原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

長野県伊那市の農園よりスイートコーンが到着しました!

2020年08月23日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、昨日長野県伊那市の農園より到着したスイートコーン。)



 このスイートコーンの贈り主はいつものごとく、毎年季節毎に取れたて野菜類を東京の我が家へクール宅配便で届けて下さる 伊那市の大農場主・K氏なのですが。


 今年のスイートコーンは、(おそらくK氏の農場主仲間の)こちらの農園より到着したようです。

        

 早速、この説明文を読んでみましょう。

 肥料について。
 化学肥料は使用せず100%有機肥料を使用しています。
 こだわりの養鶏農家のこだわりの鶏糞と
 我が農園の米糠を使い土づくりをし栽培しています。

 農薬について。
 アブラムシ、アワイノメイガなどのずい虫に殺虫剤を3回使用しました。
 今年は長雨の後、干ばつで俵が小さいです。
 
 また、ハクビシン、狸に美味しい俵からカジられて行きます。
      (以下略)



 確かに今夏の天候とは長雨が8月上旬頃まで続いた後、猛暑続きの日々だ。 (本日の東京地方は、若干気温が下がって比較的凌ぎ易いのだが…)

 そう言えば少し郊外では、小規模の家庭菜園でもせっかく丹精込めて育てた果物や野菜がタヌキやハクビシンに狙われる、とのニュース報道を最近聞いた。

 大農園では立派に作物を育て上げるのに、日々ご苦労の連続であろう。




 さて、そのスイートコーンのお味ですが。

 クール便で届いた直後に、すぐに箱を開けて1本カジってみたところ。(お前はハクビシンかタヌキか!?! いえ、そんなに可愛くも無いのですが、まあその仲間のような者です…)😜  
 (余談だが、そう言えば以前我が個人年金担当青年がスマホでしてくれた“動物占い”にて、タヌキとも言われたなあ。)😖 

 何とも甘くシャキシャキと美味しいこと! 
 一切の渋みも無く、直ぐに1本を堪能しました!!


 夕食時にはそのシャキシャキ感を崩さないため軽めに茹でて、1家3人で1本ずつ美味しくいただきました。
 後しばらく、取れたてスイートコーンを堪能させていただきま~~~~~す! ♪♪♪       


ムダかどうかは、自分で決めよう!

2020年08月22日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日の朝日新聞夕刊一面トップ記事より転載したもの。)


 昨日の朝日新聞夕刊記事は「ムダ毛」がテーマだった。


 初っ端から、この「ムダ毛」に関する原左都子の結論を述べよう。

 冒頭写真広告に書かれているとおり、「ムダかどうかは、自分で決め」たら良いと考える。
 ただ、「公に見世物にするべきものでも無い、のではなかろうか?」😫  


 私自身、物心ついた頃から“毛深い”体質だった。

 よく覚えているのは、小学校に入学して間もない頃の事件だ。
 体育の授業か何かで児童皆が密に座った時のことだが、隣の男の子が私の腕を見るなり「うわーーー、すげー毛深い!」と大声を上げる。
 周囲の子達も我が腕に注目するなり、「うわーーー。ホントだ!!」と言いつつ、触りに来る子もいる。😖 
 確かに、我が腕は毛深かった。 未だ幼いため産毛に近いのだが、1本の長さが3㎝程の毛が我が細い腕に密集していた。 
 私自身はさほど気にするでも無く時が過ぎて。

 中学生になった頃だろうか。
 今度は脚に、男子顔負けの“立派なすね毛”がボウボウと生えて来るではないか! 
 これを剃り始めたのがいつのことやら記憶に無いのだが、つい最近まで剃り落とす習慣がずっと身についていた。 (参考だが、腋毛も同様だが…)

 年齢を重ねる事とは有り難くもあり、現在に至っては剃る必要が無い程にスネ毛も腋毛も薄くなっている。 腕の毛に関しては元々繊細な毛質だったが、今となっては消え去ったに等しい。

