原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

高齢者同士の結婚、危なっかしいなあ

2019年11月20日 | 恋愛・男女関係

 本日昼間、NKKニュースと連ドラの再放送を見た後、民放を覗いてみると。

 ちょうど高齢者同士の結婚が、テーマとして取り上げられていた。

 画面には実際の婚活パーティ場面が映し出されていたのだが、これ、特に今の時代に於いて目新しいことでもない。

 その映像と共に番組ナレーターより「解説」があった。 「高齢者婚活の目的とは。 男性の場合は、身体が弱った時に面倒を見て欲しい。 女性の方は、経済面で不安があるから支援して欲しい。 とのことのようだ。」

 もちろんそうではない参加者もいるのだろうが、こんな“横しま”な理由で、しかも老いぼれた高齢者が結婚相手探しをしたとて、実りある結婚生活に結びつく訳もなかろう。

 

 こんなところで私事に入るのも何だが…

 (バックナンバーにても小出しにしているが)私はちょうど50歳の時に、現在の亭主と“一旦”離婚している。 その理由とは実にくだらない。 亭主が訴えるには、一人で暮らしたいから離婚したい、娘の養育費は十分に支払うし、この家にも私と娘が住む権利を保障する。 と、私にとっては至って恵まれた条件だった。 どうせすぐに独り暮らしをギブアップするぞと高をくくっていると、案の定1週間後に「戻りたい」と私宛にメールを寄越す始末だ。 

 私側としては、このいい加減かつ軟弱亭主に少し“お灸”を据えねばならない。 「“一人親手当”というのをある程度まとまった額もらえるようだがら、それを私が一度受け取るまで一人で暮らしなさい!」  と言う訳でそれが私に支給された後に、亭主は私と娘が暮らすこの家にのこのこと舞い戻って来て現在に至っている。

 実はその時、私側はせっかく独身の立場に戻れたのだから、娘が学校へ行っている時間帯に少しアバンチュールしてみようか、と思いついた。 そして50歳プラスマイナス10歳程度の婚活者が集まるパーティに出向いた。  ところがこれが、実にくだらない。 失礼ながら正直に言うと、初婚でもこんな相手と付き合おうとも思わない、との男性群ばかりが参加しているのだ。  その際身勝手にも悟ったのは、我が亭主(見合い晩婚だったが)との結婚条件に恵まれていたとの事実である。 それを再確認させられた私は、今後は“横しま”な発想は一切抜きにして、我が娘を女で一つで育て上げる事をスローガンとしよう! との目標を掲げられるに至った。 

 

 曲がりなりにもそんな経験がある故に、中高齢者の婚活パーティの実態の程をある程度想像可能だ。

 本日民放にて放映された高齢者婚活パーティ場面を垣間見せられての我が感想とは。

 男女共々その年齢に至って尚、考えが甘過ぎやしないか?! とのやるせなさだ。 

 中には、自身の親を看取ったとの男性もいるのだが。  それならば身内の看取りの壮絶さやあるいはやりどころのない虚無感等々を既に実体験済みのはずなのに…   それを、今後知り合う女性に任せたいとの発想とは「論理の破綻」としか私には捉えられない。

 あるいは、女性側は平然と経済支援を相手男性に要求するようだ。 そのご自身の経済力の程を男性側が冷静に計算出来る人物だとラッキーなのだろうが、何だか一見する限りその能力の程が疑われそうにも感じる。

 ついでに番組のナレーターが語っていたが、高齢者同士の結婚に関しては後に発生するお互いの子孫への「相続問題」こそが鍵となるとの指南にも大いに同感だ! これぞ未来に於いて一番の難題であろう。 

 そんな発想の数々が欠損しつつ、今現在の自分の要求のみを追求せんとする高齢者同士の婚活など、破綻の運命にあるに決まっていると結論付けよう。 


「英語外部検定試験中止」に対する高校教育現場よりの嘆きの声

2019年11月19日 | 時事論評

 上記表題に関して、現役高校教諭そして「原左都子エッセイ集」長年の読者の方より、つい先程私宛にメールを頂戴した。 実にホットな内容につき、早速そのメールの全文を紹介させていただこう。

