原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

「としまえん」、娘を連れて幾たび訪れたことだろう…

2020年08月28日 | 雑記
 (冒頭写真は、今月いっぱいで閉園する「としまえん」に関連する朝日新聞夕刊記事。)



  東京都練馬区に位置する遊園地「としまえん」には思い出が一杯だ。

 特に我が子を産んだ後は、幼子の手を引いた時期から娘高校生頃まで幾度も二人で訪れた。

 
 冒頭の朝日新聞夕刊記事を見て、8月31日の閉園までに是非訪れよう!! 
 と考えたものの。

 時既に遅しだ…

 コロナ禍下で入園は予約制。 既に閉園日まで予約一杯なのは当然だろう。



 としまえんの公式ホームページより遊具の写真を転載して、少し振り返ってみよう。


         


         


         


         


         


         

 上記のすべてのアトラクションを利用したが、私個人的には最後の写真「フロッグホッパー」が一番怖かったなあ… 


 冬には、スケートリンクもオープンした。
 スケート能力の無い私に替わって亭主が娘の相手をしてくれたが、結局母の私が滑らないため、娘も嫌がってスケーティングをマスター出来ず終い……


 夏には毎晩花火大会があった時期もあった。
 せっかく近くに引っ越して来たのに、花火打ち上げの音ばかりはうるさいものの、花火が上がる方角にビルがあったため自宅からは見えず終い……



 そんな思い出がつまった「としまえん」閉館後は、ハリーポッター関連施設と公園に生まれ変わるらしい。


 都民に愛され続けた「としまえん」。

 
 我が家にも思い出を沢山、ありがとう!  さようなら!!😭 


たかが“肌の色”、されど“肌の色” ……

2020年08月27日 | 時事論評
 (冒頭写真は、プロテニスプレーヤー 大坂なおみ選手。 ネットより転載。)


 本日昼のテレビニュースにて、プロテニスプレーヤーの大坂なおみ選手が、現在ベスト4まで勝ち進んでいる全米オープン前哨戦・準決勝試合を棄権する、との報道を見聞した。


 以下に、ネット情報より当該情報の一部を引用しよう。

 大坂がW&Sオープン準決勝を棄権、黒人男性銃撃に抗議 
 四大大会(グランドスラム)で通算2勝を挙げている大会第4シードの大坂は、31日に開幕する全米オープンの会場にもなっている隔離環境下で、第14シードのエリーゼ・メルテンス(Elise Mertens、ベルギー)と対戦する予定だった。
 ツイッター(Twitter)にコメントを載せた大坂は、「私はアスリートである前に黒人女性。今は私のテニスを見てもらうよりも、1人の黒人女性として早急に対処しなければならない、より重要な問題があるように感じる」と述べた。
「私がプレーしないことで何か劇的なことが起きるとは思わない。でももし白人が多数を占めるスポーツの中で会話が始まれば、正しい方向に進む一歩になると思う」
「警察の手による黒人惨殺が続くのを見ていると、率直に言って吐き気がする。数日おきに新しいハッシュタグが出現することに疲れ切っているし、何度もこういう同じ会話が繰り返されることに心からうんざりしている。いつになったら十分になるの?」
 大坂は、23日に米ウィスコンシン州ケノーシャ(Kenosha)でアフリカ系米国人のジェイコブ・ブレーク(Jacob Blake)さん(29)が発砲されたことに抗議し準決勝を棄権。

 (以下略すが、以上ネット情報より一部を引用したもの。)



 一旦、私見に入ろう。

 私にとって、大坂なおみ選手とは「“日本人”である」との揺るぎない認識だった。
 もちろんハーフである事は存じているが、自分が日本人である場合、“自分と同胞的な感覚に至るのは自然ではなかろうか?

 本日ご本人の口から「私は“黒人”です」と明瞭に発言されるのを聞いて、正直なところ“軽いショック”に陥ると当時に、いつもそれを認識して生きておられるのだと実感させられた。

 単一民族国家の場合、普段はまったく“ナショナリティ”になど無頓着であるのが通常ではなかろうか?  私などまさにそうだ。 自分が“日本人”であることを認識するのは、海外旅行へ出た時くらいだ。 
 
 ところが、ハーフの大坂なおみ氏はまったく違った。 いつも脳裏に“ナショナリティ”を意識しつつ、米国内での黒人襲撃事件等に心を痛めておられたのだと知った。



 私事に入ろう。

 この私も、海外旅行に出かける機会があるが。
 2016年冬に旅したイタリアにて、大袈裟に言えば“人種差別”かと思しき場面に出くわした。
 以下に、2016.02.12 公開のローマ・ピサ・フィレンツェ旅行記の一部、フィレンツェ某レストランでの出来事の箇所を引用しよう。

