原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

説教される飲み会になど何故出席するの??

2021年12月05日 | 人間関係
 「酒」関連のエッセイが続くが。


 朝日新聞本日2021.12.05付記事に、“コロナ禍”と関連付けた「忘年会」に関する内容の記載があった。

 早速、「酒と説教を切り分けて」と題する20代男性からのご意見を下に書かれた記事を、以下に要約引用しよう。

 アンケートでは忘年会に消極的な声が多いが、コロナのせいだけでなく、これまでの「ニッポン株式会社の飲み会」への反発が強いようだ。 回答を読むと「忘年会あるある」だ。 私も会社の忘年会に疑問は感じてこなかった。 それも仕事の一環、先輩同士のけんかも年末の風物詩…。 でも飲めない人はもちろん、ずっと疑問を持っていた人が多いのだと実感した。
 ごった煮のような宴会はやめ時なのだろう。 「1年間ご苦労様」の会のはずなのに、酒や余興や説教おやじが入ってきて、ぐじゃぐじゃになる。 酒も説教も切り分けて、飲みたければ隅っこで静かにやれということだと思っている。

 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。)



 “バリバリ底なし飲兵衛”を一生涯貫いている、原左都子の私事と私見に入ろう。

 私にとって一番苦痛な飲み会とは。 「酒が呑めない飲み会」である。

 そんなのあるの? と思われる方々もおられるだろうが、特に就職後はずっと男社会で生きてきたこの私は、今までの人生に於いてそれを2度経験している。
 両者共々、参加者が女性中心の飲み会だったが。(バックナンバーにても紹介しているが、今一度反復させていただこう。)

 一つ目は、我が子が幼稚園時の頃の保護者会での飲み会だが。
 会合が始まって、ひとまずビールが全員に注がれてそれで乾杯をした後のことだ。
 誰もお代わりを継ぎ足しに来ないなあ、と思っていると。
 な、なんと!! その一杯のビールでほとんどの女性保護者が“出来上がって”しまい…
 仕方なく私がテーブルに置いてあった焼酎で自主的に水割りを作って飲もうとしたところ。
 「何してるの!! そんなの飲んだら大変なことになるのよ。」と保護者会会長が焼酎瓶を取り上げに来るではないか!!
 (ああ、ここでは飲めないんだ…)と諦めた私は、料理をつまみつつ(とっとと帰って家で飲みたいなあ。)
 そんな私に追い打ちをかけるがごとく、「〇さん(私のこと)も二次会行くでしょ!!」とお誘い下さる保護者会女性の皆さん…
 (行くわけねーだろ!)と思いつつ、「申し訳ないですが、本日はこれにて帰宅します」


 もう一つ、女性飲み会での話題だが。

 某国立研究開発法人研究所に勤務していた頃に、その職場のアルバイト女性軍に飲み会に誘われた。
 誘って下さった方が、日頃よく「昨夜は午後1時まで居酒屋で飲んでしまった」等の話をしていたため、(これは飲めるぞ!!)と安易に考え、その誘いに乗った。
 さて飲み会当日だが、池袋の居酒屋へ行ってみるとなかなか雰囲気の良い店舗で、(これは酒が楽しめそうだ!)と勘違いしたのは束の間…
 一杯目は皆さんそれぞれが自主的に注文した後。 元々“駆けつけ三杯派”の私がすぐさま二杯目を注文した。 そこまではよかったのだが。
 私が三杯目を注文した時に、参加者女性皆の視線が私に集中し。 異口同音に私に言うには、「原さん大丈夫なの??」
 (あーー、またかよ。😫  やっぱり女の飲み会って飲めないんだなあ。) 愕然としつつも、急に帰ります、と言う訳にもいかず…
 未だ酔ってもいない私としては、しらふ状態でおばさんたちの相手をせねばならず。

 この二度の女性飲み会で、私は悟った。 今後、絶対に女性飲み会に参加してはならないと!! 😠 
 その後、それをかたくなに実行に移している私だ。


 話題を表題に戻すと。

 「説教される飲み会」も、「酒を飲ませてもらえない飲み会」と同等に辛いものであろうと想像がつく。
 
 で、どうしてそれが予測されるのに、そんな飲み会に出席してしまうのだろうか?
 それは、職場からの圧力なのだろうか?
 そうだとしても、例えば体調が悪い等々の理由で、嫌な飲み会など回避すれば済む話ではないのだろうか?
 えっ。後々の上司からの評価等に響くって?  そうだとすれば、多少気の毒にも思うが。
 ただそもそも飲み会に出席しない事実が、自身の職業上の評価に結びつく訳がないと、原左都子は結論付ける。