 

 こんにちは。久しぶりにメールを出させていただきました。

 いつか、このテーマを取り上げられるかな、と少しは思っていました。

 今感じていることをだらだらと・・・ 

現場の教員の感想としては、「結構振り回されたな」、という気持ちです。 正直、こんな「大どんでん返し」は教員生活で初めてのような気がします。

色々なことが課題として挙げられてはいますが、とりあえず来年は実施して、早急に課題への対応がなされるのかな、と考えていました。

中止発表前々日の30日には、教育センターに進路指導担当者らが集められ、文科省の方が来られ、今回の英語外部検定が実施されるに至った経緯についての説明会がありました。 色々なことが課題として挙げられているが、それでも実施する必要があるのだ、という言い訳を聞かされる会という感じでした。 最後、参加者から出た質問に対しては、苦しそうに答える場面や、答えにくい(即答できない)質問に対しては「持ち帰えって検討させてください」と。 質問は続きましたが、適当なところで時間の関係で切られたと思います。 翌31日にベネッセの担当者が来校し話をしている中でも、とりあえず来年はやります。と明言していました。(笑) しかし、その翌日の夜に、中止?延期? そして1日の朝の散歩途中にラジオで「延期される」と聞いた時には一瞬耳を疑いました。 

ただ、生徒の表情は「えっ?本当?」といった感じで、怒ったりがっかりした様子はあまりありませんでした。 生徒自身も何らかの不安もあったのでしょう。 ただ英検の申し込みを済ませている生徒が「先生、キャンセル料はどうなるの?」と言っていました。 

英語外部検定対策に振り回されたこの数年、特にこの半年は忙しかったですね。 今は台風一過のような平穏な日々が続いていますが、この件による被害額はどのくらいあるのでしょうね。

〇学校単位での被害(笑)

 2年前よりGTECの全員実施

 英語検定の積極的な受験指導(これらは無駄、とは言い切れませんが)

 現2年生保護者対象の説明会(土曜日に実施しましたが仕事を休んでまで来られた人も

 いたでしょう)

 まったく新しい行事になるので、すべての文書をゼロから作成し起案し配布。受験予定検定の調査、集約。

 ID取得に向けての、生徒への説明会用の資料作成。ID取得申込用紙の下書き、確認、清書。

 検定受験には減免措置があるため、対象者であるかどうかの確認作業。

 ID申し込み郵送直前だったので、保護者へ責任をもって破棄する、との連絡。

 等々、すぐに思い当たるだけでもいくらでも出てきます。 

 ベネッセさん

 タブレット発注(?)30万台がどうなるのか。4年後使えるのか?

 英語検定協会

 現在申し込んでいる人、約30万人 解約料500円が必要になることは当然納得はできないし、 ではどこが負担するのか? 

 共通ID申し込み案内の冊子、果たして何万部作製したのでしょう。 センター試験は通常60万人ほどが出願しますが、受験案内はその何倍も作成されます。 今回のID申し込み案内も、同程度かそれ以上(無料なのでとりあえず全員)、さらに現在の3年生は浪人することを考えて大半が申し込みをすると思うので、果たして何百万部作製したのでしょうか。 

 20年前から始まった総合的な学習の時間で、自ら学び自ら考えていく(問題解決能力、生きる力)力をはぐくむ、と言われ始め、色々なことが取り組まれてきました。しかし「大学入試が変わらなければ、入試対策を前提にした高校の教育は変わらないとい」ということが常に言われ続けてきており、今回大きく変えようとした、でも準備不足だった、というのが個人的な感想です。

今回の入試改革が本当にベストなものだったのかじっくりと検証する必要があると思います。時間がかかると思いますが。

 

 最後に、原左都子の感想を書かせていただこう。

 yu16先生、ご多忙とご混乱の中、原左都子宛に英語外部検定試験中止に関する貴重な現場の生の声をお届け頂きまして誠にありがとうございました。 受験生を抱える高校現場の混乱の実態を思い知らされた気が致します。

 タブレット30万台や、検定解約料30万人分… その巨大損失の穴埋めは文科省が責任を持って成し遂げるのでしょうかね?  国民の血税からの負担となることが見え見えですが。

 文科省担当者が教育センターまで来るのならばきちんとした回答を持参するべきなのに、現場から何を問われても即答不能、一旦持ち帰って検討するとは何事か! と怒りたくなりますね! 