 2度目の大学生時代、我が30代の事件だが。
 3浪した後我が大学へやっとこさ入学し、その後既に7年経過しているとの“自由人的”男子学生(既に30歳に近く私と年齢が近かったし経験値が高く面白い奴でもあり、親しくしていたのだが。)が私のスネ毛に気付いた! 
 そして遠慮も無く私に向かって曰く「凄いスネ毛じゃん!!」
 (参考だが、この男子学生との共通項がもう一つあった。 男子学生の父親が免疫学関連の著名研究者でもある医師なのだが、偶然だが私は過去にその父親と医学学会会場にて接触していた。)
 そんなこともあって気さくな関係であり、その“ノリ”の付き合いだった故の遠慮無き発言だった。
 おそらくあの頃の我が人生は超多忙期であるが故に、その処理を怠る事もあった記憶があるのだが。 その男子学生の発言が元で、はやり“スネ毛はまめに処理するべき!”を鉄則として今までの人生を歩んで来たと言えよう。


 話題を変えるが。

 我が娘の“腋毛”を、当時娘が通っていた(プロ公演も定期的に実施している)バレエアカデミー担当教官より指摘されたことがある。
 未だ中学生になったばかりの娘の“腋毛”が既に生えていた事実を、母親の私は認識していた。  それでも我が過去の経験より、その処理はもっと後でよかろうと見逃していた。
 さすがにバレエプロを育成しているバレエアカデミー教官の指摘は、容赦が無かった!
 「クラシックバレエとは芸術の世界です。 腋毛を生やしてバレエ練習に臨むとは何事ですか! 母親の貴女こそがすぐに娘さんに腋毛の処理を指導して下さい!」


 我がポリシーである「ムダかどうかは自分で決めたら良いと考える。」の観点からは、娘のムダ毛の処理は娘に任せたいものの…

 我がもう一つのポリシー「公に見世物にするべきものでも無いのではなかろうか?」の観点からは。 特にバレリーナの美しさが魅力のクラシックバレエの世界に於いては担当教官がおっしゃる通りであろう、と観念させられる事件だった。


 冒頭の写真を見て。
 
 この私も多少の気持ち悪さを抱かされた。😖 
 まあ現実社会に於いては、これ程までに平然と自身の腋毛を誇る女性が存在しないものと理解しているが。

 方や、男性のスネ毛等はどうだろう?
 我がエッセイ集公開初期頃に、我がブログの若きファンの男性から「スネ毛をそり落としている」とのコメントを頂戴したことがある。
 そう言えば芸能界で活躍する男性達がスネ毛を始め、ムダ毛と総称される地毛を公開している風景を見ない時代となっている感覚もある。

 もしかしたら、男性間でも今や「ムダ毛」とはタブーの世界観なのか?? 
 その辺の実情を知りたくもあるなあ。 

都内ビル内での“コロナ隠し”の実態

2020年08月21日 | 時事論評
 少し前の事になるが、以下のネット情報を発見した。
 早速、引用しよう。


 アナタのオフィスは大丈夫? 都内高層ビルで横行する“コロナ隠し”の実態
 2020/08/15 09:26


 国内の感染者数が5万人を突破した新型コロナウイルス。もはや、いつ誰が感染してもおかしくないが、不思議なのは都内に立ち並ぶ高層ビルに入居する会社で感染者が見つかり、ビル全体が消毒のために封鎖を余儀なくされた――という話をほとんど聞かないことだ。テレワークが浸透している上、感染防止対策に万全の注意を払っているから、といえばそれまでだが、一体どう対応しているのか。

 7月上旬、東京タワーにも近い高層ビルに入居する会社で新型コロナの感染者が見つかった。この会社で働く30代の女性社員はこう明かす。
 「感染を聞いた時は『ああ、ついにね』って感じで、わりと冷静だったのですが、それよりも驚いたのは別フロアで働く同じ会社の人たちが、社内で感染者が出たことを知らなかったことですね。『えっ、なんで全社員に知らせないの?』って同僚と話をしていたのですが、どうやら大騒ぎになってフロア全体の消毒なんて事態になれば、それこそ1〜2日がかりの作業になるし、費用もかかるため、『お静かに』となったようです。それで感染者のデスク回りだけをこっそりと消毒しておしまい。取引企業の人にも知らせていなくて、社内では“コロナ隠し”と呼んでいます」