 最後に繰り返しであるし、自慢話になるが。

 原左都子の30歳時点での医学関連企業自主退職時の飲み会時に、副社長より退職を止められた話題を今一度披露させていただこう。
 そもそも、当時2000人規模の急激に業績が伸びている医学企業だったのだが。 その企業で、私自身も大活躍を遂げた自負が確かにあった。

 元都市銀行頭取のご経験があり、我が社に副社長として引き抜かれたばかりの副社長曰く、「貴方はここまで我が社で大活躍して業績を残している立場で、退職して新たに別分野の学問に励むために2度目の大学へ進学すると言うが、一体いかなる分野か?」
 私応えて、「経営学です。(実は進学後方向転換して、哲学や法学にもハマりまくった挙句、大学院修士課程にて「経営法学修士」を取得したのだが。)
 副社長応えて、「そんなのボクが教えてやるから、馬鹿なことをいっていないで、貴方は我が社に残って医学を極めなさい!」


 これぞ私にとって、最高の「送る(贈る)言葉」だった。

 あんな素晴らしい飲み会は今まで経験したことがなく、一生忘れ得ぬ激励として。
  
 今尚、我が脳裏に刻み付けられている「飲み会」の一風景である。


浅草・神谷バーの「デンキブラン」、懐かしいなあ

2021年12月04日 | 
 (冒頭写真は、朝日新聞本日2021.12.04付別刷「be」記事 「浅草に根差す明治期のバー 洋酒に込めた傳兵衛の思い」より転載した、「デンキブラン」。)



          

 東京にお住いの飲兵衛の皆様の中には、この“神谷バー”にて「デンキブラン(旧名:電氣ブランデー)をたしなまれた方々は数多いことであろう。



 何を隠そう、この原左都子もその一人である。
 
 いやいや、そもそもアルコール濃度の高い酒好みの私だが。
 デンキブランを一口飲んだ時から、その何とも言えない風合いや味わい、そしてアルコール度の高さに唸ったものだ。




 時は、我が子が3歳児の頃に遡る。

                      

            
 写真は、我が娘が3歳頃に撮影したもの。 
 上は、当時の我が家にて。
 下は、我が郷里の海にて。 写真の右側は当時40代前半頃の原左都子。



          

          

 未だ3歳頃の娘が一番喜んだのが、この小規模遊園地である浅草「花やしき」だった。
 都内には他にも数々の遊園地が存在したが、とにかく娘の体形に合う遊具が用意されていたこの「花やしき」を娘が好むため、よく連れて訪れた。
 
 
 その帰り路に私が発見したのが、この「神谷バー」だ。
 正真正銘酒好きの私であり、当然ながら20代前半期の上京後、様々な地の飲み処を訪れていたのだが。

 「神谷バー」は、未だ制覇していなかった!
 通勤電車の中刷等で、その名の広告は幾度も周知していたにもかかわらず。
 
 早速、亭主に尋ねた。
 「神谷バーって、“デンキブラン”とやらの強い酒で有名な老舗だよね。一度行ってみたいのだけど。」

 がってん承知の亭主が、すぐさま私を当該飲み処に誘ってくれた。(参考だが、我が娘はもっと幼少の頃より飲み処は慣れていて、別段問題はなかった、と言っておこう。)😜 

 
 初めて口にした “デンキブラン” に大感激だった私である!!
 何と申しますか、アルコール度が高いにもかかわらず、我が口には優しい感覚だった記憶がある。
 3杯くらい堪能したであろうか?? 娘の保護者として帰路を安全に保つのに何らの違和感も無かったものだ。
 
 これぞ「良酒」と心得、その後娘を引き連れて“花やしき”を訪れた帰り路に、“デンキブラン”を堪能する機会が続いた。



 最後になったが、「神谷バー」及び「デンキブラン」に関して朝日新聞記事よりほんの少しだけ引用しておこう。

 1880(明治13)年に創業し、「日本最古の洋風酒場」と呼ばれる神谷バー。 その数年後に生まれたのが店の代名詞でもある「デンキブラン」だ。
 成分はブランデーを主体にワインやジン、薬草など。 製造法は今も秘伝である。



 我が娘は、現在28歳にまで成長している。

 そろそろ放っておいて私ひとりで浅草まで出向き、再びの「デンキブラン」を堪能しようか?!?