 そもそも文科省に、「大学受験改革」に関する筋の通ったポリシーが一切感じられない事実に苛々させられます。 民間との癒着や文科省の都合のみで事があやふやに進められている様子は、何年も前より感じておりましたが。

 それよりも、生徒の皆さんの困惑こそが気がかりです。(比較的落ち着いている様子ですが。)

 yu16先生、そうでなくとも学校教育現場は激務で大変ですのに、文科省の失策にてこのような重荷を背負わされた事態を心よりお見舞い申し上げます。  どうか、今後とも体調に留意されつつこの難局を乗り越えられますように。 


人の面(つら)が多くを語らなくなった時代

2019年11月18日 | 人間関係

 昨夜から喉の右側が痛くて、一晩中その痛さに苦しめられた。

 朝起きて鏡にて喉を確認したところ、やはり右側のみが赤く爛れている。 体温は平温だが、おそらく風邪をひいたのだろう。 とにかく本日は安静に過ごそう。 

 それにしても、寝起きの自分の顔を朝から鏡で見たくないものだ。  加齢と共に急激に悲惨になってくる… これからはなるべく、特に朝寝起きの時は鏡を見ないことにしよう… 

 

 そんな折に先程、我がエッセイ集内に「人の面(つら)」と題するバックナンバーを発見した。 そう言えばそんな題名のエッセイを書いた記憶がある。  何だか懐かしいなあ。 と思いつつ、以下に2012.01.07公開の「人の面(つら)」の一部を引用させていただこう。

 私は30代後半期に、国営放送局とも表現されている我が国の某放送局(早い話がNHKの事だが)の新入社員対象の入社試験に挑んだ経験がある。   30代にして再び新たな学問を志し大学及び大学院修士課程にて学業に励み、大学院修了後は心密かに「学者」を目指していた頃の話だ。 

 ところが学者とはコネが幅を利かせる世界であり、学者を目指そうとする院生とはゼミ指導教官を通して指南を仰ぐのが常識である。  それは承知の上で人の世話になることを好まない私は、例えば新聞紙上等で大学や短大の専任講師募集を発見しては自分で応募書類を送付したものである。 残念ながら門前払いの厳しい現実のみが待ち構えていたのは当然の成り行きだったのであろう…。

 元々医学関係者である私は大学院修了後それを再び食い扶持とすることも視野に入れつつ、せっかく“新卒”で世に出るのだから、これを利用して少し冒険したい気分にもなっていた。
 そんな時に発見したのが、普段よく見ているNHKテレビが放映していた「大卒及び大学院修了者対象の職員募集」だったのだ。 この募集放映を幾度となく見つつ“年齢制限”がないことを重々確認した私である。
 早速履歴書及び必要書類を東京渋谷のNHK本局に送付したところ、即刻面接通知が届いた。 (参考のため、当時の就職事情とはまだまだバブル経済の下で“超売り手市場”期であり、大卒が100%就職できた時代背景である。)
  
 そして渋谷まで面接に出かけた私であるが、当然ながら待合室にはまだ20を過ぎたばかりの“世間知らずの子ども達”が大勢溢れている。 (やはり、NHKは人気があるなあ~)などと他人事のように感じつつ、さほどの時間を待たずして私の面接の番となった。
 既に書類は送付してあるが、私の方から“年齢”に関して切り出した。 「私位の年齢の新卒者を採用する意思はありますか?」  さすがNHK、その返答が紳士的であったことが印象深い。 「今回の募集はあくまで大学・大学院修了直後者が対象であって年齢制限を定めていませんので、○○さん(私のこと)も採用対象です。 ただ○○さんの場合は、むしろキャリア採用試験を受けていただいた方がよいかもしれません。」
 その回答でNHKの意思は十分伝わった。 当時のNHKのキャリア採用と言えば、アナウンサーの福島ナンタラ氏(現在イチローの奥さん)しか採用していない状況だった事を私は既に認識していた…