 ところで、このレストラン名を公表しないのには私なりの理由がある。 ある意味で居心地が悪いレストランだった故だ。
 ネット検索で日本語にて幾らでも検索可能なレストランである。 その評価は高く、特に料理の味など5つ星に輝いている。  確かに料理の味は絶品だった。 それは私も認める。
 ところが、驚く扱いを受けたのだ。
 レストランに入ると、室内と外のテラスとどちらが良いか聞かれる。 ゆっくり寛ぎたい我々は室内を選択した。 すぐさまレストラン内一番奥の、ピザを焼く窯が設置されている部屋へ案内された。 入口に近い大部屋がイタリア人と思しき西洋人達で混雑しているのに比し、当初は特別室なのかと思うほどに奥の部屋は落ち着いた雰囲気だった。
 そして英語ペラペラのウェイトレスがテーブルまでやって来て、我々に流暢な英語にて注文を聞いてくれる。 その対応には何の失礼もなく至って親切だ。
 その後、事態が急変する。
 我々が料理を食べ始めた頃、奥の部屋に次々と案内されてくるのが有色人種系の客ばかりなのだ。 言葉から察するに中国人がほとんどで、日本語は聞こえて来ない。  どんどんと中国人客が増え、あっという間に奥の部屋内は中国人で埋め尽くされた。
 これが大変!  中国の皆さんの喋りのけたたましさは知る人ぞ知ろうが、怒涛の如く奥の部屋は喋りの洪水渦中に巻き込まれてしまった!
 落ち着いて食事など出来やしない。 我々母娘は身を小さくしながら、「早めに食事して帰ろう」との事態と相成る… (中略)
 これが、まさかレストランによる「人種隔離政策」ではないと信じたいが…
 単にイタリア語会話力がない観光客を奥の部屋へ集めて、英語にての親切な対応を心掛けた結果なのだろう。
 ただ私に言わせてもらうならば出入国審査じゃあるまいし、たかがレストランがそこまでせずとてイタリア語が通じずとも何とかなるものだ。 他のレストランでもお店でもすべてそうして通って来ている。
 しかもその方が観光客にとっては楽しくもある。 下手なりにも現地の人々と何とかコミュニケーションが取れ心が触れ合える事こそが、むしろ旅の醍醐味とも言えよう。
 国境を越えた真の“おもてなし”とは何なのか? 
 このレストランに於いて、まさにその課題につき改めて考えさせられる一夜の晩餐だった。 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)

 
 2020.08  今現在の上記レストラン対応に関する我が印象を述べよう。

 あれはやはり、レストランによる「人種隔離政策」だったと結論付けたい。
 英語対応より何よりも、とにかく当時の(今もか?)中国人観光客の“喋り力”のけたたましさとは想像を絶するものがあるのだ。 あれじゃあ、地元の人達がゆっくりと寛いで食事が出来ないであろう。  そこでやむを得ず、別部屋に“肌の色で識別して”有色人種を案内する政策をとっていたのだと結論付ける。

 それにしてもだ。
 “肌の色”のみの視点から、身勝手にレストラン現場が「人種隔離政策」を執るとは許しがたき事態だ!
 我々母娘とてフィレンチェでの最後の晩餐をゆったりと過したかったのに、あの隔離政策により台無しとなった…



 最後に、話題を大坂なおみ選手に戻そう。
 
 一時は、プロ女子テニスプレーヤー世界の頂点に輝いた大坂選手。
 そんな素晴らしき実績のある大坂選手が黒人としてのアイデンティティとプライドに基づき、準決勝試合を棄権するとの行動を起こした事実を受け入れたい。

 ただ反面、大坂なおみ選手と同じく「日本人」である私としては、今まで通り大坂選手のプロテニス界でのご活躍を応援申し上げたいものだ!

この子たち、だ~~~れだ??

2020年08月26日 | 雑記
 (写真は、我が家の“ボロひつじ”と“ボロねこ”。)



 こんな汚らしい写真を、ひとさまにお見せする訳にいかないのだが…


 それでもこんなボロでも我が家にとっては「宝物」でありどうしても捨てられず、晴れた日には天日干し(写真参照)して、今尚大事にソファーに置いてある。


 その由来を語るならば。

 娘が私立中学に合格した15年前の春先の事だ。

 私なりのお祝いをしてやりたくて…。
 何かで見た「ミッキー・ミニー合格電報」を真似て、「ひつじ合格電報」を娘に贈ることとした。
 何故“ひつじ”かと言えば、娘が小5時の遠足で千葉県のマザー牧場を訪れた際に、羊たちが何とも可愛かった! と語ってくれていたためだ。