 大手町の高層ビルで働く40代の男性社員もこう言う。
「うちのビルも6月ごろだったかな、感染者が出たと聞きました。事前の打ち合わせでは、ビル内の会社で感染者が出た場合、まずは全館封鎖して消毒し、オフィスに入れるのは2〜3日後と聞いていました。ところが、全館封鎖どころか何事もなかったようにそのまま。聞いたら、物販や飲食店が全館封鎖に反対したようです。ただでさえ厳しい状況で、これ以上、売り上げが落ちることを避けたかったのでしょう。そのため感染者がいたフロアの一部を消毒して済ませたそうです」

 新型コロナの集団感染が発生した大型クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」では、客室から排出された空気の一部を船内に循環させる空調システムが用いられ、これがウイルスを拡散させる一因になった疑いがあるなどと報じられた。この換気システムは商業ビルなどにも広く採用されているというから、仮に“コロナ隠し”の高層ビルに使われていたら大変だ。こっそりと消毒して終わりじゃ済まなくなる可能性もあるだろう。

 (以上、ネット情報より引用したもの。)



 私事に入るが、実は……

 1ヶ月ほど前の事だっただろうか。 (もう時効と考え、正直に暴露するが。)
 金曜日の夜帰宅した娘が、「ついに私の勤務先の高層ビル内でも“コロナ陽性者”が出た。 それも私と同階にてそれが発生した。」

 よほどの事態でも無い限り物事に動じない私だが、これにはビックリ仰天するというよりも。(ついに来てしまったか… )とのショック状態に陥った。
 それでも冷静に娘に確認した。 「それで感染者は1名のみなの? そのビルの消毒等はどうするの?  今後の貴女の勤務状況はどうなるの??」
 それに対する娘の回答。 「感染者は〇〇さんという知らない若い人でその1名のみだが、席が近くの職員はPCR検査を受けたようだ。 ちょうど金曜日だったためこの土日にビル内(その範囲は不明)消毒を実施して、月曜からは通常勤務となる。」

 一応、娘の職場では(同階の職員には)その発表がなされたようだが。
 月曜日に娘を職場へ勤務させるのは、産んだ我が子を谷底に突き落とすよりも惨い仕打ちにように感じたものだ…。😭 

 加えて、娘がいない場所で亭主と話し合った。
 「これ、娘がコロナウィルスを自宅まで持ち帰った危険性が否定できない。 しばらく体温測定を続け、お互いに体調等の様子を見よう。」
 その後1週間程は生きた心地がしなかったものだ。
 お陰で、娘も家族も皆感染から逃れた様子で救われたのだが…。 

 そのしばらく後だったか、我が家の直ぐ近くのスーパーマーケットでも従業員の感染者が出た話題に関しては、バックナンバーにて公開している。
 こちらもしばらく入店を避けていたが、いつまでもそうも出来ず、今となっては週1ペースで買い物に行っている。


 そんな折に、上記のネット情報。
 やはり都内のコロナ感染とは、もはや市中感染レベルに大規模拡大している事実を実感させられる。😨 

 それにしても、“コロナ隠し” “コロナ感染の隠蔽工作” は是非とも辞めてほしいものだ!
 正確な情報こそが命を救う! と私は考える。😠 

 確かに“コロナ感染公開”により、当事者が誹謗中傷に晒されたり、職場が休業を余儀なくされる等の被害もあろうが。
 誹謗中傷被害者救済等の観点よりも、今は更なる感染拡大防止に向けて社会全体が“情報公開”に動くべきではないだろうか?

吉村知事「うがい薬推奨問題」、“政治家がサイエンス領域に立ち入るべきでない”。

2020年08月20日 | 医学・医療・介護
 本エッセイ集2020.08.06付バックナンバーにて、表題の吉村知事「うがい薬推奨問題」に関する我が私論を述べている。


 「大阪府吉村知事の“イソジン騒動”、やはり勇み足では??」と題する当エッセイの一部を、以下に要約引用させていただこう。

 私め原左都子は元医学関係者であることが第一の理由だが。
 高齢域に入ろうとしている現在尚、普段より予防医学を徹底して基本的に “病院へ行かない主義” “薬剤に頼らない主義”を貫いている。

 その身にして、現在大阪府の吉村知事が世間を騒がせている“イソジン騒動”には首をかしげるばかりだ。
 吉村知事に関しては“コロナ禍”以降は、大阪府知事としてのその理性や行動力の程を高く評価してきた立場だ。
 そんな理性派の吉村知事が、医学素人にして“イソジン騒動”を巻き起こすとは一体何を血迷ったのか?? 