 ところがその後NHKから二次試験である小論文審査通知が届き、指定された会場まで出かけるはめとなる。

 ここでやっと、今回の本エッセイ集の表題である 「人の面(つら)」 の話題に移ることにしよう。

 実はこの時のNHKの採用試験の小論文審査課題が  「面」  だったのだ。

 小論文試験に先立って、受験者には解答用紙である白紙の原稿用紙のみが配布された。 試験が開始した直後、担当者が黒板に 「面」 とのみ書いたのだ。 そして口頭で、「“これ”に関して自由に論じて下さい」ときた!
 それまで数ある論文作成や小論文課題に挑んできた私であるが、こんな突拍子もない小論文課題に解答するのはその時が初めての経験だった。   おそらく当時のNHKとはテレビ放映が中心業務であり(今もか??)、テレビの画面上で放映される平面という限界ある世界の中での想像力の幅を学生達に問うのがこの小論文の趣旨であろうか? との想像もついた原左都子である。 
 それはともかく、黒板の 「面」 の字を見て私の脳裏に真っ先に思い浮かんだのが、「人の面(つら)」 だったのだ。 
 小論文のテーマを私なりに「人の面(つら)」と即座に決定した私は、人の面(つら)とは多くを物語るものだとか、今回のNHKの採用試験に於いて「面接」を重要視して人の面(つら)を真っ先に見ようとした事は評価できるだとか、当時の私なりの論評を解答用紙上に展開して快く帰宅したのである。  当然であろうがNHKからは“不採用”の結果が届く事を、その帰り道から実感していた。

 (以上、2012.01バックナンバーより一部を引用したもの。)


 このNHK採用試験「面」小論文課題に回答して以降、30数年の年月が経過した現在だ。

 当時の小論文に私は「人の面(つら)とは多くを物語る」等々と記載したようだが、あれから30数年の年月が経過した今となっては、現代社会に於いてこの論理がまったく通用しなくなっている感を抱かされる。

 道行く人々の面(いや“お顔”)の表情が実に乏しく移ろいだ感覚がある。 そもそも見知らぬ人と視線を合わさない人が多発している気もする。  そういえばつい最近だが、私が自転車の人に道を譲ると目線を合わせて軽く会釈をしてくれるとの場面に出くわした。 もちろんこちらとしても会釈を返したのだが、そんな出来事がちょっと嬉しいと感じる程に、道行く人々が無表情だ…

 上記記載のNHK採用試験に於いて、「面接を重要視して真っ先に人の面を見る」なる採用側の行動など、今や皆無ではなかろうか?!?  現在の「面接試験」に於いては人の表情を見る事など決して無く、自らが採用したくない思想のある人物を排除してかかっている気もする。 (これは10年程前に原左都子自らが受けた地元教育委員会による相談者募集面談にて経験させられた…)  そんなもの、こちらから願い下げとして。


 それにしても、私という人間とは “チャレンジ好き” である事を今更ながら思い知らされる。  過去にNHKの採用試験にまで挑んでいたとは、今となっては「何を考えているのか!?」と自分の行動を多少可笑しくすら思う。

 ただ、決して「八方美人」だった訳ではない。  30代にして凄まじいまでの世の現象に対する“好奇心の塊”だったことは確かだ。 

 いや今でもそうなのだが、世が我が好奇心に応えてくれなくなりつつある悲しい現状を、十分に把握出来ているつもりでもある…。


今更コネを使って娘に再就職させるって!??