 それを思い起こした。
 この羊(実は枕だが)を購入し、電報文は私が書いた。


 これが予想以上の喜びようで、一時も手放さない程に可愛がってくれる。


 しばらくたって、「羊じゃない別の動物もあったから買いに行こうか?」と尋ねると、喜んでそれを買いに行く!と娘が言う。
 そうして次に買ったのが、後ろのねこの枕だ。

 
 数年後にあまりにも汚れたため、最初の洋服を作ってやった。

 その後、もっと汚れてボロボロになっても娘が捨てない!と主張するため、2枚目の洋服を作った。 それが冒頭写真の有様だ。
 (参考だが、ひつじの洋服は枕カバーを改造したもの。  ねこの洋服は市販の犬用衣装をねこの体格に合わせてアレンジしたもの。)

 汚れよりも何よりも、本体自体が既にボロボロで何度も縫い直している。


 娘の私立中学合格から15年の年月が経過して尚、娘から「ひつくん」「ねこちゃん」と呼ばれ可愛がられ続けている、我が家の宝物だ。😊 

映画「ドラえもん のび太の新恐竜」 ー 白亜紀への壮大な旅 ー

2020年08月25日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、昨日猛暑の中観賞してきた映画「ドラえもん のび太の新恐竜」入口にて配布されたプレゼント冊子。)


 ここのところ35℃を超える猛暑続きのため、熱中症を警戒しランニング練習が不能な日々が続いているが。
 せめてウオーキングでもせねば身体が老化の一途、と多少焦り感も漂い始めていた。😫 
 
 そうだ! 自宅から歩いて行ける距離の映画館へ運動がてら映画を見に行こう!
 と昨朝突如思いつき、早速冒頭映画をネット予約した。
 徒歩で行けるとは言っても、片道優に2㎞ある。 (普段5㎞ランニングに慣れている身としては、それくらい歩くのは“へのかっぱ”であるものの…
 さすが昨日の猛暑の中、昼過ぎのアスファルトの道を歩くのは難技だった。 日傘をさし片手でハンカチで汗を拭き取るのだが、その汗の量が映画館へ着く頃には絞れる程になった…

 無事に映画館へ到着。
 今回の「ドラえもん」映画は、“親子連れ用の家族会場”としてコロナ対策セッティングがなされていた。
 おそらく単身で行ったのは私一人だけだろうが、これが功を奏して周囲にほぼ観客がいない環境下で映画を楽しめた。


 さてこの映画、前評判が良いらしい。
 昨年公開のドラえもん映画(宇宙戦争もの)にかなり失望していた私にして、如何なる意味で評判が良いのか不明にして多少期待していたのだが。


 ストーリーの滑り出しからして魅了された。
 夏休み中にのび太が友達と訪れた「恐竜展」にて、自分で掘り起こした化石を持ち帰る。 
 「この化石の中に、絶対恐竜の卵が入っている!!」と信じるのび太。

 そんなのび太の思い通り、その化石の中には恐竜の卵が入っていた!! (ここで一旦原左都子の勝手な感想だが、のび太ってそんな夢を叶えられる資質を持って生まれた子のように感じる。 何と言うのだろうか私自身が教員経験者の身にして、この子って未来性がある! と直感出来る子が現実世界にも確かに存在した。 その子達の卒業後のことは知らない無責任さであるものの…😜
 
 ある朝のび太の部屋で化石の中の卵から、確かに恐竜の双子の赤ちゃんが誕生した!!
 その鳴き声を聞き、のび太は片方を“ミュー” 片方を“キュー”と名付ける。
 ドラえもんの提案により、室内で“ジオラマ”をドラえもんの魔法で作りその中で育てることとした。
 その恐竜の赤ちゃん達は順調に成長し…
 ある程度大きくなった時点で、これまたドラえもんの提案と魔法でこの恐竜が暮していたと想像可能な「白亜紀」に戻すこととした。
 
 ここに至るのび太の研究熱心な姿も素晴らしい。
 図書館へ行っては、自分が室内で飼っている恐竜が如何なる時代に生きていた如何なる種類なのか熱心に調べ上げる作業を成すのだ!
 (またもや我が感想だが、科学者とはそもそもこの種の経験を子どもの頃から自然と積みつつ後々その花を咲かせるべきであるはずだ。 のび太のそんな優れた探究心を何故学校の教員や周囲の大人どもは理解出来ず、テストの点数にばかり目が行き、のび太を劣等生として扱うのか!?? この実態こそが、現在の我が国の義務教育の恥ずべき部分では無いのか???  テーマがズレた点、お詫びします…)


 そうこうしてのび太とドラえもん、そしてその仲間は、ミューとキューを引き連れて、白亜紀への壮大な旅に出る。


 ところで、この映画で描かれている恐竜たちのリアルな姿が実に素晴らしい!