 と思いつつ、本日午後に民放に生出演してこの件に関する自己の見解を述べる吉村知事を垣間見ることが叶った。 (途中大幅略)

 私見に入るが。

 本日昼間見た民放テレビにての吉村知事発言の一部に関しては理解可能だ。
 とにもかくにもコロナ感染をこれ以上激増させたくない、何らかの方策を講じて是が非でも感染拡大を塞き止めたい…
 そんな切なる思いから、吉村知事は某医療機関と提携して、この「ポンピヨード入りうがい薬」の実験を自ら買って出たようだ。 
 その結果が上記の、「1日4回のうがいをした患者の4日目の陽性率が9・5%だったのに対し、うがいをしなかった患者の4日目の陽性率は40%だった。」とのことのようだが…。

 元医学関係者である我が現役時代の業務とは、要するにこの種の実験を担当しその結果をまとめ世に発表するのが主たる生業であった。
 その立場からもの申すと、まず一体如何程の被験者数を対象として実験が行われたのかを問いたい。(たったの40数件の被検数であったようだが、それではあまりにもお粗末だ。) あるいは、被験者達の医学的体質等のバックグラウンドも公表するべきだろう。 更には、この種の実験とは一度きりではなく何度も繰り返して実施してから結論を述べるべきとも考える。
 上記ネット情報内にも以下の記載がある。 
 「塩野義製薬の担当者『実際にコロナに効果があるかどうかは弊社では判断しかねる。メルカリ等でお買い求めいただくのではなく、ドラッグストアなど正規のルートで購入してほしい。』と困惑した様子で語った 」とあるが。 医学機関側としては、まさにそれぞ正論であろう。
 
 今回の吉村知事のテレビ出演に関しては、民放テレビ側の時間的な都合もあったのだろうが。  その辺の詳細が一切語られず、単に結果のみ述べるのに始終した印象があった。
 ただラッキー(と言ってしまっては吉村知事としては不本意であろうが)なことに、吉村知事の今回の“勇み足”に関して世論は“否定派”が多数の様子だ。
 市民の一部がその薬を求めて薬局へ詰めかけ既に品薄状態を作り上げている状況のようだが。  おそらく大方の市民は冷静に対処しているであろう事態に安堵させられてもいる。

 大阪府知事の吉村さん。
 貴方の“コロナ禍”阻止に対するただならぬ熱意の程を、今後も応援申し上げたいが…
 ここは原点に立ち戻って、貴方の得意な専門分野にて今後もコロナ対策に励まれては如何だろうか?
 貴方が優秀な人材である事実を私も存じている。
 それでも「医学」との分野とは、少しかかわったのみでは習得不能な高度の専門知識や経験力を要する部分もある事実を、お分かりいただきたくもある。

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)



 本日2020.08.20付朝日新聞に、この問題に関する識者の見解をまとめた記事が掲載されていた。
 「政治と科学 異例の距離感」と題する当該記事の一部を、以下に要約引用しよう。

 今回の(吉村知事による)「うがい薬推奨」の発表形式は異例ずくめだ。
 論文になっていない段階でのタイミングの発表だったのに対し、日本臨床試験学会代表理事は「研究内容は学会や論文で発表した後に報道発表するのが普通」と指摘する。  発表主体は「研究に倫理上、科学上の責任を持っている人」であるべきだとされ、当該教授は「吉村知事はその立場にない。」とし、吉村知事と研究者側の双方の対応を問題視する。
 また地方自治論分野の教授は、「研究者が単独で発表していれば、これほどの誤解や混乱の広がりは避けられた可能性がある。」とみる。
 当該教授は、研究の環境整備は支援するべきだとした上で、政治と科学の一体化に警告を鳴らす。 政治家はサイエンスの領域に立ち入るべきではない。 どんなにいい研究をしていても、政治的思惑があるのではないかと色眼鏡で見られる。」と語る。

 (以上、朝日新聞本日の記事より一部を引用したもの。)