2019年11月17日 | 仕事・就職

 私応えて、「今更それ言うならば、娘が大学4年時就活に“落ちこぼれて”いた4年前に言ってよ!」

 上記の会話は、つい最近の亭主と私との単なる“戯言”やりとりに過ぎない。

 

 何故、この言葉が亭主の口から突如出たのかを説明すると。

 最近珍しく亭主が高校時代の同窓会に出席したのだ。 その同窓会の説明をするならば、“都の西北 W大学”直営の某高等学院の同窓生の集まりだったようだ。 参考だが、当該高等学院から99%がW大学へ進学する。 しかもそのクラスが同じ理工学部への進学生ばかりだったらしく、その後も大学院進学と長年の付き合いだったようで、卒業後も随分と仲が良い様子だ。 (亭主と晩婚後ずっと私が亭主の年賀状作成を担当している関係で、それら面々のフルネームを嫌でも記憶している。)

 で、今回の同窓会参加者の中に、某大企業(実業団駅伝にも毎年出場している企業のようだが)の会長氏がおられたとの事だ。 いえいえ、それに限らず亭主の同窓生はご立派な身分の方々が多いのだが。 例えば、大学教授、国家官僚等々…  最近では、W大学学長選挙に亭主の年賀状作成時にいつもその名を認識している某氏が立候補しているのを新聞紙上で見た。  (いや、我が亭主にも大学院時代に他大学助教授の道はあったようだが、そのオファーが地方国立大学からだったため、「地方へ行くのは嫌だ!」との身勝手かつ軟弱な理由でお断りしたらしい。) その気持ちは私も重々分かる…

 

 表題に話を戻すと。

 亭主曰く、「その会長氏のコネで娘を当該大企業へ入れてもらえないものかなあ~~」、との事だ。

 早速私が応えて、「何寝とぼけたこと言ってるのよ! 娘が今何歳か知ってるの?? それ言うならば、娘が“就活落ちこぼれ組”だった時にそういう話をしてよ!」

 

 この“コネ話”に関しては、実は私側も娘の就活に関してコネとなり得る人物に心当たりがあった。 

 それは私が最初に就職した医学関係の職場上司だったのだが。 加えて、たまたま娘が卒業した大学の先輩に当たる女性が当該企業に於いて我が部下だったとの偶然もあった。 要するに、娘の就職先としてある程度適応可能な企業だったとの訳だ。

 その上司氏には、新卒入社当初に個人的に大変お世話になっている。 (当エッセイ集バックナンバーにて既に公開しているが)私はある理由でその企業を退職しようと志した。 その際に本気で3日程無断欠勤との強硬手段に出たのだが…  上司氏より電話を頂戴した。 「どうしたの、何故欠勤してるの?」 私応えて、「職場を退職しようと考えています。」  驚いた上司が、「一体何の理由で? 貴方に退職されては私の責任になるし、貴方のご両親にも出身大学にも申し開きが立たない。 今一度話し合いたい。 会社へ来るのが嫌ならば、外で会ってとことん話し合おう。」 その提案に乗り、私はとことん我が言いたいことを言わせてもらった。 結果としては“配属先変更”との形になり、その後その企業にて職場長になる程の機会に恵まれ、私は社会人として大きく成長させてもらえた。

 その上司氏が後に当該企業の上層部で役員として活躍した挙げ句、参議院選に出馬し見事当選の暁に、厚生大臣政務官を務められている。  私は一時本気で考えた。 おそらく(社内でかなり目立つ存在だった)私の記憶はあるはずだ。 もしも一言私が「娘にあの医学関連企業への道のりをお作りいただけませんか?」と申し出て、それの回答がいただける気もした。

 

 最後に、我が結論を述べよう。

 何故その行動を私はとらなかったのか!?! 

 それは、娘本人がそれまで見た事の無い程の決意の下に、凄まじいまでの行動力で単身にて就活に励んでいたからに他ならない!! (当エッセイ集2015.10.10付けバックナンバ-「自分の個性を表に出して勝ち取った娘の内定」に於いてその娘の頑張り力を公開しておりますので、よろしけばご覧下さい。)

 就活のすべてをこの子本人に任せよう! そうした方が、この子の将来に直結するに決まっている!

 付け足しだが親としての現在の本音を言えば、この娘来年は首か?? その次はいつまで持つのか…

 それでも信用性無きコネよりも、我が娘の実力の程を信じるのが親の役割に決まっているではないか!! 

