美術館編-

2016年02月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、サン・マルコ美術館内で一番著名と思しき壁画 フラ・アンジェリコによる 「受胎告知」 )


 さてフィレンチェでの観光初日は、これまでの観光の反省から始める。

 何分、地図(特にフィレンチェの場合はホテルから提供されたイタリア語の地図)を見ながら徒歩での観光との事態だ。
 自分では正しく歩いているつもりでいても、気が付いたら目的地に着くには程遠い道に迷い込んでいる…。

 その一つの理由に関しては、私は既にローマ観光時点で確信していた。
 
 何分、サリバン(原左都子の事だが)には従順な娘が、ここイタリアでもそもそもサリバンである私の思考・行動を100%信頼し切っているようだ。  通常の親子ならば、「その道、間違っているよ!」などとの指摘が同行者からあるのだろうが、我が娘の反応は異なる。
 ローマにても、これに関して娘に厳しく苦言を呈した。  「何で道を間違っている事を母に指摘せずして、素直に付いて来るのよ!!」と。 
 そうしたところ娘から返って来た回答とは、「(母である私が)近道を見つけてそこを歩いてると信じていた……」
 そこまで母として信頼されているならば口喧嘩は止めるべきだが、 「私とて道に間違うことはある。それに気付いたならば、すぐさま指摘してくれた方が嬉しい!」 と鬼に戻って娘に言い聞かせねばならない程に、我々母娘関係は特殊なのか???と、イタリアにて再確認させられる「事件」だった。


 それはともかく、フィレンチェ徒歩観光は“量より質”を目指そうと娘と話し合った結果、午前中は「サンマルコ美術館」を中心にゆったりと鑑賞するスケジュールとした。


 ここで、「サンマルコ美術館」に関するネット情報の一部を紹介しよう。

 フィレンツェは15世紀のルネサンスにおいて、文化的な中心地だった。 今でも当時の名残を味わうことのできる博物館や美術館、教会などがたくさん存在しているが、是非足を運んでいただきたい美術館がある。 それが「サン・マルコ美術館」だ。
 サン・マルコ美術館は元々は12世紀に建築された修道院だった。 15世紀になり、損傷が激しくなったこの修道院は、1434年に当時の法王エウゲニウス4世の配下でドミニコ会の修道院となった。 そして、この修道院はコジモ・デ・メディチの指示により、1437年から1452までの間、約15年もの年月をかけて改修工事が実施された。 1866年に修道院は廃止されたが、1869年にその一部が美術館として公開されることになった。
見どころとして挙げられるのは、フラ・アンジェリコの作品が数多く収蔵されている事だ。 フラ・アンジェリコの壁画のなかでも最高傑作とされるのが「受胎告知」。 修道院内の回廊を回った後、2階に上がる階段を上ったところに「受胎告知」は展示されている。

 次に、ウィキペディア情報より要約引用。
 フラ・アンジェリコは、15世紀初頭より活躍したフィレンツェ派を代表する大画家。 師であるゴシック絵画の大家ロレンツォ・モナコより学んだ、ゴシック的である豪華で優美な表現に加え、初期ルネサンスの三大芸術家のひとりマザッチョの作品から空間・人体の三次元的描写を学び、鮮やかな色彩による敬虔で高潔な人物描写による独自の画風を確立。


 私自身もこのフラ・アンジェリコ作「受胎告知」を、日本国内の美術館にて何度か観賞した記憶がある。
 
 これがサンマルコ美術館(当時は修道院)の壁画である事を今回初めて認識した。
 これが壁に描かれた壁画だったとすれば、イタリア国外にて展示されるアンジェリコ作「受胎告知」とはすべて“複製”だったとの事実に驚かされた。
 この場で現物を観賞出来る事が、改めて奇跡のように思えたのだ。 


 上記ネット情報にも記載されている通り、サンマルコ美術館は歴史的美術作品の宝庫だった。
 しかも数あるフィレンチェの美術館・博物館の中でも、サンマルコ美術館は観光客が少ないとの情報も得ていた。
 実にその通りで、午前中のフィレンチェ観光に於いて、静かにゆったりと美術品満載の元修道院にてひと時を過ごせた事に、これまたイタリア旅行の醍醐味を見た思いだ。


 (フィレンチェ「サンマルコ美術館」内に於いて私がヘボくも撮影した美術品に関しましては、左欄“フォトチャンネル”「イタリア旅行フィレンチェ編」にて公開しておりますので、ご興味がございましたらご覧下されば幸いです。 しかも、修道院の中庭等々が美しいのも必見です!)