 少し、昨日プレゼントで頂いた小冊子よりそれらの説明箇所を引用しよう。


        


        


 原左都子自身は、恐竜世界にはまったく詳しくないのだが。

 昨日観賞したドラえもん映画にて、その片鱗を学習出来た気がする。
 それ程に、この映画は恐竜が生きた時代の史実に忠実に描かれていた。


 どうやら膨大な制作費をかけてこの映画は制作されたようだが。
 それに値する作品に仕上がっていると、高評価申し上げたい。 


 皆さんも、“コロナ禍対策”が万全に採られている映画館にて、観賞されては如何でしょうか。

極小惑星の地球すれすれ通過、ロマンでもあり脅威でもあり…

2020年08月23日 | 時事論評
 (冒頭写真は、朝日新聞2020.08.20夕刊記事より転載した、地球の上空3千㎞を通過した小惑星の軌道。 NASAなどより提供されたもの。)


 この極小惑星の地球すれすれ通過情報に関しては、私も数日前のネット情報より得ていた。

         
 冒頭写真同様、朝日新聞記事より引用したものだが。 ( 小惑星「2020QG」 = 米カリフォルニア科大提供)



 早速、朝日新聞記事より当該ニュースに関する記事を要約引用しよう。

 NASAは8月18日、大きさが5メートル前後の中型車ほどの小惑星が16日に地球すれすれをかすめていたと発表した。 最も地球に近づいた時の距離は3千㎞上空だったといい、地球にぶつからなかった小惑星としては観測史上最も近づいたとみられる。
 発表ではこの小惑星の大きさは3~6メートルで、「2020QG」と名付けられた。 太陽の方向から地球に近づき、インド洋上空をかすめつつ地球の重力で軌道を変え通り過ぎた、という。 (中略)
 7月上旬に関東上空に現れ、千葉県で隕石が見つかった流れ星は数十㎝の大きさだったとみられている。 今回の小惑星はその10倍ほどの大きさがあるが、もし地球にぶつかっていていても大気圏内でほぼ燃え尽き、被害が出る可能性は低いとNASAは見ている。
 小惑星の多くは火星と木星の間を回っているが、地球に近づくものも2万個ほど知られている。 このうち約2千個が地球に衝突する恐れがある。 「潜在的に危険な小惑星」として監視されている。 ただ、今回のような数メートルの小惑星は小さすぎ、「数億個もあると言われるが、事前に発見するのは非常に困難」(NASA)なのが現状だ。 発見チームの米カリフォルニア工科大のジョージ・ヘロウ氏は「望遠鏡の広い視野と迅速なデータ処理で希少な小惑星を発見できた」と話している。

 (以上、朝日新聞2020.08.20夕刊記事より一部を引用したもの。)



 この原左都子はそもそもプラネタリウム観賞を趣味とし、昨年末にはつくばJAXA宇宙センターへその展示物を見学に行く程度の、「宇宙ロマン」の趣味がある。

 そんな私は、ネット上で既に上記写真情報を得ていた。
 (えっ?! 車ほどの大きさの小惑星がこの2020年に日本上空を通過??)
 実際に車ほどの大きさだとすると、万一地球上に激突したとてその被害の程は現在全世界を震撼させている“コロナ禍”よりも規模が極小に済むのだろうか? (それ程に、この“コロナ禍”の被害の程を絶大・絶望視している私だが…)

 それよりまず一体全体、この太陽系を取り巻く「小惑星」とは如何程の数存在するのであろう???
 へえ、上記情報によるとその総数は分かっているだけで2万個にも達するようだ。 そのうち地球上に衝突する恐れがあるのはその十分の一の2千個ほど…。
 よくぞその数値を、宇宙開発科学分野が調べ上げているものだ。


 このエッセイの結論は、歪みに歪みゆくが。

 元々医学分野に携わっていた身である私は、「医学」こそが人類を救う最高にして最大の科学だ、と内心信じていた部分がある。
 それに対し、そもそも「宇宙開発科学」など趣味範囲にしか捉えられない部分があったのが正直なところだ。
 
 ただ、昨今の“コロナ禍”に於ける医学分野の混乱や低迷ぶりや、“コロナ禍”現場で困窮状態にある医療現場の様子を報道等で垣間見るにつけ…  
 「医学」とは人類にとって最高の「科学」と認識していた立場にして、その自信が揺らぎ始めているかもしれない…
 何であの“阿呆揃いの安倍政権幹部ども”に、医学者が立ち向かえないのか…   多少悲壮感すら漂いつつ、昨今の“コロナ禍”ニュース報道を見聞したりしている…



 歪みに歪んだ我が今回のエッセイのまとめに入ろう。

 いえいえ国際宇宙科学とて、極小惑星から人民を救える手立てを科学的に確立できるのは遠い未来のことだろう。
 科学分野とは言えども、そのスパンの長短を意識して議論するべきなのは当然のことだ。

 今は世界の医学者達が、ヘボい政治家達の素人もどき政策下に於いて、自身の身を削って“コロナ禍”と闘っている現状こそを応援するべきだ!! 😈