 それを亭主にも言い聞かせて、一件落着に持ち込んだ。 


余った「児童手当」の使い道、各家庭の自由でよいとも思う反面…

2019年11月16日 | 時事論評

 我が家の一人娘は1993年(平成5年)生まれだが、私の記憶によれば、子供時代に公的機関よりただの一円も「児童手当」類の金銭を受け取っていない。 

 医療費とて同様だ。  生まれてこの方「医療費無償」の恩恵に一切与っていない。 (と思いつつ娘に確認すると、中学生の途中から医療費無償になったようだが。)

 少し記憶にあるのは、毎年小中学校から“封筒に入れられた”書類が保護者宛に届いたことだ。 その中身とは、保護者の年収に関する調査書だった。 それに年収の詳細を記入し証明書を添付(?)して、封筒に入れたまま子どもから担任に手渡すとの方式が採用されていた。  おそらくその書類に基づいて、年収額に応じ対象家庭に何らかの手当が支給されたのであろう。

 あの封筒にいつも違和感を抱かされたものだ。 あれを担任に提出するということは、少なくとも担任は自分が受け持っている全生徒の家庭の“裕福・貧困状況”を把握出来るという事だろう。 そんな各家庭のトップシークレットが記された報告書を担任に公開して許されるのか?? との疑問符がいつも我が頭にもたげた。

 医療費など、我が家の場合娘幼少の頃程多額の医療費が発生した。  何分、若干の不具合を抱えて産まれた我が娘だ。 幼き頃は“奇病のデパート”と言ってよい程に様々な病状を呈したものだ。  脳波、CT、MRI等々定期的検査を余儀なくされ、その都度娘の医療費に家計財布から万札を飛ばしたものだ。  決してそれが支払えない我が家ではなかったものの、(不具合を抱えた子供を産むと、こんなに余分なおカネがかかるんだ…)と実感させられた我が身だった。

 

 さて、話題を変えよう。

 本日2019.11.16付朝日新聞に、「児童手当年収1000万円以上世帯は…」と題する記事があった。 以下にその記事を要約して紹介しよう。

 厚労省は、児童手当の使い道に関する調査結果に誤りがあったと発表した。 年収1000万円以上の世帯の32%が「大人のこづかいや遊興費」に児童手当を使っているとしていたが、正しくは0.9%だった。 財務省は10月の分科会で、この誤ったデータを基に、高収入世帯への支給額を見直すべきだと提案した。  本来は、年収1000万以上の世帯の32%が「子どもの将来のために貯蓄・保険料」に使っていると記載するべきなのに、誤って「大人のおこづかい…」に使っているとした。 13日に外部からの指摘で発覚し、厚労、財務両省は調査を修正した。

 (以上、本日の朝日新聞より引用したもの。)

 

 一旦、私見に入ろう。

 う~~~~~ん???  この記事内の厚労・財務両省の訂正発表こそが、実に胡散臭いなあ。

 「大人のこづかい…」と「子供の将来のための貯蓄…」。  両者の文言を “優秀な?” 国家官僚”達が見まがう訳が無いではないか!?!

 天邪鬼・原左都子の勘ぐりだが。  これ、敢えてパーセンテージを低く国家省庁が捏造したと私は推察する。

 このデータをそのまま国民に発表したならば、低所得層より大反発が押し寄せるに決まっている!  政権側としては、あくまでも現行の「児童手当」を支給し続ける事により、支持層を維持したい魂胆など見え見えだ。

 そうして出した結論が、上記のデータ改ざんだったのではなかろうか?!

 

 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 それにしても特に、(投資で一時稼いだ等の)“にわか長者”の子育て中の皆さんへの忠告だが。 

 「児童手当』が余剰したとして、その収入源に長年に渡る“安定性”が保証されている場合、それを何処の目的に利用しようがご家庭の勝手であろう。

 とは言えども現世は過去に増して不確実性が高く、経済情勢が不安定の現実とも実感する。 

 そうした場合、「児童手当」と名付けられた一時金に関しては、やはり「我が子のために貯蓄」等の形で親が保管しておくのがベストか、とも我が経験に基づき指南申し上げたくもある。