 これが困ったことには、“コロナ・オミクロン株” だ… 😱  


地元の練馬美術館へ“入場無料”の展覧会を鑑賞しに出かけました。

2021年12月02日 | 芸術
 (冒頭写真は昨日原左都子が訪れた、現在 練馬美術館 にて無料開催中の小林清親氏による「増補 サプリメント」展から転載したもの。)


           


 小林清親は、”最後の浮世絵師”とも呼ばれる、明治期を代表する浮世絵師です。
 練馬区立美術館では、2015年に清親没後100年を記念し、「小林清親展 文明開化の光と影をみつめて」を開催しました。
 この展覧会が機縁となり、清親の作品や資料、遺品類約300件の寄託を受け、その寄託品の中には、下絵図や自作の箱、裃などの身の回りの遺品も含まれていました。
 今回はこれらの未公開、再発見の作品・資料を中心に展示し、2015年の展覧会のサプリメント(増補)として開催いたします。 

 (以上、練馬美術館HPより転載したもの。)



 世は、コロナ新変異株であるオミクロン株の脅威に関する話題で震撼させられている。
 これは出かけたい場所へは早めに行っておくべきと判断した私は、早速練馬区立美術館へ当展覧会を鑑賞しに行くこととした。
 

          
 
 この美術館は閑静な街中に位置しているのだが、入口前の紅葉が美しい。


          


          

 入口前の「練馬大根うま」がシンボルの美術館であり、鑑賞者を出迎えてくれる。

          

          

 動物たちのオブジェの公園を左に階段を上ると美術館へ到着する。


 入館すると、さすが「無料」が人気なのか夏頃訪れた時期より入館者が多い感覚を得た。 

          
 
 館内から展望する庭園も美しい。



 今回の展覧会の作家であられる小林清親に関しては、私は昨日初めて知った。
 ”最後の浮世絵師”とも呼ばれる明治期を代表する浮世絵師との記述があるが、そのような作風の作品も数多く展示されていた。

 原左都子が注目したのは、氏の「下絵」の多さだ。
 本作と並べて「下絵」が展示されていたのだが、その「下絵」の何とも素晴らしいこと! 美術素人の私の感覚では、本作よりも「下絵」を大きく拡大して展示して欲しかった気すらした。

 とにかく絵が上手い作家だとの印象を抱いた。
 
 何分、美大予備校時代にデッサンにつまずき、美大進学の夢を諦めた娘を持つ親の身の私だ。😖  
 やはり、“絵のうまさ”  とは天性なのか?? うちの娘は早期に美大への道を断念して正解だったかな??? 
 
 などと美術鑑賞をして、そんなことを思う人間も珍しいのかもしれないが…😔 




           


 帰り際に、美術館入り口でこの「絵はがき」を購入した。

 アンドレ・マルティ そら! ダンスのためのアフタヌーンドレス、
 ドウエイ作 (『ガゼット・デュ・ボン・トン ー 芸術、モード、アクセサリート』より)


オーストリアへ侵出したハプスブルク家

2021年12月01日 | 旅行・グルメ
 (冒頭写真は、少し前にBS放送にて撮影したもの。)



  何故、今夜原左都子が「ハプスブルク家」をエッセイテーマに取り上げるのかと言うと。


 コロナ禍直前期の2019年夏に旅をした地が、オーストリアだったからに他ならない。


 そのハプスブルク家が、最近のテレビBS番組にてピックアップされた。

 これは必見!! との思いで、私はテレビ画面にしがみついた!

 その内容を、以下に紹介しよう。

 

 ハプスブルク家 中世以来、神聖ローマ皇帝位を継承した有力な家系。スイスの地方領主から出発し、オーストリアに侵出、ドイツ王の地位を兼ね、ネーデルラント、ブルゴーニュ、スペイン、ボヘミア、ハンガリーなどヨーロッパの広大な領土の他、新大陸にも支配地を持った。


         


         


         
 このホーフブルク宮殿へは、是非とも訪れたかったのだが。
 ウィーン滞在中、日々夕方から激しい雷雨に襲われ、ホーフブルク宮殿への訪問は叶わなかった…



 その代わりと言っては何だが。

          
 我々母娘は宮殿近くのこのカフェに立ちより、素敵なマダムより豪雨が収まるまでの間、好待遇を受けた。

 まさに旅行のハイライトとは、予期せぬ時に起こるものだと実体験させていただいた。



 その後豪雨が収まった後に、ウィーン国立歌劇場にてモーツアルトオーケストラの演奏を堪能した。
         




         


         
  ウィーンと言えば。

 まさに、多彩な音楽家たちを産んだ都でもあり。
 
 それらの生地を訪ねたかったものの…



 何分、2019年夏のウィーンのあの豪雨に日々その道を閉ざされてばかりの、我々母娘の厳しいウィーン個人旅行道中だったものだ… 


 ただ、厳しかった旅行程、脳裏に刻み付けられているものでもあるなあ。