 最後に私論に入ろう。

 その後大阪府吉村知事が、この問題に関する見解表明を繰り返す姿を一切見なくなった。
 そして「うがい薬推奨実験」を施した研究者側からも、何らの発表も無い。
 両者共々、この件に関する突如とした発表を“勇み足”だったと認めたものと信じたい。

 まさに、上記朝日新聞記事内の識者氏達がおっしゃるとおりだ。

 研究内容が市民権を得るためには、まずは実施した研究を専門学会や論文で発表するのが常識だ。  その場で議論され尽くし報道発表が成された後に、研究内容とは初めて市民権を得るものである。
 (いや「STAP細胞事件」のごとく、それらを発表した後に“捏造・改ざん”が大々的に指摘され、研究論文自体が取り消される事例とて少なくない。)

 そして表題に掲げた通り、「政治家はサイエンスの領域に立ち入るべきでない」のも当然のことだ。
 我がエッセイ集のバックナンバー内でも述べているが、特に「医学」との分野とは、ほんの少しかかわったのみでは習得不能な高度の専門知識や経験力を要する部分もある事実を、お分かりいただきたくもあるし。
 地方自治論分野の教授氏がおっしゃるとおり、どんなにいい研究をしていても、政治的思惑があるのではないかと色眼鏡で見られて当然でもあろう。

アンリ・マティス  ー 色彩の魔術師 ー vol.2

2020年08月19日 | 芸術
 (冒頭写真は、アンリ・マティス作 「開いた窓、コリウール」。 写真が歪んでいる点、お詫びします。)



        

 今月も、朝日新聞愛読者プレゼント 「アンリ・マティス ー色彩の魔術師ー 第2回」の作品が2枚届きました!



 今月は、冒頭写真の「開いた窓、コリウール」と。




        
         「生きる喜び」 です。



 これらのうち、冒頭写真の「開いた窓、コリウール」の解説を以下に転載しておきましょう。

 新印象主義やセザンヌの手法を取り入れながら、新しい絵画表現を模索していたマティスが、独自の画風を開花させたのは1905年の事である。
 同年夏、友人のアンドレ・ドランと訪れた地中海に面した港町コリウールで、明るい色彩による生き生きとした作品を制作した。 この新しい表現は、大胆な色使いと荒々しい筆触から「フォーヴィスム(野獣派)」と呼ばれている。
 コリウールのアパートから見た光景を描いた本作は、マティスの実験的な試みをよく表している。 室内は青緑とピンクに塗り分けられ、補色を意識した構成である。 また、植物は短く軽やかに、空や海は伸びやかな筆触で描かれ、モチーフにあわせて描き方が変えられている。 さらに、白や塗り残しを効果的に用いることによって地中海の陽光を見事に表現した。
 ルネサンス以降、「開いた窓」というモチーフは絵画の比喩として用いられてきたが、マティスは自由な色彩で遠近法の失われた空間を描くことにより、現実世界の再現ではない新しい絵画の方向性を示した。
  (以上、東大大学院 神津有希氏による解説を引用したもの。)



 最後に、くだらない私事に入るが。

 小学校高学年の図工の授業でのことだが。
 美術が専門ではない担任教師より、私が描いた絵に“塗り残し”があった点に関して注意を受けたことがある。
 「絵とは画用紙の白い部分を残さず、全面色を塗らなければならない。 これはやり直しだ。 何かの色でこの部分を塗りなさい。」

 子供心に何だか合点しかねたものの、そう言われてしまっては…
 やむを得ず、無理矢理に何かの色を塗った記憶がある。 
 その後もその教員の言葉が強い印象で残ってしまい、後々絵を描く時には必ず“塗り残し”が無いように注意したものだ。

 絵を描く際の「ルール」というものがあるのかどうか、未だかつてその正解を知らないが。

 上記マティスの作品に於いては、以下の解説がある。
 「白や塗り残しを効果的に用いることによって地中海の陽光を見事に表現した。」
 
 絵画の巨匠がその技法を使っているということは?

 今更ながらだが、あの時の担任教師の発言は誤りだったということになろう。
 まあ、昔の小学校教育など、美術に限らず誤りだらけだったのだろうが… (今もか!?!)😱