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -フィレンチェのホテル編2-

2016年02月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、我々のイタリア旅行3、4泊目に宿泊したフィレンチェのホテル Hotel Basilea
朝食レストランにて撮影したもの。)



 ピサ旅行を終えて最初にこのホテルに戻った感想とは、正直なところ 「古いにも程があるなあ」 だった。

 何でこんな古びたホテルを、仲介旅行会社は我々日本人にあてがったのだろう???
 まあそれでも昼間は観光で外に出て単に宿泊するだけだし、2晩無事に部屋で眠れたら済む話だし…


 などと自分を慰めていたのだが、到着後時間が経過する程にこのホテルの良さが浮彫となる。


 まずは、東洋人が我々二人のみというのが好都合だ。
 フロントの係員は直ぐに我々母娘を覚えてくれ、後は何度フロントを訪れようと“顔パス”で通じる。


 このホテルは西洋人観光客(おそらくユーロ圏内から訪れたと思しき)に滅法人気のようだ。
 特に我々が(当地の)金・土曜日に宿泊したせいか、連日西洋人の観光客で満室の様子が見て取れる。


 何故、それ程までに西洋人に人気があるのかと推測するに…

 朝食のバイキングがコンチネンタルスタイルでなく、アメリカンスタイルである事が一番の理由ではあるまいか??
 通常のヨーロッパ旅行に於いては、バイキング朝食のほぼ9割がコンチネンタルスタイルであることを、私も経験して来ている。

 ところがこの“格安ホテル”はバイキング朝食に、パン類と飲み物以外副菜として卵料理とハム・チーズ・ウインナー、そして生トマトを提供している。 傍目で観察していると、この副菜類を何倍もお替りしに来る若き男性陣の多いこと!
 これぞ人気の秘密かな、と探りつつ、私も蛋白質源としてこれら副菜類を必ずや頂いたものだ。


 それから、何と言っても人(従業員)の暖かい対応が一番の魅力だろう。
 これはローマのホテルにも共通項があったが、顧客の人種に関係なく、何を尋ねても必ずや誠意を持って応答せんとするその姿は、大小にかかわりなくホテル存続の必須条件であろう。


 ホテルの対応が充実していると、安心して外出し外で好き放題観光してそこに戻れる感覚になる。

 疲れて帰宅して「ただいま!」と言ったら、「娘達よ、無事に帰って来たか」と言わんばかりに、まるで家族に接するようにすぐに鍵を差し出して温かく迎えてくれる。 それが普通にこなせるホテルの力量に安堵する。

 今回のイタリア個人旅行はローマ・フィレンチェ共々、ホテルの厚遇のお陰を持って成り立ったと言って過言でない。 
 

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -フィレンチェのホテル編1-

2016年02月08日 | 旅行・グルメ
 (写真は、イタリア旅程3泊目と4泊目に宿泊したフィレンチェのホテル。)



 この写真だけ見たら、綺麗で素敵なホテルだと思うでしょ??

 ところがこのホテルを一番最初に訪れた時の印象とは、 「何とも古びたホテルだこと……」  だった。

 上の写真は、私が写したフィレンチェ宿泊ホテルの写真の中で一番綺麗なものを紹介した。



 ところが、このホテルには不思議な魅力があるのだ。
 そのせいか、地元イタリアやおそらくユーロ圏からの観光客に絶大な人気を誇っているようだ。


 さて、それは如何なる魅力か?? 



 -フィレンチェのホテル編2-  に続きます。

 

ローマ・ピサ・フィレンチェ 列車と徒歩の旅 -中華料理編-

2016年02月07日 | 旅行・グルメ
 (写真は、ピサからフィレンチェへ戻り、夕食にて中華を食した時写したもの。)



 えっ、何でフィレンチェで中華など食べたかって?


 海外旅行のご経験がある方々は十分に実感されているだろうが、日本人ならば、日本を離れて幾日か経てばどうしても温かい“ご飯”が食べたくなるものなのだ。


 この私もフィレンチェへ到着した頃より“ご飯”への郷愁が断ち切れず、ついに娘にまたもや独裁的に告げた。

 「今夜はどうしてもご飯が食べたいから、和食か中華のレストランを探す!」と。



 そうして、我がフィレンチェでの宿泊ホテルの間近に中華料理店を発見した!
 しかも、可愛い中国系の女性が一人で店員をしている。

 店内に入って、その可愛い女史に 「老酒(ラオチュウ) プリーズ」 と話しかけたところ、キョトンとされたのには参った。

 その後も、料理名として通じたのは「バンバンジー」 のみで、後はすべて英語にて注文をした。

 結局酒はビールしか置いていないことがメニューを見た後に判明して、「ハイネケン」を注文した。 これが久々に飲むせいか、とても美味だ! (えっ? 酒なら何でも美味しいんじゃないかって??)
 はい、その通り。   660ml入りのハイネケンを2本注文して一人で飲み干した。


 後の料理は、冒頭写真をご覧いただければお分かりと思うが、「五目チャーハン」と「牛肉とピーマンの炒め物」だ。
 「バンバンジー」が辛過ぎて残したものの、チャーハンと炒め物は実に美味だった。


 会計時に判明したが、このレストランの中国系の可愛い女史は実は中国系イタリアンであり、母国語がイタリア語だった様子だ。 
 なるほど、英語も中国語も通じにくいはずだ。   まさに、世界は広い。


 それでも、その女史が運んでくれた料理とハイネケンは実に美味しかった。 
 サンキュー   グラッチェ   シェーシェー   ありがとう!!!